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沼田町教育委員会

沼田町教育委員会の「希望に満ちた豊かな学びのブログ」です。沼田町での教育行政の取り組みはもとより、地域で活動している方々の情報発信を行っています。
なお、本ブログに掲載している情報はオープンデータではありませんので、ご注意願います。


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沼田歌人会の作品を展示中! [2020年07月01日(Wed)]
7月1日から30日までの約1か月間、ゆめっくる正面入り口付近において、沼田歌人会の皆さんが作成した短歌の作品を30点展示しています。
ゆめっくるに立ち寄られた際にはぜひご覧ください。

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▲素晴らしい作品ばかり!この機会に皆さんも一首詠んでみましょう!

【次回展示予告】
8月1日から30日まで 沼田写真クラブの皆さんの作品
北海道指定文化財「本願寺駅逓」 [2020年07月01日(Wed)]
CIMG4266.JPG

 
 沼田町の開拓は、明治27年に沼田町の開祖「沼田喜三郎」が故郷の富山県から、18戸の人々を率いてこの地に入植したのがはじまりです。

 「駅逓」は北海道独自の制度で、開拓が盛んにおこなわれていた時代に、交通の要所ではあっても、営業としては成り立たない場所に「北海道」が馬や建物を援助して旅行者への宿舎と馬などを提供し、また、手紙の集配も行うという役割を担っていました。(いわば現在の「駅・旅館・郵便局」の機能を併せ持った施設といえます。)
 「駅逓」が一番多かった大正15年くらいには、全道247か所を数えましたが、開拓がほぼ完了した昭和22年には制度が廃止されました。

 「本願寺駅逓」の「本願寺」の由来は、開拓当時この地の正式な名称は「仁多志別」でしたが、「真宗本願寺」の門徒だった大谷伯爵の名義で沼田喜三郎の「開墾委託株式会社雨龍農場」が土地の貸し下げを受けており、この地にその事務所があったことから通称は「本願寺市街」と呼ばれていたことによります。

 この建物は入植と同じ年、明治27年に「木谷卯一郎」氏によって普通旅館として建てられ、木谷氏の道への願い出により明治33年に「駅逓」として変更を許可され、札幌や留萌、旭川を結ぶ重要な交通の拠点となっていました。
なぜこの場所がよかったのか?当時の主だった移動手段は徒歩でした。人が1日に歩ける距離は約40キロで、滝川−駅逓40キロ・留萌−駅逓40キロとちょうどいい場所にあったためです。

 駅逓としては珍しい木造2階建てで、建築様式は1階前面の「腕木ひさし廻し手法」、土壁は白壁仕上げで2階正面窓には縦しげ格子の出窓、2階軒部分の「セガイ造」は日本で2軒、道内では1軒しか現存していません。
 道内に現存する駅逓の中では旧態を残す貴重な建物で、昭和43年に町指定文化財。昭和46年3月には北海道の指定文化財となっています。

●一階面積 170.7u
●二階面積 72.7u
●合  計 243.4u(73.5坪)
※当時は建物裏に馬屋・納屋が存在しました

観覧時間:9時〜17時
観覧料:無料
所在地:沼田町北竜1
観覧申込/問合せ:沼田町教育委員会
電話1(プッシュホン)0164-35-2132

新型コロナウイルスによる施設休館ならびに利用制限について「2020年6月30日」 [2020年07月01日(Wed)]
「新型コロナウイルス感染症」感染拡大防止のための北海道における緊急事態措置の緩和により、5月16日から沼田町民体育館・町民パークゴルフ場等の体育施設及び沼田町生涯学習センター等の社会教育施設を開館しました。

 道内の感染状況は一時よりは減少しておりますが、未だ予断を許さない状況が続いており、施設の利用に際しては、「感染防止チェックシート」への記入をいただき、人と人との間隔をあけるソーシャルディスタンスの徹底、マスクの着用など、感染を予防する取組にご協力をお願いします。
 なお、各施設での感染予防対策として、出入口に手指消毒用アルコールの配置、施設の換気、消毒などを行っております。

 また、宿泊交流センター「夢未来」につきましては、施設の規模や機能等の都合上、「3つの密」への対応が難しい事から、今年度は閉館することとしました。
 ご利用を予定した皆様におかれましては、ご不便をおかけしますがご理解とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。