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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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今月の俳句(令和二年一月) [2020年01月24日(Fri)]
今月の俳句(令和二年一月)

  今月の兼題は「新年」に関する季語です。俳句歳時記には、春夏秋冬の四季の部の他に「新年」の部があります。それ程新年に関する季語は沢山あるということです。今月の句会では、新年の季語の俳句が大多数でした。句評は藤戸紘子さん、今月の一句は皆川眞孝が担当しました。

「コンビニの灯りぽつんと去年今年」
  皆川 眞孝

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去年今年(こぞことし)が新年の季語で、大晦日の一夜が明けて、去年から今年に移り変わることで、年の行き来のすみやかなことをいいます。「去年」と「今年」という並列の意味ではありません。去年今年と続けると単に去年とか今年とかいうのとは異なった容赦のない時の流れを感じます。
コンビニは最近営業時間の再検討を始めたようですが、まだ24時間営業の店舗が多いようです。大晦日の夜ともなるとさすがに人通りは少なく、店も軒並み閉まっています。真っ暗な通りにぽつんとコンビニの灯りだけが灯っているという景が鮮明に浮かびます。普段でも真夜中にコンビニだけが煌々と灯りをつけてはいますが、大晦日から次の年の初めに移行する特別の時間帯を照らす道標のように感じられたのでしょうか。季語の斡旋により日常の景を特別の時間の経過として表現された力業はさすがです。

「家族みな口をすぼめて七日粥」
  宮ア 和子

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七日粥(なぬかがゆ)は七草粥ともいいます(新年の季語)。正月七日に食べる粥のことで、万病を防ぎ、一年の邪気を払うとされています。また、お正月に暴飲暴食をして疲れた内臓を労るために粥をいただくのだと聞いたことがありますが、これは私が祖母から聞いた説なので真偽のほどは不明です。が、こちらの説の方が納得できますね。ご家族が揃って食卓につき炊き立ての熱々の七草粥をいただいている景が浮かびます。熱いので家族全員口でふうふう吹きながらいただく粥、さぞ美味しかったことでしょう。具体的な景がすっと浮かびます。ちなみに七草とは芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべら(はこべの古語)・仏の座・すずな(青菜または蕪)・すずしろ(大根)の七つです。子供の頃暗記させられた方も多いかと思います。「なずな」がぺんぺん草のことだと知って屋根に生えてるあのぺんぺん草を食べるの?と驚いたことを覚えています。

「紅つけてすまし顔して春着の子」
  小野 洋子

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春着(新年の季語)とは正月の為に新調した晴れ着のこと、または正月用の衣服のことで新年を迎えた晴れ晴れしさを身に纏う心地が季語となっています。多くは女人が着た場合をいいます。したがってこの句の子は女の子であることがわかります。普段は着物を着つけない現代の子ですから新年の衣裳を纏った時の緊張と晴れがましい気持ちは大変なものだと思いますが、彼女は健気にもすまし顔で平静を保とうと努力していることが窺えます。紅つけて、すまし顔して、と畳みかけるようなリズムの良さが春着の子の高揚した気分を充分に表現しています。
春着に似た語に「晴れ着」がありますが、晴れ着ははれの場所に着て出る衣服のことで、こちらは季語ではありません。


「一輪に心和むや寒椿」
  皆川 瀧子

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椿は早春の花ですが、9月10月から冬期にかけて咲く早咲きのものを冬椿といいます。その冬椿で寒中に咲く椿を寒椿といいます。寒気や雪の中の一、二輪の真っ赤な椿は緑のつややかと共に人の心を惹き付ける美しさに満ちています。寒気にめげずに咲く生命力は見る者を力づけてくれたり、和ませてくれたりします。色の少ない冬期だからこそ見る者を一層惹き付ける力があるのかもしれません。作者もこの寒椿の力によって心が平らかになられたのでしょう。
余話ですが、園芸種のなかに寒椿と呼ばれる八重咲きのものがあり、山茶花(さざんか)の濃い紅のような感じで花弁がばらばらに散る木がありますが、この句で詠まれた寒椿とは別物です。

