北陸三県(富山・石川・福井)の旅 (15) [2018年06月23日(Sat)]
北陸三県(富山・石川・福井)の旅 (15) 一乗谷城址-1 一乗谷と朝倉氏遺跡 一乗谷は福井市の東南約10km、九頭竜川支流の足羽川の更に支流の一乗谷川沿いの地域を指し、その昔は北陸街道、美濃街道、朝倉街道など交通の要衝を押える位置にありました。 現在はJR西日本越美北線の一乗谷駅があり、県道18号線が通っています。 一乗谷は元但馬(現兵庫)の豪族朝倉氏が、朝倉孝景時代の文明3年(1471)一乗谷城を築き以後103年間孝景から数えて5代目義景の時代まで越前を支配した拠点です。 朝倉義景は天正元年(1573)織田信長に攻められて城を放棄し城は焼かれて朝倉氏の越前支配は終焉しました。以後越前は柴田勝家の支配に帰することになりましたが、勝家は 海運・陸運に便利な北の庄(現福井城の近辺)に拠点を構えたため、一乗谷は辺境になり以後、土の下に埋没してしまいました。 埋没した朝倉氏の城址、城下町、武家屋敷、寺院、町屋、職人屋敷、朝倉氏居館跡。庭園などの発掘調査が昭和42年(1967)から始められ全遺跡が完全な姿で現れ、それらは文化財としての評価の高さを示す国の三重指定を受けています。 昭和46年(1971)、城址を含む一乗谷278heが“特別史跡”指定 平成3年(1991)、各種庭園遺跡4205uが“特別名勝”指定 平成19年(2007)、出土品2343点が“重要文化財”指定 一乗谷の朝倉遺跡に国の三重指定を受けるほどの文化遺産が眠っていた理由は、室町時代の応仁元年(1467)、応仁の乱が起こり、京都から高僧、文人たちが多数兵火をを逃れて一乗谷に集まり、ために一乗谷の人口は10000人を超え越前の中心地を成したからではないでしょうか。 ともあれ発掘は現在も続いているようで一乗谷は一見の価値があると思いました。 続く 文責 荒川 |
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wild river
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