沼田町の開拓は、明治27年に沼田町の開祖「沼田喜三郎」が故郷の富山県から、18戸の人々を率いてこの地に入植したのがはじまりです。
「駅逓」は北海道独自の制度で、開拓が盛んにおこなわれていた時代に、交通の要所ではあっても、営業としては成り立たない場所に「北海道」が馬や建物を援助して旅行者への宿舎と馬などを提供し、また、手紙の集配も行うという役割を担っていました。(いわば現在の「駅・旅館・郵便局」の機能を併せ持った施設といえます。)
「駅逓」が一番多かった大正15年くらいには、全道247か所を数えましたが、開拓がほぼ完了した昭和22年には制度が廃止されました。
「本願寺駅逓」の「本願寺」の由来は、開拓当時この地の正式な名称は「仁多志別」でしたが、「真宗本願寺」の門徒だった大谷伯爵の名義で沼田喜三郎の「開墾委託株式会社雨龍農場」が土地の貸し下げを受けており、この地にその事務所があったことから通称は「本願寺市街」と呼ばれていたことによります。
この建物は入植と同じ年、明治27年に「木谷卯一郎」氏によって普通旅館として建てられ、木谷氏の道への願い出により明治33年に「駅逓」として変更を許可され、札幌や留萌、旭川を結ぶ重要な交通の拠点となっていました。
なぜこの場所がよかったのか?当時の主だった移動手段は徒歩でした。人が1日に歩ける距離は約40キロで、滝川−駅逓40キロ・留萌−駅逓40キロとちょうどいい場所にあったためです。
駅逓としては珍しい木造2階建てで、建築様式は1階前面の「腕木ひさし廻し手法」、土壁は白壁仕上げで2階正面窓には縦しげ格子の出窓、2階軒部分の「セガイ造」は日本で2軒、道内では1軒しか現存していません。
道内に現存する駅逓の中では旧態を残す貴重な建物で、昭和43年に町指定文化財。昭和46年3月には北海道の指定文化財となっています。
●一階面積 170.7u
●二階面積 72.7u
●合 計 243.4u(73.5坪)
※当時は建物裏に馬屋・納屋が存在しました
観覧時間:9時〜17時
観覧料:無料
所在地:沼田町北竜1
観覧申込/問合せ:沼田町教育委員会
0164-35-2132