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2021年12月31日

江東区議会傍聴「オリパラ強行に注目」

江東区議会傍聴「オリパラ強行に注目」

オリパラ レガシーは I R カジノの根回し?

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はじめに:
コロナウイルス感染第 5 波が心配される中、課題山積の委員会質疑を聞く機会に恵まれた。
本会議、各種委員会とも、オリパラ・レガシーとコロナ対策に集中している感があった。
日 程:
9.15 本会議 9.21 本会議
10. 7 厚生委員会 10.8 建設委員会
10.11 文教委員会
10.13 清掃港湾・臨海部対策特別委員会
10.14 オリピック・パラリンピック推進特別委員会
10.15 防災・まちづくり・交通対策特別委員会
10.18 高齢者支援・介護保険制度特別委員会
10.21 本会議
《注目された点、質疑等》
6.9、10 本会議
区長挨拶:コロナ禍は人出が増して最高となったが、オリパラが開催できて良かった。
議員質疑応答:
・ ニュージーランドのコロナ対応はうまくやっているので、参考にして欲しい。保健所は拡充する。
・ 地下鉄 8 号線基金を設置し、新庁舎とドッキングして欲しい。中小企業支援を進めて欲しい。
・ コロナの自宅療養は人災だ。医療者の増員、コロナ情報の拡充を望む。
・ コロナ禍における防災訓練の必要性が高くなっている。飲食業への支援の拡充を。
・ 地球温暖化対策、CO2 対策を進めて欲しい。再生可能エネルギー推進の拡充を望む。
・ コロナ禍で予想外の開催になったが、パラリンピックは成功と思う。レガシーに注目したい。
・ 荒川下流で開催の砂町花火大会は終了した。今後は江東区による江東花火大会にして欲しい。
・ 浸水地域での避難は水平避難から垂直避難が現実的だ。
厚生委員会:厚生委員会担当の陳情は 51 本と多く、コロナ対策、障害者問題など課題は満載だ。
・ 行政功率化で児童館廃止、保育所・子ども家庭支援センター等々の指定管理者問題では、離職率が高く、賃金や待遇の低さが大きな課題となっている。介護士などのエッセンシャル・ワーカーのコロナ禍での厳しい状況が論点になった。十分な支援・保護体制確立が急務である。
建設委員会:「電線地中化に関する陳情(継)」については継続となった。仙台堀川公園整備見直しを求める陳情については、工事を進めているとの回答で、質疑は不十分で、継続となった。
文教委員会:放課後キッズクラブ、幼稚園の在り方・廃園、給食問題等陳情は多く、審議が続いた。清掃港湾・臨海部対策特別委員会:江東区カジノ誘致反対の陳情は、今後の都の動向を注視していく。
・ 都の職員が入室し「臨海副都心青海地区地区計画の変更」の説明(右上図参照):T2 街区の計画的な土地利用転換を図るために不動産会社に譲渡し、スポーツ練習場等建設する旨報告された。
オリンピック・パラリンピック推進特別委員会:会場を区のレガシーに残して欲しい。予算オーバーと思うが、区は何も言えないのか? @区の負担はないので特に問題ないと思われる。
防災・まちづくり・交通対策特別委員会:
コミュニティバスは福祉・交通弱者のために必要だ。
防災ラジオの配布は、区民の防災意識向上に繋がると
江東5区マイナス地域防災研究所:区政を考える会の陳情に対しての区の回答は「大規模水害による犠牲者ゼロ実現に向け、『江東5区広域避難推進協議会』を設置し、大規模水害時の広域避難について、国、都、関係機関と連携して検討を進めているので、当該研究所の考えはないとのこと。議論もなかった。
江東区国土強靭化地域計画:東日本大震災により多大な被害が発生し、ハード中心の対策の限界や、ソフト対策の重要性が再認識された。「大規模自然災害等に備えるには、事前防災・減殺と、迅速な復旧・復興に施策の総合的、計画的な実施が重要である」とのもとに国に対応し、本計画を作成している。江東区長期計画や江東区地域防災計画などと連動した内容になっている。
高齢者支援・介護保険制度特別委員会:2025 年問題等、住民主体の介護の在り方が検討された。
《 検討すべき課題 》
青海地区 I R カジノ推進計画
・ 清掃港湾・臨海部対策特別委員会において突然、「臨海副都心青海地区・T2 街区の計画変更」が東京都部局から説明された。不動産会社に土地を売却し、民間がスポーツ練習場等建設を行うという説明だ。民間事業なので中身については関係しないとでもいうことのようだ。多分、このような仕組みで分割化し、民間事業として順次「IR カジノ」を推進していくのではないかと心配される。
・ 参考にデンマークの有名な清掃工場建設について考えてみたい。デンマークのパブリックデザインを象徴する公共建築で、廃棄物関連施設は、自分達の裏庭には建てないで欲しいという迷惑施設だが、市民との長い長い交渉・調整のもとに設計・建設されている。従来の常識にとらわれず、コペンハーゲンの新しい丘として位置づけ、全く新しい価値をもたらした。施設の屋上には斜面 450mの人工スキーコースが設けられ、夏はトレッキングを楽しみ、カフェでコペンハーゲンの眺望を楽しめる。さすが人権・民主主義の国だと思う。
江東 5 区マイナス地域防災研究所
・ 江東区国土強靭化計画に取組んでいる江東区の最大の課題は「マイナス地域」が区内に拡がっていることだ。大正時代の関東大震災時はゼロメートルが広がっていなかったので、家屋の倒壊と火災が中心で、その後の耐震住宅や耐火建築でかなり改善されている。しかし、ゼロメートル地域が広がり、特に海抜−3〜5mの地域には抜本的な防災対策が不可欠で、江東 5 区ハザードマップの「ここにいてはダメ」はあまりにも冷たい防災対策で、区の対策は皆無と言えなくもない。
・ 震災時は停電し、断水し、堤防も破損すれば、海水が流入し、地上 1 階と地下 1 階のスーパーやコンビニに依存した区民の食生活が成り立たなくなる!!地下鉄やバスや道路も交通マヒ状態に。特に、住民の避難場所・避難ルート・食糧等の防災避難計画、防災医療計画が必須となる。江東区の官民挙げての取り組みなしではどうすることもできない。幸い江東区には東京海洋大学、芝浦工大、武蔵野大学、東京都土木研究所・環境研究所、大手ゼネコンの研究所などが立地しており、江東区を中心に江東 5 区に声をかけて、「江東五区マイナス地域防災研究所」創立が望まれる。・ 一人ひとりの住民が、震災・台風などを「自分事として」予測し、対策を考えられるように高齢者や子供、外国の方々にも、情報を入手できるソフト情報地策がまず必要ではないだろうか。
所感:地球温暖化で洪水が大規模化し、首都直下型地震は 30 年で 70%の発生確率だ。

