静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (20) [2019年06月17日(Mon)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (20) 安土城-1 安土城(国指定 特別史跡) 安土城は信長の命で、石垣の上に天守閣(当時は天主)を建てた日本最初の城郭です。 時に天正4年(1576) 近江源氏の末裔六角氏の居城観音寺城(近江八幡市安土町)を見本に総石垣普請で地下一階地上五重六階、高さ32mの天主とし、最上階は金色、下階は朱色の八角、城の内部は黒漆塗りにしました。 安土城は防備というより信長の天下統一事業“天下布武”の象徴として建てた政治的色彩の濃い城だったとみられています。 この画期的なアイディアのもとに造られた城で培われた技術は、安土桃山時代から江戸初期にかけて全国に相次いで築かれた近世城郭の範となりました。普請を手がけた琵琶湖畔の“穴太衆(あのうしゅう)”は石垣積みのノウハウを有する技術職人の集団で以後全国に 石積みの城を広めたと言われます。 惜しいことに本能寺の変以後、壮麗な天主は焼失し秀吉の代になって廃城となり見ることができず、そのことが復元図を決定できない要因の一つになっています。 天主火災の原因は不明です。 天主復元のための文献は「信長公記」、信長の家臣太田牛一の書いた「安土日記」、信長に接見したポルトガル宣教師ルイス・フロイスの「日本史」があり、それらをもとに複数の復元図がありますが決定の決め手に欠けます。 信長が狩野永徳に描かせた金箔の屏風が天正遣欧使節団により教皇庁に捧げられてそこに保管されたという記録があり、発見されれば安土城天主の姿を知る決め手になると期待されますが見つかっていません。 発掘調査は平成元年〜平成21年まで20年間行われ数々の遺跡・文化財が発掘されましたが、当時縄張り奉行の役で城造りをした羽柴秀吉が山頂まで運んだという“蛇石”・・ 5 間余(約10m)の巨石で推定重量3万貫約112トンは未発見です。 蛇石を運んだ様子が文献に載っていますが、“昼夜 山も谷も動くばかりの石引の歌声が谺した”そうですが、痛ましいことに途中で綱が切れ150人余の引手が蛇石の下敷きになって亡くなりました。 安土城は特別史跡にしてされていて城址内にはトイレの設置が禁止されています。 続く 文責 荒川 |
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wild river
at 09:00