三井台南窓会親睦旅行(3) [2012年07月16日(Mon)]
三井台南窓会親睦旅行(3) 浅草は建物が密集していますので、バスは駐車場に苦労するようですが、空車のところがスムースに見つかったようです。 浅草寺の東側門「二天門」から境内に入りました。 ふと門を潜りながら、あの3月10日大空襲の数日後にクラスメートの一人を、先生とシャベル持参で地下鉄銀座線に乗って、探しに来たことを思い出しました。 この門は焼け残っていた記憶があります。友人一家とは浅草寺裏の「浅草寺病院」で会う事が出来たのでした。病院も現存しているようです。何時もは雷門から訪れるからでしょう。パッと記憶がよみがえったのです。一面の焼野原だったことも。 人、人!の多いこと。バスの中で添乗員さんがすりに注意してと言っていた事がよくわかります。 7月9・10日の二日間は浅草の観音さまの四万六千日(しまんろくせんにち)の日で、ほおづき市の日でもあります。7月10日が本当の日だそうですが、朝早くから参拝に来るので、9日もそうなったと以前聞いた記憶があります。 この日観音様に参拝すると四万六千日分のご利益をいただけると言われているのです。何年分でしょう。 参拝してから雷門の方に行くことにしました。右手に伝法院、左手はお店、やがて両側に仲見世が続きます。外国の方を沢山見かけました。疲れたのでしょう、ツアー客の外国人たちも宝蔵門の横でジベタリアンをしていました。 雷門は風雷神門が本当の名前で提灯の境内側を見て御覧なさいと、添乗員さんから聞きましたので見に行きました。この年まで知りませんでした。 (宮ア撮影) 境内には「ほおづきの店」がずらりと並んでいます。蒸し暑い中ほおづきの葉の緑と赤い実が、涼しさを与えてくれます。 ほおづき市の最初は芝の愛宕神社の縁日にたっていました。 「ほおづき」を水に鵜呑みにすれば、大人は癪を切り、子供は虫の気を去る」と言われるなど、薬草として評判であったようです。 ところが、その愛宕神社の縁日は観音功徳日にならって、四万六千日と呼んでいた事から、四万六千日ならば、浅草寺が本家本元とされ、ほおづきの市も浅草寺境内に立つようになり、愛宕神社をしのいで盛大になったものです。 ほおづきにつける風鈴の音色には、夏に流行する疫病を遠ざける由来があり、風鈴の色も厄除けとなる赤色が主でしたが、今日では、様々な色が見受けられるようになりました。 (インターネットから) (下の写真2枚 宮ア撮影) お江戸情緒を楽しみ「雷おこし」をおみやげにしたりして、まだ明るさの残っている6時15分頃鹿島台上に帰ってきました。
日本の技術の結晶と言える、スカイツリー、ゲートブリッジを訪れる事が出来、久しぶりの「ほおづき市」の懐かしさを味わい、本当に充実した楽しい一日でした。今健康でいることがありがたく、そしてこの旅行を企画してくださった役員の皆さまに心から御礼申し上げます。 (写真:荒川 文責:宮ア) |
Posted by
ミセスミヤ
at 08:00