2021年12月30日

井戸まさえ「無戸籍の日本人」

井戸まさえ「無戸籍の日本人」

集英社文庫18.1.25

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はじめに
 13年間の支援活動で思うことは、当事者も、支援者も、メディアも伝えることを躊躇する部分にこそ、解決に至らない主因があるのではないか……
 そして「語られずにきた部分」は、無戸籍問題に限らず、自ら声を挙げることができない子供たちを巻き込んださまざまな事件や問題に共通する「横串」になっているのではないか。いや、子供たちだけではない。私たちの社会で誰もが感じる「生きにくさ」にもそれは突き刺さっている。
第1章 戸籍上「存在しない」人たち
・ 「近藤雅樹」と名乗る男性から電話があったのは2014年4月の終わりだった。「僕が……、無
 戸籍なんです。27歳です。母親は亡くなっています。そういう場合はもう戸籍は取れませんよね」。「父親は?」と聞くと「分かりません。最初からいないので」という。「大丈夫ですよ。できますよ。親が生きているより、手続きはスムーズにいくかもしれませんよ」これはもう何人もの成人無戸籍の戸籍取得を手伝った末の実感だった。「ともかく会いましょう」と新宿駅の喫茶店で会った。
・ 「無戸籍の日本人がいる」 江戸時代の話でも、戦後の混乱期でもない話だ。この平成の時代に、北海道から沖縄まで、至る所に「無戸籍の日本人」が存在し、その数は少なくない。日本では通常、父母もしくは父と母のどちらかが日本人であれば、子供は日本人としてその親の子と記載される。戸籍がなければ住民票ができない。住民票がないと言うことは生きる上で致命的な困難をもたらす。
・ 私は離婚8か月後に現夫と再婚、新たな子を出産した。夫が出生届を提出した翌日、市役所から電話がかかり、「あなたは離婚していますね。離婚後300日以内に生まれた子供は前夫の子どもとなります。父親を前夫に書き直して再提出してください」となった。離婚協議が長引き消耗し、前夫と会う気になれず、「無戸籍児の母」となった。この法律はおかしいと国会議員を訪問し、河村議員の紹介で、法務省の民事局長に会い、「認知調停」を行いやっと戸籍を獲得することができた。
第2章 「無戸籍者」が生まれる背景
・ 「はい。私が無戸籍です。32歳になります。母が前夫と離婚できていなかったので、別居後に生まれた私は出生届けが出されていないんです。最近、母の離婚が成立し、何とか戸籍が取れないかと法務局と裁判所に行ったがたらい回しになった」と電話がかかって来て会うことになった。小中学校も行けず、住民票もない、パソコンも携帯電話もないので支援者に繋がるのも難しいと。
・ 喜一は何もかもが健司とは正反対だった。穏やかで優しく、酒は飲まない。そんな人に、人妻と駆け落ちさせてしまった。ほどなく、子供が生まれ、冬美と名付けた。しかし、離婚ができていない子供は健司の子どもになってしまうことから届け出を出せず、冬美は無戸籍孤児になった。
第3章 「無戸籍」に翻弄される家族
・ 「白石明と言います。40歳で戸籍がないんです。母親とは19歳の時に分かれたきりです。僕
のようなものも…支援してくれますか」との電話で、翌日西成に行った。母親は中学を卒業すると家出し、ヤクザと知り合い売春させられるようになった。そのうち好きな人ができ、一緒に博多に移り、歓楽街で客を取るうちに明が生まれた。明はそんな母とずっと一緒に旅暮らしをしてきた。学校には行っていない。19歳の誕生日の夜、酒に酔って絡んできた母に我慢がならず、別れを告げた。一人になって風俗業で働くうちに、戸籍がないことの不利益を強く感じるようになった。
・ 初対面の私に、人生のすべてを語る。彼らにとっては、「戸籍取得」に繋がる唯一の道だと感じるからだ。私も必死で解決の糸口を手繰り寄せなければならない。18歳で身分証の要らないラブホテルの清掃を始めたヒロミの場合は、母が避け続けた前夫に連絡を取らない限り、戸籍はできない。手続きは、ヒロミの父と推定される勝が、生きていることを確認しなければならない……。
第4章 動き出した無戸籍者たち
・ 無戸籍がNHK「クローズアップ現代」で取り上げられ、流れは大きく変わった。本格的に無戸籍者の支援活動を始めたのは、自分の子どもの問題が片付いた2003年からだ。民法第772条300日問題が時代に合わないのは誰が見ても明らかだった。DNA鑑定で分かる時代に、法律に関わる人たちは、不備・不足があるのを知っているのに変わらないのだ。それは当事者がいないからだ。
 事実に即した戸籍が欲しい人の申し出が年間3000件もあるのに、その置かれた環境が過酷過ぎて、声を挙げられないのだ。前夫のDVなどで居場所を知られたくないなどが当事者たちの心情だ。
・ 私たち夫婦は、共に松下政経塾出身で、霞が関や永田町に近かったために何とかなったと言える。
 ホームページで私の活動を知って集まってくれる人ができ、NPOを立ち上げた。NPOにしたことで信頼度が高まり、当事者の事例が集まりやすくなった。
第5章 政治の場で起きたこと
・ 2007年自民党の早川氏を中心とする「民法772条見直しプロジェクトチーム(PT)」の努力が実を結び、「離婚後300日見直し法案」はほぼ改定されそうになった。その時、当時の大物閣僚が若手を集めて勉強会を開き、その後のPT会議で若手議員が一気に反対意見をまくしたて、頓挫した。ほんの数人の意見で「離婚後300日関連新法案」はお蔵入りになってしまった。
・ 2015年、「離婚後300日法案潰し」の真相を求めて富山の長勢元法務大臣宅を訪ねた。「先生が反対している『夫婦別姓』『再婚禁止期間』規定について、秋にも最高裁で違憲かどうかの判断が出ますけど、ご意見は?」に対し「裁判つったって、人がやることだから間違うこともあるわけよ。弁護士の政治家は内輪では強いが、予算の取り方を知らない。政治家は予算が取れるかが勝負だ」。「知恵があったら救えていた?」と問うと「無戸籍なんてことはあってはならないでしょう」と。
・ 私の最初の夫は県議会議員で夫の選挙を手伝い、窮屈な生活を送り続けた。その後離婚し政治家でない夫と暮らし始め自由な身を送っていた。しかし、「無戸籍で生きる人々がいる」理不尽な現実を社会に訴えたいと2003年兵庫県議会議員に挑戦し、落選したが、補欠選で県会議員となった。2009年の夏、「政権交代」を掲げた民主党大躍進の選挙で候補となり、衆議院議員に初当選した。
第6章 「その後」を生きる無戸籍者たち
・ 2014年NHK「クローズアップ現代」が大きな反響を呼んだ。運転免許を取れないのでいつも自転車だったヒロミは、友人の家に住まわせてもらっていた。無戸籍問題に関わる母親たちが、貧困や夫のDVに苦しみながら、法律の不備のために過酷な生活を強いられていた。
・ 「存在しない」とされ続けてきた「無戸籍者」が話し始めた。そこに見えるのは、この国が歩んできた「時代」や「社会」の姿そのものだったりする。前夫のDVを恐れる母が出生届を出さなかったため無戸籍になった春香に子供ができても、その子の戸籍はなかった。しかし、今ヒロミは講演依頼や取材が舞い込んでいる。2015年早稲田大学のシンポジウムにも参加している。
おわりに
・ この問題を内包しながら進んできた日本社会はあちこちで綻び、いよいよ限界に近付いている。しかし、日弁連・各弁護士会による「全国一斉無戸籍ホットライン」や兵庫県の専門相談窓口設置、「湘南で無戸籍を支援する会」など地域のボランティア団体も立ち上がってきた。なんとも力強いメンバーがそろっているではないか。13年前には全く考えられなかったことを思うと、活動してきてよかったと思う。本書を私のもとに集まった1000人以上の無戸籍者に捧げたい。

