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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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今月の俳句(令和二年一月) [2020年01月24日(Fri)]
今月の俳句(令和二年一月)

  今月の兼題は「新年」に関する季語です。俳句歳時記には、春夏秋冬の四季の部の他に「新年」の部があります。それ程新年に関する季語は沢山あるということです。今月の句会では、新年の季語の俳句が大多数でした。句評は藤戸紘子さん、今月の一句は皆川眞孝が担当しました。

「コンビニの灯りぽつんと去年今年」
  皆川 眞孝

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去年今年(こぞことし)が新年の季語で、大晦日の一夜が明けて、去年から今年に移り変わることで、年の行き来のすみやかなことをいいます。「去年」と「今年」という並列の意味ではありません。去年今年と続けると単に去年とか今年とかいうのとは異なった容赦のない時の流れを感じます。
コンビニは最近営業時間の再検討を始めたようですが、まだ24時間営業の店舗が多いようです。大晦日の夜ともなるとさすがに人通りは少なく、店も軒並み閉まっています。真っ暗な通りにぽつんとコンビニの灯りだけが灯っているという景が鮮明に浮かびます。普段でも真夜中にコンビニだけが煌々と灯りをつけてはいますが、大晦日から次の年の初めに移行する特別の時間帯を照らす道標のように感じられたのでしょうか。季語の斡旋により日常の景を特別の時間の経過として表現された力業はさすがです。

「家族みな口をすぼめて七日粥」
  宮ア 和子

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七日粥(なぬかがゆ)は七草粥ともいいます(新年の季語)。正月七日に食べる粥のことで、万病を防ぎ、一年の邪気を払うとされています。また、お正月に暴飲暴食をして疲れた内臓を労るために粥をいただくのだと聞いたことがありますが、これは私が祖母から聞いた説なので真偽のほどは不明です。が、こちらの説の方が納得できますね。ご家族が揃って食卓につき炊き立ての熱々の七草粥をいただいている景が浮かびます。熱いので家族全員口でふうふう吹きながらいただく粥、さぞ美味しかったことでしょう。具体的な景がすっと浮かびます。ちなみに七草とは芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべら(はこべの古語)・仏の座・すずな(青菜または蕪)・すずしろ(大根)の七つです。子供の頃暗記させられた方も多いかと思います。「なずな」がぺんぺん草のことだと知って屋根に生えてるあのぺんぺん草を食べるの?と驚いたことを覚えています。

「紅つけてすまし顔して春着の子」
  小野 洋子

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春着(新年の季語)とは正月の為に新調した晴れ着のこと、または正月用の衣服のことで新年を迎えた晴れ晴れしさを身に纏う心地が季語となっています。多くは女人が着た場合をいいます。したがってこの句の子は女の子であることがわかります。普段は着物を着つけない現代の子ですから新年の衣裳を纏った時の緊張と晴れがましい気持ちは大変なものだと思いますが、彼女は健気にもすまし顔で平静を保とうと努力していることが窺えます。紅つけて、すまし顔して、と畳みかけるようなリズムの良さが春着の子の高揚した気分を充分に表現しています。
春着に似た語に「晴れ着」がありますが、晴れ着ははれの場所に着て出る衣服のことで、こちらは季語ではありません。


「一輪に心和むや寒椿」
  皆川 瀧子

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椿は早春の花ですが、9月10月から冬期にかけて咲く早咲きのものを冬椿といいます。その冬椿で寒中に咲く椿を寒椿といいます。寒気や雪の中の一、二輪の真っ赤な椿は緑のつややかと共に人の心を惹き付ける美しさに満ちています。寒気にめげずに咲く生命力は見る者を力づけてくれたり、和ませてくれたりします。色の少ない冬期だからこそ見る者を一層惹き付ける力があるのかもしれません。作者もこの寒椿の力によって心が平らかになられたのでしょう。
余話ですが、園芸種のなかに寒椿と呼ばれる八重咲きのものがあり、山茶花(さざんか)の濃い紅のような感じで花弁がばらばらに散る木がありますが、この句で詠まれた寒椿とは別物です。

「手袋の片手落して泣く子かな」
  木原 義江

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手袋が冬の季語。手套(しゅとう)ともいいます。手袋には儀式用・お洒落用・作業用・手術用など種類も多く、その素材も様々です。季語の手袋は冬の外出時に手や指を保温するために用いるもので、毛糸や革、伸縮性の強い布などで作られたものをさします。その他の手袋は季語ではありません。子供の手袋ですから毛糸の五本指の手袋か親指だけ分れたミトンかもしれません。その片方を落としてしまった子が泣いている景です。どなたも経験がおありかと思います。落ちている手袋は何故かいつも片方なのです。子供にとっては一大事です。小さい子には紐付きが安全かもしれません。が、私の経験では紐付きの手袋は何故かとても恥ずかしかったことを覚えています。

「命毛のすらりと伸びて筆始」  
 藤戸 紘子

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筆始(ふではじめ)は書初めと同じで新年の季語。新年に初めて書または絵を揮毫するために筆を取ることです。大体は正月二日にめでたい言葉を選んで書くことが多く、私も子供の頃は、姉妹と並んで毎年書き初めをしていたことを思い出しました。毛筆を使うことがない現代でも、小学校では書初めの展覧会をしているようです。南窓会の書道部では、子供会と合同で、子供たちに書初めを指導しています。作者はその指導者の一員。命毛(いのちげ)とは筆の穂先の中心にある一番長い毛で、最も大切な部分です。作者はその命毛がすらりと伸びているところに注目しました。何気ない情景のようですが、筆始めの季語と響き合って、今年もよい書が出来そうだという楽しい気分が伝わってきます(句評:皆川眞孝)

今月の一句(選と評:皆川眞孝)

「舞初や眉にほひたつ藤娘」
   小野 洋子

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今年の南窓会の新年会では、日舞の指導者・中川美保子先生が「藤娘」の踊りを披露してくださいました。「藤娘」は、歌舞伎の代表的な舞踊で、藤の絡んだ松の大木(男性の象徴)の前で藤の枝を手にした藤の精が意のままにならない男心を切々と嘆きつつ踊ります。中川先生の踊りは、女性らしさを出した優雅でしなやかな日本舞踊で、まさに藤の精というところでした。この句は、舞い初めとして「藤娘」を踊る女性の景を「眉にほひたつ」と表現しています。聞きなれない措辞ですが、私は、お化粧の眉墨の匂いが感じられるほど上品に熱心に踊っている様子と取りました。また、眉で女性の顔全体を代表させていると取ることもできます。指導を受けている作者の、中川先生へ感謝を込めた挨拶句とも考えられます。(皆川眞孝)


新年の季語の俳句

「最後尾の列の遥かや初詣」
    宮ア 和子

「持ち寄りの料理と妻の雑煮椀」
    皆川 眞孝

「これからの5年の余白初日記」
    皆川 眞孝

「褒め合ひて笑い転げて女正月」
    小野 洋子

「大き罅(ひび)へ木槌打ち込む鏡割」
    藤戸 紘子

「清らなる破魔矢の小鈴行き交へる」
    藤戸 紘子


<添削教室>(藤戸紘子)

原句「久々にまみえし友や初ご弥撒(みさ)」
  宮ア和子
初弥撒とは、カトリック教会で新年最初に行われるミサのことで、新年の季語です。作者は、今年最初の弥撒で、久しぶりに友人にあった喜びを句で表現しています。ただ、「初ご弥撒」という措辞はどうでしょうか?初弥撒では四音なので、それを五音にするため「ご」を入れたのでしょうが、あまり聞きなれない言い方です。むしろ初弥撒を上五に持ってきて「や」の切れ字を入れて五音とし、「まみえる」の措辞は友人には大袈裟なので単純に「会ふ」として、次のように添削してみました。どうでしょうか?
添削句「初弥撒や久々に会ふ幼友」
宮ア 和子 
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(令和元年十二月) [2019年12月25日(Wed)]
今月の俳句(令和元年十二月)


  今月の兼題は「冬至」です。冬至は二十四節気の一つで、今年は十二月二十二日です。傍題は「一陽来復」です。これらについては、次の藤戸さんの解説をお読みください。今月は、全部の俳句が兼題を入れています。今月の一句の選と評の担当は皆川瀧子さんです。

「鍋料理の蒟蒻(こんにゃく)煮えて今日冬至」
  宮ア 和子

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地域により冬至にいただく食材は南瓜、蒟蒻、餅、小豆粥と様々ですが、蒟蒻はお腹の掃除、南瓜は風を引かない(ビタミンが豊富)と昔の人の知恵でいただいたのでしょう。冬至から本格的な厳しい寒さとなりますから身体に良い物を食して来るべき厳しい季節への備えと覚悟をしたのかもしれません。現代は豊かな生活になりましたが味わい深い風習として引き継がれています。この句でも鍋物に入れられた蒟蒻、結んだ糸蒟蒻かもしれませんが、ぐつぐつと音たてて煮え立つ鍋から上がる湯気を囲んだ家族の楽し気な雰囲気が伝わってきます。

「薄日差し残り葉揺るる冬至かな」
  皆川 瀧子


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冬の日差しは室内からはいかにも暖かそうに見えますが、戸外に出てみると空気が冷たく感じられるものです。この句では薄日であり落葉となる寸前の残り葉が揺れているので風もあるようです。残り葉も数日後には落葉となる運命でしょう。冬至は昼の時間が最も短い日です。寒さはこれから厳しくなります。残り葉もすっかり落ちて木々は裸木(冬の季語)となり、荒涼とした冬の景色となります。先日センター周囲の落葉を皆さんと掃除をしましたが、落葉の中に沢山の小枝がありました。過日の台風で小枝が折れたのか、枯れた枝・傷ついた枝が落ちたのかはわかりませんが、木自体が本体を守る為に枝を落とし葉を落として冬眠に入ったことを実感いたしました。


「ほくほくと冬至南瓜の甘さかな」
  木原 義江


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冬至に南瓜(かぼちゃ)をいただく意は既に説明済みですので省きます。南瓜にはほくほくと焼芋や焼き栗の舌触りに似たものと、柔らかいジュ―シーなものに大別できるかと思います。この句の南瓜はどうやら前者のようですね。私の母はこの種の南瓜を栗南瓜と呼び好んでいましたが正しい呼称かどうかはわかりません。新鮮な南瓜を煮て余分な水分を飛ばした煮物の南瓜の甘いこと!まことに冬の家庭料理として絶品かと思います。寒さに向かう季節に熱々、ほくほくの南瓜をいただく気分は幸せそのものです。

「オペ後の窓の薄闇一陽来復」
  皆川 眞孝

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一陽来復(いちようらいふく)が冬の季語で冬至のことです。一陽来復が何故冬至のことかといいますと、そもそも一陽来復とは陰が極まって陽がかえってくるという意で、冬至を境に昼の時間が長くなっていくことからこの日から陽気が復すと考えられたようです。作者が手術を受けられ、麻酔から覚められた時の感慨をこの一句に詠まれました。麻酔から覚めた時病室の窓は薄闇に包まれていた(視力が完全に回復していなかったのかもしれない)。その日は丁度冬至の日であったとか。オペを受ける前の不安な気持ち。覚悟を決めて手術室に向かった気持ち。麻酔により何も感じないまま命を他人〈医師〉に預けた数時間、そして麻酔から覚めた一瞬(生きている!)、その感動が一陽来復に凝縮されています。陰から陽にという意から回復に向かう明るい期待と永く厳しい回復への道程に対峙する覚悟が窺われる一句となりました。一語一語が無駄なく響き合って感慨深い一句となりました。

「入相の里むらさきに冬至かな」
  小野 洋子

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入相(いりあい)とは日の入る頃、つまり夕暮れのことです。里に夕靄が立ち込めているのでしょう。夕日が屈折して、優しい薄紫に里一帯を染めている景が浮かびます。冬至というその日の薄紫の靄は寒さに向かう兆しかもしれません。ひっそりと静まる薄むらさきの里の景が一幅の画のように浮かび、いつかどこかで見た景に出合ったような懐かしい深い思いが沸き上がりました。

「療養の友に薄めの冬至粥」
     藤戸 紘子

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冬至には小豆の入ったお粥を食べるという風習があります。これは、小豆の赤が、邪気を払うからだとも言われています。これから日が長くなり、元気になって欲しいという縁起ものです。病気見舞いのために友人を訪問された作者が、ご自分で作ったお粥を病人に食べてもらっている景ですが、病人のために薄めの味にする気配りがあり、暖かい気持ちが伝わってくる俳句です。

冬至の他の句
「玻璃(はり)戸より日のやはらかき冬至かな」
  小野 洋子

「倫敦(ろんどん)の二時の夕闇冬至の日」
  皆川 眞孝

今月の一句(選と評: 皆川瀧子)

「日の満つる出窓や猫とポインセチア」
   藤戸紘子

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冬の日差しがたぷりと入る暖かい日の昼下がり、猫が堂々と気持ちよさそうに昼寝しています。その隣にはクリスマス用の装飾花として人気のある鮮紅色のポインセチアが置いてあります。こんな穏やかな情景が目に浮かびます。ポインセチアの赤い花(実は花ではなくて、茎先の苞葉)と鮮やかな緑の葉、その隣に眠る白い猫、上品な日本画を見ているような気分になります。なお、下五の「ポインセチア」は字余りですが、季語(冬)なので許されるとのことです。

<添削教室>(藤戸紘子)

原句「冬至湯の香りほんのり洗い髪」  宮ア和子

冬至には柚子をいれたお風呂に入る風習があります。湯上りの洗い髪に、香がほんのりと移っているという、女性らしいこまやかさが出たきれいな俳句ですが、大きな欠点があります。それは、「冬至湯」が冬の季語で、「洗い髪」が夏の季語なので、季重なりになっていることです。季節に関係なく髪を洗うのですが、歳時記では「髪洗う」「洗い髪」を夏の季語としています。この措辞を避けて、髪を洗ったた後の「髪を梳く」とすれば、良い句となります。
添削句
冬至湯の香ほんのり髪を梳く」
宮ア和子


