10年たって、松ますます壊滅的。風の吹いた翌朝、林道に枯れ松の大木が倒れることもしょっちゅうです。チェーンソーがないと通過できません。この状況はまだ数年続くでしょう。その後はそうした問題すらなくなります。松の絶滅。
画像は「ネコノチチ」 本文に関係ありませんが季節の風景
第178回 松の思いで 2003/09/15
実家の向かいの山に大きな赤松があった。
谷川をはさむ小さな尾根に、広葉樹を突き抜けて高く伸び上がっていた。約50mの距離で、少し見上げる角度になる。名のある古木ではないが、このあたりの山では一番大きなほうの松だった。小学生の頃は薪で風呂を焚くのが仕事だった。焚き口の前に座って、毎日、納屋の屋根越しにこの松を見ていた。
このあたりの植生は、アカマツ林とシイ・カシ林が中心であるが、アカマツ林は例によって松枯れにやられて僅かとなってしまった。30年以上前には、どこの山も尾根にはアカマツが並んでいたのに。
松林には松ヤニの独特の匂いがする。大きな松なら数本もあれば雰囲気が出る。林床には松葉が積もり、下生えが少なく明るくて歩きやすい。松葉をかき集めるために、松の木を保護し、柴を刈って手入れした結果、里山的アカマツ林になったのであろう。
スギやヒノキの植林地を歩いてから、アカマツのところに来ると開放感がある。尾根の上のほっと一休みしたくなるようなわずかな平坦地に大樹がある。下枝がなくて見晴らしもいい。
一生で一度だけ天然マツタケを採ったのも、向かい山の大松の周りだった。(よそんちの山なので大きな声では言えないが)中学の友達と半日かけて捜した後、たまたま杖を刺した松葉の下から見事なマツタケが現れた。帰ってすぐに炙って食べてしまったが、一生でそれきりである。この松も私が大阪にいる間に枯れて消えてしまっていた。
マツの魅力は、幹の曲がり具合である。まっすぐ立っているマツなんてない。むきだしの女の腕のような肉感的カーブに味がある。眺めるならやっぱり松が一番だ。 (2003/09/15)