• もっと見る

2023年08月21日

第11回首都防災ウイーク 開会式・竹灯り点灯式

関東大震災100年 迫りくる首都地震 今、何をなすべきか?
第11回首都防災ウイーク 開会式・竹灯り点灯式 
節目の年に、誰ひとり取り残さない防災の取り組みを発信したい
2023.8.20 16:00〜19:10 東京都慰霊堂    「みらクルTV」防災フォーラム
主催者・共同代表挨拶 中林一樹(東京都立大名誉教授)、
 住吉泰男(公益財団法人東京都慰霊協会)
三富吉浩(公益財団法人全国市有物件災害共済会)、
 瀧澤一郎(NPOいのちのポータルサイト代表)
来賓挨拶: 小池都知事(代読)、山本亨(墨田区長)、渕上清(大船渡市長、代読)
    務台俊介(自由民主党)、川田龍平(立憲民主党)、小野泰輔(日本維新の会)、
    石崎哲史(国民民主党)、塩田博昭(公明党)、 山添拓(日本共産党)
小中高大学生を始め沢山のボランティアと大船渡の竹採取などの積み上げで竹灯りが行われた。
1.IMG_8880.jpg

1.IMG_9082.jpg

2.IMG_9146.jpg
1.IMG_8687.jpg

2.IMG_8688.jpg

1.IMG_8691.jpg

2022年08月14日

生物多様性フェア2022

 生物多様性フェア2022 

 生物多様性、私たちができることを考えてみよう!

1.IMG_7560.jpg

1.IMG_7580.jpg

IMG_7549 (1).JPG

1.IMG_7617.jpg

1.IMG_7646.jpg

1.IMG_7649.jpg

1.IMG_7742.jpg
日時:7月1日〜3日
場所:江東区文化センター 2階ロビー
主催:生物多様性チーム江東
後援:江東区土木部管理官
はじめに:
江東区の生物多様性、自然や緑化の活動を
行っている市民団体、学校、企業などによる
活動や研究のポスター展示が開催された。
期間中には2回のポスターセッションが行
われ、私たちの生活に欠かせない生物多様性について、みんなで一緒に考えましょう!と。
生物多様性フェアの意義
 世界中から生物多様性の恵みを享受している江東区が、生物多様性の保全と持続的な利用に取り組むことは、区の魅力を見直し、地域連携を高める好機と考え、生物多様性地域戦略(江東区・市民案)作成を機に本フェアを開催しました。一人ひとりの住民の方が生物多様性について考える機会になることを期待します。一緒に学びましょう。(阿河代表)