所感:自分の経験もベースに1000人以上の無戸籍者を支援し続けてきた著者の迫力ある素晴らしい人生に感動させられた。ある意味凄まじい人生でもあるが、新自由主義の下で、貧困と格差が拡大し続けている日本社会を抜本的に改革する力を持っている感がする。でも、その道の中でたくさんの人々が関わり、助け合い、問題を解決しようと努力し続けていることを学びたい。

ありがとう! カフェ06 1周年記念イベント

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ありがとう! カフェ06 1周年記念イベント


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日時:10月2日11時〜15時半、 
所:大島6丁目団地 カフェ06 + 前広場
主催:カフェ06(大島6丁目団地自治会)
協力:UR都市機構東京東エリア、江東区社会福祉協議会
 早稲田大学有賀研究室、06マルシェ、三線「あやぐ会」、
 若竹太鼓など
はじめに:
  昨年9月29日に“香り豊かなコーヒー、野菜たっぷりスープと笑顔が自慢のカフェ”をテーマにオープンして1年が経った。お客様からは、頑張ってね! 美味しかったよ!とうれしい言葉をたくさん頂いた。中には「ここに来ると人の声が聞こえる」 「ここにきて友達が増えてうれしい!」等々とありがたい応援の言葉を頂いた。また、時には愛情あるご指摘を頂き大いに参考になっている。
 カフェ06では高齢の方たち、子育て時代の方々、子供たち、障害をお持ちの方とともに、地域での見守りと、互いに支え合えるみんなの居場所としてこれからも笑顔溢れる、相談ができる場所でありたい。ボランティの平均年齢は75歳で、お客さんから笑顔を頂くのが生きがいだ。
イベント:いろいろな出店で、子どもも高齢の方も久しぶり のイベントに大満足の様子。三線はみんなの心を浮き立たせ、一つにするのに大いに役立ち、ゲームも大喜び!
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三木健編「沖縄と色川大吉」

