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2022年05月05日

いま、なぜ「重慶爆撃」か?

いま、なぜ「重慶爆撃」か?

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日時:2022 年 3 月 18 日 18 時〜21 時
主催:NPO 都市無差別爆撃・重慶大爆撃を語り継ぐ会
講演 1:忘れられた錦州爆撃 纐纈厚(山口大学名誉教授)
・ 錦州爆撃についてはどの教科書にも書かれていない。
〔1〕 満州事変と錦州爆撃
・ 日中戦争(1931〜1945)の起点、日本敗戦の始まり。
・ “国外クーデター”ではなかったのか。
政党政治や議会政治の打破 軍事主義台頭の契機に。
・ 関東軍、中国東北地域の軍事占領を強行
「満州国(日本の傀儡政権)」の建設へ。
〔2〕 錦州爆撃の内実
・ 満州事変 3 週間後 1931 年 10 月 8 日、
爆撃機:八八式偵察・爆撃機 6 機:奉天飛行場離陸
錦州北西部の交通大学と第 28 師兵大隊営地
25k爆弾×75 個
〔3〕 日本軍機による最初の無差別爆撃
〔4〕 錦州爆撃の理由と決定経緯:華北侵攻前進拠点確保
日本軍は黒竜江省の省都チチハルを占領し、次に矛先を第 4 期作戦の目標・錦州に向けた。北京侵略の最重要基地であった。
〔5〕 錦州爆撃の歴史的位置:無差別爆撃の起点
・ 従来の評価は、@満州への軍事占領の一環、A中国華北地域侵攻起点、B関東軍独走のシンボル
・ 錦州爆撃は世界が日本の中国侵略の始まりと気付いた。
〔 6 〕国際的な反発と日本の対応
・ 無差別爆撃という戦争形式:世界に無差別爆撃の危機感と反発を生んだ
・ 日本軍による初めての都市爆撃、第一次世界大戦後初の都市への空爆
・ 関東軍の独走ではなく、軍中央・天皇の暗黙の了解による。関東軍は 9 月
末までに約 30 余りの都市を占領し、その後、錦州に注目し始めていた。
・ 国際社会からの猛反発:日本の孤立への道の起点
・ 中国政府は、英米が強く日本政府に抗議していたことを歓迎し、国際連盟が日本に強く働きか
けるものと期待した。蒋介石もそのことを書き記している。
〔6〕 重慶爆撃の先行事例:無差別爆撃多様化の起点に
・ 錦州爆撃は以後の中国各都市への空爆に繋がり、重慶爆撃に終結。軍はち密に記録を残した。
・ 錦州爆撃から重慶爆撃へ:現代戦争の典型、満州事変の翌年、匪賊討伐を名目に空爆を重ねた。
1938 年中國臨時首都重慶への猛烈な戦略爆撃に繋がっていく。続きを読む・・・

2022年04月22日

デンマルク国の話 信仰と樹木とをもって国を救いし話」

内村鑑三

「デンマルク国の話 信仰と樹木とをもって国を救いし話」
岩波文庫 1946.10.10

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・ この講演は1911(明治44)年、日本が朝鮮を併合した翌年である。
デンマルクは、ドイツとの戦争に敗れ領土の大半を奪われ、その再生物語だ。である。
・ デンマークは北欧の小国で、面積は九州より小さく、人口は250万で日本の1/20だが、決して侮れない国である。富の程度においてははるかに日本以上で、外国貿易は日本の1/2だ。ある人は世界で最も富んだ国と言う。
・ デンマークはその富を多くの領地から得たものではなく、また豊饒の土地でもない。それは、牧場と家畜と、モミと白樺の森林、沿岸の漁業にある。特に乳産で、バターとチーズで、牛乳をもって立つ国である。
・ 今を去る50年前、デンマークは最も憐れな国で、ドイツとオーストリアの圧迫するところとなり、戦争で最良の南部ホルスタインなどを割譲し、救貧の国になった。国は小さく、民は少なく、残りし土地は荒地だった。
・ 難しいのは敗戦国の戦後の経営で、戦いに敗れても精神が敗れない民の偉大さが問題だった。36歳の若いダルガスは、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、溝を掘る際、彼は細やかに故国の地味地質を研究していた。戦争未だ終わらざるに彼は胸中に故国回復の策を立てた。ユトランドの荒漠たる地を肥沃の地と為さんとの大計画を立てた。戦い敗れて同僚が絶望に圧せられて帰国し時に、ダルガスは笑みを湛え希望の春を戴いた。彼は剣をもって失った土地を、鍬をもって取り戻さんとした。今や敵国に対して復讐を計画するにあらず、鋤と鍬とをもって残土の荒漠と戦い、これを田園と化して敵に失われしものを補わんとした真正の平和主義者だった。
・ ダルガスは預言者でも夢想家でもなかった。工兵士官であった彼は、土木学者であるとともに、地質学者でもあり、植物学者でもあった。詩人でもあり実際家でもあった。理想を実現するすべを知っていた。ユトランドはデンマークの半分以上で、その1/3が不毛の地だった。執るべき武器は、水であり、樹であった。荒地に水を灌ぐを得、樹を植えて植林の実を得れば、簡単だと考えた。
・ 簡単ではあるが容易ではなかった。文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、土地は50年前に憐れむべき状態になっていた。溝を穿ちて水を注ぎ、ヒースと称する荒野の植物を駆逐し、これに代わりうるに馬鈴薯あるいは牧草をもってするのである。難中の難事は荒野に樹を植えることだった。研究に研究を重ねたかれは、ノルウェー産の大モミを植え、ユトランドの荒地に生育するはこれだと判ったが、数年で枯れた。その荒地はこの強硬なる樹を養うに足る養分がなかった。
・ しかし、ダルガスの熱心は挫けなかった。さらに研究を続け、ふと思いつき、ノルウェー産の大モミの間にアルプス産の小モミを植えた。不思議なるかな、両樹は相並んで成長した。だが、緑の野はできたが、緑の林はできなかった。ユトランドの荒地から建築用の木材を採らんとする野心は現れなかった。モミはある程度まで成長したが、成長を止めた。デンマークの農夫らは「ダルガスよ、汝の予言せし材木を与えよ」と迫った。
・ ダルガスの子は植物学者で、大いなる発見をした。大モミがある程度以上に成長しないのは小モミを大モミの傍に生やしておくからだ。ある程度成長後は小モミを切り払い、大モミがひとり土地を占領すれば成長できるだろうと考え、そうすることによって鬱蒼たる大モミの林を見るようになった。1860年15.7万エーカーの森が、1907年には45.7万エーカーの森に達した。
・ 植林の効果は、単に木材の収穫にとどまらず、ユトランドの気候に影響し、夏の昼は猛暑・夜の霜の寒冷の差を和らげ、植物は馬鈴薯、黒麦その他の農業は一変した。いまや、小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類・野菜が成長できるようになった。ユトランド半島は大モミの林の繁栄をもって田園となった。木材を与えられた上に良き気候を与えられた。
・ さらに樹木の繁茂は海岸からの砂埃を止め、敵国の艦隊よりも恐るべき砂丘は撃退された。霜は消え、砂は去り、その上に洪水の害が除かれた。ユトランドの全州は一変した。廃れし町は再生し、地価は急増し、道路と鉄道が縦横に築かれ、戦争で失われたホルスタイン等を償うに十分だった。  
野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに尊きものは国民の精神だ。デンマーク人の精神は、ダグガス植林成功の結果となり、失望する彼らは希望を快復した。他人の土地を奪ったのではなく、己の土地を改造したのだ。自由宗教より来る熱誠と忍耐と、大モミ、小モミの不思議な能力により、荒れたる国を快復したのだ。
・ デンマークの教えは、@敗戦必ずしも不幸ならず、A天然の無限的生産力、B信仰の実力を示した。国の実力は軍隊ではない。軍艦でも、お金でもない。信仰である。フランスより輸入されたる自由信仰だ。ダルガスのような「智き愚人」がいなければ今日のデンマークはなかっただろう。
解説:内村鑑三は、日清戦争が始まる前は、隣の大国の圧迫に苦しむ朝鮮を助ける「義のための戦争」とみていた。しかし、戦後、朝鮮のためどころか日本の利欲のための戦争だったことを覚り、「義戦」を唱えた自分を深く反省し、日露戦争の時には非戦に転じている。内村鑑三の念頭には、ドイツに敗れ、領土の大半を奪われたデンマークと、同じく日本に国土全部を併合された朝鮮の運命とが、重なっていたと思われる。単に荒野を拓いて植樹を進めた話ではない。デンマークには、何百年も昔には、緑豊かな森があったという。人間の文明がもたらした自然の荒廃にたいする批判がみられる。朝鮮に対する出来事、人類の文明に深くかかわる環境問題の話は、内村鑑三の戦争観、死生観、自然と文明観にも大きな転機を与えた意味でも重要であった。(鈴木範久)
  