「手袋の片手落して泣く子かな」
  木原 義江

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手袋が冬の季語。手套(しゅとう)ともいいます。手袋には儀式用・お洒落用・作業用・手術用など種類も多く、その素材も様々です。季語の手袋は冬の外出時に手や指を保温するために用いるもので、毛糸や革、伸縮性の強い布などで作られたものをさします。その他の手袋は季語ではありません。子供の手袋ですから毛糸の五本指の手袋か親指だけ分れたミトンかもしれません。その片方を落としてしまった子が泣いている景です。どなたも経験がおありかと思います。落ちている手袋は何故かいつも片方なのです。子供にとっては一大事です。小さい子には紐付きが安全かもしれません。が、私の経験では紐付きの手袋は何故かとても恥ずかしかったことを覚えています。

「命毛のすらりと伸びて筆始」  
 藤戸 紘子

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筆始(ふではじめ)は書初めと同じで新年の季語。新年に初めて書または絵を揮毫するために筆を取ることです。大体は正月二日にめでたい言葉を選んで書くことが多く、私も子供の頃は、姉妹と並んで毎年書き初めをしていたことを思い出しました。毛筆を使うことがない現代でも、小学校では書初めの展覧会をしているようです。南窓会の書道部では、子供会と合同で、子供たちに書初めを指導しています。作者はその指導者の一員。命毛(いのちげ)とは筆の穂先の中心にある一番長い毛で、最も大切な部分です。作者はその命毛がすらりと伸びているところに注目しました。何気ない情景のようですが、筆始めの季語と響き合って、今年もよい書が出来そうだという楽しい気分が伝わってきます(句評:皆川眞孝)

今月の一句(選と評:皆川眞孝)

「舞初や眉にほひたつ藤娘」
   小野 洋子

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今年の南窓会の新年会では、日舞の指導者・中川美保子先生が「藤娘」の踊りを披露してくださいました。「藤娘」は、歌舞伎の代表的な舞踊で、藤の絡んだ松の大木(男性の象徴)の前で藤の枝を手にした藤の精が意のままにならない男心を切々と嘆きつつ踊ります。中川先生の踊りは、女性らしさを出した優雅でしなやかな日本舞踊で、まさに藤の精というところでした。この句は、舞い初めとして「藤娘」を踊る女性の景を「眉にほひたつ」と表現しています。聞きなれない措辞ですが、私は、お化粧の眉墨の匂いが感じられるほど上品に熱心に踊っている様子と取りました。また、眉で女性の顔全体を代表させていると取ることもできます。指導を受けている作者の、中川先生へ感謝を込めた挨拶句とも考えられます。(皆川眞孝)


新年の季語の俳句

「最後尾の列の遥かや初詣」
    宮ア 和子

「持ち寄りの料理と妻の雑煮椀」
    皆川 眞孝

「これからの5年の余白初日記」
    皆川 眞孝

「褒め合ひて笑い転げて女正月」
    小野 洋子

「大き罅(ひび)へ木槌打ち込む鏡割」
    藤戸 紘子

「清らなる破魔矢の小鈴行き交へる」
    藤戸 紘子


<添削教室>(藤戸紘子)

原句「久々にまみえし友や初ご弥撒(みさ)」
  宮ア和子
初弥撒とは、カトリック教会で新年最初に行われるミサのことで、新年の季語です。作者は、今年最初の弥撒で、久しぶりに友人にあった喜びを句で表現しています。ただ、「初ご弥撒」という措辞はどうでしょうか?初弥撒では四音なので、それを五音にするため「ご」を入れたのでしょうが、あまり聞きなれない言い方です。むしろ初弥撒を上五に持ってきて「や」の切れ字を入れて五音とし、「まみえる」の措辞は友人には大袈裟なので単純に「会ふ」として、次のように添削してみました。どうでしょうか?
添削句「初弥撒や久々に会ふ幼友」
宮ア 和子 
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
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