Posted by 皆川眞孝 at 08:00
今月の俳句(令和元年十一月) [2019年11月20日(Wed)]
今月の俳句(令和元年十一月)

今月の兼題は「冬隣」「冬近し」。まだ冬に入っていないので、秋の季語です。立冬を過ぎましたが、まだ爽やかな秋晴れもある今の季節にはぴったりです。句評はいつも通り藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は宮ア和子さんです。

「うず高く山家の薪(たきぎ)冬隣」 
  宮ア 和子

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薪ですぐに二宮金次郎を思い浮かべました。若い方は薪自体をご存じないかもしれません。電気やガスの設備が無い時代には薪(焚木の意)は竈での煮炊きや風呂を沸かすなど生活に欠かせないアイテムでした。今の時代でも山家(山中や山里にある家)では薪の生活が営まれているのでしょう。本格的な冬に備えて一冬分の薪を集めることは重労働でしょう。日毎に嵩高くなる薪に住民の冬備えの緊張が感じられます。

「霧の中浮かぶ備中松山城」
  木原 義江

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この句で咄嗟に浮かんだのが兵庫県の竹田城でした。天空の城は竹田城だけではなかったのですね。備中とは吉備の国の一部です。吉備国とは古代山陽道にあった国で、天武・持統天皇の頃、備前・備中・備後に分れました。現在の岡山県と広島県東部にあたるそうです。愛媛県松山市にも松山城がありますが岡山県にも松山城があるのですね。日本は山国ですから当然あちこちに山城が建てられたのでしょう。霧(秋の季語)の中に浮かぶ山城は真に宙に浮いているように見えることでしょう。幻想的な水墨の世界が想像されます。

「この土地に住みて五十年(いそとし)木守柿」
  皆川 眞孝

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この土地とは言わずと知れた三井台。半世紀も住み続けられたとは驚きました。ということは住み始められたのは30歳頃ということになります。まさに男盛りの頃で坂の町を闊歩されていたことでしょう。外地勤務やお子さんの成長過程、ご結婚等々ご家庭の歴史の詰まったこの町への思い入れが木守柿(きもりがき)の季語の斡旋により深く読む者に伝わってきます。ちなみに木守柿(冬の季語)とは収穫のあとに1つだけ(もしくは複数)木に残しておく実のことで、翌年の実生りへの祈りからとも小鳥のために残しておくともいわれています。自然との共生を大事にした先人達の暖かい心が感じられる季語だと思います。

「冬日浴び惰眠貪る獅子の群」
  小野 洋子

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獅子とはライオンのこと。動物園のライオンの景。野生のライオンは百獣の王と言われるに相応しい風格がありますが、動物園のライオンは戦うことも自ら食を得る為に他の動物を襲う必要がない為に真にだらしない寝姿で、言を変えれば安心しきって眠っています。その姿を初めて見た時は精悍なライオンを期待していただけにがっくりしました。考えてみればライオンといえど動物園で生まれ餌を与えられて育ったのですから野生を期待する方が無理な注文かもしれません。可愛らしくライオンが冬日を浴びて眠りこけていることは平和の証であると思いましょう。

「花型の和紙で繕ひ白障子」
  皆川 瀧子

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障子が冬の季語。障子洗ふ、障子貼る、障子襖を入れる(秋の季語)と障子に関する季語はこの他にも沢山あります。日本家屋に欠かせない障子・襖は取り付けたり、外したりと季節によって温度・湿度・風の調整に重要な役目を果たしてきました。しかし所詮木枠に紙を貼っただけの間仕切りに過ぎない障子は子供の手や風によっても容易く破られてしまいます。その手当をするのは女性の手に委ねられていました。女性達は単に破れに紙を貼り足すだけでは見栄えが悪いので様々に工夫をしました。この句はまさにその景。綺麗に花型に和紙を切り破れた部分を補正したのです。つつましく丁寧に生活されている姿勢が窺えて、祖母や母のことまで思い出しました。暖かく懐かしい気持ちになった一句。

「秋澄むや香の芳しき鉋屑」 
      藤戸 紘子

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鉋屑(かんなくず)は、どうしてあんな良い香りがするのでしょうか?製材所で出る「おが屑」と違い、大工さんが鉋を掛けてでる鉋屑からは、本当に良い香がします。特にヒノキでは、精油として使われるヒノキチオールが含まれていて、疲労回復。消臭効果、に良いといわれています。今では、通販で鉋屑を買うこともできます。その香は爽やかで、「秋澄む」という季語にぴったりです。また、作者は、「香(か)の芳(かんば)しき屑(かんなくず))と「か」の音を畳みかけて使っています。これは、日本語では難しい頭韻の技法ですが、ここではとてもリズミカルで、丁度鉋を使っている音が聞こえるようです。(句評:皆川眞孝)

「冬隣」の他の句

「鳥どちの餌(えさ)の完食冬近し」
 皆川眞孝
「牧牛(まきうし)の背な黒々と冬隣」
  小野洋子
「裏木戸の微かなる音冬隣」
  藤戸 紘子

今月の一句(選と評:宮ア和子)

「罅(ひび)深き廃寺の礎石草紅葉」

 藤戸 紘子 

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 一読してふと武蔵国分寺跡が浮かびました。上五句「罅深き」が歴史を思い、草紅葉で秋の静寂を感じて 選ばせていただきました。後で国分寺へいらしたと聞き一層草紅葉の景がはっきりと見えました。往時の武蔵国分寺は全国の国分寺中一番広大だったそうで、周辺には尼寺も存在していたと聞いたことを思い出しました。それで尼寺の跡かしらと思いが広がりました。十七文字の世界最短の詩さらりと詠まれた私の好きな一句となりました。(句評:宮ア和子)
 
《添削教室》(藤戸紘子)

原句「石蕗(つわ)咲いて子のいぬ島の海の紺」小野洋子
作者が沖縄の鳩間嶋に行った時の句。過疎の島で、子供が住んでいないので、小学生を離島留学生として寮に受け入れているそうです。この俳句では切れがないので、「島や」と切れ字をいれ、「海の紺」を「海の蒼」とした方が、引き締まります。
添削句
「石蕗咲いて子のいぬ島や海の蒼」
小野 洋子

Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(令和元年十月) [2019年10月23日(Wed)]
今月の俳句(令和元年十月)


 今月は、季語の代わりに、「木」という字を俳句に読み込むという課題でした。
なかなか難しくて、今月の俳句では、2句だけが選ばれました。
句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は、渡辺功さんが担当しました。

「木犀の香に歩の緩む家路かな」
  宮ア 和子

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木犀(もくせい)が秋の季語で金木犀(黄色)銀木犀(白)薄黄木犀(橙黄)があります。香りが高く花の姿を見るより早くまずその香りで開花を知ることになります。作者が足早に帰宅の途についていた折どこからか木犀の香りが漂ってきた瞬間を切り取られました。「あっ」と思わず足を止め、花のある場所を捜されたかも知れません。漂う芳香に秋の深まりをも同時に感じられた一瞬だったことでしょう。

「枕木の残る廃線草紅葉」
  渡辺 功

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若い人に枕木という語が通じるでしょうか。現在は木ではなくコンクリートで出来ていますが、昔は軌道の道床の上に配置してレール間隔を一定に保たせ、またレールの受ける車両荷重を道床の上に分散させる為の重要な役割を果たしていました。この句の景は既に廃線となりレールは取り外され、枕木だけが放置されているのでしょう。枕木の間には雑草が繁茂しています。その草々も色づく季節(草紅葉といい秋の季語)となったという景。草紅葉の美しさが一層廃線のもの寂しい感じを強調しています。

「朝ぼらけきらりと光る鰯雲」
  皆川 瀧子

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鰯雲が秋の季語。鰯雲とは巻積雲のことで小石を並べたような小さい雲片が集まり小波のような形をした薄くて白い雲のことです。雲片はかなり規則的な配列をしていて鰯が群れているように見えるのでこの名がつけられました。この句では朝がほんのりと明けてくる頃、空は一面鰯雲が広がっています。太陽が次第に地平線に近づいていることが雲の端がきらりと光り始めたことで判ります。清々しい朝の一瞬をさらりと表現されました。

「近寄れば声をひそめて秋日傘」
  小野 洋子

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これはこれは意味深長な句ですね。読みようによっては不穏な雰囲気とも受け取れます。素直な読み方ならたまたま道で知り合いと会い、「ねえねえ」と近寄ってきた知人が秋日傘を傾けながら小声で話しかけたという景。人には聞かれたくない話かもしれないし、ゴシップかもしれない。皮肉な読み方なら道端で日傘の影で二人が立ち話をしているところにもう一人が通りかかった。すると日傘の二人が急に声をひそめたという景。こちらは明らかに通りかかった人に関する話をしていたと解釈できます。日常ではよくある景ですが読者の皆様はどちらの景を想像されるでしょうか。

「身に入むや飯盛山の墓の列」
  皆川 眞孝

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作者が会津若松の飯盛山を訪れた時の句。ご存じの通り飯盛山は戊辰戦争の折、会津藩の子弟で編成された白虎隊が自刃して果てた悲劇の山。その名のとおり椀にご飯を山盛りにしたような形の山ともいえない小さな丘のような場所です。この場所で10代の少年隊が刺し違えて命をたち、たまたま死にきれなかった一人がこの悲劇を語り継いだそうです。身に入む(みにしむ)が秋の季語。秋の気配の濃さ、秋冷などを身にしみとおるようにまで感じることで、背景にもののあわれがあります。この季語の斡旋により時代の流れの中で若い命を無惨に散らした若者達を悼む作者の心情が切なく伝わってきます。

「高千穂の切り立つ岩や霧の底」
  木原 義江

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高千穂とは宮ア県北部西臼杵郡にある地名で、記紀によりますと瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて高天原(たかあまがはら)から日向国の高千穂に天下ったという天孫降臨の神話で有名な場所です。この神話を信じたくなるほどその景観は自然の凄さを見せています。大昔阿蘇山の大爆発により流れ出た火砕流が長い年月をかけて浸食され柱状節理(ちゅうじょうせつり)という柱状の渓谷を形成しました。その巨岩群の渓には深い霧が立ち込め、下方は霧の底になって眺めることができないという大きな景が浮かびます。

「金色の穂波ささらぐ雁渡し」 
  藤戸 紘子

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「雁渡し」とは、雁が渡るころ吹く北風のことで、秋の季語です。青北風(あおぎた)とも言います。一面の金色の稲穂が、風を受けてさらさらと音を立てて揺れている景です。瑞穂の国に住む私達日本人にとっては、原風景とも言えます。秋にはどこでも見ることができる風景を、さすが藤戸さん、雁渡しという独特の季語と、「ささらぐ」という古めかしい措辞で、格調の高い俳句に仕上げています。(句評:皆川眞孝)

課題の「木」を読み込んだ他の句

「木槿(むくげ)咲くしばらくぶりの顔見知り」 
    皆川 眞孝

「実のひとつ付けぬ古木や秋深し」
   皆川 瀧子

「うち揺らぐ雑木の影や野分だつ」
  藤戸 紘子


今月の一句(選と評:渡辺 功)

「一葉の小さき紅入れ秋さびし」 
    藤戸 紘子

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貧困の中二十五歳の若さで死去、数少ない遺品の小さな口紅入れは樋口一葉の儚(はかな)くも淋しい一生が象徴されています。
歳時記によれば十一月二十二日は一葉忌。「たけくらべ」「にごりえ」を真面(まとも)に読んだことはありませんが、何故か一葉にまつわる作品には惹かれます。
今の内幸町に生まれ、長じて下谷竜泉寺町で荒物屋を開き、さらに本郷丸山福山町に転居、そしてお墓は杉並区の和田掘廟所と何となくお馴染みの地名が出てくることが親近感を生じたのでしょうか。
現代の女流作家の瀬戸内寂聴、佐藤愛子は一葉の四倍近い高齢の現役です。一葉の短い生涯が沁沁(しみじみ)と偲ばれる一句です。(句評:渡辺功)

<添削教室>(藤戸 紘子)
原句
「台風の爪痕無惨濁水」
  皆川 瀧子

台風19号は甚大な被害を各地にもたらしました。確かに無惨な気持ちがしますが、感情をストレートに言葉に書かずに、その気持ちを読み手が感じるように表現するのが俳句です。
ご本人の推敲は次のようです。
「台風の爪痕あまた濁り水」
   皆川 瀧子

これで具体的になりましたが、発想をとばして次のように変更することも可能です。
「台風禍垂木に著き(しるき)水の痕」
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(令和1年9月) [2019年09月25日(Wed)]
今月の俳句(令和元年九月)


兼題はコスモス(秋の季語)です。単純な花だけに、かえって俳句を作るのは難しいようです。

秋桜古き駅舎の掛時計」
  小野 洋子

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秋桜はコスモスの和名。メキシコ原産で日本へは明治時代に渡来、その楚々として可憐な風情が日本人の好みによく合い、全国的に普及したそうです。
この句の駅舎は木造でしょうか。鈍行しか停車しない小さな駅。駅舎内の掛時計も年代物かもしれません。利用するのは近隣の住人が主で大事な交通機関、駅舎も周囲も綺麗に掃除が行き届き、古時計は永々と時を刻み、駅舎の周りはコスモスが細い茎の先に色とりどりの花をつけ風に揺れています。そこには人々の生活が確かに営まれてきたことを詩情豊かに詠み込まれました。日本の原風景が蘇ります。


