国宝 松本城天守 [2015年08月12日(Wed)]
国宝 松本城天守
8月8日の孫の結婚式に出席のため、前日の7日夕方松本に到着しました。私は松本市内を訪れたのは初めてなので、ホテルの窓近くに見える松本城公園へ娘たちと出かけてみました。入場時間が過ぎていて、近年修復された大手門を見る事が出来ませんでした。お城の南側と西側をお堀に沿って歩きながら、お城の姿をバックの中のカメラで撮りましたのでご覧ください。 松本城公園入口 松本市立博物館 右手に博物館、左手にお城が見えてきました。 Wikipediaから 松本城は安土桃山時代末期〜江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城址は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は「深志城(ふかしじょう)」と言った。 築城主 小笠原貞朝、石川数正、康長父子 主な城主 小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、戸田松平家が代々居城とした。 お堀には元気な鯉が沢山いて人が近づくと集まってきます。 埋橋(うずみばし) 城の西側 再びWikipediaから 明治維新後、1872年(明治5年)に天守が競売にかけられ、一時は解体の危機が訪れるが、市川量造ら地元の有力者の尽力によって買いもどされて難を逃れる。明治30年代頃より天守が大きく傾き、これを憂いた松本中学(旧制)校長の小林有也らにより、天主保存会が設立され、1903年(明治36年)より1913年(大正2年)まで「明治の大修理」が行われた。 1876年(明治9年)6月19日 - 不審火により、当時筑摩県庁となっていた二ノ丸御殿が全焼。当時、県庁の移転と旧長野県との合併問題をめぐって紛争が起きており物議をかもした。跡地には1878年(明治11年)に松本地方裁判所が建つ。 1930年(昭和5年) 国の史跡に指定された。1936年(昭和11年)4月20日には天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年(昭和27年)3月29日にはこれら5棟が文化財保護法によりあらためて国宝に指定されている。 埋橋近くの蓮田 近くまで行けませんでしたが注連縄をつけた大欅が見えました。 お城の南側と西側には外堀があったようで、これを復旧しようという声も上がっているようです。 松本市も当日の気温が35度と高く驚きましたが、夕方には冷たい風が吹き初めてぐんと涼しくなりました。松本城公園からは常念岳がどんと見えるそうですが、雲に隠れて残念!ふと見上げると欅の枝に鳩が一杯とまっていました。公園を出て街に出ると「松本城を世界遺産に」という幟があちこちにあると気づきました。 文責:宮ア |
Posted by
ミセスミヤ
at 09:00