「江東5区マイナス地域浸水を無視していませ

江東区議会傍聴

「江東5区マイナス地域浸水を無視していません?」

30.無題.png

3.IMG_6319.jpg

はじめに:
コロナウイルス感染数の変動の中、課題山積の区議会質疑を聞く機会に恵まれた。本会議、各種委員会では、江東区の最大課題「マイナス地域防災対策」に注目した。
日 程:
6.8  本会議    6.14 区民環境委員会
6.16 建設委員会  6.17 文教委員会  
6.23 防災・まちづくり対策特別委員会 
6.24 医療・介護・高齢者支援特別委員会 
   地下鉄8号線延伸・交通対策推進特別委員会   江東5区広域避難推進協議会・水害ハザードマップ
《本会議・委員会で注目された点、質疑等》
6.8 本会議
区長挨拶:地域防災都市江東実現に向けて真剣に取組んでいる。コロナ対応体制ができ、社会活動が再開し、環境フェアなどが動き出した。地下鉄8号線の活用については各位の協力を得たい。
議員一般質疑から:
・ 山崎区政の3年間の公約達成度について、重点プロジェクトの@水彩環境都市づくり。A地域活性化、B防災都市実現は達成されていないのではとの質問があった。区長からは、首都直下型地震対策は着実に進んでいると回答があった。(マイナス地域防災は全く避けていた。)
・ 中小企業支援についての質問があり。@BCP策定が28%になったと回答。
・ 区民の暮らしへのアベノミクスの打撃、人材センターのインボイス制度の中止、非正規雇用で賃金の上がらない労働者への支援、給食費の公費化などについて厳しい質問が出された。
6.14 区民環境委員会
・ 自衛隊募集時の住民基本台帳閲覧中止、受動喫煙防止強化、羽田新ルートなどの質疑が続いた。
・ 区立スケートボード・パーク整備を夢の島に進める。クラウドファンディングを活用する
・ 江東区産業実態調査が報告された。多岐にわたる貴重な調査ではあるが、江東区の最大課題「マイナス地域防災に関する質問」がなかった。
6.16 建設委員会
・ 電線地中化に関する陳情:電柱倒壊の危険個所が何カ所かの質問に対し、液状化地点が心配だが、仙台堀川公園は問題ないとの回答。5年に及ぶ長期継続になっているので電線地中化問題を再認識することができた。20分の質疑後、正副委員長に陳情者を招いての陳情撤回要請があった。
・ 仙台堀川公園整備:経年劣化の公園が住民意見を入れ、安全・魅力の増した公園に改修できた。
・ 若洲風力発電所は、障害が増し経年劣化が進み、改修を続けているが、存続が難しい。
6.17 文教委員会
・ 区立幼稚園廃園問題、不登校の居場所づくり、放課後子供プラン、小中学校給食費無償化、私立学童クラブへの支援を求める陳情等が出され、区議からは抜本的再検討が求められた。
@ 園児減少に対応するとの回答や 外国籍中学生の調査の必要性が挙げられた。
・ 都立中学校英語スピーキングテスト中止:問題のベネッセ業務発注に対する疑問が提起された。
6.23 防災・まちづくり対策特別委員会
・ こうとう安心ラジオ885:充電問題等課題の多い現状だが、保証期間も過ぎ今後は対応できない。
・「江東5区マイナス地域防災研究所創設」
@江東区は国や東京都との連携を進め、防災問題に真摯に対処している。2019年の台風19号で江東区の課題が多くの住民に理解された。防災タイムライン等作成を進め、国や東京都との協議を進め、都からは広域避難場所として代々木公園の使用を獲得できた。
・陳情者に対して説明し理解を求めたが、現状の対策では取り下げられないとの回答を得ている。
・ある議員からは、本件は不採択にすべきとの提案がなされた。
 ・マイナス地域防災について、研究所の協力を得て対処できないかとの質問が出された。
  @江東5区広域避難推進協議会で検討しており、区としてはその予定はない。
 ・既存の研究所での検討がどこまで進んでいるかについて、防災課長の認識が問われた。
  @避難計画検討に対し、研究者は大規模水害・浸水を予想している。
 ・防災課長の回答では不安を感じる。 ・議論が続き、本件は継続審議となった。
報告事項
・ 江東区総合防災訓練:詳細なシミュレーション、避難対策が必要だ。防災訓練では避難場所の鍵が開かないなど課題は多い。備蓄倉庫が山積みで何処に何があるか不明だった。
・ 江東区の新たな被害想定:都の被害想定が耐震耐火の進み等で10年前からかなり減少した。
・ 江東区都市計画マスタープラン2022:大規模開発中心で、住宅に対する検討が大幅に縮小した。
2019年台風19号のような大規模災害の対応が不十分との意見が出された。
6.24 高齢者支援・介護保険制度特別委員会
・ ケアプランの有料化は行わない・介護保険料を引き下げる陳情:安心して健康管理が行える江東区にすべしとの意見が議員から。熱中症対策を進める。一人暮らし高齢者が5割になっているので必要な対応を。認知症検診の実施を行う等諸課題の検討要請があった。
6.24 地下鉄8号線延伸・交通対策推進特別委員会
・ 長い長い区の夢がかない前進することになった。事業費は2650億円で、国25.7%、都48.7%、その他は事業者が負担となる。東京メトロは完全民営化を進めており、誘致をアピールしてきた区の基金100億円などが有効になる。完成は2035年ごろとなっている。
・ 地下鉄8号線沿線まちづくり構想:地域住民・学生・専門家などの委員会を開催し策定する。
《 検討課題 :産業実態調査から見えてくるもの。浸水対策支援 江東区条例創設を 》
・ 貴重な江東区産業実態調査がなされたが、事業継続計画(BCP)が十分に進められていない。
  江東区の最大課題は「マイナス地域防災」で、温暖化による台風の大型化などの浸水対策である。
  さらに今後30年間に70%の確率で予想される首都直下型地震で、堤防の越水や堤防破損が想定されており、荒川の海水侵入による大規模災害が予測されている。国土交通省荒川下流河川事務所のシュミレーション「荒川氾濫」によると地下鉄内が浸水し、霞が関まで浸水で機能不全になると予測されている。そのマイナス地域水害問題を十分予測・対策せねばならない。
・ 産業実態調査には、最大課題のマイナス地域防災対策が欠けている。このために地域にある地上1階や地下1階の中小企業・商店、スーパーやコンビニに防災対策支援の江東区条例を早急に制定し、地域の中小企業・商店・スーパーなどの防災対策費支援を行う必要がある。特に区民が食生活を依存している「スーパーやコンビニ浸水対策支援」を行うための江東区条例が必要だ。

所感:長い間の江東区の夢「地下鉄8号線延伸」が実現し、費用負担などの現実的課題が生まれ
つつある。荒下・荒川氾濫によると地下鉄は危険だ。江東区の最大の課題マイナス地域防災
対策を優先すべきと痛感する。 

江東区のまちづくりを考える

江東区のまちづくりを考える

〜江東区都市計画マスター2022を踏まえて〜

href="/oedofunaasobi/img/1.IMG_6694.jpg" target="_blank">1.IMG_6694.jpg

2354.無題.png

日 時:2022年5月28日(土)18:30〜21:00
 所 :江東区文化センター研修室
開会挨拶: 大つき議員
講義:江東区のまちづくりを考える:  岩見良太郎(埼玉大学名誉教授、都市工学)
はじめに:江東区都市計画マスタープラン2022を読み解くよう要請された。江東区のまちづく
りは、従来に比較し民間主導、大規模開発一辺倒の方向が強められようとしている感がある。
1. 変質する都市計画マスタープラン
@ 開発至上主義のマスタープランへ
・ 大規模開発ありき、大規模開発へ誘導する重点戦略
・ 3重要戦略の位置づけに注目!:江東区民にとって最重要課題である「浸水対応型まちづくり」が最後になっている。
重点戦略1     重点戦略2    重点戦略3
地下鉄8号線延伸の 未来の臨海部の    浸水対応型の
まちづくり       まちづくり     まちづくり

