粟野城址公園のヤマツツジ(1)
[2018年04月25日(Wed)]
粟野城址公園のヤマツツジ(1) 栃木県鹿沼市の南西10kmほどの距離にある口粟野町に粟野城城址公園があります。 4月16日あるいは17日だったかもしれませんが、NHKから粟野城址公園ヤマツツジの紹介放映がありました。 19日木曜日に行ってみました。現地の人が“今日が満開かもしれない”と呟いていましたが、僅かに蕾が残っていました。 粟野城は栃木県の史跡になっていますが、この城は基本的に安土桃山時代の城だそうです。 足利尊氏一門の足利忠綱が最初の築城主とする説もありますが定かではないようです。 暦応元年(1338年)、足利尊氏に従っていた平野範久が修築し居城にしたという説が有力視されています。 平野範久は佐野氏に降伏し粟野城は佐野氏の支城になりましたが、天正16年(1558年)皆川氏の攻撃で落城、このときの佐野対皆川の戦闘は凄まじく、両軍ともに城代、大将が討ち死にするなど多くの武将がなくなり、まして雑兵をも含めると城山全体が累々たる死者で埋まるほどだったと伝えられています。 辛うじて勝利した皆川氏も2年後の天正18年、羽柴秀吉の派遣軍に攻められて落城、その後廃城となりました。 城山は標高240〜250mほどですが、戦時、防空監視令という法律のもと、奥の一番高い山上に防空監視哨が設けられ、そこで敵航空機の発見監視が行われたのです。 防空監視哨と並んで城山の標石がありますが、ここには物見櫓と狼煙台があったと推定されています。山にはあちこちに土塁など城の遺構を示す標柱が立っています。 続く 文責 荒川 |
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wild river
at 09:00