三木健編「沖縄と色川大吉」

不二出版21.9.7

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三序――沖縄の文化・精神・友情に触発され――   色川大吉
 私が沖縄に関心を持ったのは、アメリカの植民地状態に置かれていた同じ日本人としての沖縄の人がどの状態に――そうさせている米・日・両政府に憤懣やる方なかったからである。
第T部 沖縄への視座    色川大吉(自由民と沖縄の講演1984.5)
・ 「沖縄と民権百年」を論ずる前に、天皇が自分の保身のための道具に使ったという事実が、つい2,3年前にアメリカの国務省文書で暴露されたが、意外に知られていないので枕として紹介する。天皇が極東国際軍事裁判に引き出されないために、1947年に精力的に全国を訪問した。
炭鉱、漁村、戦死者の家、戦災の家庭、孤児院まで徹底的に歩き回った。国民の中に入ることで裁判に引き出されないための側近の知恵だと思われる。
・ 「沖縄の将来に関する天皇陛下のお考え」というGHQに伝えられたメッセージには、沖縄諸島を今後、恒久的に、長い将来にわたって、米軍が軍事基地として使用することを、私は歓迎するというような天皇の考えが示されていた。対日講和作成の真最中で苦慮中のアメリカにとっては、渡りに舟であった。
・ 今年は自由民権運動百年、我が国において人権や民主主義を真剣に考え始めた最初の国民運動で、50年代には自由民権運動の研究者がたくさん生まれた。50年代がピークで、60年〜70年代にかけて沈滞していった。自由民権運動は、@国会の開設、A民族の独立、国権の確立、B土地革命、地租の軽減で、それらは戦後ほぼ達成され、70年代には自由民権運動も下火になったが、沖縄は完全に除外されていた。私は60年から自由民権運動の研究に入った。
・ 明治初年代に、日本が徴兵制をしき、陸海軍をつくり、山県有朋や西郷従道が率い、最初に目を付けたのが日清双方に服属していた琉球だ。将来中國と対決する時の足掛かりを失わないためだ。だから、先島の島民が台湾で先住民に殺された事件に直ちに「蛮族を平らげる」と出兵した。
  安全保障の問題では明治政府の立ち上がりは非常に早い。福沢諭吉の「脱亜論」には中国、朝鮮などというアジアの悪友は切り捨て、一刻も早く近代化しなくてはならないと主張している。
・ 1880年、土佐の植木枝盛は、非同盟・中立・非武装を唱え、国連機構のようなものを提示し、小国の主権と利益を守り、軍隊を一兵も残さず廃止することを提案している。人類は莫大な軍備を減少し、軍備の圧迫から解放する。中江兆民『三粋人経綸問答』に論理化されている内容だ。民主平等の制度を完備して、軍備をなくし、日本全体を精緻な美術品のように作り変えることだ。
・ 自由民権運動が、琉球やアイヌの問題、朝鮮の問題に、伝統的な差別感情から脱却できなかったところに、民権運動の限界があった。自由民権運動が潰されたのは、1884年の朝鮮における甲申事件(急進開化派による親清派一掃クーデター)に対策をはっきり打ち出せず、国権優先になり、民権など後回しという議論に負けてしまい、民権論者が国権論者に転向していったためだ。
・ 幕藩体制が築き上げた民衆支配の構造は、明治以降も引き継がれ、豪農クラス、貧農・半プロ層、被差別民・辺境民の三層構造になり、お互いが憎み合い、競争し、足の引っ張り合いをするよう仕向け、最後は天皇のもとに集中させるようにした。明治国家は、封建的な差別制度を引き継いで、天皇制という形で再編し、天皇が最終的な救済者、解放の頂点に位置付けた。戦後の民主革命も戦後民主主義になっていないのは、人権と平和、民主主義を徹底化することを怠ってきた結果だ。
・ 「明治維新史料」は国家的大事業として編纂されたが、「自由民権史料」は顧みられなかった。戦後、民主主義国家の源流は自由民権運動にあると、国民の手で「自由民権百年」事業を始めた。
 しかし、民権運動の根本史料を最も体系的に収集したのは明治国家そのものであった。我部政男『地方巡察使復命書』は明治15,16年の民権運動を始め当時の政治社会状況を総合的にまとめたもので、その中に、沖縄から本土の近代化のゆがみを打つ眼が、地方統合問題を照射する視点を捉えている。
・ 東大卒論『明治精神史』から50年が経った。大学を出て、特別研究性を断り、人民の中に入って道を切り開こうと気負って足尾銅山の隣の柏尾中学に赴任した。学校には校舎もなく、1年生しかいなかった。教科書は自分で作れという時代で、生徒を山に連れていき、「村の交通と文化」をテーマに1時間にトラックが何台通るかを調査し、村役場に行き田んぼや畑を調べたりした。そこで一番民主改革に積極的だったのは、山林労働者で、山林労働学校を開き、教え始めた。
・ 佐藤金市『西表炭鉱覚書』は、南島の民衆史で、小学校4年出の佐藤さんが70歳を過ぎて書かれた、何千人にもの人が悲しい思いや辛い思いを、坑夫の世話役をした立場で書いておられる。すごく詳しいし、生々しい、大変貴重な、この方でないと残らないような事実が記録されている。
・ 私が石垣島の御嶽巡りを始めたのは1980年。観光化が進んでいたにもかかわらず、ウタキ信仰は想像以上に保持されていたが、祭りの主体が中高年層に移り、若年層の共同体離れ、御嶽離れが進んでいると思わざるを得なかった。
・ 「沖縄から日本文化の復元力を考える」:沖縄を含めて日本文化は創造的な復元力を持っているかというと、衰えつつあると思う。しかし、米軍占領下で非常に結束し、自立した思想を打ち出し、復帰協の運動に対してもその前の教育闘争や土地闘争にしても、本土では見られないすさまじいエネルギーを発揮してきた。それが少数者の運動ではなく、たくさんの人々が参加した運動という印象を与えた。だから「沖縄」というものに大きな期待を持っている。
・ 日本はこの百年で大きな変化を体験した。第一の変化は明治維新で封建社会から資本主義社会・近代化社会に。第二の変化は敗戦により天皇制でなくなり、財閥解体と土地革命が。第三番目は、“革命なき革命”だ。日本の社会構成の根本単位の村落共同体の伝統的な景観が失われた。
・ 日本は、支配してきたエリート階級が敗戦でその指導の誤りを証明されたのに、戦後も性懲りもなく支配し続けている官僚民主主義である。民衆の側に視点を移さない限り、我々の未来を拓く意志は得られないという焦燥感を感じる。ヨーロッパの地方都市の文化の奥深さは彼らの悠然たる自立の姿勢からだと思う。明治日本の上からの近代化は軍国日本の形成に急なあまり、今度の敗戦で決定的に露呈した。戦後、それに輪をかける間違いをやった。経済優先主義といい、経済的な対外膨張の貿易政策を最優先の価値として、挙国一致で進んできた。沖縄もそれらを導入しようとした。
・ 明治政府は、ヨーロッパの異質な文明の洋式を直輸入して日本社会に接ぎ木し、人民の意思を汲むことなく、県知事から村長まで任命制で押し付けた。その結果、過去2千年以上も続いてきた伝統の中で培っていた多様な文化的エネルギーや、公教育の伝統とか、全国一致の処理様式とか様々な民衆の底辺の力を無視することになり、一方的に客体化した官僚主義社会を創り出した。
・ そのカベを破っていくには、地方住民の直接行動・広範な市民運動によるほかはない。日本民族の致命的な弱点は、絶対否定の歴史的な契機を持たなかったことで、結局天皇制を永続させた。敗戦によって、初めて徹底的な敗戦を経験したが、この経験を心の中に残している人は少ない。日本民族の非常な欠点は、島国根性、閉鎖性、相対的な思考方法の弱さだ。
・ 中国は、魯迅が日本帝国主義に虐げられた民衆の悲しみを作品に書き、そのマイナスの経験をプラスのエネルギーに転化して、精神革命(精神の奴隷制に対する戦い)を遂げて、新しい「人民中國」を樹立した。そういう経験は本土の日本人には感じられない。沖縄の持っている戦争と抵抗の歴史、被抑圧の経験は、今こそ大きな声で、言葉として、運動として、思想の表現として、本土の人間に与えなければならない。民衆史というものは、そういうところに生かされて初めて、閉鎖性を打ち破るものになる。沖縄のあちこちで生きている人々に、一人ひとりのライフ・ヒストリーを書いて欲しい。沖縄では、めったに経験できない苦しい歴史を1世紀近く味わってきたと思う。
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2021年12月24日