・ 巨大開発正当化のトリック:「軸・拠点・ゾーン」による「拠点まちづくり」
  大規模プロジェクトで「軸と拠点の相乗効果」で魅力的なまちづくりは幻想でしかない!
  周辺地域のポテンシャルを奪い、地域の衰退に拍車をかける、破壊的な視点でしかない。
A まちづくりの要“住まい”の軽視:廃止された住宅マスタープラン
・ 旧住宅マスタープランを廃止し、都市マスタープランに統合というが、充実した住宅が??
  住宅政策の貧困化:旧住宅マスタープランは163ページあったが、13ページに縮小した!!
B 地区まちづくりの軽視:「拠点まちづくり」のミニ地域版:住民の暮らしの地域像が見えない。
  都市マスタープランは、身近な生活圏のまちづくりから始めなければならない。コロナ禍で明らかになったように、身近な地域で、安全安心快適な居場所づくりが差し迫った課題である。
  住宅、医療・福祉・健康等に関わる、身近な施設の充実が必須の課題である。
2.大規模都市開発を問う
@ 地下鉄8号線延伸:目指すは空港と結ぶ国際競争力の強化
・ 江東区の意義づけ:南北都市軸の形成、周辺路線の混雑緩和、輸送障害時の代替ルート、区のまちづくりへの寄与であるが、残念ながら現実的ではない。
・ 莫大な財政負担、危うい経営:開通時期は2030年代半ばで、2010年から建設基金を積み立てているが、膨大な財政負担であり、30年以内に黒字転換目標も人口減少で難しい。
・ 懸念される震災・浸水被害:地震による地下鉄構造物の損壊や、河川の氾濫、津波等による深刻な被害が懸念される地下空間(地下駅、地下街、接続ビル)。荒下・荒川氾濫で観られる。
   フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」令和3年3月改訂版(字幕なし) - YouTube
A 大規模再開発:公共の支援なしでは成り立たない再開発
・ 施行済みの再開発の特徴は、追い出される借家権者、補助金の必要性、保留床処分が課題に。
・ 大島3丁目市街地再開発(西大島駅前、江東区総合区民センター前):野村不動産、三菱地所レジデンスが主導の50階建てビル。保健相談所や高齢者福祉施設も入るが、揺れている。
容積率の緩和でデベロッパーが儲かる構造になっている:錬金術のカラクリでしかない。
人口減少・高齢化社会には再開発はそぐわない:人口減少で苦しいマンション市場。莫大な再開発財政支援のために、医療・福祉・保育等へのしわ寄せが生じる。
タワーマンションの廃棄化リスク:高コストの管理費、維持修繕コスト、中古需要減等々。
3. 安全・安心のまちづくり … 浸水対応型のまちづくり
@ 浸水対応型のまちづくり:荒川、江戸川が氾濫すれば、都外に逃げるしかない! ハザードマップには「ここにいてはダメ、浸水のないところへ」と書かれている。浸水対応型のまちづくりのイメージ:下図のように浸水対応型の建築物を整備し、それらをデッキでつないでいく。

A 高台のまちづくり(国交省)やスーパー堤防が謳われているが平地の江東区には適用不可!!
B 自然を支配するという発想から、自然と調和した、自然の力を活用する治水技術の採用が望まれ、「信玄堤」の発想が望まれる。スーパー堤防は数百年もかかり現実的ではない。
C 地域の中に皆が逃げられる避難所をたくさん作ることで地域の安全対策を進めるべきと思う。
質疑や議員の声から:
・ スーパー堤防は住民が住んでいることから、期間・面積・工事費などの課題が多い。
・ タワーマンションの危険性は、従来にはなかったもので、今後の大課題である。
・ ゼネコンやデベロッパーが儲けるだけの開発プランは財政に厳しく、適切ではない。
・ 神宮外苑の樹木伐採は市民の力で、再検討に入った。
・ 浸水対応型まちづくりは、デッキでつないで対策するというが、住民が理解できる具体策がなく、江東区の本気度が見えない「巨大開発指向」でしかない。
・ 生物多様性保全の取り組みが全く感じられない。江東区は緑被率を23%と言っているが、川の面積を組み入れて「緑率」と言っているのはおかしい。逃げている。
・ 都立病院の独法化反対は都議会で否決された。今後とも住民のパワーが必要だ。
・ 橋の安全化改修は、コロナで対応が先送りにされている。
・ 地下鉄入口の自動閉鎖化が進んだが、区民の命を守る安全・安心対策は見えてこない。
閉会の挨拶:正保議員:
  都市計画マスタープランは3年間かけて進めてきたが、コンサル任せで、区民の意見を十分に反映したものにはなっていない。実行では区民の意見を十分に反映したものにしていきたい。

所感:貴重な講演に感謝。江東区は区民の安全・安心を軽視したコンサル任せ、ゼネコン主導の開発至上主義のマスタープラン推進とのこと。250万人が住む江東5区マイナス地域防災の観点からは不適切だ。再開発ありきではない、住民の命の確保を最優先した、「ここにいてはダメ」ということから誰一人取り残さない避難計画の検討が必要ではないだろうか。 

 第15回江東区環境フェア

 第15回江東区環境フェア
1.IMG_7030.jpg

1.IMG_7006.jpg

1.IMG_7046.jpg

1.IMG_7063.jpg

1.IMG_7065.jpg

1.IMG_7092.jpg

1.IMG_7106.jpg

日時: 6月5日(日)10時〜16時
場所: 江東区環境学習資料館・えこっくる江東
コロナ禍終焉が望まれる環境月間、江東区環境フェアが開催された。区民、事業者、環境審議会、NPO、環境団体と行政の連携の基に、実行委員会を設置し、準備を重ねてきた。残念ながら人が集まる飲食に関するものは展示から外れたが、30を超す参加団体が屋外会場、ミニステージに集うイベントで、たくさんの人が環境をキーワードに集い、活動を展示し、情報を交換し、みんなが交流できる貴重な場になった。