所感:これは、111年前の明治時代の無協会派キリスト教宗教者内村鑑三の講演である。筆者の母校東海大学創立者松前重義は、自分は内村鑑三の最後の弟子であると称し、戦前2年間のドイツ留学の夏休み、デンマークの国民学校で2カ月を過ごし、国民学校を創設指導した牧師ニコライ・グルントウイの民主的教育が貢献したことを知った。その後、デンマークの様な国を作る礎にしたいと東海大学を創立している。デンマークは今でも、世界最高度の幸福な国と言われている。敗戦で奪われた土地に固執するのではなく、国民の力で荒地を肥沃な土地に創り上げ、気候も緩和化した素晴らしい話だ。 (瓦版718号「デンマークのスマートシティ」)
いま、ロシアのウクライナ侵略が大問題になっている。とんでもないことと思うが、かつて日本も朝鮮を、朝鮮の人々を救うためと侵入し、その後、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、満州事変と、戦争を続けてきた。資源の少ない日本が発展するためには、外地進出やむなしという国民も納得する戦略だったかと思う。いまの、ロシアも同様なことで侵略しているかと思う。戦後の朝鮮戦争、ベトナム、アフガン、シリア、イラン、イラク等など、人類はイデオロギーなどを理由に戦い続けている。民衆の命を奪う戦争軍事産業は、いよいよ儲けるばかりかと思う。
 また、内村鑑三は日本最初の公害問題とも言われている「足尾銅山鉱毒」問題反対運動の田中正三の天皇に対する直訴状を書いた幸徳秋水『帝国主義』の推薦文を書いている。「人類の歴史は、たえず信仰と腕力が勝ち負けを争う歴史である。あるときは信仰が勝ち、またあるときは腕力が信仰に勝つ。信仰 が腕力に勝つとき、世界には光明がある。腕力が信仰を圧する時、世界は暗黒である。そして今は、またしても腕力が信仰を制圧している暗黒の時代となった。わが友、幸徳秋水君の『帝国主義』が完成した。幸徳君が若くしてすでに今日の知識層の中で 新しい大きな仕事をしていることは、人の良く知るところである。幸徳君は自由が人間にとって どんなに重要であるかを良く理解している真面目な本物の社会主義者である。私は幸徳君のような優れた人物を友として持つことを名誉とし、ここに独創的な著述を紹介する栄誉に感謝する。」と。
一日も早くウクライナへのロシア侵略が止むことを祈念したい。  