生物多様性“江東”プラン(江東区・市民案)報告会

生物多様性“江東”プラン(江東区・市民案)報告会


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日 時: 2021年9月20日
主 催: 生物多様性チーム江東
1. 生物多様性“江東”プラン 説明  阿河眞人代表 
1.生物多様性チーム江東
・ 2010年名古屋開催の生物多様性条約締約国会議
(COP10)の交流フェアーで江東区の活動を紹介する目的で結成した。区内で活動する市民、環境市民団体、江東区水辺とみどりの係、区役所職員、企業で組織された。
・ 最初、江東生物多様性チーム江東ポジションペーパーを作成した。
2.生物多様性条約(1992年)、生物多様性基本法(2008年)
・ 締約国は国家的な戦略若しくは計画を作成し、可能な限り、かつ、適当な場合には、関連のある部門別の又は部門にまたがる計画及び政策にこれを組み入れることとなっている。
・ 国及び地方自治体は、生物多様性の保全及び持続可能な利用に関する基本的かつ総合的な施策を策定し、実施する義務を負う。
・ 事業者は、生物多様性に配慮した事業活動による影響の軽減、持続可能利用に努めねばならない。
・ 国民はその重要性を認識し、日常生活による影響の軽減、持続可能利用に努めねばならない。
・ 政府は「生物多様性国家戦略」を作成せねばならない。また、地方自治体は「生物多様性地域戦略」を定めるよう努めねばならない。
3.東京都及び23区の「生物多様性地域戦略」策定状況
2019年㋇現在、11区と9市で策定を終了しているが、江東区ではまだ作成していない。
4.生物多様性の4つの危機
 @ 第一の危機:開発や乱獲など、人間活動による負の影響、A第2の危機:里地里山の荒廃など、自然に対する人間の働きかけの縮小による影響、B第3の危機:外来種や化学物質など、人間により持ち込まれたものによる影響、C第4の危機:地球温暖化など、地球環境の変化による影響。
5.生物多様性とは
  地球上の生き物は40億年という歴史の中で進化し、3000万種とも言われる生き物が生まれた。  
  生物多様性の3つのレベル:@生態系の多様性、A種の多様性、B遺伝子の多様性
6.愛知目標(2010年): 2050年までに自然と共存する社会の創造を目指し、2020年までに生物多様性の意味と価値を全ての人が理解し社会の常識となり、生物多様性の損失を止め、回復力のある生態系を確保する。
7.江東区の自然(歌川広重 江戸末期 江戸名所図会)
・東京湾奥に位置する陸地と海のデルタ地帯で、絶えず攪乱を受けていた草地、湿地、干潟を基本とする自然。今は住居地。
 ・自然のおかれている課題:@エコロジカルネットワーク不備、A生物調査の不足、B緑地管理方法の課題、C外来種の課題
8.区役所への要望:生物多様性戦略の作成、市民案の取り組み
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労働者協同組合市民向け学習会inえどがわ