「丸木美術館日帰りツアー」

国民学校1年生の会同窓会

丸木美術館日帰りツアー」

1.IMG_6301.jpg
1.IMG_6305.jpg

1.IMG_6309.jpg

1.IMG_6324.jpg

1.IMG_6367.jpg

1.IMG_6375.jpg
1.IMG_6369.jpg


日  程: 2022年5月19日
はじめに: 国民学校一年生の会が主催する「丸木美術館日帰りツアーに参加した。市ヶ谷のホテルアルカディアをバスでスタートし、高校講師川口重雄氏の名解説を聞きながら一路丸木美術館を目指した。10時過ぎに到着し、2時間見学することができた。
岡村学芸員・専務理事の素晴らしい案内で1時間、懇切丁寧な解説を聞くことができた。開館したのは1967年、位里の故郷広島の風景に似ていることから引っ越し、美術館を作り、自然に溶け汲む生活の中で絵を描き続けた。文化とは、都会の中心からではなく、暮らしの中から始まっている。この美術館は《原爆の図》を大切に思う人達が集まって、その思いを守り、伝え、つなぎ続けてきた。
 1950年、上野の東京美術館第3回アンデパンダン展に、最初の《原爆の図・幽霊》が発表された。前年にソ連の原爆実験、6月には朝鮮戦争が始まり、「広島・長崎」を記憶するとともに、やがて起こり得る「未来」の惨禍を見据えて、《原爆の図》は誕生した。占領軍の圧力の下、ほぼ等身大の画面全体に、焼けて剥けた肌を引きずり、腕を前に上げて、「幽霊」のような姿で歩く裸の人間群像を描いた。背景は大胆に省略され、和紙の余白と墨の対照が際立っている。ピカソの「ゲルニカ」も意識していたようだ。丸木夫妻が続けられたのは、個人で描けない表現を二人で生み出したからで俊が力強い線を描くと、位里は上から墨を流した。墨が乾くと人間の姿が浮かび上がり、絶妙な効果を発揮した。制作を身近で見ていた美術評論家は、互いの表現をぶつける「共闘制作」と語っている。三部作が完成し、展覧会は各地の文化サークルや労働組合、平和団体などに支えられて全国に広がった。
  1970,71年政治学者・袖井林二郎の熱意で米国での巡回展が開催され、「真珠湾攻撃や南京大虐殺があったから原爆が落とされた」という反応にもあった。また2011年の東日本大震災で、核と人類の共存の可能性を根底から問い直す出来事を機に、《原爆の図》への注目も高まっている。丸木美術館を後にし、昼食を取り、近くの吉見百穴へ移動した。
2.吉見百穴
  古墳時代の後期〜終末期(6,7世紀)に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された。墓は丘陵や台地の斜面を掘削したもので、凝灰質砂岩で掘削に適した岩盤だ。
太平洋戦争末期(1944,45年)には、戦局の悪化に伴い吉見百穴一帯の丘陵斜面に地下軍需工場が造られ、巨大なトンネルが数多く掘られた。左右500mに亙り山腹に掘られた一部である。戦争末期に日本各地の軍需施設は米B29攻撃で大損害を受け、当時我が国最大の中島飛行機(株)も地下に移転することになった。掘削は、全国から集められた3000人から3500人の朝鮮人による厳しい昼夜の突貫工事だった。

