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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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今月の俳句(平成30年7月) [2018年07月24日(Tue)]
今月の俳句(平成三十年七月)


毎日猛烈な暑さで、参ります。今月の兼題は「祭」です。これについては、藤戸さんが俳句コメント(木原さんの句)の中で詳しく解説してくれています。祭太鼓、祭囃子、祭笛、山車、神輿、宵宮などの祭りの傍題も夏の季語となります。
句評は、いつも通り藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は小野洋子さんです。

「注連縄の揺るる駅舎や村祭」
  木原 義江

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かつて祭といえば京都の賀茂祭つまり葵祭を祭といっていました。それ以外は夏祭として区別していました。今では夏祭全般を祭として夏の季語としています。ではなぜ祭は夏の季語なのか。それは疫病、虫害、風水害などの災難が夏に起こりやすいため、その怨霊、疫神を鎮め祓うための行事が祭だったからです。五穀豊穣の祈願が「春祭」、収穫の喜びを祝い感謝するのが「秋祭」です。
さてこの句は村祭、駅舎まで注連縄(しめなわ)が張り巡らされていることからそれ程大きな村ではないことがわかります。村の鎮守様のささやかなお祭りかもしれません。それでも村全体の一大行事であることが伝わってきて、村人達と帰省の人々の張り切っている姿が活き活きと立ち上がってきます。

「鼻白粉つけて山車曳く子らの声」
  宮崎 和子

kodomodasi.jpg

山車(だし)が夏の季語。鼻白粉とは稚児が鼻筋に一本白い筋をつけることをいいます。お祭りに化粧をすることのそもそもの意味は、その人が日常生活をする人ではなく、非日常空間にいる神の代理人に一時的になるとの意があります。日常に「お祭り気分」を持ち込まないその場限りにするけじめの意味もあるそうです。鼻の頭の白粉はその簡易版。子供達はそんな意味があることも知らず、祭衣に気分は高揚し可愛いい声を張り上げて山車を懸命に曳いていることでしょう。

「酔ひどれの祭男や背(せな)に龍」
  渡辺 功

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祭に酒はつきもの。この祭男は調子に乗り過ぎたのでしょう、すっかり酔ってしまったようです。暑い時のアルコールは体温を急激に上げますから諸肌脱ぎになっているのでしょう。その背中に龍、つまり背中一面に龍の彫り物、入れ墨です。最近ではあまり見かけなくなった入れ墨ですが、神田祭や三社祭ではこんな光景をよく見かけます。実際に目にすると何故かぎょっとします。酔ひどれと龍の入れ墨という措辞が響き合って、一種独特の下町の雰囲気と日常では見えない異質の世界が現出した一瞬を見事に句に表現されました。

「ここだけの話とぎれて心太」
  小野 洋子

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心太(ところてん)が夏の季語。日本人なら一度は食べたことがある庶民の夏の食べ物です。原料は天草。干した天草をよく洗い、煮溶かして漉し袋で漉し、型に入れて固めたものを心太突きで細く突き出し、酢醤油や蜜、和辛しなどをつけて食します。この句の眼目は「ここだけの話」。口外禁止ほどの重要性がある話ではないが、公然と話すにはちょっと憚るような話、しかし自分一人の胸に収めておくには勿体ない話、聞いた以上どうしても誰かに話したくなる話などなど意味深長な意味合いのある話なのです。「ここだけの話」は波紋のように広がっていくのは必定です。庶民のささやかな楽しみかもしれません。蒸し暑い夏の午後、あちらこちらで心太を前に「ここだけの話」に夢中になっている庶民がいるかもしれません。心太のさっぱりした舌ざわり、鼻に抜ける酢の味、箸になかなか挟めない心太、半透明の心太、「ここだけの話」の無責任な心情となぜか
しっくり響き合っていると思いますが、いかがでしょうか。