労働者協同組合市民向け学習会inえどがわ

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日 時: 2021年9月19日 10時〜12時
開会:竹中和美(生活クラブ運動G江戸川地域協議会)
労働者協同組合法ってなに? 成田誠(WC東京)
・ 埼玉出身、2003年ワーカーズコープ入職。2019年ワーカーズコープ東京東部本部長
  (足立・葛飾・荒川・台東・墨田・江東・江戸川区)
1.労働者協同組合法の成立 
・ 2020年12月5日、衆議院本会議において全会一致で可決。
  ワーカーズコープは、『自分らしく働くこと』で、職業訓練と事業運営を通じて社会地域へ還元する『社会連帯経済』促進を目指す。労働を通じて地域の繁栄に重きを置いた投資を計画す
る。ワ−カーズコープは世界中に広がり、日本でも、介護、
保育、林業、農業、清掃などの分野で40年近く続いている。
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』より)
・ 労働者協同組合法:組合員が出資し、それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ、組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織。多様な就労の機会を創出することを促進、
地域における多様な需要に応じた事業が行われ、持続可能で活力ある地域社会の実現に資することを目的とする。組合員は平等、剰余金は事業従事に応じ配分、営利目的の事業を行わない。特定の政党のために利用しない。
・ 世界の労働者協同組合は、1115万人が参加し働いている。アメリカでも広く展開している。
2.ワーカーズコープに寄せられる市民からの問い合わせ
・ 訪問介護:江戸川区・葛飾区の方から事業を始めたいのでとの相談。
  シニア生活支援事業、まちづくり、放課後デイサービス( 足立区)、刑余者支援(墨田区)等
・ コロナ禍、副業、事業承継、ワーカーズについてなど問い合わせが多い。
3.ワーカーズコープの事例
・ ふじみ野地域福祉事業所デイサービスそらまめ:福島からの避難者が創設。
ホームページ - ふじみ野市デイサービス「そらまめ」 (jimdofree.com)
・ 利島地域福祉事業所自立支援センターまめの樹:職業訓練事業や居場所づくり
自立支援センターまめの樹 | 公式サイト (i-mamenoki.com)
・ 松戸地域福祉事業所あじさい:高齢者デイサービス+学童保育
・ ちば物流事業所:物流支援事業、障害のある方やニートの方な
どの支援事業
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2021年11月27日

「和歌山県・古座川流域でのプラットフォームを拠点にした流域再生の取り組み」

家族農林漁業プラットフォームジャパン(FFPJ) 第6回ZOOM講座

「和歌山県・古座川流域でのプラットフォームを拠点にした流域再生の取り組み」

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日 時:2021年9月3日
事務局:FFPJ 
司会・挨拶:市村忠文(全農連書記長)
 FFPJの和歌山県の取り組みを紹介する。
講演:宇田篤弘(紀ノ川農業協同組合組合長)
1.「地域」や「環境」の捉え方
・ 環境保全型農業は、地域自給と循環を促し、地域の自立を図ることが目的。
・ Think Globally, Act locally
地球規模で考え、足元から行動せよ!
・ 流域(山林、里山、ため池、水路、水田)共同体共助、
流域でのコミュニティを再生していくこと。
2.和歌山県の農林水産業従事者の高齢化と減少
・ 2020年農業従事者27000人、林業1100人、漁業2400人 2015年から6〜7%減少している。
・ 農業の特徴は、果実が61%。地域資源保全を展開。
3.奈良県上川村「上川宣言」との出会い
・ 吉野川紀ノ川源流物語「森と水の源流館」・川上宣言には@私たち川上は、かけがえのない水がつくられる場に暮らす者として、下流にはいつもきれいな水を流します。
 A自然と一体となった産業を育んで山と水を守り、都市にはない豊かな生活を築きます。
 B都市や平和部の人達にも、川上の豊かな自然の価値に触れあえるような仕組みづくりに励みます。
 Cこれから育つ子供たちが、自然の生命の躍動に素直に感動できるような場を作ります。
 D川上における自然との付き合いが、地球環境に対する人類の働きかけの見本になるよう励みます。と記され、その具体的な行動「川上村や漁協との交流」や2県をわたる一本の川による森・里・海の繋がりを見える化し、地域ぐるみの地産地消を進めるため136kmを一つの商店街に見立てた「紀の川じるし」を展開し、見本市も開催している。

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2021年10月23日

光り輝く未来が、沖永良部島にあった!