「地震(ない)痕の残る石積み秋湿」
  皆川 眞孝

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秋はからっとした季節と思われがちですが、実際は秋の長雨と言われるとおり雨が降り続いて空気が湿っぽく感じられることがあります。蒸し暑い夏の湿っぽさとはまた違った冷え冷えとした秋の湿っぽさもやりきれないものがあります。この句は古代の奥羽三関一つである福島の白河の関近くの小峰城の景を詠まれたものです。東日本大震災で崩れた石垣は修復はされていたそうですが古い石積みと新しい石積みの違いが生々しくて衝撃を受けられたそうです。熊本城の崩れた石積みはどうなっているのでしょうか。真に地震の威力は恐るべきもので、今でも地震の後遺症に苦しんでいる被災者も多いと聞いています。

だんまりの防犯カメラ月明り」
  渡辺 功

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最近は街中だけでなく住宅街にもよく見かけるようになった防犯カメラ、監視社会とか管理社会とかプライバシーの侵害云々と喧しく反対意見が喧伝された一時期もありました。防犯の効果は定かではありませんが、犯罪や事故が起こった際には犯罪者の特定や事故の発生経緯の検証に大いに貢献しているようです。この句を目にした時、咄嗟にキリコの画を思い浮かべました。眼目は「だんまり」と「月明り」、一見無関係な2物の措辞により独特のシュールな雰囲気が立ち込めました。耿々と冷たい月光に照らされた町の一角、音もなく刻々と情景を機械的に記録し続けるカメラの目、この組み合わせの妙により静寂の中の不気味さでもある夜の顔が覗いています。
作者の特異で繊細な感性が生んだ現代的な俳句だと思います。

「酷暑日や渡る人なき青信号」
  宮ア 和子

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今年も暑さは異常でした。太陽光が白く感じられるほどの真昼の暑さに外出を控える人が多かったのでしょう。人影もまばらで何だか深閑とした町の雰囲気が漂っています。四つ角の信号だけが規則的に点滅を繰り返しています。信号が青になっても横断歩道を渡る人影もありません。酷暑と信号という意外な取り合わせにより酷暑の本意を見事に表現されました。

「虫の音や会話控えて夕餉時」
  皆川 瀧子

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いつもは会話の弾むおしどり夫婦の皆川家の夕餉時なのでしょうが、この句を詠まれた夕べは一際虫の音が美しく冴えていたのでしょう。どちらからともなく口数が少なくなり、虫の音に聞き入りながら静かな夕餉となった景が浮かびます。会話の弾む夕餉も楽しいものですが、虫の音に聞き入りながらの静かな夕餉も優雅で趣深く一味違った乙なひとときであっただろうと思います。

「新涼や傑作見出す彫刻展」
  湯澤 誠章

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新涼が秋の季語。立秋を過ぎて夏とは違うしみじみとした涼しさを感じることをいいます。夏の季語の「涼し」は炎暑や蒸し暑さの中で感じるかりそめの「涼し」ですが、新涼は秋になっての本物の涼しさです。
この句から二通りの感じ方があるのでは、と思います。まず彫刻展なら戸外での展示かもしれません。
涼しくなって戸外の展示を見て回ることができ傑作に出合った!という解釈。この場合は涼しくなったから戸外の彫刻をじっくり見て回ることができて傑作に出合った、と少し理屈っぽい解釈となります。
もう一つは戸外か室内かは関係なく彫刻そのものに涼感を感じた、という解釈も可能かと思います。この場合その彫刻は具象か抽象か、材質は金属、石、木か、鋳造か彫刻か、などなど読み手の想像を掻き立てます。
皆さんはどんな解釈をされるでしょうか。

「月光や風鐸の影際やかに」
   藤戸 紘子

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秋の夜の五重塔、風鐸が月光(秋の季語)に照らされている景を詠っています。風鐸とは、仏堂や五重塔の軒に吊り下げられている青銅製の鐘型の風鈴のことです。よくお寺では見かけますが、風鐸と呼ばれているとは知りませんでした。
作者が高幡不動尊にいらした時の句と伺いました。昼間は賑わっている寺院が、夜は人気もなく、月光に照らされている風鐸の影だけが際立って見え、静けさだけが伝わってきます。この季節に相応しい美しい句です。(評;皆川眞孝)

コスモスの句

「青空やコスモス揺るる丘の上」
   皆川 瀧子
「コスモスやあるかなきかの風の舞ふ」
 渡辺 功
「コスモスや幼の細きお下げ髪」
 藤戸 紘子
「コスモスやお下げ揺らして一輪車」
 小野 洋子
「古民家の長屋門前秋桜」
  宮ア 和子
「コスモスや空き地の増えて別荘地」 
 皆川 眞孝


今月の一句(選と評:小野洋子)

「甌穴を渦巻き走り秋の水」
   藤戸 紘子

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この句は作者が昇仙峡で作られたとのこと。甌穴(おうけつ)とは、急流の河底の岩石面上にできる円形の穴で、ポットホール、またはかめ石とも言います。
断崖や奇岩が独特の渓谷美を作り出している昇仙峡、川の流れは速く甌穴の中の礫が水流に回転し渦巻いています。甌穴が大きく育つ悠久の時の流れに、秋の水という冷ややかに澄み切った季語がよく響き合って、スケールの大きな秀句となりました。(小野洋子)

<添削教室>藤戸紘子
原句:「風死せり救急車の音遠ざかる」皆川 眞孝
「風死す」という季語は「土用凪」と同じで、盛夏に風が止み息苦しく耐えがたい現象を意味します。救急車の音に誰かが熱中症で運ばれたのだろうかという不安な気持ちを、風死せりの季語であらわされています。ただこの句は三段切れ(上五・中七・下五の言葉がぽつぽつと切れている)に近ので、語順を変えるだけで、三段切れを避けることができます。
添削句
「遠ざかる救急車の音風死せり」
    皆川 眞孝
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
日老連俳句大会2019 [2019年08月21日(Wed)]
日老連俳句大会2019

8月の俳句サークル句会はお休みです。そこで、先日行われた、日老連俳句大会の様子をお知らせします。毎年実施される俳句大会ですが、今年は南窓会サークルからは特選3名、入選2名の好成績でした。煉瓦ホール(小ホール)で7月30日に表彰式が行われました。今年の選者は、昨年と変わり、辻梓渕先生です。辻氏は、俳人協会会員で俳句雑誌「燎」の編集長、そして俳号「梓渕(しえん)」は今でも愛煙家なので「紫煙」にかけたそうです。
特選に選ばれた人は舞台に上がります。
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当日は、入選句の発表に続いて、選者からそれぞれの句に講評を頂きました。記憶違いがあるかも知れませんが、大体次の通りでした。(皆川)

<特選>
「棟梁の小鉤(こはぜ)外して三尺寝」
  宮ア和子

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これは、特選の中でも一番の句に選びたい句です。狭い場所で昼寝する「三尺寝」という夏の季語と、地下足袋の小鉤(こはぜ)を外して寝そべる大工の棟梁の姿が、良く響き合っていて、昭和の懐かしい良き時代を思い起こさせてくれます。棟梁、小鉤、三尺寝の言葉の選び方が素晴らしい。

「パソコンの遅き起動や目借時」
   皆川眞孝

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  パソコンがなかなか起動しなくてイライラするのは、パソコンをする誰でもが経験することです。「目借時」は、蛙の目借時の事で、蛙に目を借りられてしまったように、うつらうつらと眠たい時期を意味する春の季語です。パソコンという現代的なものと目借時という古い季語との取り合わせが面白く俳諧味のある句です。

「踏青やカウベルの音鳴り渡る」
  皆川瀧子

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  踏青は春の野山に青草を踏んで遊ぶことを意味する春の季語です。牛の首に付けた大きなカウベルの響き渡る音で、雄大で広々とした明るい春の野原の景が眼前に浮かんできます。踏青という季語の選び方がよいと思います。

<入選>
「語り部の窪める眼冬かもめ」
  小野洋子
 
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 窪める眼の措辞で、語り部が相当な年老いた人だとわかります。戦争経験を語っているのでしょうか。眼の向こうに見える冬かもめの季語が、何かつらい経験を暗示しています。

「鳥帰る近くて遠き子の所帯」
  渡辺功
 
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 鳥帰るは、越冬した渡り鳥が春になって北に帰っていくことを意味する春の季語です。鳥は繁殖地に戻っていくのに、近くに住む子供たちは親の元になかなか帰ってこないという核家族の親の嘆きが、鳥帰るの季語でよく表現されています。
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(令和元年七月) [2019年07月23日(Tue)]
今月の俳句(令和元年七月)

 兼題は「日傘」「砂日傘」です。今年は七月下旬になってもぐずついた天気が続き、日傘の必要な太陽を毎日待っています。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の担当は皆川眞孝です。

「待ち合わせ高く日傘をかかげをり」
  木原 義江

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日傘が夏の季語。戸外での待ち合わせでしょうか。先に着いた方が日傘を高く掲げて自分の存在をアピールしている景。こんな景は日常よく見かけます。待ち合わせスポットとなると待ち合わせする人も大勢でなかなか相手の人を捜すのも難儀なもの。そこで日傘を高く掲げて自分の存在を相手に知らせる、または待っている人の姿をいち早く見つけて思わず手の日傘を「ここよ、ここよ」と掲げた瞬間でしょうか。日常よく見かける景を素直に写生されました。

「乞はるるまま日傘のモデルポーズ変へ」
  宮ア 和子

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モデルの措辞により写真の撮影会であることが解ります。モデルを取り巻くカメラを構えた集団を庭園や景勝地で見掛けることがよくあります。カメラを構える集団は概ね男性が多いようです。モデルは大体若い女性。この句もどうやら定番の撮影風景のようです。日傘をさしていることから夏の戸外での撮影のようです。カメラ陣から様々のポーズの要求が出されます。モデルは暑さの中、その要望に笑顔で応えているのでしょうが、その笑顔も仕事だからと作り笑顔かもしれません。撮影に夢中のカメラマン達と冷めた笑顔のモデルの対照を鋭く切り取られました。

「冷蔵庫昨夜(よべ)のカレーと眼薬と」
  皆川 眞孝

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冷蔵庫が夏の季語。冷蔵庫は今では四季を通して生活の必需品ですから夏の季語ということに疑問を感じる方も多いのではないかと思います。しかし、夏は食物が傷みやすく冷蔵保存の必要性は高まりますし、飲み物を冷やしたりアイスクリームを作ったりと使う頻度や必要性は高まりますので比較的新しく季語となりました。
この句の眼目はカレーと眼薬の取り合わせの妙。妙とはいえ案外目薬を冷蔵庫で保管している人は多いのではないでしょうか。かく言う私もその一人。特に夏場は冷たい目薬は涼感を感じるもの。何でもない日常を切り取り一句として仕上げた感性はさすがです。俳諧味たっぷりでもあります。

「連山へ靄(もや)立ち込める四葩径」
  皆川 瀧子

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四葩(よひら)とはあぢさゐのことで夏の季語。かたしろぐさ、七変化、刺繍花ともいいます。あぢさゐはご存じのように陰湿な地や気候を好みますから、梅雨入りの頃から咲き始め梅雨明けとともに花期が終わります。この句でも靄がたちこめ遠く連山が煙り、作者が歩いている小径の両側にはあぢさゐが今を盛りと咲き乱れています。あぢさゐの湿りを含んだ毬は小径を塞ぐほどの勢いであり、生を謳歌しているかのようです。煙る静の連山、生命力旺盛な動の紫陽花、遠景の山と近景のあぢさいの組み合わせが鮮やかで、絵画を見るような景が浮かびます。

「寝て覚めて雨に倦(う)む日や心太」
 渡辺 功

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心太(ところてん)が夏の季語で暑い季節に涼を得られる食べ物として江戸時代から庶民に好まれていました。つるっとした食感と喉越しの良さでさっぱりしていて、暑い夏に最適の日本古来のファストフードです。俳句は瞬間を切り取って詠む文芸と言われますが、「寝て覚めて」の措辞により時の経過を圧縮されて表現されたのは作者の見事な力業といえます。今年の東京の梅雨は明けても暮れても雨や曇天で心まで湿っています。あの薄墨色の空と心太の半透明の色が響き合い、また、雨につくづく厭きた心に心太の舌触りと喉越しで少し気持ちが清々しくなったという作者の感慨が窺われます。

「背の割れて翅(はね)青白く蟬生るる」
  小野 洋子

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蟬が夏の季語。ただし蜩は秋の季語。「生るる」は「あるる」と読み、生まれることです。蟬が背を割りこの世に生まれ出る瞬間を見ようと一時間ほど待った経験がありますが、残念ながら見ることは叶いませんでした。蟬の抜け殻を「空蝉」といいますが、空蝉は淡い飴色で、生まれたての蟬も飴色と何となく思っていました。
作者によると生まれたての蟬の翅は透明で青白いそうです。背をぱっくり割って自力でこの世に飛び出す小さな命の誕生の感動的瞬間を丁寧に表現されました。

「潮鳴りや鱗輝く瀬戸の黒鯛(ちぬ)
  湯澤 誠章

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作者の奥方は四国のご出身とか。里帰りされた時のお句でしょうか。黒鯛が夏の季語。体色が浅黒いため、真鯛の赤に対し黒鯛と呼ばれます。磯釣りの醍醐味は黒鯛に尽きると釣り人から聞いたことがあります。古くは大阪湾を茅渟(ちぬ)と呼んだところから関西や瀬戸内では黒鯛のことを「ちぬ」と呼びます。瀬戸内で冬を過ごした黒鯛はとびきりの美味。遠くから響き渡ってくる潮の音を聞きながら黒鯛を釣り上げた時の感動が伝わってきます。

「黒き脚によきによき生えて砂日傘」
  藤戸 紘子

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砂日傘とは海岸で使うビーチパラソルのことで、夏の季語です。海辺に並ぶビーチパラソルと、そのパラソルの中に男や女が寝そべっている景を詠ったものです。それを「黒き脚が生えている」と表現していて、一瞬どきっとさせられますが、日に焼けた脚だとすぐわかります。にょきにょきというユーモアのある擬態語により、脚の持ち主が若者だと暗示しています。意外性があり、若さいっぱいの夏らしい俳句です。(句評:皆川眞孝)