2022年06月12日

横塚晃一「母よ! 殺すな 」

横塚晃一「母よ! 殺すな 」

生活書院 10.1.10

1.無題.png

母に殺される側の論理     本多勝一
 脳性小児まひの赤ん坊は、何年たっても寝たきりだ。言語障害もあり、 およそ運動機能に類する総てに障害があり、育てる親の苦労、健康児を育てる場合の「何十倍」位だと思われる。体験者以外は想像できない。
T 脳性マヒとして生きる
脳性マヒ者の親子関係について(1970.6):
・ 出産後の眠りから覚めた母親がわが子に先ず見ることは、五体満足かということだという。もしそうではなかったら、それが脳性マヒだったらどうなのだろうか。その時から我々脳性マヒ者が、あってはならない存在として扱われるのである。ここから親子の闘争が始まる筈である。
いくつになっても一人前の人間としては育む機会を失われてしまうのが今までの我々のおかれてきた現状である。
ある友への手紙(1970.10):
・ あの折「あゆみ」重症児殺害事件特集号について議論したね。貴君はこの特集号を読んで大変腹が立ったと言った。貴君は、障害者が障害の上にあぐらをかいている、特集号に「じゃ―どうすればいいのか」が書かれていないと指摘した。対する私は、もっと皆が自分の障害の上にあぐらをかき、ふんぞり返るべきだと返した。障害者は今まで自分の存在を否定し続け、そうすることが美徳とされてきた。いつも社会の底辺に置かれ、ものの陰に隠れ、こそこそと生きる姿勢を強いられてきた。少し自己を主張しようものなら、それがたとえ人間として当然のことだとしても、障害者のくせにと圧殺されてきた。この世の中で自分自身のことを主張しない者があるだろうか。経営者は経営者の、労働者は労働者の、農民は農民の主張や意見が集まったのが社会なのだ。
彼は殺された重症児の中に自分と同じものをみつけ、自己主張したように私には思えた。   
施設のあり方について――施設問題への提言(1971.8):
・ かつてユダヤ人を大量虐殺したナチスドイツは、同時に同民族の中の身体障害者、精神薄弱者を民族の強化という名において虐殺した。その数は30万人に達し、人骨や髪の毛が何かの役に立つとか、人体から油を搾ってガソリンの代用になるかなど種々の実験をしたという。このキッカケは障害児を持つ母親から政府機関に宛てた「私の子は足も立たず両手とも利かず、長年寝たきりの生活だ。私たちの将来は真っ暗だ」という意味の手紙であった。この言葉が、横浜の重症児殺しについて加害者である母親に対する安易な減刑嘆願は障害者の生存権を危うくするものであるという我々の主張に反発する形で、新聞社に寄せられた多数の投書の内容とあまりにも類似していることに、私は背筋が寒くなる想いがするのである。
・ 現在我が国でもこのような「親達」の訴えに答える形で巨大施設が行政権力の手によりあちこちに作られている。この社会から隔離された施設の中で何が行われているか? 巨大施設ができることによって障害者は施設へという一般社会通念がますます強められよう。青い芝の会としては、担当の行政機関と交渉し、なりゆきによっては渡り合うことも止むを得まい。
・ しかし、これでいいのだろうか。“福祉とはお上がやること”という考えがある。自分の家から出ればすべて他人事であり国家がやるべきだと言うのは、マルクス主義を口にする人々の中にまま見受けられるようだが、アウシュビッツも巨大施設も行政権力によって作られたものだ。権力による隔離政策を許す限り障害者福祉はあり得ないし、人間社会のあり方として望ましくない。
・ では、我々脳性マヒ者、精薄者の生活形態はどうすればいいのか。それぞれの地域に住み、自分自身の生活を営むということが原則となるべきであると思う。それには様々な困難がある。風呂場・トイレの改造などは大したことではないが、基本的には障害者を囲む社会の一人ひとりが障害者の問題をわが事として考え、その地域にいる障害者を仲間として隣人として受け入れ、折々は言葉をかけ、暇があれば下着一枚でも洗ってやるような精神風土がなければならない。そしてそんな風土を我々の力で作っていかなくてはなるまい。我々青い芝が小さな施設を作り、我々の手で運営していくのはどうだろうか。それはあくまで生活訓練の場、自治能力を養う場であると同時に、問題提起であり、障害者問題を通して、福祉、人間のあり方を、人類の課題に取り組まねばなるまい。
障害者運動の目指すもの(1974.10):
・ 昭和45年横浜市で起きた重症児殺しは、二人の障害児を抱えて幾多の生活上の困難があったにしろ、子供の将来・自分の前途を悲観し絶望的になってしまったものと思われる。真の社会福祉とは社会の一人ひとりが、自分と異なった姿の者、自分より弱い立場の者に対する思いやりを持ち、その立場を尊重することではないでしょうか。被告である母親を憎む気持ちはない。
・ 「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 これは鎌倉時代に書かれた歎異抄の一節だ。浄土真宗の開祖親鸞上人の教えを弟子たちが書き記したものだ。昭和30年茨城県石岡市郊外の小高い山の中腹の古寺に脳性小児マヒ者の生活共同体「マハラバ村」が創られた。はじめは3,4人から始まり、20数名にもなったが、お互いのエゴのぶつけ合い・人間不信のため、次々に山を下りていった。最近、「福祉の街づくり」「障害者に住みよい街づくり」等と言われ、歩道橋のスロープ化等が行われているが、障害者を生産に、労働の場に引き出すことで終わってしまいかねまい。
解説: 立岩真也(立命館大学教授)
・ この本は、前の世紀に出た最も重要な本の一冊であり、再刊が長く待たれていた。
  横塚は「青い芝の会」(日本脳性マヒ者協会『青い芝の会』)という組織で活動した。当初はおとなしい組織だったが、横塚らの活動によってその性格は変容していき1970年代以降の障害者運動を牽引する流れとなった。横塚は「全国連合会」の会長を、亡くなる年まで3期連続して務めた。また、1976年に結成された「全国障害者解放運動連絡会議」の最初の代表幹事でもあった。
・ その変容の画期をなすのは、1970年、横浜での障害を持つ子を母親が殺した事件に際して為された減軽嘆願運動への反対運動だった。「母よ!殺すな」という題もここから来ている。
・ 差別について、横塚は普遍性・不変性と社会性・時代性の両方を言う。「全ての障害者施設とは、高度経済成長を支え、現社会体制を維持していくために、また一般庶民にマイホームの幻想を貪らせるためにこそ「必要」なのであり」「生産性第一主義の社会においては、生産性のないものは悪と決めつける」。さらに、差別することは人間の本質なのだともいう。
・ 本当に理解や合意が必要なのか。その主張は本当に通らないのか。実際にどの程度「理解」は必要であるのか。必要ではあるとしても、それをどのように得ていくかである。
・ この本は、この本が要らなくなるまで、読まれるだろう。そしてその時は来ないだろう。しかしそれを悲観することはない。争いは続く、それは疲れることだが、悪いことではない。そのことを横塚はこの本で示している

所感:「母よ! 殺すな」は、かなり重い内容だ。この本の初版が出てから約 50 年になるが、世の 中の差別はむしろ大きくなっている感もある。我々一人ひとりが関係する地域の課題で、地域住民 が共有する福祉をつくり出さねばならない。政治に責任を負わせるのではなく、自分事と考えたい。 1970 年代はまだ日本も 60・70 年安保の活動家が努力し、青い芝運動にも関わっていた。しか し、その後の経済成長に浮かれ、1990 年のジャパン・アズ・ナンバーワンを最後に、成長しない・ 元気のない時代を迎えてしまった。経済でも、福祉でも、非正規雇用問題でも日本は韓国に追い抜 かれていると聞く。日本の人権・民主主義は、常に学び続けないと壊れてしまう! (文責 中瀬)

東洋的専制と西洋的奴隷制 西洋帝国主義の民主主義的起源

慶応義塾大学 大西広教授 最終講義

東洋的専制と西洋的奴隷制 西洋帝国主義の民主主義的起源

1.IMG_4169.jpg

1.IMG_4261.jpg

1.IMG_4212.jpg

33.無題.png


日 時: 2022年3月19日(土)   
 所 : 慶應大学三田キャンパス
講義:大西広(慶應義塾大学経済学部教授)
・ コロナ禍のために、人類文化の歴史をじっくり読み解く機会を持つことができた。最終講義のテーマは、東洋的専制と西洋的奴隷制の考察とした。
・ 現在、ロシアのウクライナ侵攻が進んでいる。プーチンは選挙で選ばれた大統領で、私はこの戦争は少数民族問題と考えている。中国研究専門家としては、新疆ウイグル問題も少数民族問題として考えている。新疆ウイグル地区で西洋型民主主義を実行することは地域を滅茶苦茶にしてしまいかねないと思っている。そんな例はたくさんあり、漢族と55の多民族国家中国が混乱していないのは西洋型民主主義導入を阻止しているからと考えている。
・ 現在、経済学でも「民主主義の見直し」が始まっている。民主主義については今のところ根本的批判にはなっていないが、ウクライナ問題など失敗例が頻出し始めている。その一例としてCOVID19を挙げると、米国の死者は中国の700倍になっている。人が死ぬのは「人権問題」であり、新疆ウイグル地区の人権問題に比較して西洋的民主主義の米国のコロナ問題は大問題と考えざるを得ない。(毛沢東には西側的な「自己責任論」に近い側面もあるが・・・。)
・ マルクス、エンゲルスは「民主主義の利用」を主張したが、それは経済的支配階級に圧力をかける手段としての利用価値を評価してのもの。多数者として労働者が支配するのに好都合だからだ。社会政策という考え方で社会内部の不公平を国家が再調整しなければならないからだ。
 社会内部に搾取がなければ「国家」は要らないが、存在するので必要と言う考え方だ。
・ 問題なのは「少数:多数」ではなく、社会内部の不平等問題で、少数民族はたとえ少数であっても保護されねばならない。これが私の「多数決としての民主主義」の批判の趣旨だ。ウクライナを含む少数民族問題がその典型例である。マルクス主義国家は「ソビエト・システム」として考え方を実装し、統一戦線では、人口の多寡は問題とされていない。
・中村哲の歴史観:西洋は私的、東洋は国家的に変化してきた。
  西洋観   :私的奴隷制  私的農奴制  私的資本制
  東洋/アジア観:国家奴隷制  国家農奴制  国家資本制
・大西の考え
専制 民主制
国家主義