「アフリカの草原の宿蚊遣香」
  皆川 眞孝

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蚊遣香(かやりこう)が夏の季語。つまり蚊取り線香のことで渦巻状にしたものが有名です。作者がアフリカに仕事で出かける際には必ず持参したとのことです。驚いたことにはアフリカにも蚊取り線香はあるそうです。更に驚いたことにアフリカ産の蚊取り線香は効き目が悪いとのことで日本の蚊取り線香は必帯だそうです。アフリカという熱帯では蚊のみならず虫に刺されることは非常に危ないことです。最近日本でも毒蚊が外国から侵入してニュースになりましたね。蚊は死にいたる病原菌を媒介します。よく効く日本の蚊遣香、こんな所にも日本人の行き届いた職人技が反映されているのですね。アフリカと蚊遣香の取り合わせが奇抜で面白い句となりました。

「水栓の蓋を押し上げ若き竹」
  皆川 瀧子

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若竹が夏の季語。水栓の蓋というものは概ね鉄か何かの重い材料でできています。蓋が重く作られているにはそれなりの理由があるはずです。例えば風や雨や虫が入り込まないようにわざと重くしてあるのかもしれません。その重い蓋を若竹、つまりそれ程太くはない竹が押し上げていた!若竹の伸びる力、生命力の強さを具体的に目にされて驚嘆されたことでしょう。竹が伸びると塀や家まで壊すと聞いたことがあります。それ程強い生命力があるということです。若竹のすくすく伸びる自然の力を実感された時の作者の驚愕と感嘆が伝わってきます。


「片肌を脱いで連打の大太鼓」
  藤戸 紘子

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私が句会で最初にこの句(もちろん作者はまだわかりません)に出会った時の独り言。「夏祭りで男性が勇ましく太鼓を連打している祭囃子の映像が眼前に浮かび、句全体に迫力があり、良い句なので選ぼうかな。だが、待てよ。祭太鼓は季語だが、大太鼓だけでは季語とならない。残念ながらパスするか。」
ところが後でこれが藤戸さんの句で「片肌脱ぎ」が夏の季語だとわかり、自分の無知を恥じました。「肌脱」「諸肌脱」も同じく夏の季語です。片肌脱ぎをして太鼓を打つ写真を探したところ、男性はほとんど諸肌脱ぎか、上半身裸です。(「裸」も夏の季語)やっと見つかったのが、片肌脱ぎで太鼓を打つ女性の写真(上掲)です。今の時代は、女性が片肌脱ぎをするのだと、この句のお蔭で勉強しました。(皆川眞孝)

「今月の一句(選と評:小野洋子)

「神輿揉む若衆の声やお神酒の香」
   宮ア 和子

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藤戸さんの説明にあるように、祭は神の来臨であり、疫病や水難に悩まされる季節にその穢れを洗い流すみそぎの祭事である。神輿は、神様の乗り物であり祭の大事な主役である。
この句では、上五中七で神輿を担ぐ若衆が体を触れ合わせ、入り乱れる動的な景を描き、下五にお神酒の香という静的景をもってきている。たった十七文字で、若者の流れる汗と筋肉の動き、屋台の匂い、見物客のさざめき、祭の賑わいまでも感じさせる作者の力量には脱帽である。(小野洋子)

他の兼題「祭」の句
「背伸びして神輿かつぐや餓鬼大将」
渡辺 功

「喚声と轍の軋み山車廻る」
皆川 眞孝

「御旅所(おたびしょ)の槌音高く木の香る」
藤戸 紘子



<添削教室>
  原句 「稚児囃子姉乗る山車を追ひし宵」

        皆川眞孝

この句は、私(皆川)の幼いころの思い出です。小学生の姉が山車に乗って稚児囃子の一員として太鼓を叩いている姿を見ようと山車を一生懸命追いかけた様子を句にしました。しかし、句の主体が、稚児囃子の姉なのか、はたまた追いかける自分なのか、ごちゃごちゃしていて分かり難くなっています。
藤戸先生に次のように添削していただきました。主体が姉となり、活き活きという措辞で動きが加わり、情景が具体的に見えるようになりました。
添削句
「山車過る姉活き活きと稚児囃子」   皆川眞孝
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
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