「日本大空襲『実行犯』の告白」なぜ46万人は殺されたのか

鈴木冬悠人

「日本大空襲『実行犯』の告白」なぜ46万人は殺されたのか

 新潮社21.8.20

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はじめに
  わずか一年足らずの間に無差別爆撃で46万人の命が奪われた。「私は、過激なことをするつもりだった。日本人を皆殺しなければならなかった。」とカーチス・ルメイ爆撃司令官は語っている。半世紀ぶりに米空軍内部の聞き取り調査封印が解かれた“207本の音声テープ”に記録されていた。
序章 死蔵されていた空軍幹部246人の告白
・ アメリカは表向き「正義と人道」を掲げて戦っていた。46万人が犠牲になるような非人道的な無差別爆撃を行う必要性はなかったのではないか。東京大空襲のキーマンは、マリアナ諸島を拠点として日本本土を空襲したB29第21爆撃軍司令官だが、米空軍組織を挙げて実行したと考えられる。
・ もう一人の注目すべきキーマン“へンリー・アーノルド大将”空軍総司令官が浮かび上がった。開戦から終戦までトップとして君臨し、日本への空爆の最高責任者だった。その取材は難航した。
 米空軍の歴史資料館マリーコレクションに出会い、100以上のボックスにかつての空軍幹部の肉声の録音テープが発見された。世界最強という米空軍の設立の歴史が見えてきた。
第1章 “空軍の父”アーノルドの野望
・ 米空軍士官学校の卒業式に、「今、アメリカは中東ISの100カ所を攻撃しているが、その8割は、私たち空軍が行っている。明日からあなたたちは、アメリカ国家の中心を担うのです」と。全米各地から集められた成績優秀者が入学、毎年1000人の卒業生を幹部候補生として輩出している。
・ アーノルドほど仕えやすく反対意見を言える上司はいないと言われた。1903年士官学校に入学した。当時、航空機は安全性が低く飛行士の死亡率は5割を超えていたが、アーノルドは未知の飛行機に魅せられ、のめり込んでいき、ライト兄弟からエンジンや機体の構造等を学んでいる。
第一次世界大戦では、陣地と塹壕を巡る地域の争奪戦で一日に数千人の兵士が死傷するような中、偵察のための航空機は、肉の壁を悠々と超え、敵陣に侵入していける。航空機による敵陣侵入、補給基地破壊、兵器工場壊滅を提案したが、陸軍は空軍を軽視し、貶めようとしていた。1939年米国はドイツ・日本に劣り世界第6位、ドイツ8000機、日本4000機、アメリカは1200機だった。
・ アーノルドは大型爆撃機導入を望んだが、陸軍首脳の反対を受け実現しなかった。アーノルドは陸軍や海軍から空軍を分離させたいと思い、直接ルーズベルト大統領に窮状を訴えた。丁度、1938年ミュンヘン会議で、ヒットラー率いる空軍大国ドイツ軍が、陸軍大国フランス、海軍大国イギリスを屈服させたことからルーズベルトは自国の危うさを認識した。
・ 大型爆撃機の不足、増産体制の不備を認識したルーズベルトは、1939年一般教書で増産を訴えた。アーノルドは前年予算の85倍以上の巨額予算を獲得した。1941年日本の真珠湾攻撃を受けた。日本の山本五十六大将は太平洋を越え、300機を超える戦闘機による奇襲を行い、アメリカ軍史に残る大損害を与えた。アメリカ全体が、航空戦争の時代が到来していることに気が付いた。
・ 陸軍は17万人、海軍は14万人、対する航空軍は2万人で、太平洋を越えて日本を攻撃できる長距離爆撃機を持っていなかった。アーノルドは賭けに出た。
第2章 航空軍“独立”への切り札=B29
・ アーノルドら航空軍は、莫大な予算で、年間最大10万機という生産能力で次々と生産し、世界最強の空軍へと一気に駆け上った。自動車製造業界をエンジン事業に参入させ、ハーバード大学に生産管理システム開発支援を協力依頼した。
・ 超大型爆撃機B29、人類史上最も街を破壊した航空機だ。航続距離は5千q、超高高度1万m、開発費は30億ドル(現在の日本円で4兆円)、原爆開発費の1.4倍にもなる。突貫工事が続いた。第3章 アメリカ航空戦略の原点・ミッチェル
・ 天才・ミッチェルは自分で軍服をデザインし、スポーツカーを乗りこなす自己顕示欲が強い男だ。
第一次世界大戦時、連合国総司令官として連合軍の猛攻を空から巧みに支援し評価された。死闘を続ける陸軍の前線を航空機ならわずか数分で横断できることを示した。航空機なら奥地まで侵入し敵国の最も重要な心臓部を直接粉砕できるのだ。より安くより人道的に戦争を終結できるのだ。
・ 1919年、第二次世界大戦の20年前に、空軍こそが次の戦争の主役になると、ミッチェルは言い切った。文才に長けたミッチェルは本の執筆にも力を入れ、『我々の空軍』『空軍による防衛』『第一次世界大戦の回想』等で航空戦略を啓蒙し続けた。しかし、陸海軍からは無視され続けた。
・ 1921年、バージニア沖120kmで航空機による戦艦爆破実験が、国家首脳と日英伊外国武官の前で行われ、わずか21分で戦艦は沈没し、参加者は時代が大きく動くのを感じ取った。1925年ミッチェルは陸海軍を誹謗したと軍法会議に懸けられた。陸軍を除隊したミッチェルは農場を経営しながら、空軍独立の必要性を訴え続ける中、第二次世界大戦3年前にインフルエンザで急死した。
第4章 航空軍の真価が問われた日本空爆
 アーノルドら航空軍は、追い求めてきた航空戦略を試す機会を待ち望んでいた。1944年そのチャンスが訪れた。異例の短期間で30億ドルをかけた“大博打”は、日本本土への空爆を実現する最新鋭の超大型爆撃機を完成させた。アーノルドは、「空軍力で単独勝利を勝ち取ろう、日本への上陸を行うことなく、陸軍なしで」と決心していた。開戦当初こそ苦しいアメリカだったが、2年あまり経ち、ミッドウエー海戦、ガダルカナル島、アリューシャン列島と、物量と兵器の差で圧倒し、日本本土へと着実に迫っていた。航空軍は、軍需産業などの主要な敵の中枢をピンポイント破壊する精密爆撃を掲げていた。1939年の時点で航空戦術学校は空爆目標の研究を進めていた。
ルーズベルト大統領は一般市民への空爆を禁じたハーグ規則遵守を意識していた。
第5章 机上の空論だった精密爆撃
 1944年11月24日、日本本土への空爆作戦開始。サイパン島から111機のB29が出撃したが、精密爆撃の命中率は7%だった。思い通りにいかないアーノルドは陸海軍に追い詰められた。
第6章 傷痍爆弾へ追い詰められるルメイ
・ アーノルドは戦果を挙げられなかったハンセンの後任にヨーロッパ戦線で戦功をあげたルメイを指名した。新たな秘策として「焼夷弾」が浮上した。焼夷弾爆撃の実験場は、ユタ州ダグウエイの砂漠で日本の下町の住宅街を建設し、最適な焼夷弾投下方法などを研究していた実験映像がある。
・ 特別な許可を得て入室した資料室では、1943年作成の322頁におよぶ「日本空爆目標データ」を見出した。そこには中島飛行場などの軍事拠点はもちろんのこと大都市や中小都市を含む2000ヶ所以上が記載され、軍事専門家の他に経済学者など様々な分野のメンバーで検討を行っていた。
アーノルドは精密爆撃を掲げながらも、焼夷弾による空爆作戦の準備を進めていたのだ。
第7章 こうして無差別爆撃は決行された:ルメイは責任を背負い300機で東京大空襲を行った。
第8章 空爆はなぜ2000回に及んだのか:アーノルドは空軍のみで終戦を迎えようと突き進んだ。
第9章 受け継がれる勝者の思想と戦略:ルメイは、「戦争は恐ろしい、馬鹿げているが、国と国との最終調整には戦争以外には解決方法が見つかっていない」と語っている。
おわりに:「結果を出さねばならなかった」とルメイは繰り返した。企業犯罪に手を染めた社員の言葉と重なった。アーノルドは結果を求め続け、精密爆撃に固執したハンセンはクビを切られた。

