70年目の同窓会 [2015年04月10日(Fri)]
70年目の同窓会 昭和20年8月15日の記憶のある方はどのくらいおられるのでしょうか。私は小学校(当時の品川区・城南国民学校)4年生。学童疎開先のお寺の庭で敗戦を告げる玉音放送を聞きました。 今年はそれから70年の節目、家を離れて一緒に一年間を過ごした友達20人ほどのうち、連絡の取れた5人で4月初めにお寺を訪ねました。このお寺は、奥多摩五日市町の臨済宗の禅寺・徳雲院、日野からは車で1時間の近距離で、私は3年前にも訪ねブログにのせました。 本堂 全景 今年は梅が盛りを過ぎ、3年前の写真をのせました。 他の4人はそういう機会もなく、戦後初めてではありませんでしたが、久しぶりの再訪。昔話に時を忘れました。 我々子供達にとっては、空腹に耐え、のみやしらみに苦しめられた一年でしたが、それでも地元の人達の支えもあって、それなりに楽しい思い出も多かったのです。 引率の先生は師範学校を出たばかりの若い女の先生でした。 先生のご苦労は大変だったろうと察する会話になりました。先生は戦後、結核をわずらい、つらい人生を送ることになってしまったのです。 魚をとったり泳いだ河 この寺のご住職・加藤耕山と奥様にも大変お世話になりましたが、子供ながらに凄いお坊さんだったという印象が残ります。当時70歳、優しく、かつ厳しいお坊さんでした。昭和46年に96歳で亡くなられましたが、95歳の時の書をご覧ください。 書家の寺山旦中氏は「耕山老師の墨跡は、”雄渾“とか”迫力に富む“といった類ではない。何といってもその魅力は、清澄さと脱俗さにあろう」と評しています。 今のご住職、加藤太巌師ご夫妻にも暖かく迎えて頂き、近況をお聞きし、会話も弾みました。残念なことは、当時の思い出深い木造の小学校校舎が鉄筋コンクリートの建物に変わり、今は過疎で廃校となっているということでした。 (菊間敏夫) |
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菊間敏夫
at 08:00