私的搾取
東洋
西洋
政治的権利 生存権
(社会権)
西洋  〇  ×

東洋  ×  〇



  
・ 戦争で奴隷が生まれ、本国と征服地の生産性の違いを埋める方法として、西洋は奴隷を本国に
連れて来て生産した。東洋は征服地で生産し・剰余生産物を貢納させる方法をとった。そのため
に征服地の生産性を挙げることで征服地の国力アップに貢献するよりましなシステムと考えた。
・ 西洋の民主性:それは人間扱いされない奴隷を除外した上での話でしかない。
  元々、ギリシャの奴隷は自国内の債務奴隷として供給されていた   兵隊の不足を招いた。
 債務奴隷を防ぐためのソロンの改革(BC594)  奴隷の不足  対外侵略による奴隷の獲得
・ 連れてこられた奴隷は当初帰国を望んだが、その後生産性の高い欧米に残ることを選ぶようになり、奴隷制度が維持・継続されたと思われる。本質的には搾取の国内化か国外化の選択問題だ。
  元々農民を工場に連れて来て資本主義的に生産してきたのと同様だと思われる。
・ 民主主義において西洋が良かったのか? 最近2021年8月英国ブリストル、奴隷貿易で大金
儲けし英雄扱いされてきたエドワード・コルストン像が反人種デモで倒された!!!
・ 西洋の奴隷制を含んだ民主制に対し、東洋の国力アップを促す貢納制の方がベターではないか。中国は歴史上多数の国家があったが、統一したのであって、ヨーロッパのように征服したのではない。日本では、多数の在地首長が存在し、それらを統一する形で国家が成立した。
・ 近年は、西洋社会は大量の外国人労働に依存してきた。アジアはそれほど外国人労働に依存していない。香港や日本は似ているが。
・ ザンビア出身の経済学者ダンビザ・モヨは、「西洋諸国の開発援助は、経済成長を促進するようには企画されていなかった」と批判し、「中国人は友人で、中国によるエチオピアの道路、スーダンのパイプライン、ナイジェリアの鉄道、ガーナの発電所などを建設した。」と評している。
・ 中国の「権利拡大」は、「政治的権利」ではなく、「社会権(生存権)」の領域で起きた。
  中國を概観すると、周王朝ができ、徐々に貴族化し、その反省からいろいろ頑張って、900年後にようやく秦漢になった。その後再び貴族化したが、唐代後半から宋にかけて再度貴族制を廃止して専制政治を形成した。それが貴族制を廃止した進歩的な制度であったことが重要である。
・ 最近、米中間で人権論争がある。2021年米国では警察の暴力的法行使で1124人が死亡し、アフリカ系アメリカ人の死亡率は白人の3.5倍にもなっている。警察のお世話になる人、有色人種になった瞬間に人権が大事にされないのがアメリカの特徴。中国にはその区別はない。
・ 中国の歴史の中で貴族というものが生まれ、宦官が出てきた。官僚は存在しなければ国の運営が上手くできない。これは中国の最大課題になっていて、苦労している。反官僚制主義者が毛沢東主義者である。コロナ撲滅や貧困撲滅を実現したのはこの官僚の努力をうまく中国が組織しえているから。しかし、一方で昇進のために住民を強制しているとの情報もある。
・ 新疆ウイグルでの集団就職など、西洋社会から大きな問題とされているが、現地調査などを踏まえると、1%位の強制が想定される。これをどうなくすかが中国官僚制の最大の問題だ。
まとめ:
・ 中国はコロナ対策、貧困対策等かなり有効な対策で成功している。
・ 新疆ウイグルの問題は、西側が主張するのと全く別種の問題である。
・ 東洋に遺された「民族融和」の課題:西洋でも時間をかけてローマで属州出身の皇帝を、アメリカで黒人の大統領を実現していることを評価しなければならない。それに比べれば、東洋は国内に異質な移民をあまり持たないために、「民族融和」の点で遅れたところがある。
(参考)公益財団法人 政治経済研究所『政経研究』第117号「東洋的専制と西洋的奴隷制―西洋帝国主義の民主主義的起源―」要旨:マルクス主義には「アジア的生産様式」という言葉があり、これまで「東洋的専制」を説明する否定的な概念として使われてきた。実際、ギリシャ、ローマに始まる西洋社会は世界で最初に「民主主義」を打ち立て独裁制を抑止しようとしたという歴史を持ち、他方、アジアにおける民主主義的政治システムは遅れた。しかし、現在、このようなアジアが勃興、貧困撲滅を最優先とする別な形の人権状況の改善を見せる中、西洋と東洋の両システム双方の肯定面は否定面とセットとなっているということ、そして、それらの背景には周辺諸共同体・諸国との経済格差の度合いの違いがあることを本稿では「西洋史」の起源となるギリシャ、ローマ史に立ち戻って説明する。東洋古代との違いの基本構造がここで規定されたと考えるからである。
 