所感:終戦78年が経っても、日本は戦争責任を認めない。ウクライナのロシア侵攻が驚くことになっている。文明が進み、世界に平和がやってくると思っていたが、世界はこんな状態を超えることができないのだろうか。B29開発に死力を尽くしたアメリカは世界の覇権国になったが、これからは世界の一国として過ごすのだろうか。 デンマークなどの北欧に期待したい。

2022年04月01日

『東 京 大 空 襲 を 語 り 継 ぐ つ ど い』

東京大空襲・戦災資料センター開館 20 周年
『東 京 大 空 襲 を 語 り 継 ぐ つ ど い』
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日時:2022 年 3 月 6 日 所:カメリアホール
主催:東京大空襲を語り継ぐつどい実行委員会
1.挨拶: 木下雅英(東京都教職員組合委員長)
20 年おめでとう! ウクライナが厳しいが、一人ひとりが頑張ろう!
2.東京大空襲を語り継ぐ
体験を語る「学童疎開から逃げ帰って」関野清雪戦争が激しくなり、山形県鶴岡市のお寺に疎開した。寒いお寺の本堂で勉強、掃除、近所のお手伝い等だったが、お寺は怖くて逃げ帰った。駅で知らない人の子供と擬して、上野駅行に乗り、車内で歩き続け上野駅に到着、家に帰り、母に抱きしめられた.大空襲時には旧中川の中川新橋にいて、たくさんの人が川に飛び込んで死んでいった。私の家族は堤防近くの材木屋さんの防空壕に逃げて、助かることができた。戦争は絶対悲惨!戦争はダメ!
3.センターで学ぶ子どもたち
国立市立子とも長崎派遣平和事業に参加した小学6年生 コロナのために長崎に行くことはできなかったが、東京大空襲戦災資料センターを見学、二瓶さんのお話を聞いた。
お金が溶けていたのには驚いた。長崎とはオンラインで交流することができた。国立市の人口は 7 万人、大空襲では 10 万人が死んだこと等で戦争の悲惨さを痛感した。
平和派遣生として、平和の大切さを皆に伝えていきたい。
4.戦災資料センターの 20 年のあゆみ 比江島大和(センター)
早乙女さんらの努力で戦災資料センターを創設したいと美濃部都知事に要請すると 1 億円の補助で「東京大空襲戦災誌全 5 巻」ができたが、その後の知事から同意が得られず、民営で立上げる
ことになった。たくさんの賛同者や江東教組の活躍で前進することができた。
2000.3 東京空襲を記録する会と財団法人政治経済研究所が学士会館で「平和のための戦争・戦災資料センター」建設募金
(4000 名以上の方々から 1 億円超の募金)
2001.9 起工式
2005.3 開館 3 周年・東京大空襲 60 周年の集い
2007.3 増築工事完成、リニューアルオープン
2017. リニューアル工事(建物改修工事)
開館後、たくさんの方々が来訪頂いている。地方の中学生などが修学旅行で来訪し、文集などが送られてくる。有名な方では日野原氏、山田洋次監督など、たくさんの人に助けられ、今日がある。続きを読む・・・