石田秀輝

「光り輝く未来が、沖永良部島にあった!」
15.12.25

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プロローグ
・ 2014年3月末、61歳で東北大学を退職し、奄美群島の沖永良部島に移住した。九州本島から南552kmサンゴ礁の島で、人口1万3000人、主な島の収入はサトウキビ、ジャガイモ、花卉などの一次産業だ。
・ 大学時代は鉱山学材料工学を専攻し、伊奈製陶に就職し、最高技術責任者を歴任し、「企業成長戦略と環境戦略の両立は成立しない」と考え、東北大学に転じ、環境科学研究を始めた。
・ 紀元前500年前後に始まった人類史に大きな影響を与えた思想家孔子、老子、仏教、ゾロアスター教、プラトン等々の「枢軸の時代」の賞味期限が? 文明が地下から化石エネルギーを掘り出し、あっと言う間に使い切った!
第1章 物質文明・金融資本主義社会はもう限界
・ 18世紀のイギリス産業革命は、世界のGDPの分布をすっかり塗り替えた。地表での資源搾取から地下資源の搾取へと続き、2500年の時を経て今まさに限界を迎えているのではないだろうか。産業革命は、自然観と決別することによって成功した。
・ 携帯電話は「近く枯渇が予測される金属が使われているからやめましょう。20年前は使っていなかった、それを思えば止められるでしょう」と言っても、通用しない。昔に戻ることはできない。
・ 最近、世の中のエコ化が進み環境意識も急速に向上しているが、逆に環境の劣化は進んでいる。アダム・スミスの国富論は道徳哲学を基本とし、シルビオ・ゲゼルは自然通貨を高らかに謳いあげ、賀川豊彦は「友愛の政治・経済学」を明確に打ち出していた。それなのに、なぜ、お金がすべての頂点にあり、あらゆるものをお金という価値で測る「金融資本主義」がこれほどまでに肥大化し、その幻影に踊らされているのか、問い直す時が来ているのは確かなようです。
・ 今まで、日本は近代国家を目指した発展を続けてきた。その結果、この日本はすでに近代国家なのだ。例えば中国と競争する必要はないにもかかわらず、さらなる近代国家がいかにも存在するような幻想に取りつかれ、向かうべき方向を見失っているのではないだろうか。
・ 2014年から沖永良部島で暮らし始め、野菜づくりや魚釣り、大工仕事、料理作りを始めた。島人たちとの素敵な時間を改めて振り返ってみると、僕たちは豊かさを求めるために、一瞬の快楽を求めるために豊かさを求め、次の世代に、手渡すと言うことを考えていなかった。
・ 最近の日本はとても危なっかしく、落ち着かない。そもそも資本主義は、拡大を前提とする。各国が残された小さなパイを求めて容赦のない争いをしている現状だ。地球は人間がいなくなっても50億年は回り続ける。自然も人類が消滅したところで、大した問題ではない。
第2章 バックキャスト思考で描こう 未来のライフスタイル
・ 産業革命が始まるまでは、物質的な豊かさを求めても、自然の循環の中で厳しく制限されていた。今、地球には70億人の人々が住み、自然の恵みを新規に戴ける新天地は残っていない。13世紀から始まった寒冷化気候は15世紀に最大となり、ヨーロッパの農業に大打撃を与えた。加えて「百年戦争」や「ばら戦争」とペストの流行で、社会が崩壊しかねない、中世の暗黒時代になった。
・ 無限だと思われていたエネルギーや資源は有限であり、限界に近付いている。産業革命で生まれた物欲をあおる「大量生産・大量消費」が地球環境問題・文明崩壊の寸前に来ているのだ。
この「制約の中で解を見つける」バックキャスト思考で心豊かなライフスタイルを創出すべきだ。
・ 3・11東日本大震災の時、何時間も寒空の中で食料を待ち続け、一日一食の配給にも「ありがたい」と言える日本人だからこそ、この試練を受け止める必要を心から感じたのだ。今こそ、モノづくりや暮らし方のパラダイムシフトを起こすことで、試練を乗り越えることができると痛感した。
 移動システム、子供たちの役割、コミュニティの在り方・・・・・・
・ 今回の震災で、ガスや水や電気の使えなかった数週間、いろいろなことを考えた。地球環境問題の原点とも言える、この際限のない人間活動の肥大化をいかに停止・縮小できるかということ、まさに今回の大震災の試練を乗り越えるすべなのだと言うことを。
・ 大きな打撃を受けた海岸エリアは主に第1次産業を生業とし、巨大資本の投入も行われていない地域だ。しかし、共同体としての強固な絆が今なお濃く残り、連携も維持している。自然と対峙せず、その恩恵を楽しみ、祭りや仕事でその絆を確かめ地産地消の生活をしている。
・ 僕は、現在の50%にエネルギー消費を抑え、かつ今まで以上の豊かな暮らしを徹底的に考えることを基本に、世界に先駆けて首長が宣言することが大変重要だと思う。大事なのは、経済的視点だけで考えてはいけない。埼栄エネルギーも余れば電力会社に売ると言うのも問題と思う。
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真珠湾攻撃・捕虜第1号「酒巻和男の手記」

青木弘恒編 真珠湾攻撃・捕虜第1号

「酒巻和男の手記」

20.8.15

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序   田辺健二(鳴門教育大学名誉教授・鳴門市賀川豊彦記念館名誉館長) 
 太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃の先陣は、5艇の「特殊潜航艇」で、その時の軍人の1人が「太平洋戦争捕虜第1号」になり、その人が徳島県出身で、まだ健在であると聞いたのは、昭和59年ごろのことだ。その後の人生は暗く厳しいものではないかと気になっていたが、見事な後半生を生きた人だった。それを教えてくれたのが本書の出版だった。
まえがき  青木弘亘(発行人、(株)イシダ測器代表取締役)
 令和元年10月、中国旅順ツアー同行者から酒巻和男『捕虜第一号』が送られてきた。その後、テニス仲間の酒巻氏の実弟から『俘虜生活4か年の回顧』を知った。本書を自分達だけで保持するのに忍び難く、多くの人に読んでもらいたいと出版させて頂いた。
酒巻和男『捕虜第一號』新潮社版
第一部 真珠湾
・ 蒸し暑い特潜の中から母船の甲板へ降り立った。憑かれたように私はハワイの島影を求めた。昭和16年12月開戦前日の暁近い頃である。それから潜航準備を急いだ。「おーい。艇付、まだ直らんのか」「はー、艇長。皆目駄目ですよ。」 その後、母艦の部屋に戻り、整備日誌に恐ろしい最後の記録を綴った。いくら整備してもジャイロ・コンパスが動かないことを。水上航走をほとんど許されない特潜にはコンパスこそが命の綱であるが、母艦は刻々と真珠湾に近づいていった。
・ パノラマのように私の過去が現れては消え、消えてはまた現れた。平和な牧歌的な徳島・・・
 中学生の時満州事変が起こり、日華事変と続いた。軍国的気分は私たちの片田舎にも湿潤してきた。軍歌を歌い日の丸を振る出征兵士見送りの行事が続いた。非常時の時代心理が私の心の中を変えていった。どんな職業についていても、戦場に出ていかなければと考えるのが常識的であった。
・ 明日の戦い、明日の吉報、私を知る人々はどんなにか待ち焦がれているだろうか。出発の前夜、広尾と私は呉の街を歩いた。小笠原の島影に日本への名残を惜しみ、艦はハワイへ直航した。闇夜の太平洋を航走している間にも、涙ぐましい私たちの整備は続けられていた。「死ぬのだ」と決まっていても、「まさか死ぬことはないだろう」とばかり思いながら。しかし、軍隊の考えは、軍人を神格化していたようであるが、私は軍人でありながら、この考えを肯定できなかった。
・ 午後8時ごろ、目の覚めた私は司令塔へ急いだ。真珠湾口が大きく潜望鏡に現れた。艦長は私に「酒巻少尉、いよいよ目的地に来た。ジャイロがダメになっているがどうするか。」と質問した。 急いで筒に乗り込むと、艇はす〜と潜入していった。最後の連絡は山本司令長官からの開戦決定の電報だった。太平洋にあわ粒ほどの特潜が行動を始めた。
・ 特潜は2人乗りで、前に魚雷、全身に電池が、ジャイロとモーターが後部にあり、敵巨艦を隠密裏に奇襲するのが使命だった。発進は12月7日の夜11時で、発進と同時に艇はもんどりうって傾いた。機械を発動すると、艇は海中から空中に躍り出た。悲痛な心を抑えて艇付に「心配無用だ。目的を完遂しよう。湾口監視艇線を潜航突破し、敵艦を一発のもとに葬ろう。」と伝えた。
開戦時刻が過ぎると、次第に大胆になった。ドドドーン。すごい爆発音と共に艇が大きく震えた。あっという間に、私の身体は宙に浮き、兵器の並ぶ隔壁に打ち付けられた。敵の爆雷投射によって。
・ 爆雷攻撃を受け、「何をこの野郎」という復讐的な攻撃心に燃え立った。湾口監視艇線突破への潜航を開始した。ずしーんという衝撃音と共にしまったと舌打ちした。艇は湾口のサンゴ礁に座礁し、海上へ露出した。再三後進をかけ離礁に成功したが、その後は魚雷もコンパスもない水中盲目航行で湾内突入を繰り返した。また座礁し艇を去ることに決した。疲れ切って海中で泳げなくなり米国兵に捕らえられた。その後、私の運命的な観念的な第一歩を踏み出した。捕虜第一号に。
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2021年10月20日