今月の一句(選と評 皆川眞孝)
「枝払ふ女庭師の紅の濃し」
   藤戸紘子

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最近は女性の庭師が多くなっているそうです。この俳句は、庭師という肉体労働をしていながら、しっかりお化粧をしている女性を詠っています。紅の濃い所に注目するとは、さすが女性の作者です。汗まみれの仕事と化粧の対比に俳諧味を感じ今月の俳句に取らせていただきました。お化粧をマナーとして肯定的に捉えるか、外での肉体労働には化粧は不要と捉えるかは、読み手次第です。「(木の)枝払ふ」が夏の季語です。
よく行くスーパーのレジ係りにも、厚化粧の若い女性がいます。スーパーですから、つけ睫毛の化粧をわざわざしなくてもよいと思いますが、これが女心なのでしょうか?(句評:皆川眞孝)

他の「日傘」の句

「おふくろの小さき背中 古日傘」
    渡辺 功

「お辞儀され見送る日傘あれは誰」
「絵日傘や見知らぬ人にお辞儀され」(添削後)
    皆川 眞孝


添削教室

原句 「嵐去り浜辺に一つパラソルが」
  皆川瀧子
情景は良く分かりますが、このままでは散文のようで、単純な説明で終わっています。同じ情景ですが、順序と言葉をすこし変えるだけで、俳句がしまってきます。(藤戸紘子)
添削後
 「パラソルのひとつ転がり嵐あと」
   皆川瀧子
Posted by 皆川眞孝 at 09:13
今月の俳句(令和元年六月) [2019年06月25日(Tue)]
今月の俳句(令和元年六月)

今月の兼題は「新茶」です。新茶から何を連想しますか?句会では皆さんそれぞれ労作を発表しました。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は皆川瀧子さんです。

「軒先に新茶入荷の幟旗」  
木原 義江

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茶摘(春の季語)は八十八夜を挟んで2,3週間が最盛期。それから製造した今年のいわゆる新茶が出回るのが初夏で、新茶は夏の季語、走り茶ともいいます。
この句の景は日常よく見かける景ですね。外国のことは寡聞にして存じませんが、日本人の新茶を待つ心は特別のものがあるように感じます。それだけ我々の生活に馴染んでいるのでしょう。新茶の良い香りは独特で、身も心も清々しくなりますね。店先にはためく新茶入荷の幟に出合った時の作者のときめく心が伝わってきます。

「挙式への招待状や新茶淹れ」
  宮ア 和子

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私共の年齢になりますと祝儀への招待状よりは不祝儀の機会が多くなるのが一般的ですが作者へは挙式つまり結婚式への招待ということで、作者も大変華やいだ気持ちになられたのでしょう。新茶の甘やかな香りに包まれて、しみじみと招待状を広げ、新郎新婦の話に華が咲いたことでしょう。新家庭の誕生の喜びとまろやかな香りの新茶がよく響きあっています。

「新茶の香いつもの菓子と古女房」
  皆川 眞孝

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作者ご夫妻はご結婚50年以上になられるそうで、その仲の良さは衆人の知るところです。古女房という語から皆さんはどんな印象を持たれるでしょうか。私はとても奥ゆかしい愛情を感じます。古女房は伴侶の長所・短所を熟知し、物事が順調に運ぶお膳立てを目立たぬように設えます。古旦那の方は女房にまかせていれば何事もうまく行くと承知していながら、さも自分が采配を振るっているかのように振舞い、古女房は後ろでにこにこと見守っている、そんな夫婦の有り様を想像しました。いつもの菓子から平穏な日常が感じられますし、新茶の新、古女房の古の対照も心憎い技を感じます。何だか品の良いお惚気をさりげなくされた気がしないでもない一句。

「濃紫の鉄線花(てっせん)絡むフェンスかな」
  皆川 瀧子

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鉄線花はキンポウゲ科の蔓性植物で夏の季語。蔓が針金のように細くて強いところがこの名の由来です。中国の原産。垣根に咲かせたり、鉢植えにしたりと人気のある花です。
この句では濃い紫の花を詠まれましたが、最近では園芸種が沢山あり色も薄紅色や白い線が花弁の中央にあるもの、暈しのあるものなど色も様々です。珍しいもので四弁の白い線の入った種もあるそうです。鉄線花は何といってもピンと張った花弁と針金のような蔓が特徴で凛とした上品な風情が人を惹き付けるのかもしれません。素直に写生をされた一句。

「読みさしの本の湿りや桜桃忌」
  渡辺 功

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桜桃忌(おうとうき)とは太宰忌(6月19日)のことで、彼の代表作の一つ「桜桃」の題名から太宰忌を桜桃忌とも呼んでいます。広辞苑によると桜桃とは「さくらんぼ」「ゆすらうめ」の二つが載っています。太宰治は大作家ですが、ご存じのように私人としては問題の多い生き方、死に方をした人物です。遠くから眺める分には大変興味深い人物ですが、身近にまたは家族にそんな人物がいたらきっと酷い迷惑を受けることになりそうです。その破滅的な生き方が何故か若者の心を捉えるようで、太宰忌には太宰の墓がある三鷹の禅林寺に全国から大勢の若者が集まります。句の読みさしから人生を全うすることなく逝った太宰と梅雨時の湿りが絶妙に響き合い余韻ある一句となりました。

「川底の岩に食み(はみ)跡鮎来る」
  湯澤 誠章

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鮎(夏の季語)は淡水魚。姿が美しく香気をもち、味が良いので古くから食用として珍重されています。体色はオリーブ色でやや黄味を帯び、体側は薄い銀色。鱗はきわめて小さい。秋に川を下り、中流域の砂利底に産卵。孵化した稚魚は海へ下り、翌年川を遡ります。海ではプランクトンを餌としますが、川では食性が変わり珪藻などの微小な水苔類を食べます。この句は岩に生えた水苔を鮎が食べた痕跡を作者は発見し、驚きと鮎が帰って来たという喜びを表現されました。
底まで見える澄み切った川面が夏の日差しに煌めいている景まで浮かびます。

「放水の片虹かかる黒部ダム」
  小野 洋子

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虹が夏の季語。富山県東部黒部川扇状地のダムが黒部ダム。堰堤(えんてい)の高さ186メートル、左右のウイング492メートル、日本一の規模のダムですが世界でも屈指の雄姿です。このダムでは観光客へのサービスとして観光放水を行っています。流れ出る水量は毎秒10t以上だそうで、私も実際に見たことがありますが真に圧巻の放水でした。その放水により美しい虹が峡谷にかかります。ダムの壁から大量に吹き出す水から渓谷に向けて全円の四分の一の形(片虹)の虹が大きくかかります。放水の轟音と薄く美しい虹そして周囲の山の緑、自然の美しさと人間の造り上げた巨大な構築物それらが一体となって胸に迫ってきたあの感動が甦った一句。俳句では固有名詞の使用は注意が必要ですがこの句は黒部ダムという固有名詞がよく効いています。

「とりとめなき話に笑ひ新茶汲む」 
 藤戸 紘子

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日本人は新しく収穫した食べ物が好きです。新米、新酒、新じゃが等、特に新茶は味と香りが良いので、心が浮きたちます。この句は、新茶を飲みながら友人たちと楽しく話をしている場面でしょう。取り留めのない話とは、まとまりのない話、他愛のない話のことで、要するに雑談、ゴシップのことです。男性から見ると、よく女性は話が尽きないと思うのですが、これがストレス解消になっているのでしょう。新茶の明るい雰囲気がよく出ている、楽しい俳句です。(評:皆川眞孝)

新茶の他の句

「しばらくは話途切るる新茶かな」
  渡辺 功

「友よりの一筆箋と新茶かな」
  宮ア 和子


今月の一句(選と評:皆川瀧子)

「新茶売るあかね襷や山の駅」
   皆川 眞孝

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緑に囲まれたローカル線の小さな駅で下車した作者は売店から、新茶の良い香りが漂っているのに誘われて、歩を進めると、紺絣に茜色の襷をした若い娘さんが、新茶を売っています。たぶん試飲も勧められたのでしょう。満足げの作者の顔が浮かびます。新茶の黄緑色と茜色の襷との対比も綺麗で、佳句だと思います。
(評:皆川瀧子)

<添削教室>
 原句「湛水の間近きダム地山茂る」  宮ア 和子

 先日南窓会バス旅行で、八ッ場ダムに行った時の句。ダム工事はほとんど終わり、湛水(たんすい)がじきに始まり、来年3月には完成予定です。このダムの様子を描写した俳句ですが、「ダム地」の地は余分ですので、「ダムや」と切れ字にした方が強調されます。また山茂るの季語よりも「山滴る」(夏の季語)の方が、ダムの連想から面白いでしょう。念のため、山の季語として「山粧ふ」(秋)「山眠る(冬)」「山笑ふ」(春)があります。
添削句「湛水の間近きダムや山滴る」
 宮ア 和子

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Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(令和1年5月) [2019年05月22日(Wed)]
今月の俳句(令和元年五月)

  いよいよ令和の御代が始まりました。令和の最初の兼題は「昼寝」です。
 年中昼寝をしている人もいますが、俳句では、次の藤戸さんの解説にもあるように、昼寝は夏の季語です。昼寝覚も同じく夏の季語です。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は木原さんが担当しました。

「丸々と小さき大の字昼寝の子」
  渡辺 功

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昼寝が夏の季語。日本の夏は蒸し暑く疲れやすい。それをやり過ごすための知恵が昼寝です。勇ましくも大の字になって寝入っている姿は愛らしいですね。
丸と大と小の表現により、幼児の愛らしさと同時に活き活きとした生命力をも感じますし、安心しきって眠れる環境をも感じとれます。この句の最大の魅力は丸と大と小の措辞により寝姿がくっきりと浮かぶことです。丁寧な観察と表現力のなせる業です。

「野球帽顔に被せて三尺寝」
  皆川 瀧子

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三尺寝(夏の季語)とは、先の句でも説明しました昼寝のことですが、特に戸外で仕事をする大工とか塗装工とかの職人が体力を回復するための昼寝のことです。足場とか建材の上とか狭い場所・三尺(約1メートル)ほどの場所で昼寝をするという説と日の影が三尺移るだけの短時間の昼寝という説があります。この句では三尺寝をしている職人は野球帽で顔を覆っているという景を詠まれました。今時の職人は野球帽を被って作業しているのですね。贔屓の野球チームのネーム入りの帽子かも知れません。

「ぐづぐづとむづかる園児昼寝起」
  木原 義江

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昼寝起が夏の季語。保育園の昼寝の景でしょう。幼児には必要な昼寝ですが一斉にさあ寝なさい、さあ起きなさいと言われても幼い子が皆それに順応できるとは限りません。寝付きの悪い子もいれば寝起きの悪い子もいます。この句では寝起きの悪い子を詠まれました。可哀想でもあり可愛くもありますが、保育士さんの困った顔も浮かびます。集団生活は大人にも子供にも何かと難しい面がありますね。

「咲き初むる芍薬揺する俄雨」
  宮ア 和子

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芍薬が夏の季語。「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」と美人の例えに登場します。古く中国では牡丹を「花の王」、芍薬を「花の宰相」と呼んだそうです。牡丹は大振りで重い印象、堂々としています。芍薬はやや控えめで優しさを感じます。作者のご自宅の庭で芍薬が咲き始めたと思ったら俄雨が降ってきた。その雨に折角開き始めた芍薬が打たれて揺れているのをみて作者は胸を痛めたそうです。茎が折れるのではないか、花びらが散るのではないか、と気を揉む優しい作者の姿が浮かびます。

「耳動く爆睡の犀薄暑光」
  皆川 眞孝

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薄暑光が夏の季語で、初夏、少し暑さを覚える気候の頃の日差しのことで、湿度がまだ高くないので気持ちよい爽やかさです。犀は皆さんよくご存じの鎧を身に纏ったような哺乳類で見かけは強そうですが草食ですので外敵には敏感に反応する本能があるのでしょう。
動物園で見た犀が薄暑光の中、気持ち良さそうに熟睡しているのに耳だけが動いているのに作者は気が付いたそうです。動物園ですから襲われる心配はないのですがまだ本能が働いているのでしょうか。薄暑光の爽やかさと犀の鎧の重々しさと見かけによらない細心さとの対照が面白いですね。作者の観察の細かさが光る一句。

「露天湯の闇の深さや新樹の香」
  小野 洋子

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新樹が夏の季語。みずみずしい若葉をつけた初夏の木々のことをいいます。この句は山中の露天風呂でそれも夜の入浴を詠まれました。風呂の周囲は鬱蒼とした木々で深い闇に包まれています。気持ちの良い湯加減に首まで浸かっていると、初夏の爽やかな風が新樹の香しい香りをそっと運んでくれます。なんと素晴らしいひと時でしょうか。極上の気分が読む者へ伝わってきます。

「黒ずめる銃眼石や五月憂し」
  藤戸 紘子

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銃眼とは、城の障壁に設けてある隙間で、そこから敵を射撃するための穴です。狭間(さま)とも鉄砲狭間とも言います。銃眼石とは、その銃眼で鉄砲を固定するための石です。作者が岡山城を訪問された時の句だそうですが、黒ずんだ銃眼石を見て当時の戦いの様子を想起されたのでしょう。5月は明るい季節ですが、この城の攻防でどのくらいの人が死んだのだろかと考えると、沈んだ気持ちになります。
私は、三橋美智也の「古城」の歌を思い出しました。「崩れしままの石垣に 。。。 矢弾の痕のここかしこ」「古城よ独り何偲ぶ」 まさに、藤戸さんの句の場面で、「五月憂し」の季語(夏)が効いて、しみじみと栄枯盛衰の歴史を感じて、厳粛な気持ちになります。(評:皆川眞孝)