2022年03月20日

「半藤一利 語りつくした戦争と平和」

保阪正康監修

「半藤一利 語りつくした戦争と平和」

東京新聞 21.11.30

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開戦80年、いま刻みたい言葉 瀬口晴義(東京新聞)
保守系といわれた文藝春秋社で専務を務め、作家となった私が今や、「左翼」と批判されると苦笑していた半藤さんは、「日露戦争の誇りだけを背負って、実際の戦争を知らない軍人たちがでかい声を出していた満州事変の頃と今は非常によく似ている」と強く危惧していた。靖国神社に合祀された A 級戦犯で昭和天皇が嫌悪していたのは松岡洋祐と白鳥敏夫と思う。
あの戦争から何を学ぶのか〜半藤一利さんの遺言 保阪正康
・ 半藤氏は5つの教訓を書いている。
1. 国民的熱狂を作ってはいけない。言論の自由・出版の自由こそが生命だ。
2. 最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。リアリズムに徹せよ。
3. 日本型タコツボにおけるエリート小集団主義の弊害を常に心せよ。
4. 国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
5. 直ぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ、ロングレンジのものの見方を心がけよ。
もう一つ「真理は細部に宿る」とも言っていた。
・ 終戦の 8 月 15 日に戦争に関する史料を焼却処分するよう自治体の末端まで指示を出し、戦犯になりたくないというわが身の安泰のために燃やしてしまった無責任体制。なぜあんな、無謀な戦争を始めたのか。責任は誰にあるのか。検証していくのは難しい。
・ 満州事変が昭和6年、515 事件が昭和 7 年、国際連盟脱退が昭和 8 年でした。軍が暴走していき、国際ルールを無視した傍若無人ぶりに国民も快哉を叫ぶ。ターニングポイントは 226 事件。陸軍の青年将校 1500 人が立ち上がったクーデター未遂事件で日本は大きく変わってしまった。軍事暴力が議論を押し潰し、軍部大臣現役武官制が復活し、自由主義者を閣僚として認めないことに。主権者である天皇でも軍事勢力に対し「おびえ」のような感情を持っていた。
・ 226 事件の翌年昭和 12 年、盧溝橋事件から日中戦争が始まり、泥沼化する。日本が日中戦争に勝てないのは米英が中国を支援しているからと、米英と対立状況になって行き、戦争状態に。
・ この戦争はどういう戦争だったかを私たちは具体的に考える必要がある。マレー半島上陸と真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争の 3 年 8 ヵ月には流れがあって、勝利、挫折、崩壊、敗退、降伏の 5 段階に分けて考える。最初が勝利、一年経たないうちに挫折、ミッドウエー海戦、山本五十六の戦死、サイパン陥落までが崩壊、レイテ沖海戦、特攻作戦、沖縄戦、空襲で敗退が決定づけられ、原爆投下、ソ連侵攻で降伏に至る。この流れの中で、@常に自分たちの都合のいいように解釈する。A戦争の終結点、プログラムの目途が全く立たない。ただひたすら目の前の敵と戦う。
・ この欠陥は、日本国の基本的な欠陥だろうか? いや違う。そんな愚かな国ではない。何しろ江
戸時代 270 年間一回も対外戦争をせずに、独自の軍事学、戦時哲学を持っている。それを顧みる
ことなく、近代日本に入って、日清戦争以来ほぼ 10 年おきに戦争していく。戦争することによっ
て利益が上がる、国益が拡大していく。勝って賠償金を取るからで、戦争を国家事業にしたのだ。
・ 明治維新後、西洋の列強の道を歩み、軍事的な力をつけて周辺の国を制圧していった。しかし、私の考えは、江戸時代の戦争をしない軍事学を基に、新しい日本を作るべきだったと思う。西欧帝国主義の餌食にならないという国策を選ぶも、最終的には太平洋戦争でそれが全部解体した。
・ ミッドウエー海線で、虎の子の空母 4 隻と、熟練のパイロットを失った。真珠湾攻撃で英米の
連合国が本格的な反撃に出て来て、ミッドウエー海戦、ガダルカナル攻防戦になり、国力の差を見せつけられる。当時の人はそんなことは全く知らなかった。知らされなかった。戦略がなかった。
・ 戦略なき日本の悲劇が特攻作戦だ。戦力が全く枯渇し、戦力がないと、人が飛行機に乗って、飛行機ごと爆弾を抱えて米軍の航空機にぶつかっていった。この戦術を選択した戦争責任は重い。
・ 特攻隊を送り出した参謀や司令官は「私も後から続くから」と言って、後に続いた人はいない。「特攻隊はみな志願していったんだよ」も嘘である。戦後そう撒き散らし、責任逃れした。広島・長崎に原爆を投下されたが、陸軍は敗戦を受け入れなかった。徹底抗戦が長引けば、ソ連が北海道を半分占領して、「東日本社会主義人民共和国」が誕生した可能性もあった。日本は、昭和 20 年に入ると本土決戦を言いだし、一億総特攻でアメリカ軍戦車にぶつかっていく。
・ アメリカは「オリンピック作戦」で九州に上陸、西日本を制圧し、相模湾から上陸、東京を主戦場にした戦闘状態を考えていた。戦争最後の段階で、アメリカはさらに原爆投下を考えていた。日本が軍事指導者の考え方一つでとんでもない崩壊状態になった危険性があった。
・ 太平洋戦争が教えた重要なことは、@シビリアンコントロールの必要性、A文化や伝統に反する戦争だった、B日本人は死を恐れないという日本文化を曲解して戦争を進めたことと思う。
日本の軍人は、国益というものは戦争して獲得する以外ないんだと考え、常に戦争を正当化する。
【盟友対談】 半藤一利*保阪正康
・ 私は東京裁判を傍聴し、戦争のリーダーはこんなにくたびれた老人ばかりかと驚いた。
・ 226 事件後に首相になった広田首相は、軍の要求を数多く受け入れてしまった。日本軍の愚かしさの象徴として、検察側が提出予定の「占領地の土地処分案」には、朝鮮や台湾に置いた総督府を、オーストラリアやインドにも置く内容で、緒戦の快進撃に有頂天になった参謀たちが考えていた構想だ。裁判で不利になってはいかんとみな燃やした。
・ 満州事変から終戦までの 15 年間で、指導者は次々に交代し、共同謀議は日本では成立しない。東京裁判では言論人として徳富蘇峰が被告に擬せられたが、高齢のため大川周明が上げられた。しかし、東条の頭を叩くなどし、精神疾患があるとされ入院し、言論界は裁かれなかった。
・ マッカーサーは、当初からアメリカ大統領選出馬を視野に入れ、日本国民が反旗を翻して自身の統治能力が問われることがないよう、天皇の保全を考えたのではないか。アメリカは、「天皇を訴追せよ」というオランダやオーストラリアの説得に苦労した。
・ 裁判は私たちの知らないことを明かしてくれた。南京事件など、旧日本軍の残虐行為は国民には知られていなかった。平和を語る責任を日本は自覚していない。
【象徴天皇と平成】 平成はバブル経済の絶頂期に始まった。旧ソ連のアフガン撤退、中国の天安門事件、ベルリンの壁崩壊など、世界は激動していた。日本も阪神大震災、サリン事件で大事だった東電福一を見れば、無神経な原子力物理学者が、政府の原発政策を擁護していることを暴露した。
・ 平成の始まりは世界史的曲がり角だったのに、バブル経済真っ最中だった日本は浮かれていた。
・ 非自民政権が壊れ、自社さ連立政権ができ、それ以前の 38 年間の与野党対立は随分いかさまで、政党はここで信頼感を失ったかと思う。歴史に学ばない現政権にはものすごく劣化を感じる。
・ 平成始めの非正規社員 881 万人が、現在では 2000 万人以上と歴史観が変わった。
・ 関東大震災では虚無感がまん延し「自殺ブーム」が起きた。一方で平成の災害史観は、東電経営者と政府が混然一体となって天災にすり替えた。湯川秀樹や朝永振一郎が反核運動に走ったのは、科学のもつ残酷さ・恐怖心・責任感からだが、今の科学者にはないのだろうか?
・ 後藤田さんは「新しい歴史教科書をつくる会」に徹底的に反対し、夜の脅迫電話に困惑した。
安倍さんがトランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦した時に心臓が止まりそうになった。
・ 私たちは、戦後民主主義をきちんと伝えることに失敗したかなと思いましたね。

