• もっと見る
«マリオンの日本語 | Main | リース»
静間川の源流域探訪 [2014年11月28日(Fri)]
久々の10年前シリーズです。
これから もいちど川関係の活動が始まりそうなので、ちょうど10年前だったかと感慨があります。

khkaede2004.jpg

第232回 静間川の源流域探訪 2004/11/09

 この町でいちばん大きな川の源流域を訪ねる連続企画をNPO事業としてやってみた。市域のほとんどが静間(しずま)川の流域と重なる上、源流地点も市域である。マイクロバスでまっすぐ走れば30分の山奥?に行って、その地のお年寄りから昔の暮らしや風景がどんなだったかをインタビューしてくるのである。
 本流および主な支流を3回に分けて探訪した。意外と近くに小さな秘境がたくさんある。そうして、川沿いで見つけた珍しい物件をデジカメで撮って、Web−GISのマッピングシステムに投稿して地図にリンクさせる作業もあわせて行った。
 地元のお年寄りが語る昔話はそれぞれ興味深かったので、今後テープを起して発表する予定である。それに、一人で出かける予備調査は、いつもの「目玉の散歩」と一緒で、カメラ片手にウロウロするのだから嫌いなわけがない。ネタを見つけて紹介していく仕掛けとしては成功だったと思う。ただし、キーワードだった「川」を軸にして、それら流域資源が互いに繋がっているということをうまく示すことはできなかった。
 配布資料の地図のとおり、川に沿う道をずっとたどって走ってるはずなのに、車窓からほとんど川が見えない。江川みたいな大河と違い、ここは2級河川である。川幅が狭いうえに草木が茂っている。アシのとぎれた隙間にたまに水面が見える程度。河原に下りて風景を楽しみましょうと、おすすめできるスポットもどこかにはあったんだろうが、調査不足。参加者の元少年釣師Mさんは、腰までの長靴を履いて源流まで川を遡ったことがあると聞いて驚いた。よくこんな藪の中に糸を投げられたものだ。
 私の記憶で言えば30年以上前なら、たしか川面はずっと見えていた。川に下りる小道はどこにでもあった、近所の人の手作りの木の橋もあちこちに架かっていた。
 農家に牛がいなくなって草刈をしなくなり、洗濯や行水や野菜洗いに川に下りることもなくなり、子供が釣りや水遊びをしなくなり、農薬や家庭排水が流れ込み、そのうちに田んぼがなくなり農薬だけは減り蛍は一部で復活したが、ほとんどの人の意識は川と離れるばかりであった。
 川が親しかった世代が行政や土建の現役を引退して自由な発言ができるようになると、これまでの防災土木一本槍から手のひらを返し、「川の文化」とか「親水空間」とか言っている。いちど壊したものをとりもどすのは大変なのにね。
 景観の保全はみてくれだけのものではない。使って役に立つから川に親しんだのである。日常生活(生業:なりわい)と結びついていなければ、書割(舞台セット)でしかないだろう。使い続けることが一番難しかったから消えてった。私のように弱気な者は「そもそもぜんぶは無理だからね」と断っておいてからでなければ、景観保全なんて口にしないが、自分自身の楽しみのためにボランティアでできる範囲にしぼって、そこだけはなるべく完璧に景観復元をやってみたい夢がある。そういうフィールドをさがしているところ。(2004/11/09)
【事務局長の10年前シリーズの最新記事】