昼寝の他の句
「娘と犬里帰りして昼寝かな」
   皆川 眞孝
「耳許の猫の寝言や昼寝覚」
   藤戸 紘子


今月の一句(選と評)木原義江
「鉢巻をゆるめ親方三尺寝」
    渡辺 功

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普請工事など仕事場の三尺にも足りない狭い足場で、大工の親方が昼寝をしている昼休みの情景を見事に詠まれています。緩めた鉢巻は頭に巻いたままでしょうか?私は、手拭い鉢巻を外して手に巻いている姿が想像できます。
よく目にする姿ですが、俳句にすぐ詠まれるとは、さすが渡辺さんですね。(評:木原義江)

<添削教室>
原句「遠近で戸閉まりの音氷雨降る」
    皆川 瀧子 

 そういえば、先日大粒の雹が降り、驚きましたね。氷雨(ひさめ)には、「みぞれ」(冬の季語)と「雹(ひょう)」(夏の季語)の二つの意味がありますが、ここでははっきり「雹」とした方が、分かりやすいと思います。また、戸閉まりの音では、ドアを閉めるのかと勘違いされるといけないので、「雨戸繰る音」と具体的にした方が、雹が降ってきて慌てている様子が表現でます。(藤戸紘子)
添削句
「遠近で雨戸繰る音雹(ひょう)の降る」
  皆川 瀧子
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(平成31年4月) [2019年04月25日(Thu)]
今月の俳句(平成三十一年四月)

  今月の兼題は「青き踏む」「踏青」です。この季語の説明は、次の藤戸さんの解説をお読みください。句を作るのには難しい季語でした。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は宮ア和子さんが担当しました。

「青き踏む秩父最後の札所寺」
  木原 義江

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青き踏む(踏青)が春の季語。あまり見かけない季語ですが春、芽生えた青草を踏みながら野山を散策すること。この句は秩父三十四か所観音霊場で詠まれた句でしょう。江戸時代は庶民の観音信仰があつく巡礼の聖地として秩父の霊場は大変な賑わいだったそうです。今でもその趣は残っているそうです。一番四満部寺から三十四番水潜寺まで静かな山村と美しい自然の中を一巡する百キロメートルの巡礼道で順番にお札を収めていきます。この句は最後の札所で詠まれた句。百キロメートルを歩くのですから一日では済みません。数日または数回にわけて巡りようやく最後の札所に辿り着いたという達成感と安堵感に包まれた一瞬でしょう。悲願を達成した気分が青き踏むの季語の斡旋によりしみじみと伝わってきます。

「踏青やカウベルの音をちこちに」
  皆川 瀧子

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踏青(青き踏む)とは春の季語で、意味は前の句で説明した通りです。
作者がスイスを旅され高原の牧場を訪れた時のお句。広々とした高原の牧場、遠くに雪をいただいたアルプスの麗峰、長閑にカウベルが聞こえてきます。カウベルとは牧場などで居場所がわかるように牛の首につける大型の鈴で、平べったい形をしています。牛たちは自由に牧場内を動き回りますからあちらからもこちらからもカラカラカランとカウベルが響いてきます。その音はいかにも長閑で、人の心を癒してくれます。大きな景と伸びやかなカウベルの音そして牧場も高原も緑一色です。青きを踏んでいるのは勿論人ですが牛たち生き物も同じように青きを踏んで生きているのです。大変気持ちの良い句です。
私が聞いたところによると、牛たちを放牧する前には牧場を管理する人々により一歩一歩牧草の根元まで釘その他の異物がないか丁寧に調べるのだそうです。万一にも牛その他が飲み込まないように、との用心の為だそうで、見えない所で安全を期して大変な努力がされていることに私はとても感動いたします。

「チーターと目合わせ泣く子風光る」
  宮ア 和子

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チーターとはネコ科の哺乳類で体長1.5メートルほど。毛の色や体形は豹に似ています。特徴は目から口にかけて黒い線があることです。時速100キロメートル以上で走り、哺乳類では最速といわれています。多摩動物園にもチーターの一家がおり、毎年数頭づづ赤ちゃんチーターが誕生しています。数年前赤ちゃんが生まれた時5頭のうち3頭がキングチーター(豹に似た黒い斑点ではなく身体全体が黒い縞模様で突然変異)で大変なニュースとなりました。この句は作者がひ孫ちゃんを多摩動物園に連れていった時の景。ひ孫ちゃんをチーターがじっと見、ひ孫ちゃんがワッと泣き出したそうです。赤ちゃんが柔らかそうでチーターにとってとても美味しそうに見えたのかもしれません。チーターの目、成長期のひ孫ちゃん両方に「風光る」(春の季語)がかかり、季語の斡旋が光ります。

「日々通う歩道の割れ目すみれ草」
  湯澤 誠章

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すみれは春の季語で、日本には約80種、変種まで含めると200種以上あるそうです。これらを総称して菫といいます。どこからか種が風に運ばれたのか、鳥が運んだのか、道の割れ目や石垣のちょっとした隙間などに紫の小花を咲かせている菫をよく見かけます。厳しい環境でも懸命に可憐に花を咲かせるその生命力に驚いたり、励まされたりします。どうか踏み潰されませんように、と祈る気持ちになります。

「鳥帰る近くて遠き子の所帯」
  渡辺 功

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何と含蓄のある句でしょうか。親としてこんな気分を味わっておられる方も多いのではないでしょうか。家制度は崩壊し、核家族化が進み、加えて少子化が蔓延し、親子の関係が希薄になるのは時代の流れでしょうか。一方では濃密な親子関係により親離れ・子離れのできない親子もいていびつな社会が形成されつつあるようにも感じます。共働きの家庭も増えています。結果、子世帯は自分たちの生活に手一杯で親のことは二の次となる。親子が顔をあわせるのは年数回の家族的イベントの時のみというご家庭も多いのではないでしょうか。イベントは楽しくても終わるとさっと帰っていく子供達。春の季語「鳥帰る」で切なく寂しい年老いた親世代の思いが的確に表現されました。血縁は近いのに何故か遠い存在の成人した子供達、寂しい親心にちょっぴり俳諧味という香辛料が効いているのもお手柄でした。

「パソコンの遅き起動や目借時」
  皆川 眞孝

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目借時(めかりどき)とは本来は「蛙の目借時」といい、春の季語。一般の方はあまり見慣れない季語だと思います。春も深まる頃人は眠くてたまらなくなりますが、これは蛙が人の目を借りてゆくからである、という俗説に基づく俳諧味のある季語です。また、この時期蛙の交尾期であり「妻狩る」「雌離る」であるという説もあります。
パソコンという語が俳句に馴染むか、という声もありますが今では我々の日常に深く関わっている物なので良しとしました。最近はパソコンを使用している人が多いせいか、時間的に使用が集中するせいか起動するのに時間がかかることが多々あります。このパソコンの目覚めが悪い時の感じと目借時の季語がよく響き合っています。俳句も時代の変化とともに変化するものであると思います。

「駆けつこで下校のをのこ葱坊主」
  小野 洋子

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元気なわんぱく達の下校風景。街の子は下校時に駆けるのは交通事故の心配があるから禁止されているかもしれません。作者の子供の頃の思い出の景かもしれません。男の子は元気が取り柄、背のランドセルをかたかた鳴らしながら一斉に駆け出す景は春ならではのことのように感じます。若い命の弾けるようなエネルギーはとても気持ちの良いものですね。この句は農村の風景でしょうか。駆ける道の傍らは葱畑、葱坊主(春の季語)が背比べしています。明るく元気な楽しい一句。

「内濠の水は薄紅花万朶」
  藤戸 紘子

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写真撮影:荒川健三様

まずあまり馴染みのない「花万朶(はなばんだ)」の説明から。「朶(だ)」とは、枝、またはその枝が垂れ下がっていることを意味します。「万朶」ですから、沢山の垂れた枝です。花といえば、俳句では桜を意味します。その結果「花万朶」とは満開の沢山の桜の枝が垂れていることを意味します。文字を見ているだけで、満開の枝垂れ桜の景がうかびます。ただし、「しだれ桜」は桜の木や桜そのものに重点が置かれますが、「花万朶」はむしろ垂れた枝がポイントです。
この句は、しだれた桜が水に映って普段は緑色の水が薄紅色になっている状態を詠っています。作者のいつもながらの鋭い観察力に感嘆させられます。
先日ブログに荒川さんが千鳥が淵の桜の風景写真を沢山載せてくれましたが、まさにこの句は、水に映った桜、春爛漫の日本の原風景を思い出させてくれます。
なお、「濠(ほり)」の字は、「掘」に水のある場合に使います。この句にまさにぴったりの漢字です。(句評:皆川眞孝)


兼題「青き踏む」の他の句

「満面の笑顔の幼青き踏む」
   宮崎 和子
「くるぶしに見ゆる齢や青き踏む」
    渡辺 功
「古戦場ありしあたりや青き踏む」
    渡辺 功
「青き踏む何をせんとて生まれけむ」
   皆川 眞孝


今月の一句 (宮ア和子 選と評)

「瀬波踏む爪に花屑鷺楚々と」
  藤戸紘子

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浅瀬に漂う花筏と鷺が目に浮かびました。優雅に脚を運ぶ一羽の鷺、春の光が注いでいます。脚を水中からすっと持ち上げたその時、花びらの何枚かが付いて爪先が染まって見えたその一瞬の観察力に感動しました。花屑の措辞、季語を生かすことの大切さを学びました。
作者から鷺が脚を持ち上げた時は爪先がつぼまるとお話しいただいて納得。下五の楚々としての措辞で鷺の白さと優雅にお澄ましな姿。微笑ましさも心に残り、選ばせていただきました。(句評:宮ア和子)

<添削教室>

原句「床払ひ春日射す部屋身も軽く」  皆川瀧子
俳句では、五七五がぽつぽつを切れていることを三段切れと言って嫌います。
この句も「床払い(名詞)」「春日射す部屋(名詞)」と三段切れです。また、病気が治ったから床払いしたのですから、「身も軽く」は言わずもがなです。次のように添削してみました。床払いした喜びは、下五の、「部屋に明るい春の日が射す」ことで表現されています。
添削句
「床払ひせし奥座敷春日射す」
   皆川 瀧子
Posted by 皆川眞孝 at 09:14
今月の俳句(平成31年3月) [2019年03月24日(Sun)]
今月の俳句(平成三十一年三月)

  今月の兼題は「春光」「春色」です。句評は、藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は、渡辺功さんです。

「見はるかす町燦々と春の色」
  宮ア 和子

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春の色とは春らしい様子のことで春の季語ですが、具体的に何色かを表す言葉ではありません。見霽かすとは遥かに見渡す意で高みから遠くの街並みを眺めた折の印象を一句に詠まれました。厳しい冬がやっと去り春の明るく柔らかな日差しに包まれた町。そこには春の訪れを待ち侘びた人々の生活が活き活きと営まれています。また動物も植物も命の芽生え・再生の息吹が感じられます。春到来の喜びが句全体から立ち上っています。

「春寒や雨戸の開かぬ大屋敷」
  皆川 眞孝

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春到来とはいえすぐには暖かくなるわけではありません。立春以降三寒四温といわれる気温の変動を経て次第に暖かい日が多くなります。春ともなれば閉め切った雨戸や窓を開け放ち、柔らかな春風を室内に入れたくなるのが自然な気持ちでしょう。しかし作者が見掛けた大きな屋敷は雨戸を閉め切ったまま人の気配もなく静まりかえっているという景が浮かびます。かっては人の出入りも多い大屋敷であったろうにと、作者の胸中には生々流転という四文字が過ったかもしれません。春寒の季語が効いています。

「せせらぎに触れむばかりの枝垂梅」
  皆川 瀧子

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皆さんご存知のとおり枝垂梅とは枝が垂れ下がった梅のこと。梅の花は楚々とした風情で気高い感じがしますが、枝垂梅はそれに加えて可愛らしさを感じます。例えれば高貴な姫君という風情でしょうか。せせらぎとは浅い瀬などを流れる音をいいますが、その小流れそのものをもいいます。その小流れの水面近くまで垂れた梅の枝、そよ風に微かに揺れているかもしれません。小川の傍の枝垂梅の景がありありと思い描くことができる丁寧な写生の句です。

「夕映えや三味線草を耳元へ」
  木原 義江

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三味線草とはいわゆるぺんぺん草(春の季語)のこと。なずなともいいます。
莢(さや)の形が三味線の撥に似ていることから三味線草の別名があります。幼い頃、莢の部分を千切れない程度に引いてぶらぶらにし、それを振って微かな音に遊んだものでした。上五の夕映えにより、遊び疲れての帰り道、ぺんぺん草の微かな音を耳元で聞きながら家路についた遠いあの頃を思い出しました。
なずなやぺんぺん草ではなく、別名の「三味線草」と表現されたのが成功の鍵ですね。

「三代で飾る雛や昼深む」
  小野 洋子

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この句の雛は「ひいな」と読みます。祖母、母、娘の三代で雛飾りをしている景。単に雛飾りを3人でしている景かもしれませんが、私はその家に伝わる古雛を丁寧に飾りつけている景を想像しました。雛は人形に違いありませんが、魂があるかのように思えるのは私だけでしょうか。女の子の成長を願うことが雛飾りの本来の目的でありますが、昔の常識では女の子は成長すれば他家へ嫁ぐ身、親としては生まれたその時から親元を離れるその日を思い、女の子への思いは特別なのかもしれません。
昼深むの措辞により味わい深い一句となりました。