所感:「ウイグルのジェノサイド問題の情報の多くはフェイクである」等で有名な民族問題専門家大西先生の最終講義を聞く機会に恵まれた。ゼロコロナや貧困撲滅に成功した中国の東洋的専制政治は、西洋に比較し人権・民主主義で劣るものではないとの解説が印象的だった。

政治経済研究所・東京大空襲戦災資料センターの活動

第119回 被災地域の酒を飲む会

政治経済研究所・東京大空襲戦災資料センターの活動

1.IMG_5005.jpg

1.IMG_3880.jpg

1.IMG_3889.jpg

1.IMG_3890.jpg

1.IMG_3908.jpg

1.IMG_3921.jpg



日時:2022年4月11日 18時〜21時 所:ブックカフェ20世紀
主催:被災地の酒を飲む会
はじめに: 橋本正法(NPO地域交流センター代表)
 「3.11を忘れない」と被災地の酒を飲む会を始めて11年になる。今回は東京大空襲戦災資料センター、政治経済研究所の方をゲストに東京の戦争・戦災を考える機会にしたい。
話題提供1:政治経済研究所の活動 柳啓明事務局長
・ 福岡県生まれ、法政大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。沖縄県八重山が研究テーマ。
公益財団法人政治経済研究所の概要
・ 学術誌『政経研究』発行。オピニオン誌『政経研究時報』発行。研究会イベント開催。
  学術研究支援。研究者ネットワーク。研究者支援。
・ 公益事業:東京大空襲・戦災資料センターの運営
政治経済研究所の歴史:東亜研究所から政治経済研究所へ
・東亜研究所時代
  1937年7月 盧溝橋事件、日中全面戦争突入。
  1938年9月 企画院の外郭団体として開所。
   総裁:近衛文麿、既存研究機関と研究員糾合目的。
   調査対象:満州、支那、極東露領、北太平洋、南洋、ニュージーランド周辺・・・・・・
   左翼知識陣の集結(山田盛太郎、平野義太郎・・・)、満鉄調査部も。
・政治経済研究所時代
1945年8月20日 大蔵公望の所長就任
  1946年 末広厳太郎設立趣意書発表:我国を民主主義的にするためには各政党が政治調査機関を持ち、官僚中心の体制を修正すべきであり、政党政治の発達をなさしめねばならない。
  1949年 朝鮮民主主義人民共和国法令集:内外の困難を乗り越え共和国の成立を見るに至った。
     国内外の政治・経済分析や「平和勢力」の運動の現況を伝えるなどの活動。
  50年代 第1次財政危機:明治大学に政経ビル・土地を売却。維持会員費・補助金で定位。
  90年代 第2次財政危機:NPO法人による政策提言や政策研究。
  2002年 東京大空襲戦災資料センターが付属に。
・これからの政治経済研究所
  研究会、 知名度向上、 会員支援者増、 財政基盤の安定化、 調査
  イベント開催ノウハウ。独自ビル。研究者ネットワーク。アクションリサーチ。
  北砂アカデミア:地域に根差した「水害防災」「地域の活性化・まちおこし」等
  大井医院・大島現代史アーカイブズ:地域の歴史資料の収集保管
質疑から:日中戦争などの非公文書の価値・貴重さは大きい。現代史の貴重な歴史資料を保管することに各地の戦争資料センターなどとの協力・アーカイブのデジタル化等を展開して欲しい。
話題提供2:東京大空襲・戦災資料センターの活動   
戦災資料センター20年のあゆみ  比江島大和理事(センター)
早乙女さんらの努力で戦災資料センターを創設したいと美濃部都知事に要請すると1億円の補助で「東京大空襲戦災誌全5巻」ができたが、その後の知事から同意が得られず、民営で立上げることになった。たくさんの賛同者や江東教組の活躍で前進することができた。
2000.3 東京空襲を記録する会と財団法人政治経済研究所が学士会館で「平和のための戦争・戦災資料センター」建設募金(4000名以上の方々から1億円超の募金)
2001.9 起工式
2005.3 開館3周年・東京大空襲60周年の集い
2007.3 増築工事完成、リニューアルオープン
2017.  リニューアル工事(建物改修工事)
  開館後、たくさんの方々が来訪頂いている。
地方の中学生などが修学旅行で来訪し、文集などが送られてくる。有名な方では日野原氏、山田洋次監督など、たくさんの人に助けられ、今日がある

「 どうする!? 巨大津波 」

有川太郎「 どうする!? 巨大津波 」

― 津波に対して粘り強いまちづくり―

日本評論社 15.3.25

112.無題.png

1.無題.png

31.無題.png

1234.無題.png


はじめに
防波堤や防潮堤などの防護施設は効果があったのだろうか? 東日本大震災以降、多くの人が疑問を持たれた。本書の目的は、物理的なメカニズムを踏まえて皆さんとともに考えることにある。本書では、3人の研究者に登場してもらい、物語と講義という形式で内容を進めていく。
プロローグ
・ 3月11日午後2時46分
  休憩にしようとした時、棚のガラスが、ガタガタと揺れ始めた……研究棟の外に出たが天川璃奈は頭を覆いながら電柱を掴んでしゃがみこんだ。電源が落ち、研究管理棟ではたくさんの人が出て来ていた。テレビで津波が河を遡上し街中に入っていく様子が中継されていた。
・ 天川らは現地調査に出かけることになった。早朝に横浜を出発してからもう半日になるが、璃奈は窓の外を眺め、真っ黒でひっそりした高速道路なんて生まれて初めてで、引き返した方がいいのではないかと思った。隣の葉山教授は運転に集中していた。
第1章 東日本大震災における巨大津波による被害実態
・ 車で出発すると、車が横倒しになり、建物の壁は茶色く汚れていた。石巻港に近づくと、電柱も家も倒れ、そこら中に車が流され……。JTV星谷取材記者からは南三陸町はほぼ全壊と聞いた。女川に入ると、ほとんどの家屋や建物が壊れ、町そのものすべてが破壊されていた。ビルも倒れ、軽自動車が、建物の3階部分にひっかかり、ぶら下がっていた。

