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でんきのねだん [2013年10月16日(Wed)]
ちょうど10年前 つぶやいていました。国内の原発の深刻事故のことなど、まだ想像もできない時代でした。

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第182回 でんきのねだん 2003/10/16 

 水道やガスは使った嵩がイメージできる。電気には4人家族で月1万円弱払っているが、どれだけの嵩を使ったのか実感がない。電線がつながっているけれど、そこから何が出てくるのか。
 水道やガスがなくても、山の中なら暮らしていける。沢水も薪もある。そういう家でも電気を引いていない家はない。電話より電気が先である。携帯の充電もできないし。
 電気は魔力である。電気なしではありえない道具が山ほどある。テレビ、冷蔵庫、パソコン、エアコン。これらを使わずに暮らすには、かなりの覚悟が必要となる。

 国民すべてに電気を使わせるために、電力会社はかなり無理をしてきた。
 水力発電のためにダムを作れば地元の川漁師に永久補償して、毎年アユの放流をしなければならない。空家しかない山の中でも配電線の下刈を毎年しなくてはならない。送電鉄塔のボルトが抜かれていないか定期的に巡回しなければならない。原発では、地元自治体へ電源交付金を数十億円ずつ支払っている。使用済み核燃料の保管処分には、さらに巨額の費用を半永久的に投入しなければならない。
 これらの間接経費は消費者の電気料金にストレートに上乗せされているはずなのだが、私らにその実感はない。電気の原価は、原油やウランの燃料代だと思っている。電気の「利便性」への対価は極端に低く設定されているから、ソーラーパネルや風車など分散型発電が、巨大電力企業に太刀打ちできない。

 価値保全の法則が成り立つなら、電気代相当額を費やせば、原油等の地下資源が新たに生み出せてもいいようなものだが、エントロピーの逆行は不可能である。文明という名の産業システムまるごとで、資源の食いつぶしを続けている。(2003/10/16)
大田祭り大天狗2013β [2013年10月16日(Wed)]
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昨日の大天狗の写真をえっちゃんが撮ってくれました
おへそのあたりに外を見る窓があります。
こどもらに見つからないように、榊の枝でカモフラージュしてあります。
こちらからは見えてるので、沿道でカメラ向けた人にはポーズしてます。

出発前の境内には毎年近隣の保育園から園児たちが続々と見学にやってくるので、そのたびに天狗をかついで驚かせてあげるサービスをしなくてはなりません(自分的なミッション)。泣かせてなんぼでしょ!
子どもたちが来ている間は休憩もできません。今年はとりわけたくさん来てくれたおかげで、泣かせた私が翌日はへろへろになっています。

追加写真 子どもたちを泣かせているところ

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Posted by ginmori at 20:46 | 小ネタ | この記事のURL | コメント(0)
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