「山笑ふ無口猪首の若棟梁」
  渡辺 功

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思わずふっと笑ってしまった句。棟梁ですから大工のかしらです。概ね職人という人々は無口の方が多いように感じます。その棟梁が猪首であること、さらに若い人であることが何とも楽しいのです。二代目三代目でしょうか。遺伝としての猪首、無口であるという性格の遺伝、そして棟梁として稼業を継ぐ若者。そこに地道に真面目に生きる人々の清々しさが伝わってきます。山笑ふ(春の季語)は、冬季の山の寂しさ(山眠る)に対して春の芽吹きはじめた華やかな山を形容したものですが、この季語によりこれからの若い棟梁の活躍が期待できそうですね。

「花万朶栗鼠の尻尾の見え隠れ」
藤戸 紘子

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万朶(ばんだ)とは、多くの垂れ下がった枝の事を指します。この句は、咲き誇る桜の垂れた枝の間を、栗鼠(りす)がちょろちょろと跳ねまわっていて、尻尾(しりお)が見え隠れするという微笑ましい景を詠んだものです。素直な俳句に見えますが、「花万朶」の措辞により、沢山の枝に花が重そうについている様子を想像させ、また「尻尾」という具体的なものを出し、それが「見え隠れ」することにより栗鼠の素早い動きを表現していて、巧みな俳句だと感心します。この場面は、著者の創作ではなく、鎌倉の瑞泉寺(水仙で有名)でご覧になった実景とのことです。日本にも栗鼠がいる場所があるのですね。(評:皆川眞孝)

今月の一句(選と評:渡辺功)

鉄粉を浴びて線路のつくしんぼ」
  藤戸 紘子

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つくしんぼの季節、京王線の踏切を渡る時、妻は「あのつくし、誰もとらなくて勿体ないね」といつも呟きます。妻は愛知県出身、当地ではつくしを摘むのは春の一大行事。あの頃の線路わきは柵もなく取り放題。土筆の袴をとるのは私の仕事でした。そして、土筆の卵とじ、佃煮と連日食事に並びました。
掲題句は、尾張の一角、国府宮の素朴な暮らしを懐かしく思い出させてくれました。名古屋鉄道の線路わきの住まいでしたから、今思えば鉄分を含む土筆を沢山食べていたのですね。この句によりはじめて気が付きました。線路わきの土筆を見て、鉄粉まで思いが至る作者に本当に感心いたしました。
「線路のつくしんぼ」。。。半世紀も前の高度成長萌芽期の自然豊かな、のんびりした日常が、鮮やかに蘇りました。この句に出会えたことに感謝いたします。(評:渡辺功)

兼題(春光)の句
「春光や子にはじめての背番号」
     渡辺 功
「春光の届かぬ銀座裏通り」
     渡辺 功
「春光や玉虫色の鴉の羽」
    藤戸 紘子
「春光や川面すれすれ小鷺飛ぶ」
   宮崎 和子


<添削教室>
原句「春光の注ぐ浅瀬や鯉潜む」 宮崎和子
「春光」は、春の風光、春の景色を意味する季語ですが、この句では「春の光」として詠んでいます。春の光を浴びて水温む季節の浅瀬に鯉を見つけた着眼点はいいのですが、「鯉潜む」という措辞では、鯉がじっとしている感じで、まだ水が冷たいのかなと思ってしまいます。ここを「鯉の影」とすれば、鯉が泳いでいる動きが出て春の様子がさらに伝わります。(藤戸紘子)
添削句
「春光の注ぐ浅瀬や鯉の影」
 宮崎 和子
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(平成31年2月) [2019年02月20日(Wed)]
今月の俳句(平成三十一年二月)

  兼題は、「節分」「豆撒き」です。節分は冬の季語ですが、翌日の「立春」「寒開け」は春の季語となります。
今月の一句の選と評は、小野洋子さんです。

「大空へ高く広がる年の豆」
  木原 義江

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荒川健三さんのブログから

年の豆とは節分に撒く豆のことで福豆・鬼の豆・鬼打豆・年取豆ともいい冬の季語です。高幡不動尊の節分会の景。毎年有名人の年男・年女を招き、華やかに豆撒きが行われます。高欄より大声で「福は内」と叫びながら空へ向け豆が投げられます。豆は塊となって空中へ舞い上がりやがて扇形に広がり放物線を描きながら善男善女に降り注ぎます。豆を受け止めようと人々は両手をあげ、ある者はエプロンを広げ、帽子をひっくり返して豆を得ようと懸命です。涙ぐましい努力にもかかわらず福豆を掴むのは至難の業であることは経験した人はご承知のことと存じます。善男善女の必死さが何だかちょっと滑稽でもありますね。

豆撒き日門前町の長き列」
  宮ア 和子

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荒川健三さんのブログから

この句も高幡不動尊の節分会の景。行かれた方は人出の多さに驚かれたことでしょう。山門から駅まで何列もの人の列がびっしりと続きます。勿論有名人を一目みようという目的の方もいらっしゃるかとも思いますが、厳しい寒さももう少しの辛抱で春はもうすぐという喜びと、厄を祓い福を掴みたいという純朴な気持ちが人混みも厭わず人を誘うのでしょう。美しく着飾ったゲストの撒く福豆を得るのは大変難しく一粒でも掴み得た人の喜びは大きいものでしょう。ちなみに高幡不動尊ではお不動様に遠慮して「鬼は外」は言わないそうです。

「山鳩は逃げるを知らず冬山路」
  湯澤 誠章

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山鳩とは山に棲む野生の鳩のことで、青鳩(夏の季語)や雉鳩のこと。この句の山鳩は人に危険を感じないほど人馴れしているのか、はたまた人に出会ったことがないのか、人影が近づいても逃げようともしない山鳩に出合った冬の山路。山路には落葉が降り積もっていたかもしれないし、冬日差しが差していたかもしれません。寒さに弱っているのか、空腹で動けないのか、冬落葉に蹲まり暖かくて動きたくないのか、などと想像を掻き立てられます。冬山路の季語が効いています。

「立ち話の長き農婦や頬被り」
  渡辺 功

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頬被り(ほおかむり・冬の季語)とは寒い冬の日、外で働く人や夜道を行く人が北風を防ぐ為に頭から両頬へかけて手拭いなどで包むことですが、最近はあまり見かけなくなりました。農村ではまだ日常見かけられるのかもしれません。この句は農村の景。農作業の合間か、作業終了後のほっとしたひとときでしょうか。ご近所さんと話し込んでいる中年女性達の姿が浮かびます。頬被りの季語から寒い日だとわかります。その寒風の中でも延々とおしゃべりに夢中になっている女性達、なんと逞しく頼もしいのでしょう。自然を相手に生きている人々のおおらかさ、強さを感じます。


「青空や囀り響く医者帰り」
  皆川 瀧子

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春になると小鳥たちは繁殖期を迎えます。その頃の鳴き声を囀り(さえずり・春の季語)といいます。求愛や縄張りを知らせる鳴き声といわれています。囀りを聞くと春がきた実感が湧きますね。作者が病院からの帰り道、囀りを聞いた。空は真っ青に晴れ渡っています。この句から受ける明るい印象から医者から良い結果が告げられたことが想像されます。体調も良し、天気も良し、囀りは軽やかで、作者の浮き浮きとした気分が良く伝わってきます。

「寒明けの畑(はた)黒々と雨あがる」
  皆川 眞孝

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小寒から大寒を経て節分までの約30日間を総合して寒といい、それが終わる日を寒明けといい、春の季語です。意味も時期も立春と同じですが、立春の方は春到来の喜びが、寒明けは長く厳しい季節に一区切りつけるという感じがつよく、意味合いは微妙に違います。雨を含み黒々となった畑、黒い土は養分が豊かであることを意味します。豊かな土壌は新しい命を力強く育むことでしょう。しかし寒明けといっても本格的な暖かさからは程遠い時期。春待つ心がしみじみと感じられます。

「幼子としりとり遊び日脚伸ぶ」
  小野 洋子

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この句は作者とお孫さんとの遊びの景。お孫さんは娘さんとアメリカ人のお婿さんとのお子さんでアメリカでお暮しの由。従ってお孫さんは英語圏で育っている訳で帰国された折は日本語を覚えるためにしりとり遊びをするのだそうです。事情をお聞きすると単にしりとり遊びをしているだけとは違った感慨がありますね。
日脚伸ぶが冬の季語。日脚とは昼間の時間また太陽の日差しのことで、冬至を過ぎると一日に畳の目一つづつ日脚が伸びるというたとえがあります。一月はまだまだ寒いのですが半ばを過ぎれば日差しの暖かさが確実に増してきます。幼児がひとつひとつ言葉を覚えてゆく喜びと季語がよく響き合っています。

「福は内ジャズシンガーの渋き声」
   藤戸 紘子

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荒川健三さんのブログから


これも高幡不動尊の豆撒きの景を詠った句です。伝統的な豆撒きに、ジャズシンガーを組み合わせたのが新鮮な感じを受けました。現場に行ったことがない人にも、男性的な良く通る声で「福は内」と叫んでいるのが聞こえるような気にさせます。臨場感が溢れる楽しい句です。作者に聞いたところ、このジャズシンガーは、日野市在住の「つのだ☆ひろ」だそうです。(評:皆川眞孝)


兼題「豆撒き」の他の句

「御払いを受けし福豆独り食(は)む」
   皆川 眞孝
「豆撒や人の群れ去り鳩雀」
     小野 洋子

 
今月の一句(選と評:小野洋子)
「春立つや硝子細工の耳飾」
  藤戸 紘子

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この句は作者が電車で見かけられた光景との事、背筋を伸ばし澄まし顔の少女の耳に輝く硝子細工の耳飾り、私は少女と硝子細工の耳飾りの取り合わせに危うさときらめきが感ぜられ春立つの清々しい季語が効いているように思います。 日常の何気無い景を見事に映像にされた俳句のお手本です。 (評:小野洋子)

《添削教室》
原句 「梅咲きて蜜舐め回る小鳥たち」
   湯澤 誠章
小鳥たちの飛び回る様を描写した素直な俳句ですが、句全体の優雅な雰囲気の中に「舐め回る」の措辞が、少し生々しい感じで、浮き上がっています。ここは「群がる」にしておいた方が上品です。小鳥が何を目的に群がっているかは十分推測できます。また、鳥の複数をあらわすのに、「だち」の代わりに、俳句ではよく使う「どち」にしてみたらどうでしょうか?(藤戸紘子)
添削句
「梅咲きて蜜に群がる小鳥どち」
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(平成三十一年一月) [2019年01月23日(Wed)]
今月の俳句(平成三十一年一月)

皆様、明けましておめでとうございます。今年も、俳句サークルのブログをよろしくお願いいたします。
今月の兼題は、例年通り、「正月の季語一般」です。「新年」「初春」「初日」「初富士」から「年賀」「書初」「初詣」等沢山の季語があります。それでは、メンバー皆さんのお正月の俳句をご紹介します。

「すつと拡ぐ春着の袂(たもと)鶴の舞」
  宮ア 和子

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写真提供 荒川健三様

南窓会新年会で日舞の中川先生の舞われた「鶴の寿」で一句。先生の舞姿は真に凛として見事なものでした。先生の踊りに感動して涙ぐんでいる人もいました。すつと、の措辞で無駄のない研ぎ澄まされた仕草が表現されました。鶴は冬の季語ですがこの句は実物の鶴ではないので季語とはなりません。「春着」は年始に着る新しい衣服のことで新年の季語となります。ちなみに晴れ着は、はれの場所に着て出る衣服のことで季語ではありません。

「線香の煙の中の破魔矢かな」
  木原 義江

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高幡不動尊の初詣の景を思い浮かべました。山門と不動堂の間に香炉堂があり巨大な香炉から線香の煙が絶えることはありませんが、特にお正月はもくもくと線香の煙が辺り一面に立ち込めます。お正月にはこの不動堂の下に小屋が建ち、火伏の団扇と破魔矢が販売されるため善男善女で賑わうその小屋も線香の煙で霞んでしまいます。お正月らしい景を素直に写生されました。
いかに近代化されようと人の心はそうそう変わるものではない、という証明が日本の初詣風景かもしれません。

「たつぷりと墨含ませて筆始」
  皆川 瀧子

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今年も地区センターで小学生が集い書初めの会が催されました。指導するのは南窓会の書道部の面々。子供会と老人会の楽しいコラボレーション企画です。今の子は筆を持つ機会はあまり無いと思っておりましたがなかなかどうして立派な堂々とした書きっぷりでした。
小さな手に太筆を握り、墨の海にどっぷり筆を浸け、真っ白な紙に向かうその目は真剣そのもの。呼吸を止めて一気に筆を走らせます。そしてふーと溜息をつくその姿はとても可愛らしく頼もしくも感じます。注意点を素直に聞き再度挑戦するその真剣さに教える方が感動するひとときです。


また一つ賀状無用の追而書」
  皆川 眞孝

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追而書(おってがき)とは手紙の本文の末尾に付け加えて書くこと。追伸ともいいます。年齢を重ねる毎にこの種の追伸のある賀状を受け取ることが多くなりますね。自分も賀状を書くことが年々負担になっているのに受け取る賀状が少なくなるのに一抹の寂しさを感じるのもまた正直なところです。もう何年も会っていない人、年賀状だけのお交際の人など止めようかと悩みつつ、相手の気持ちを思うとあっさり止められないと悩んでいる人も多いのではないでしょうか。それでも賀状無用の通知には何とも知れぬ寂寥感を感じるのは私だけでは無さそうですね。

語り部の窪みしまなこ冬かもめ」
  小野 洋子

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窪んだ眼という措辞からお歳を召した語り部と想像しました。文字のない古代もしくは文字は一部の知識人占有であった時代には儀式の式次第・歴史・伝説・大災害の記録などを口伝えしたもので、職としての品部(しなべ)もありました。現代の語り部は民話や自然災害や戦争体験を語り継いでいるようです。概ね楽しいことよりも悲しい出来事とか忘れてはならない体験が語られることが多いように思います。
季語冬かもめは白い羽色と青灰色の翼を持ち、冬の海岸や港をゆったりと飛ぶ姿は美しいけれどその鳴き声とともに何か切ない雰囲気をもっています。季語の効いた一句。