第2章 防護施設の破壊
・ 葉山らは、釜石の調査に入った。釜石の湾口防波堤は全長2qの釜石湾の入り口に設置され、北側に1q、南側に700q伸び、船の出入り口は300m開けられている。最深部は60mの深さで、30年をかけて1200億円で建設された、世界で最も大きな防波堤だ。しかし、現地で葉山たちが目にしたのは、防波堤が斜めになっていたり、ところどころ歯抜けのようになっていた。ケーソンは津波によっては倒壊しないはずだったが、ケーソンとケーソンの隙間から津波が筋のような強い流れになって漏れ、基礎捨石部が削られて、ケーソンが倒壊したようだ。
・ 璃奈と堀場は防潮堤の上に立っていた。田老町の防潮堤は、海抜10mの高さまで壁になっていて、町を広い範囲で守るように作られ、万里の長城とも言われていた。それが水門部分を残して破壊され跡形もない。残ったのは、中低層のホテルのみで、3階部分まで激しく損傷していた。
・ 東日本大震災による人的被害は、2014年現在、死者15885人、行方不明2623人、92.4%が溺死で、圧死は4.4%だ。死者の年齢構成は65歳以上が50%で、避難行動は半数の人が15分以内に起こしている。避難行動開始を早くし、可能な限り高いところに避難することが大切だ。

第3章 津波の威力
・ 璃奈は大学の実験場の世界最大級の巨大水槽の中に作った水路の前に立っていた。中に高さ2mのコンクリートの1/20のケーソンの模型が設置されていた。スイッチを入れると徐々に防波堤の後側の水位が下がり、前側の水位が上がり始めた。1分ほど経過したところで、防波堤の前側の水位が防波堤の高さより高くなり、水が防波堤の背後に流れ始めた。越流の始まりで、徐々に防波堤の前後の水位差が大きくなり、60pまで達した時に突然防波堤が流された。天川は、防波堤は前面と背面の水位差によって倒れたことになると記者に答えた。津波の破壊力は、水深と流れの速さに比例し、水深が深いほど、水のスピードが速いほど大きくなる。後日、「巨大堤防が津波被害を拡大か?」と週刊誌に書かれた。
・ 津波も風波もどちらも波なのだが、津波の周期は10分から1時間程度、風波は5秒から20秒位だ。津波の力は、陸地への入り方で変わる。東日本大震災では、深海で発生したエネルギーが津波となって、岸側に伝搬し、防波堤を越えて内陸まで浸入し、多くの被害を出し、漂流物が被害を大きくした。
第4章 津波防護の考え方
 津波が堤防を越えてくると、一気に町に広がることを理解しておくことが重要で、堤防に到達する津波をそこで減らし、津波の上昇速度を抑えることができる。中央防災会議は、あるレベルの高さまでの津波は、防護施設で防ぐが、それ以上の場合には、津波は乗り越えることを前提に、避難計画を立てて欲しいと宣言した。防護施設は倒壊し難い《津波に対する粘り強さ》が求められる。
第5章 防護施設のあり方
・ 東日本大震災は、どんなに巨大な堤防を作ったとしても、それを超える津波が来る可能性がゼロではないことを示した。社会基盤学会の津波シンポジウムでは、被害状況、津波来襲状況、避難状況が報告され、対策の課題・防護施設の設計基準・避難計画を策定することが提起された。
・ 電気・ガス・水道を含め、ライフラインの早期復旧が必須で、生活の支援だけでなく、衛生面で感染症などの二次災害を生む可能性がある。物流や企業の事業継続計画(BCP)など考える課題は山ほどある。災害は、構造物のみでなく、文明が破壊されてはじめて発生する。堤防の高さが高くなればなるほど、文明は脆弱化し、基準を超えた津波が来襲すると被害を受ける危険が高くなる。
・ 堤防の役割は、津波が乗り越えたとしても減災してくれるものでなければならない。津波を減災する工夫として、仙台東部道路による津波浸水抑制効果が参考になる。低地にあった道路を山腹に作り直し、集落を道路に沿って分散して配置することで深刻な被害を起こさなかった例がある。
・ 東日本大災害では漁業や農業のほか多くの産業が被災した。被災した町の復旧、復興のレベルと速度は、人口流出を食い止める方法としても非常に大切だ。早期に復興するためには、被害を想定し、対策を事前に準備しておくことが重要で、業務継続計画(BCP)が重要になる。広範囲の停電によって津波情報の取得・伝達が計画通りでない事例や避難誘導担当者が被災した例がある。
第6章 巨大津波に対する備えとは
・ 日本では、津波を完全に防ぐことばかりを考えてきた。我々の海洋や海底の観測はわずかに50年でしかなく、短い観察と推察に基づいて地球の性質を理解している。今後は、予測精度の高度化に向けた観測網の整備が必要だ。避難においては、住民が津波の来襲を実感することが大切で、
@ 地震による揺れ、A公共機関の警報、B津波の来襲に伴う音や視覚情報等に配慮すべきだ。
・ 東日本大震災の津波は、日本海溝付近の所で大きな滑りが生じたためだ。
第7章 そして50年後 津波が絶対に越えない堤防を作るのではなく、越えても生活が成り立つまちづくりにしたいと可動式防波堤等が創られた。漂流物対策が必要でさらに避難救命ボートが。

所感:巨大な津波には太刀打ちできないと思わざるを得なかったが、著者らは津波予測・避難支援システムを研究し続け、津波に対して粘り強いまちづくりを提言している。