所感:半藤氏監修の「太平洋戦争全 10 巻 DVD」を仲間と観ているが、半藤氏の歴史観に学ぶところが多い。戦争時代に直接触れてきた先人に学び、平和な時代を模索したい。

「監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い

ショシャナ・ズボフ 野中香方子訳

「監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い」

東洋経済新報社 21.7.8(1)

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序論 最初の地図
第1章 デジタルの未来におけるホームか追放か
・ わたしたちは皆、スマートな機械のために働くようになるのでしょうか。それとも、聡明な人々は皆、スマートな機械の周りに集まるのでしょうか。
・ 製紙工場の若い幹部が抱く疑問は、最古の政治的問いに通じるものだ。国に留まる、追放される、王に、家来に、主人に、奴隷になるか。
知識と権威と力を巡る永遠の問いだ。歴史に終わりはない。どの時代に
も新たな脅威が出現し、意思の強さと想像力を問われてきた。
・ 最古の問いには、あらゆる社会、階層、世代の、数十億の人間が答えなければならない。情報通信技術は電気より広く普及し、70 億の世界人口の30 億人に到達した。知識と権威と力のもつれから生じるジレンマはもはや、1980 年代のように職場に限定されるものではない。今や日常生活の必需品に深く根を張り、ほぼあらゆる形態の社会参加を仲介しているのだ。最古の問いはより広い枠組みに向けられ、文明・情報文明に向けられている。この新興の文明は、私たちがホームと呼べる場所になるのだろうか。
・ 2000 年にジョージア工科大学のコンピューターグループが、「アウェア・ホーム(Aware Home)」プロジェクトを始めた。目標は「ユビキタス・コンピューティング」研究の「生きた研究室」を創ることだ。具体的には、家中に埋め込まれた情報認識センサーの精緻なネットワークと、居住者が着用するウエアラブル・コンピューターによって人と家との共存を図ることだ。
・ この実験には、@全く新しい知識の領域を生む、A生活を向上させる権利は居住者にある、
Bアウェア・ホームは古くからの慣例に従って、家を壁に囲まれた私的な聖域とみなす。
それから 18 年経た 2018 年、世界のスマートホーム市場の価値は、360 億ドルと評価され、2023年までに 1510 億ドルに達すると予想されている。
・ デバイスの一つ、ネストのサーモスタットは、使用状況と環境についてデータを収集し、居住者の行動を学習する。そのアプリケーションは、自動車、オーブン、ランニングマシン、ベッドといった「つながった」製品からもデータを集める。さらに異常を感知すると、ビデオ撮影や録音を開始し、居住者か他の人に異常を通知する。さらにネストはグーグルに合併され、グーグルの AI 能力を利用できるようになった。
・ Wi-Fi 対応でネットワーク化されたサーモスタットが続々と生み出す、複雑でパーソライズされたデータは、グーグルのサーバーにアップロードされる。それぞれのサーモスタッドには「プライバシーポリシー」と「サービス利用規約」と「エンドユーザー・ライセンス契約」が付属する。機密情報を含む家庭や個人の情報は、他のサードパ―ティへの販売を目的として、他のスマートディバイス等と共有される。しかしネストは収集した情報のセキュリティについて責任を負わない。
・ ネストの利用規約によると、ユーザーが同意を拒んだ場合、サーモスタットの機能とセキュリティは大幅に損なわれ、アップデートがなされなくなる。2018 年までに、アウェア・ホームの作業仮説は風と共に去った。個人情報や知識のアプリケ―ションに対する権限は、図々しいマーケットベンチャーに強奪された。それらの企業は、他社の経験と得られた知識に対して一方的な主張を繰り返している。デジタルの夢が暗黒化し、貪欲な商業プロジェクトへと急速に変化しつつある。その貪欲なプロジェクトを私は、監視資本主義と名付けた。
監視資本主義とは何か?
・ 監視資本主義は人間の経験を行動データに変換するための無料の原材料として一方的に要求する。これらのデータの一部は、占有的な行動余剰と宣言され、「人工知能」と呼ばれる先進的な製造プロセスに送られ、私たちの行動を予測する予測製品へと加工され新種の行動予測市場で取引される。
その市場を行動先物市場と名付けた。監視資本主義はこの取引から莫大な富を得た。
・ 監視資本主義は、市場競争に後押しされて、より正確な予測を可能にする行動余剰を捕捉しようとし、声や人格や感情を用いるとともに、説得し、なだめ、調整し、駆り立てることで、より正確な行動データが得られることに気づいた。自動化された機械処理により、行動を知るだけでなく形成するようになった。私たちに関する情報の流れを自動化するだけでなく、私たちを自動化することが目指されるようになった。複雑な「行動修正」が生産の手段になり、新しい種類の力を生み出した。それを私は道具主義と呼ぶ。彼らは、軍備と軍隊ではなく、ネットワーク化された「スマートな」デバイスとモノとスペースからなるユビキタスな計算構造媒体を介して目的を達成する。
・ 監視資本主義は、初期のデジタルの夢とは逆の方向に進み、アウェア・ホームを古代の歴史に追いやり、ネットワーク化にはある種の道徳が伴うという幻想さえ打ち砕いた。デジタル接続は、他者の商業目的をかなえる手段化した。その核の監視資本主義は、寄生的で自己主張が強い。「労働を餌食にする吸血鬼」というカール・マルクスが描いた資本主義の古いイメージが想起されるが、この吸血鬼は思いもよらない方向転換を遂げた。貪り食うのは、労働ではなく、人間のあらゆる経験のあらゆる側面なのだ。
・ グーグルが監視資本主義を発明し完成させた過程は、1世紀前にゼネラルモーターズが経営資本主義を発明し完成させた過程によく似ている。グーグルは、思想と実践における監視資本主義の開拓者であり、研究開発の資金調達や、実験と実行の先駆者だった。この道をグーグル、フェイスブック、マイクロソフト、アマゾン、アップル等々が競争し、走り続けている。アップルにとっては監視資本主義は、外部の脅威にして、内部の議論と不和の源にもなっている。
・ 本書が採用した証拠と推論が示唆するのは、監視資本主義は、新たな経済的要求が推進する不正な力であり、社会規範を無視し、民主主義社会の構築に不可欠な個人の自律性と基本的権利を無効にしようとしている、ということだ。
・ 産業文明が自然を犠牲にし、今では地球まで犠牲にし、この監視資本主義と道具主義が形成した情報文明は、人間の本質を犠牲にして繫栄し、いずれは人間性を犠牲にするだろう。