「日蝕に歓声上がる枯野かな」
  湯澤 誠章

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今年の日蝕は部分日蝕だったためか、松の内の出来事だったためかあまり騒がれなかったように感じました。作者が寒い野に出て日蝕をご覧になった折の一句。観測の為か単に好奇心からか自然に野原に集まった人々から太陽が黒く欠け始めた瞬間に上がった歓声。日蝕という自然現象は専門家からその原因は知らされていても、壮大な天体ショーは見る者に強い感動を与えます。時間の経過とともに日蝕は元通りの円形に戻ります。それは再生を意味しているのかもしれません。枯野も季節が巡ればまた生命に満ち溢れます。生と死と再生という自然の根源的な不思議を象徴しているのかもしれません。

老松の昇龍めき初御空」
     藤戸 紘子

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おめでたいお正月にはぴったりの俳句です。特に説明は不要でしょうが、「初御空(はつみそら)」とは、「初空」の傍題で、元旦の空の事です。今年の初御空は、日の出とともに快晴になりました。
作者は高幡不動尊の中にある大きな松を念頭に作られたそうで、松の幹がまるで鱗のある昇龍(のぼりりゅう)のように見えたとのことです。
この俳句で私は葛飾北斎の「富士越龍図」を思い出しました。
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この絵は北斎九十歳の絶筆といわれ、富士山から天に上る煙りの中の龍に自身をなぞらえています。先日のTV番組「北斎ミステリー」では、この絵は実は北斎の娘・応為(お栄)が、臨終の父を龍として描いたという説を紹介していました。
年老いても龍のようになれるのだと、藤戸さんの俳句は、私達を元気づけてくれます。(句評:皆川眞孝)

兼題の他の句
「駅伝のたすきの重み初山河」
   小野洋子
「年礼や娘の犬の白毛増ゆ」
   皆川眞孝
「初鶏の長啼き谷戸に谺して」
   藤戸 紘子
「独り居のままごとめける節料理」
    藤戸 紘子
「お喋りと馳走に和み女正月」
    小野 洋子
「足場組む大工きびきび初仕事」
    藤戸 紘子
「山の端を染めて昇るや初日の出」
    皆川 瀧子
「初旅や缶コーヒーを頬にあて」
    小野 洋子
「初夢に忘れ得ぬ人若きまま」
   藤戸 紘子
「汁粉会椀を片手の年賀かな」
   宮ア 和子



今月の一句(選と評:木原義江)
「袂よりのぞく紅色初稽古」
  小野洋子

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南窓会の新年会は華やかに楽しい時を持つことが出来ました。日舞サークルの皆さんが、「さくらさくら」の踊りを披露していただきました。何度も厳しいお稽古をなさったことでしょう。日舞サークルの一員として舞踊をされた後、この俳句を詠まれた小野さん。舞も良し、句も美しく、今月の一句に選んで紹介させて頂きます。(句評:木原義江)

<添削教室>
原句 「反抗期笑顔となりしお年玉」
  宮ア和子
反抗期の子供でも、お年玉を受け取る時にはニコニコ顔になるという意味は十分わかりますが、文法的には「笑顔となりし」が、お年玉にかかっているので、語順を変えて次のようにしたらどうでしょうか(藤戸紘子)
添削句
「お年玉笑顔となれる反抗期」
  宮ア 和子
Posted by 皆川眞孝 at 09:10
今月の俳句(平成三十年十二月) [2018年12月26日(Wed)]
今月の俳句(平成三十年十二月)


災害の多かった今年もまもなく終わります。今月の兼題は「年の市」「年用意」「春支度」です。この季語に、来年は良い年であるように期待を込めています。句評は、藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は皆川眞孝です。

「メモを手に行きつ戻りつ年の市」
  小野 洋子

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最近は日常の買い物ですらメモをしなければ忘れることが多くなりました。まして年用意の買い物は種類も多く、値のはる物も多いのです。メモを片手に品定めと値段とを見比べ、あっちの店、こっちの店と行きつ戻りつするのが我々庶民の生活実態です。我が身を見られているような実感があります。本人の必死さが他人の目にはちょっと滑稽に見えるかもしれませんね。俳諧味が感じられます。

「値切る客もうひと声と年の市」
  宮ア 和子

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この句も年の市の景。東京人は買い物の際あまり値切らないが関西人は値切らないと損した気分になると聞いたことがあります。真偽のほどはさておき、上野のアメ横では盛んに売り手と買い手の値切り交渉が見られます。そのやりとりを聞いているだけで、年末の雰囲気に身を浸している気分になります。威勢の良い江戸っ子の兄ちゃんと客の粘り強い値切り合戦が聞こえてくるようです。

「揺れ動く裸電球年の市」
  木原 義江

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この句から昭和期のアメ横や築地の場外市場を思い浮かべました。もみくちゃになりながら少しでも安く良い物をと人々が行き交う熱気は年の市独特のものでした。この句の眼目は裸電球。裸電球とは笠などの被いや装飾のない、電線の先のソケットに電球が剥き出しになっている状態で、貧しさや荒々しさ、装飾を必要としない場などで昔はよく見かけました。木枯らしに揺れる裸電球とその下を往来する人々の熱気が年の市という季語でくっきりと表現されました。

「枯葉舞ふ展覧会の長き列」
  皆川 瀧子

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フェルメール展を見にいらした時の一句。フェルメールは日本で特に人気の高いオランダの画家で、今上野で展覧会開催中です。その人気は長い長い入場待ちの人の列からも判ります。上野は今枯葉で一杯です。枯葉が舞っているのは木枯らしが吹いているからでしょう。寒風の中にじっと待つ人々の心はフェルメールの絵と会いたいという思いで一杯なのでしょう。その熱意が伝わってきます。

「散髪の終へし項や小六月」
  皆川 眞孝

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小六月(ころくがつ)とは陰暦10月の異称で冬の季語。立冬を過ぎても厳しい寒さはいまだ訪れない穏やかな日和がしばらく続きます。このような日和を小春日・小春日和といいます。その可憐な名で冬らしい寒さを迎える前にほっと一息つくような感じがある季語です。散髪を終えて外で出ると項(うなじ)を撫でる風を気持ちよく感じた、ということは小春日和だったということがわかります。項のすっきり感と穏やかな日差しが作者の気持ちまで柔らかにしたことが窺えます。

「不揃ひの懸大根や深庇」
  渡辺 功

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懸大根(かけだいこん)が冬の季語。収穫して洗い上げた大根はしんなりするまで10日程振り分けにして干し、干しあげたものは沢庵漬などにします。最近の家屋は庇が大変浅く雨宿りもできません。この句は深庇ですので大藁家か古い農家かと思われます。その庇の下にずらーと大根が干されているという景。その大根の大きさが不揃いであったということが作者の観察の鋭いところです。姿の良い大根は市場に出荷されたのかもしれません。これは自家用の大根だろうな、とそんなことまで想像しました。下五の深庇がとても効いています。

「風呂吹や男料理の見せ所」
  湯澤 誠章

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風呂吹とは熱いものをふうふう吹きながら食べるので風呂吹というのだそうです。大根や蕪は冬に重みを増しておいしくなります。厚めに切って面取りをし、米のとぎ汁で下茹をする。熱いものに味噌をかけ、香りに柚子を散らします。旬の食材を活かした逸品です。作者は料理が大好きとのこと。旬の食材の旨味で勝負、の男の料理をご家庭でもされているのでしょう。作者の得意顔が見えるようです。

「虚無僧の佇む夕や街師走」
    藤戸 紘子


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虚無僧(こむそう)というと、時代劇の映画の中で、深編笠(天蓋)をかぶり尺八を吹いている僧に変装した武士を想いだします。時代劇では、たいていは、密偵や暗殺者で剣の達人です。実際は、禅宗の一派「普化(ふけ)宗」の僧侶のことで、行脚しながら托鉢を受けるのは修業のためで、菰(こも)を身にまとっていたので菰僧と本来は言われていたそうです。現在でも、お坊さんや虚無僧が街角に立って喜捨を乞う姿を見かけます。この句では「街師走」と言い切った季語のため、夕方に静かに佇んでいる虚無僧と彼を無視して忙しく歩く人々との対比が強調され、映画の一シーンのような景が目に浮かびます。(評:皆川眞孝)

兼題の他の句

「二つ三つ買ひ忘れたる年の市」
  渡辺 功
「背丈伸びし子ら引き連れて春支度」
   宮ア 和子
「肩越しに品定めする年の市」
   藤戸 紘子
「家中に煮物の匂ひ年用意」
   小野 洋子


今月の一句(選と評:皆川眞孝)
「木漏日のはけの小道や石蕗の花」
    藤戸 紘子

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  何げない冬の景を詠った俳句の様ですが、工夫が凝らされています。まず「はけの小道」。「はけ」というのは丘陵山地の片側が崖になっている場所を指し、関東・東北の方言だそうです。このあたりでは、国分寺や小金井のはけの道が有名です。この句では、「はけの小道」で単なる散歩道ではないことを示しています。次に「石蕗の花」。つわぶきとも言いますが、初冬に黄色の花をつけるキク科の植物です。この花言葉は、いつも葉が緑であることを評価して、「困難に負けない」というものです。初冬の木洩れ日のはけの道に、石蕗の花を見つけた景ですが、「つわぶき」の花に、これから来る厳しい冬にも負けないぞという作者の強い意志を感じたのは、私の読みすぎでしょうか?(評:皆川眞孝)

<添削教室>
原句 「するめ裂く火鉢ひとつをとりかこみ」 渡辺功

元の句でも、火鉢を囲んでするめを裂きながら食べている家族団らんの風景が良く出ています。ただ、上五を「するめ焼く」とした方が、火鉢との関連が強まり、するめの匂いまで感じられるのではないでしょうか。(藤戸紘子)
添削句
「するめ焼く火鉢ひとつを取り囲み」
   渡辺 功



Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(平成30年11月) [2018年11月20日(Tue)]

今月の俳句(平成三十年十一月)


兼題は今の時期にぴったりの「時雨」です。句評は藤戸紘子さん、「今月の一句」の選と評は皆川瀧子さんです。

「大仏の螺髪艶やか時雨過ぐ」
 宮ア 和子

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螺髪(らほつ)とは仏像の頭部の髪の様式のことで、くるくると巻貝の殻のような形が並んでいます。お釈迦様は縮れ毛だったのでしょうか。この大仏は青銅製だそうです。時雨は冬の季語で秋の末から初冬に降ったり止んだりする雨のこと。
時雨が降ったあと、露坐の大仏はずぶ濡れになった筈ですが、ずぶ濡れでは身も蓋もありません。作者は大仏の螺髪に焦点を当てられたことはさすがです。濡れた青銅が艶やか、とはそこに日が差していることが想像されます。見事な一句です。

「夕時雨軒を寄せ合う機屋路地」
  小野 洋子
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作者が京都へ家族旅行をされた折の一句。機屋の多い場所といえば西陣でしょうか。西陣という地名は応仁の乱の時、山名宗全がこの地で陣して西陣と称したことに由来したのだそうです。唐の長安を手本とした平安京の旧市街は碁盤目状の大路と小路で整然と区画され身分によって住まいが決められたそうです。西陣は都の西部、職人の町だったのでしょう。税が間口の広さで課せられたそうで、京都庶民の家は間口が狭く奥行の深いまるで鰻の寝床のような所謂町屋と呼ばれる造りが今でも残っています。この句の露地にも昔ながらの町屋造りの家並が続いていて、あちらこちらから機織る音が聞こえているのでしょう。
季語の夕時雨により古都のしっとりした風情、少し物寂しい雰囲気が醸しだされています。

「木々の葉の赤味を増して時雨後」
  皆川 瀧子

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荒川さん庭の櫨紅葉

秋、落葉樹は葉が赤や黄に変化します。楓が最も一般的ですが、漆、櫨、柿、桜など紅葉、銀杏などは黄葉ですが、どちらも俳句では紅葉といいます。中秋には燃えるような色の紅葉も晩秋ともなると色も衰え始め、ついには枯葉色となって落葉します。この句の木々の葉はやや赤色が衰え始めた頃時雨が降った時の景でしょう。時雨が止んでみると、それ以前より紅葉の赤味が鮮やかに見えたと作者が感じたのでしょう。一旦衰えた色が生き返ることは現実にはあり得ません。が、作者の目にはそう感じられたのでしょう。勿論雨のおかげで色が鮮やかとなったことも否めません。作者の観察眼と衰えいくものに対する作者のしみじみとした優しい感性を感じます。

「手打ち強く捩じり鉢巻き酉の市」
  木原 義江

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酉の市(冬の季語)とは11月に行われる鷲(おおとり)大明神の祭礼で「お酉さま」といって親しまれています。東京下谷の酉の市はつとに有名です。開運、商売繁盛の神として庶民に信仰されています。酉の市の特色は縁起物の商いで、代表的なものとしておかめの面や打ち出の小槌、米俵などを飾りつけた熊手があります。福を掻きよせる意だそうです。大きな熊手の取引が成立すると威勢の良い掛け声と手打ちが行われます。この句は売り手が捩じり鉢巻きをしている景を詠んだもので、この多分男性は粋な若者か、どっしりした親方風の熟年かは読み手の感性に任されていますが、酉の市の賑わいと高揚感が伝わってきます。

「朝の日矢葱総立ちの畝高し」
  渡辺 功

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葱が冬の季語。収穫間近の成長した葱に朝の日が差している景。日矢(ひや)とは朝日が山から昇る時とか雲間から日差しがさあーと差すときの一筋(または複数)の光のことで、西洋では天使の梯子というそうです。総立ちの葱ですから一本や二本ではない、一面の葱畑と感じます。黒々と土を高くした畝、真っ直ぐに伸びた真っ白な葱の列。葱の逞しい生命力とその命を育てる太陽光、朝の日矢は特に神々しく感じられます。清々しく力強い佳句。

