国宝大法寺三重塔(2) [2013年06月26日(Wed)]
国宝大法寺三重塔(2)
三重塔の前に立つ事が出来ました。左手の木は枝垂れ桜です。 屋根の反り、全体のバランスが綺麗だと詳しいことが一切わからない私でも思います。長女が長野の歴史などに興味を持ち最近勉強会に出ているとかで、いろいろ説明してくれます。そして案内書にはおよそ次にように書かれています。 大法寺三重塔は「見返りの塔」という名で親しまれている。この名は塔の姿があまりにも美しいので、思わずふり返るほどであるという意からつけられたのであろう。この塔は初重が特に大きいことに気づく。これがこの塔の最も大きな特色である。これは二重三重で組物を三手先といういちばん正規な組み方としているのに対し、初重だけは少し簡単な二手先にしたので、その分だけ平面が大きくなっているからである。このようなやり方はこの塔のほかに奈良の興福寺三重塔があるだけで、極めて珍しいことである。塔の姿が平凡になりがちであるが、こうすると変化がつき、落ち着いた感じが生じてくることにうまいやり方と言わなければならない。この塔は墨書によって正慶2年(1333)に造営中であったことがわかる。鎌倉時代から南北朝時代に移る過渡期に当たっている。この頃は装飾的な彫刻を各所につけるのが通例であるが、この塔では初重中央間の蟇股以外、細部の装飾は一切用いていない。(中略)組物内部に書かれてあった墨書によると、天王寺大工某のほか、小番匠七人が来ている。天王寺とはおそらく今の大阪の天王寺であろう。 地方的なくずれが全くないのもこのように中央の工匠によって造営が行われたからであろう。 塔の高さは18,38m 建坪 初重4坪06二重2坪35三重1坪75 計8坪11。 この大法寺のある青木村の当郷(とうごう)岡石地区に浦野駅(うらのうまや)があったとされて調べた結果、浦野駅が存在していたことがわかったようです。その遺産とされる国宝大法寺三重塔。東山道の動脈を伝わって、早くからこの地域に仏教や文化が広まり大法寺は浦野駅の寺として創建されたものではないかと言われているそうです。 東山道は山越えの道が険しいけれど、東海道のように川を渡るための難儀がないなど長女が話してくれました。 駅(うまや)=律令制で全国の主要な諸道に30里(16K)ごとに設置された公用の旅行、通信のための施設。 律令制=大化の改新後から奈良時代平安初期までの三世紀に亘る。 東山道(とうせんどう)近江ー美濃ー飛騨信濃ー上野ー下野ー陸奥ー出羽を通ずる街道 (広辞苑) 初重の蟇股の装飾(インターネットから) 塔の右手から、なだらかな坂道があり、後姿もみることができます。この姿がまたいいと思いました。周囲を歩くにつれて様々な角度から眺めることができます。ちなみに屋根は杮葺き(ひのき・さわらなど2,3ミリの板で葺く)。「二重の屋根の先が少し痛んでいるようね」などと三人で回りながら塔に魅せられました。山の間に塩田平が見渡せます。 相輪 相輪は本来釈迦の墓ストゥーバ(卒塔婆)なのだそうです。最先端が宝珠、その下が竜車そして水煙。水煙は本来火煙なのですが火を嫌うという意味で水という字を使っているそうです。この水煙は菱花。池や沼に自生する水草。武田家の裏紋でもあるそうです。 高幡不動の塔も帰ったらよく眺めてみようと思ったりしました。 先にも書きましたが、日本全国の国宝三重塔は13あります。そのうち長野に二つもあることを初めて知りました。負うた子に教えられで娘から説明してもらいました。この塔の事が書かれている本を夫が娘に渡してあったことも今回知りました。「お父さんが一緒だったら喜んだでしょうね」と娘の呟きが聞こえました。 観音堂 そういえば此処にいる間、私たち三人のほかに誰にも会いませんでした。 階段を避けて坂道を下って駐車場に向かいます。このまわりの景色が三重塔を一層美しく引き立てているのではないでしょうか。夏鶯が良い声で鳴いています。やはり振り返ってしまいました。 (文責:宮ア) |
Posted by
ミセスミヤ
at 09:00