所感:日本経済は衰退感があり、韓国にも一人当たり所得が5年前から少なくなっているとも聞く中、今までの自分の知識では理解できない、世界の大変革を痛感させられる本に出合った。
右図によると米国中国が成長する中で、日本の低成長が対照的だ。世界時価総額ランキングによ
ると平成元年には日本は NTT をトップに 50 社中32 社を占めていたのに対し、平成 31 年には 43 位にトヨタ自動車が入っているに過ぎない。トップはアップルで、マイクロソフト、アマゾンが続き、アップルはトヨタの 5 倍を超える評価額で、その差は拡大し続けている。日本が得意としてきた家電製品や自動車中心の現物商品ではない架空商品へと大規模な変化が起こっているようだ。その中心が、監視資本主義の中核をなす GAFA と言われる情報産業で、ジャパンアズナンバーワンと傲り高ぶった日本が世界の後進国?になってしまった原因かも知れない。今後の抜本的な国政改革なしには、デンマークを中心とする人権・民主主義の幸福大国北欧には近づけない感がある。
監視資本主義の今後の推移を注目・監視し続けていかなければならないようだ。

「命を守るために、江東5区マイナス地域の実情と対応を考える」

「命を守るために、江東5区マイナス地域の実情と対応を考える」

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日時:2月23日午後2時開会 所:江東区総合区民センター
主催:江東区政を考える会、
開会挨拶: 矢野政昭(共同代表)
 一人ひとりが尊厳をもって生きられる社会・自分たちの生きる江東区を区民の努力で創り上げたい。頑張りましょう!!
経過報告と活動方針案の提案: 河島信子(事務局長) 
・ 考える会は19年2月の「集い」を契機に発足、公共施設使用料値上中止、カジノ誘致反対、新型コロナ感染症対策、防災ラジオ改善、マイナス地域防災対策議会陳情など取組んできた。
2021年度収支報告、2022年度予算案提案:松尾勉(会計局長)
運営委員案、会則の改定案、賛同募金の提案: 岡田光司(事務局次長)
パネルディスカッション「命を守るために、江東5区マイナス地域の実情と対応を考える」
  コーディネーター&パネリスト:橋本正法(NPO法人地域交流センター・まちの駅事務局長)
  パネリスト:市川裕美(自立生活支援センターSTEPえどがわ介助事業責任者)、中瀬勝義(技術士)
橋本:国土交通省荒川下流河川事務所「荒川氾濫」放映と解説 ※YouTubeでも視聴できます
     フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」令和3年3月改訂版(字幕なし) - YouTube
・ 国土交通省が作成したフィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」は、防災啓発を目的に作られている。豪雨により北区のJR鉄道橋周辺で荒川が決壊し、洪水がどう南下していくかをシミュレーションした身につまされる内容だが、具体的な危険性を知った上で話し合うことが重要だ。
・ 大規模自然災害の危険度が世界一高い東京でどう暮らし、生き延びることができるのか。大規模災害は非日常の出来事だが、防災は日常的でなければならない。
市川:「大規模水害対策の取り組みと体験報告」
・ 自立生活センターは、どんな重度な障害があっても地域で当たり前に暮らせる社会の実現に向けて、様々な活動をしている全国120ケ所の組織。えどがわは、障害者9割の50名の利用者だ。
大規模水害広域避難情報が発令されたら、迷わず介助者と家族と一緒に広域へ避難する計画だ。
・ 2019年10月12日台風19号で、6日前に関東直撃の予報が出された。9日には気象庁記者会見があったが、江東5区検討会は開かれなかった。
10日:集団避難先の確保に動いたが、利用者の受入れ先は見つからず、マンションの5階に一室確保がやっとだった。
・ 11日:STEPでは緊急事態宣言を発令し、体制を整えた。
  12日:深夜に台風通過し雨・暴風も落ち着き解除した。
・ 江戸川区危機管理課と情報交換したが、予報の限界と緊急事態宣言の発令の難しさを共有した。
・ 後日、山梨県清里のバリアフリーペンションで広域避難シミュレーションを行い、移動手段の難しさなどを痛感した。車いすが車両に乗ることは車両に一台まででしかなく、検討の必要性が。
中瀬:「ゼロメートル地域に注目―東京大水害に備える」
・ 台風19号の集中豪雨で、岩淵水門を閉じなければ墨田川が決壊してしまうほどの流量だった。
・ 現在、荒川下流では水害から地域の住民を守るため堤防耐震工事を行っている。江東5区は昭
和前期の地下水利用のためにマイナス地域が広がっていて、万一地震や高潮により堤防が破損す
ると海水が流入し、交通崩壊とともに、コンビニやスーパーに依存した住民250万人の食生活が
崩壊しかねない。災害を自分事として一人ひとりが自覚し、防災避難計画を作らねばならない。
閉会挨拶:宇都宮健児代表:自然災害は事前の防災訓練が必要だ。国政は日常的に報道されるが、身近な区政については少ない。考える会はみんなで課題に取り組み、スクラムを組んでいきたい。