井戸まさえ「無戸籍の日本人」

井戸まさえ「無戸籍の日本人」

集英社文庫18.1.25

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はじめに
 13年間の支援活動で思うことは、当事者も、支援者も、メディアも伝えることを躊躇する部分にこそ、解決に至らない主因があるのではないか……
 そして「語られずにきた部分」は、無戸籍問題に限らず、自ら声を挙げることができない子供たちを巻き込んださまざまな事件や問題に共通する「横串」になっているのではないか。いや、子供たちだけではない。私たちの社会で誰もが感じる「生きにくさ」にもそれは突き刺さっている。
第1章 戸籍上「存在しない」人たち
・ 「近藤雅樹」と名乗る男性から電話があったのは2014年4月の終わりだった。「僕が……、無戸籍なんです。27歳です。母親は亡くなっています。そういう場合はもう戸籍は取れませんよね」。
「父親は?」と聞くと「分かりません。最初からいないので」という。「大丈夫ですよ。できますよ。親が生きているより、手続きはスムーズにいくかもしれませんよ」これはもう何人もの成人無戸籍の戸籍取得を手伝った末の実感だった。「ともかく会いましょう」と新宿駅の喫茶店で会った。
・ 「無戸籍の日本人がいる」 江戸時代の話でも、戦後の混乱期でもない話だ。この平成の時代に、北海道から沖縄まで、至る所に「無戸籍の日本人」が存在し、その数は少なくない。日本では通常、父母もしくは父と母のどちらかが日本人であれば、子供は日本人としてその親の子と記載される。戸籍がなければ住民票ができない。住民票がないと言うことは生きる上で致命的な困難をもたらす。
・ 私は離婚8か月後に現夫と再婚、新たな子を出産した。夫が出生届を提出した翌日、市役所から電話がかかり、「あなたは離婚していますね。離婚後300日以内に生まれた子供は前夫の子どもとなります。父親を前夫に書き直して再提出してください」となった。離婚協議が長引き消耗し、前夫と会う気になれず、「無戸籍児の母」となった。この法律はおかしいと国会議員を訪問し、河村議員の紹介で、法務省の民事局長に会い、「認知調停」を行いやっと戸籍を獲得することができた。
第2章 「無戸籍者」が生まれる背景
・ 「はい。私が無戸籍です。32歳になります。母が前夫と離婚できていなかったので、別居後に生まれた私は出生届けが出されていないんです。最近、母の離婚が成立し、何とか戸籍が取れないかと法務局と裁判所に行ったがたらい回しになった」と電話がかかって来て会うことになった。小中学校も行けず、住民票もない、パソコンも携帯電話もないので支援者に繋がるのも難しいと。
・ 喜一は何もかもが健司とは正反対だった。穏やかで優しく、酒は飲まない。そんな人に、人妻と駆け落ちさせてしまった。ほどなく、子供が生まれ、冬美と名付けた。しかし、離婚ができていない子供は健司の子どもになってしまうことから届け出を出せず、冬美は無戸籍孤児になった。
第3章 「無戸籍」に翻弄される家族
・ 「白石明と言います。40歳で戸籍がないんです。母親とは19歳の時に分かれたきりです。僕
のようなものも…支援してくれますか」との電話で、翌日西成に行った。母親は中学を卒業すると家出し、ヤクザと知り合い売春させられるようになった。そのうち好きな人ができ、一緒に博多に移り、歓楽街で客を取るうちに明が生まれた。明はそんな母とずっと一緒に旅暮らしをしてきた。学校には行っていない。19歳の誕生日の夜、酒に酔って絡んできた母に我慢がならず、別れを告げた。一人になって風俗業で働くうちに、戸籍がないことの不利益を強く感じるようになった。
・ 初対面の私に、人生のすべてを語る。彼らにとっては、「戸籍取得」に繋がる唯一の道だと感じるからだ。私も必死で解決の糸口を手繰り寄せなければならない。18歳で身分証の要らないラブホテルの清掃を始めたヒロミの場合は、母が避け続けた前夫に連絡を取らない限り、戸籍はできない。手続きは、ヒロミの父と推定される勝が、生きていることを確認しなければならない……。
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