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七色館運動会2012 [2012年11月05日(Mon)]
高橋理事長から2日のイベントのレポートが届きました。

今日は七色館事業所全体の大運動会でした。
利用者、職員合わせて五十数人で競馬レース、など数種目を競技しました。
ゆきみーる大会議室は応援する声で終始賑やかでした。久々に体を動かしてみ〜んな楽しそうでした。また来年も元気であいたいですね。

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Posted by ginmori at 21:03 | この記事のURL | コメント(0)
ドイツ訪問先ふりかえり10 [2012年11月05日(Mon)]
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10月10日、昼にベルリンからハンブルクへ移動して、15:00〜ハンブルク市役所とハンブルク青年局による公式歓迎を受け、連邦レベル・地域レベルのユースワークについて説明を聞きました。

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ハンブルクは一人住まい世帯が50,4パーセント、子どもがいる世帯が18パーセントであり、若者は官僚から見ると多種多様で楽観的、四六時中ネットにアクセスしており、グローバル、遠い未来よりも近い未来を考えているイメージということで、日本と重なる部分があります。しかし、政治に対する興味を持つ若者が半数以上おり、39パーセントが社会的な何かに関わっている等、異なる部分もあるようです。

ドイツにおいても教育水準は家庭の水準に左右されており、例えば経済面では裕福な地区の不登校率が3〜7パーセント、貧困地区(移民が多い地区では不登校率が7〜20パーセントと開きがあります。

ドイツでは子どもと青少年のためにその年齢ごとに独立した法律があり、これがベースにあることがユースワーク(この場合は健全育成に近い意味)や青少年支援の原動力となっています。

ハンブルクには60のユースワーク団体があり、その団体へ青年局がベースの資金を出しており、大きな団体にはソーシャルワーカーをつけています。ユースセンター(児童館みたいなもの)は290あり、青年局からスタッフの派遣もあります。青年局で直接相談に乗っている困難事例は年間1万人くらいで、年々支出は増えています。

現在青年局で目指していることは、幼稚園から小学校への移行をスムーズにすることや、ユースワーク(ノンフォーマルな社会教育)をもっと学校へ入れたいということ、インクルージョン、両親の教育力を高めること、地域の力を高めることなどです。

公的な行政は導き、民間漕ぎ手というイメージで、枠組みを行政が作り、民間が動くという役割分担はしっかりとここでもできていました。税金に見合ったことをやっているかのチェックと何をするかの指示は行政、どうやるのかは民間ということで、そこにズレが生じるとかなり激しい議論をするようです。

対応して下さった青年局のウィダマン博士はとてもユニークな方で、夜は市庁舎の地下にあるレストランでディナーをご一緒して下さいました。
Posted by ginmori at 19:47 | この記事のURL | コメント(0)
ドイツ訪問先ふりかり9 [2012年11月05日(Mon)]
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ドイツでの研修3日目はベルリン最後の日。
10月10日9:00〜10:45に訪れたのは、「ギャングウェイ」という非行青少年へのストリートワークを行う団体でした。
実はこのギャングウェイは、私が事前に最も興味を持った団体の一つだったので、ここには書ききれないぐらいに質問をしてきました。

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概要としては、1990年に設立。背景としては、東西ドイツ統一によって人種差別・国粋ムードが流れ、噂や差別から身を守るためにトルコ・アラブ系の移民を中心に青少年がグループ化したことがありました。そのギャング達と出会うためにギャングウェイができたそうです。

グループは最大300人、組織統制がとれていてバット・なた・拳銃などの武器を持っており、コンタクトは難しく、ケーサツでも十分に対応できずに政治の方で策を考えました。それまでは通所式の施設しかなかったのですが、300人が施設に来ても対応もできないということで、新しい方式として、ドラッグと同様にストリートで彼らの方へ行くことになりました。ストリートワークは柔軟性が必要で官庁向きではないということで、ベルリン行政ではNGOに委託することにしました。
常勤職員70人、パート50人、その120人の管理職は5人であり、NGOだから上司が少なくて済むそうです。

縦割りではなく、横割り、15のチームがあり各チームは独立して同等の権限を持っています。いくつかの原則があり、「対象は12〜25歳の複雑な生活環境の青少年」「チームでストリートワークをする」「敷居を低く、規則を押し付けない」「常に青少年の側に立ち、権利主義的機関と
は一緒に活動しない」「透明性を保つ」「青少年が自立する」等々です。

質疑の中で、「この設立については、議会が決めてトップダウンでNGOが設立された。その為にロビー活動に強いこと。」「まず新しいことをする時には柔軟性が必要なこと。」「資格なしでの採用でもどんどん再教育・研修が入り、最低でもエデュケイターの資格を取っている」「チームにリーダーというものはおらず、取り組む事例やプログラムによって役割が変わってくること」「前衛的な取り組みなので外部研修は難しく、むしろ外部に発信してほしいと言われること。」「研修は内部で行い、情報交換や議論を行うこと。何よりも実践で学ぶこと。」など多くの学びを得ました。

常に青少年の側に立ち、行動は否定しても人格を否定しない等、青少年との関わりは日本と共通の部分が多い一方で、組織運営や研修、チーム自体の捉え方に独自性を感じました。また、ドイツでもトップダウンが必要になる事例があることを知りました。
この後、昼からはハンブルクへの移動でした。
Posted by ginmori at 12:31 | この記事のURL | コメント(0)
電線の下を刈る [2012年11月05日(Mon)]
10年前シリーズです。

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第136回 電線の下を刈る 2002/11/09

 電力会社のひ孫請けのような仕事もやっている。電線にかかりそうな木や、支柱に巻き付く蔦を切ってわまるのである。専門でやってきた地元の爺さんたちから、昔話を聞きながら作業の段取りを教えてもらう。電線に接触させないように枝を落としたり、木を倒したり。元が大手なので、安全第一である。

 実際に電線に沿って歩いてみて気がつくことは、電気はモータリゼーション(自家用車)よりも一歩先んじたということである。この違いが現場では大きい。なぜなら、ふだん我々が目にする電線工事は高所作業車輌を停めて道沿いでやっているものだが、自動車道路建設よりも前に敷設された支線電柱の列は、その昔に人々や馬が歩いていた旧道に沿って、最短ルートでまっすぐ山を越しているのである。したがって我々も刈払機やチェーンソーやハシゴを担いで、暗い山道に踏み込まねばならない。
 今回作業した支線の先は3集落あわせて僅かに9戸、独居老人が過半で、人口10人あまり。この地区に電気が通ったのは昭和29年という。当時は40戸以上と分校もあったそうだ。
 こうした地域に配電を確保するメンテナンスは電気需要者の負担だけでペイしているわけがない。電気インフラはもはや社会保障の一環であるので、電力会社の都合で配電を停止することはできない。

 配電線の終端にある家(ふだんは空家)は、東京に移住した家族がお盆に一度だけ墓参りに帰るらしい。この家も電気の基本料金を通年で支払っている。
 彼らが植林して残したスギやヒノキは何も手入れしなくても毎年伸長し、集落に通ずる電線の支障木となってくる。電力会社はこれらを3年に一度伐採させていただくために、数万円の補償料を支払わねばならない。それだけで電気の基本料金がまかなえるのだ。材木にして売るよりずっと値が良い。
 あまたの地方交付金システムの典型例を見るようである。おかげさまで私たちもお仕事をいただいている。(2002/11/09)
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