協同労働で持続可能な社会を創る

労働者協同組合市民向け学習会inえどがわ

協同労働で持続可能な社会を創る


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日時:2022年2月13日 14時〜16時
主催:ワーカーズコープ東京東部事業本部
   生活クラブ運動グループ江戸川地域協議会
講演:気候変動 と SDGs と 労働者協同組合法
  黒田志保(ワーカーズコープあぐりーんtokyo所長)
・ 温暖化による気候変動は、遠い外国のことと考えていたが、2019年台風19号で身近な問題になった。
・ また、私たちの食べ物のムダは、年間1700万tで輸入量5500万tの1/3にもなっている。食糧自給率38%の日本にとってあまりに問題で、もったいない。
・ 当所では、協同労働の工場で廃食油から再エネのバイオディーゼル燃料(BDF)を製造。 BDF を活用し学校で環境授業(ESD)を行ったり、保育園などの遠足に役立てている。世の中を変えるのは、若い子供たちで、人口の3.8%が変われば世界が変わる。
・ 今は、「大から小」への時代だ。メガやグローバルの恩恵は認めるが、その弊害も大きい。
  様々な格差、先進国と途上国、都市と地方、貧富、世代間格差など課題は多い。
  巨大送電網   地産地消エネルギー自給圏   地域に無数の小さな発電所を作ろう!
 そこでは、「労働者協同組合法」(自ら出資・意見反映・事業従事)が有効に活用できる。
実践報告
1. ふじみ野地域福祉事業所デイサービスそらまめ & 社会連帯グループにんじん
・ 福島からの原発事故避難者を支援してきた女性たちがそらまめを立ち上げ、デイサービス運営の傍ら、自給自足を目指し太陽光発電と農業も展開している。さらに地域みんなで社会連帯活動を進めている。
2. NEXT GREEN但馬  上村俊雄所長
・ コウノトリで有名な豊岡市では、「次世代に遺す山づくり」をモットーに森林資源を活用した、協同労働による小規模自伐林業を実践している。
・ 兵庫県公共職業訓練「新エネルギー・環境コース」を立
は、自伐型林業、小水力発電、BDFを学び、地域に若者の職場づくりを進めている。
・ 間伐材などを木工品として活用し、地元の旅館には、木工加工体験・販売コーナーを設け、森への関心を高めてもらおうと観察会を行い、次世代の子供たちを中心に啓蒙活動を展開している。

2022年02月09日

【福祉防災の第一人者を迎えて考える「みんなで助かる」ということ】

防災×福祉@江戸川区

【福祉防災の第一人者を迎えて考える「みんなで助かる」ということ】

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日時: 2022年1月27日(木)10時〜12時
主催:江戸川みんなの防災プロジェクト ZOOM方式
基調講演:福祉防災・みんなで助かるということ
鍵屋一(福祉防災コミュニティ協会代表、跡見学園女子大)
・ 秋田県男鹿市生まれ。板橋区役所で福祉・防災に関わり、国や全国自治体を飛び回ってきた。
・ 現在、新型コロナウイルスの蔓延で、社会経済活動が停滞しているが、高齢者が必要以上に、人や社会と交流を避けると、心身ともに弱くなる。コロナ対策がすべてではなく、地域活動、福祉や経済が総てでもない。完全を求めず半分動かす、白黒つかないストレスの多い状況が続くと考えている。
・ 故郷の男鹿のナマハゲはユネスコの無形文化遺産になったが、ナマハゲは平時に五穀豊穣・家内安全の来訪神、災害時には、ナマハゲ台帳に基づいて避難支援を行う貴重な風習になっている。 
 災害被害の方程式
自然の外力×人口(暴露量)×社会の脆弱性
・ 進み続ける高齢化:75歳以上は25年で2.6倍!
  激増する高齢単身世帯:25年で3.21倍! 
障害者は25年で約62.5%増。近所づきあいは減っている。障害者にとって地域の助け必要だ。
公務員は16.5%減、公助も限界に!
 近年の豪雨災害における高齢者等の被害
  平成30年7月豪雨:死者の70%が65歳以上。
  令和元年台風19号:死者の65%が65歳以上
  令和2年7月豪雨:死者の79%が65歳以上
 正常化の偏見
  何故、人は備えないのか? 何故、行政、福祉、企業等の災害対策の優先順位が低いのか?
  「自分は大丈夫!」という正常化の偏見:自分にとって都合の悪い情報を無視し、過小評価してしまう人間の特性
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〜大規模水害時の広域避難実現に向けた意識改革と行動〜

令和3年度江東5区広域避難推進シンポジウム

〜大規模水害時の広域避難実現に向けた意識改革と行動〜

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日時: 2022年1月29日(土)14時〜16時半
主催:江東5区広域避難推進協議会 ZOOM方式
開会挨拶:斉藤猛江戸川区長
  広域避難には大きな課題が、皆の協力が必要だ。
基調講演: 江東5区の大規模水害を考える
 〜犠牲者ゼロを実現するために〜
片田敏孝(東京大学大学院情報学環特任教授)
・ この問題に15年前後関わってきた。沢山の方々
 の参加を頂き検討を進めてきたが、昨今の大災害
化は凄まじく、マイナス地域の課題は大きく、市民の積極参加・考えることが必要になっている。
荒ぶる自然災害:
・ コロナ禍で改めて知らされた命の守り方。自然災害にも置き換えられる。
@ 自らの安全は自ら守るしかない。最も大事な課題だ。 
A 自らの安全は周りの安全につながる。
B 専門家にも行政にも完全に頼ることはできない。
・ 「避難」とは難を避けること、避難所に行くことだけが避難ではない。
・ 分散避難が求められていれる
 ―在宅避難/親戚・知人宅・ホテル・職場/車中避難/避難所避難
 ―分散避難の避難先の考え方=広域避難の避難先の考え方
・ 多発する自然災害:記録更新が続く豪雨災害(東日本台風等)
令和3年7月熱海市の盛り土も影響した土石流災害:死者26
名。梅雨前線停滞による地面に浸み込んだ雨が問題!
  令和2年7月豪雨:複数の線条降水帯。アマゾン川の2倍の  
膨大な流量。予測できなかった大災害。
 最近の自然災害を巡る日本の防災の動き
  国の【平成30年度7月豪雨による水害・土砂災害からの避難に関するワーキンググル―プ】
      住民主体の防災対策に方針転換
・ 現  状:突発的に発生する激甚な災害への行政主導のハード対策・
ソフト対策には限界で、住民主体の防災対策に転換していく必要。
 目指す社会:住民が『自らの命は自らが守る』意識を持って自らの
判断で避難行動をとり、行政は、それを全力で支援するという、
住民主体の取組による防災意識の高い社会を構築する必要がある。
防災は、主体的な姿勢を持つ住民に対する「行政サービス」から「行政サポート」へ。
  国の【令和元年台風19号等による災害からの避難に関するワーキンググループ】
     災害対策基本法の一部改正に発展
・避難行動要支援者のための個別避難計画の作成を市町村に作成努力目標を義務化。
・災害発生のおそれの段階で国の災害対策本部の設置義務化
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