「朝靄に透きてビル群冬立てり」
  皆川 眞孝

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水蒸気が地表や水面の近くで凝結して微小な水滴となり煙のように漂って視界を悪くする現象を、俳句では春は霞、秋では霧と称します。同じ現象で靄(もや)ともいいますがこれは季語ではありません。立冬の朝、作者のご自宅の窓から朝靄に煙る新宿の高層ビル群が見えたそうです。それは季節によって鮮明に見えたり、霞んで見えたりなのでしょう。この三井台にお住まいの方ならこの経験をされた方は多いのではないでしょうか。
谷戸の地形から水蒸気によるこの現象が起こりやすいのです。遠景が煙って見えるのはなかなか味わい深いものです。これから本格的な寒さに向かうという立冬の朝。ぐっと気持ちを引き締められたのではないでしょうか。

「用水の流れ澱むや枯尾花」
   藤戸 紘子

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枯尾花とはすすきの穂が枯れたもので冬の季語です。用水は多分農業用水のことでしょう。流れが澱んでいるのは、過疎の村であまり用水が使われない状態なのでしょうか。写生俳句は単に景色を映すだけでは、つまらないものとなります。この句では、土手の枯れた芒と、澱んだ用水の取り合わせで、初冬のうら寂しい風景が強調されます。それを見る作者の心情までもいろいろ想像できます。
作者がこの句を作られたのは、実際は過疎地ではなく、横浜の「寺家ふるさと村」で、田園風景が広がる里山保存地区だそうです。しかし、作者の適切な措辞の取り合わせにより、風景に深味が増し、読む側の感情を動かします。どうしたら、この様にできるのでしょうか?私も見習わなければいけないのですが。。。。(評:皆川眞孝)

今月の一句 (選と評 皆川瀧子)

「小夜時雨淡き灯もるる茶房かな」
渡辺 功

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小夜時雨とは夜しとしとと降る時雨のことです。車の激しく通る表通りではなく、人通りの少ない路地裏でしょうか?そこに一軒の喫茶店があり、淡い灯が漏れているという情景をえがいた句です。 喫茶店と言わず『茶房』という措辞が詩情溢れ、レトロな感じが出ています。また、淡い灯りがもるるといったところがロマンチックな感じを受け、良い句だと思います。(評:皆川瀧子)

他の「時雨」の句

「時雨るるや門灯滲む牧師館」

    藤戸 紘子
「宇奈月の山路時雨てトロッコ車」 
    木原 義江

<添削教室>
原句  「腕白や羽織袴の七五三」 
     宮ア 和子
腕白小僧の近所の子供が、羽織袴で神妙な顔をして七五三参りをしているユーモアのある景を詠んだ句ですが、原句では「や」の切れ字が腕白についているので、腕白ということが強調されています。ここでは、むしろ羽織袴を着ているところを強調した方が、意味がよく通じるので、切れ字の位置を変えてみました。「や」と「の」を交換しただけですが、原句と比較してみてください。(藤戸紘子)
添削句 「腕白の羽織袴や七五三」
    宮ア 和子

     
Posted by 皆川眞孝 at 08:00
今月の俳句(平成30年10月) [2018年10月24日(Wed)]
今月の俳句(平成三十年十月)

 兼題は秋の季語である「」です。お馴染みの果物だけに、俳句にするにはかえって難しく感じます。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は、渡辺功さんです。

里古りて夕日に柿のたわわなる」
   小野 洋子

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この句の里は作者の母上のご実家でしょうか。作者が幼い頃、夏を過ごした思い出深い里は今では住民も減り、昔日の面影は失われているそうです。それでも柿は変わらずたわわに実をつけ、夕日が赤々と村を染めている景が浮かびます。
夕日の赤と柿の朱赤が響き合って美しい景を表出していますが、それだけに古りてしまった里が余計に侘しく感じられます。

持てゆけと富裕柿ひとつ奈良路かな」
   宮ア 和子

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作者が奈良を旅された折の一句。この句から「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」子規の句を思い出しました。奈良は柿の名産地。農家でなくとも柿の木のある家も多いことでしょう。旅の途次、見知らぬ土地の人が富有柿を下さったそうです。とても甘く美味しかったそうです。富有柿はやや扁平な大形で甘味が強い高級な柿です。柿の美味なることと、人の優しさに触れ、良い旅となりましたね。

藁屋根を覆ふ柿の実数百個」
    湯澤 誠章

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最近は藁屋根の家屋を見かけなくなりました。それでも地方の名家で大事に
保存されているのに出会うと何故か懐かしい暖かい心地がします。しかし保存と修理には大変費用がかかるうえに藁屋根の職人が激減していると聞いたことがあります。
この句は作者が旅の途上でこの景に出合ったのか、幼い頃の記憶の一頁か判りませんが、数知れない柿の実が藁屋根に覆い被さるように実っていたという景です。ということは相当の巨木となった柿の木。収穫前でしょうか。それとも実るに任せて放置されているのでしょうか。過疎地の農家ではそういうことも多いそうです。藁屋根のくすんだ色と覆い被さる数知れぬほどの柿の朱赤の対照は真に美しいですね。

「山路来て休み処の吾亦紅」
  木原 義江

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吾亦紅(われもこう)(秋の季語)は日当たりの良い草原に生えるバラ科の多年草。バラ科ですが薔薇のような華麗な花弁はありません。細い茎の先に暗紅紫色の団子のような花をつけます。寂しげな風情が詩心を誘う花で、生け花にもよく使われています。
この句では息を切らしながら山道を歩いてきて、やっと一休みできる場所に着いた。ほっとして見回すとそこに吾亦紅が咲いているのに気づいたという景です。地味でひっそりとした優しげな吾亦紅の風情に疲れた身体と心が癒されたことでしょう。

ビュフェの絵の太き黒線そぞろ寒」
  皆川 瀧子

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ビュフェ(1928−1999)はフランスの画家、黒く刺々しい線による簡潔な具象表現で、第二次大戦後のフランス画壇で人気を博しました。淡い色や点描で光と影を表現した印象派とは真逆の描法。その強く太い黒線には迫力があり、見る人の心に強く働きかけて圧倒するような感じを与えます。画家の透徹した眼には人や物、風景そのものの存在意味や生命力が見えていたのかもしれません。曖昧さを徹底的に排除したその画風に作者は恐れのようなものを感じたのかもしれません。季語「そぞろ寒」の斡旋により心理的な圧迫感を表現されたのでしょう。

沖目指すカヤックの列鰯雲」
    皆川 眞孝

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カヤックとはエスキモーが狩猟に使う軽量の小艇ことですが、現代ではスポーツ用小艇を指します。急流を巧みにパドル(櫂)を操り漕ぎ下る競技が人気のようです。この景はカヤックの集団が沖を目指し列をなして漕ぎ出した景。空には鰯雲(秋の季語)が水平線まで広がっています。広々として気持ちの良い一句。
因みに鰯雲は鱗雲・鯖雲・羊雲とも呼ばれます。小さな雲片がかなり規則的に配列をしている様が鰯が群れているように見えるところからこう呼ばれています。漁夫の間ではこの雲が出ると鰯大漁の兆しといわれています。

おとがひの長き翁やとろろ汁」
    渡辺 功

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この句から「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」芭蕉の句を思い出しました。
とろろ汁が秋の季語。おとがひ(頤)とは下顎のこと。頤の長い人は概ね顔全体が長いようです。更に頤がしゃくれているのかもしれません。その顔の長い老人がとろろ汁を啜っている景。この作者らしい可笑しみが醸し出されています。とろろ汁の食材である長芋や大和芋の長さ、はたまた、とろろ汁の摑みどころの無さから、飄飄とした長身の老人を想起させ、味わい深くちょっと可笑しい一句となりました。


色褪せる華族の直衣暮の秋」
   藤戸紘子

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元華族のお屋敷に展示されている直衣(のうし)の色が褪せているという単純な景を詠っているだけです。しかし、「暮の秋」の季語で、がらっと景が変わります。「華族」「直衣」の措辞で、平家物語の一節のような栄枯盛衰の景色が私には見えてきます。
「暮の秋」とは秋がまさに終わろうとする頃を意味する季語で、「秋の暮」とは全然違います。「秋暮るる」「行く秋」とほぼ同じです。
華族制度があった時代に、宮中に参内した時に着た直衣が、もう使われることもなく色が褪せていく、それはまさにこの秋が終わろうとしているのと同じで、歴史の非情さ、人間の世の儚さをまざまざと表しています。
作者にお聞きしたところ、松戸の戸定(とじょう)邸に行った時に作られたそうで、ここは徳川慶喜の弟の徳川昭武(最後の水戸藩主)の屋敷でした。慶喜も将軍を退いた後、たびたび訪問したそうで、こういう話を聞くと一入侘しさが身にしみます。(そういえば、「身に入(し)む)」は秋の季語です。)(句評:皆川眞孝)

今月の一句(選と評:渡辺 功)

「芙美子邸柿の実落つる音ばかり」
    藤戸 紘子

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西武新宿線・中井駅下車、石畳の坂道を辿ると豊富な樹木に囲まれた林芙美子旧邸、この屋敷で「放浪記」の作家は47歳の若さで急逝しました。昭和26年6月のことです。
 邸内は新宿区内とは思えない静寂な佇まいです。柿の実の落ちる音だけが聞こえるひととき、芙美子の、逆境に挫けることなく、艱難辛苦を明るく笑い飛ばし、したたかに生きた短い一生に想いを馳せる・・・掲題の句から受けた私の感慨であります。
  そして、没後67年、林芙美子が忘却の彼方へ消えていく淋しさを感じさせてくれます。
  作者はおひとりで訪問されたようですが、私も曾て今は亡き先輩女子先頭に俳句仲間と訪れました。思い入れだけの独りよがりな私の駄句は無視されました。
  邸内の「林芙美子」にまといつく独特の雰囲気を過不足なく、かつ端麗に表現された作品に改めて敬意を表します。
 因みに、林芙美子の告別式の葬儀委員長は川端康成でした。昭和は本当に遠くなりました。(句評:渡辺 功)


兼題「柿」の句
「無住寺や塀より柿のあふれをり」
  渡辺 功


《添削教室》
 原句
「また一つ鳥の餌食や熟れし柿」
 皆川 瀧子
柿が熟れるたびに鳥に食べられる残念な気持ちを俳句にしたものですが、「餌食」が強すぎる措辞です。ここのところは、シンプルに次のようにしたらどうでしょうか(藤戸紘子)
 
 添削句
また一つ熟柿を鳥に食はれけり」 
皆川 瀧子
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(平成30年9月) [2018年09月26日(Wed)]
今月の俳句(平成三十年九月)


今月の兼題は「レモン」です。レモンはミカン科の常緑低木で、秋に実が黄色く熟すので秋の季語です。(一方、蜜柑は冬の季語です。)句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は宮ア和子さんにお願いしました。

テーブルの籠のレモンや青き空」
  湯澤 誠章

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一読してすっと浮かんだ景は高原の別荘のテラスでした。高原のオゾンたっぷりの爽やかな秋風が吹き通る別荘のテラス。白いテーブルと椅子が似合いますね。テーブルには籠が一つ。籠も黒漆塗りの高級な籠がさりげなく置いてあり、その籠には真っ黄色のレモン(秋の季語)が山盛り。勝手な想像ですが良い感じですね。そして空の青。句全体が爽やかです。

レモン熟る坂の向かうは地中海」
  皆川 眞孝

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レモンは本当はインド原産。漢字で書けば檸檬。読めるけれど書けない漢字の一つです。日本に何時伝来したのか寡聞にして存じませんが、当て字の漢字があることから中国からの伝来か。少なくとも明治期には日本人も口にしていたことが解ります。レモンイエローという色名があることから欧州には早く伝わっていたのでしょう。東印度会社を通して広まったのかもしれません。
この句は作者が地中海に面する国を旅行された時の景を詠まれたのでしょう。海に向かって傾斜した坂道。近くのレモンの樹には真っ黄色に熟れたレモンが鈴なりです。真っ青の地中海にはレモンが良く似合いますね。

読みさしのハードボイルドレモネード」
  渡辺 功

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ハードボイルドとは固ゆでの卵の意ですが、転じて冷徹・非情の意もあります。私も若い頃ハードボイルドの小説が流行し、「冷血」(著者名忘却)という小説を読んで辟易した経験があります。広辞苑には「感情を交えず客観的な態度・文体で事実を描写する手法」とあります。これは俳句を詠む上でも重要な態度であり、この句によりハードボイルドの意味をあらためて考えさせられました。さて、ハードボイルドの小説か冷徹な探偵の出てくる推理小説かを読んでいた作者、お疲れになったのでしょう。読書を一旦中止し、レモネードで喉を潤したという
景が浮かびます。確かにハードボイルドの小説は良い意味でも悪い意味でも非常に疲れます。会員からレモネードでは優し過ぎるのでは、という意見もありました。確かにオンザロックやウオッカが合いそうですが、それでは両方が強すぎて俳句としてはつきすぎということになります。レモネードだから良いのです。それにしても飄々とした作者がハードボイルドの愛読者とは!

青レモン少女華麗に夜想曲」
  小野 洋子

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レモンはミカン科。我々は黄色いレモンを目にすることが普通ですが、熟す前は当然ですが青いのです。夜想曲はノクターンの和訳、ショパンのノクターンが有名ですね。夜想曲を華麗に弾ける少女はピアニストを目指しているのでしょうか。この少女は何歳?少女とは古代の法典である大宝律令の一部である大法令によると、17歳以上20歳以下と明記してあるそうですが、現代の我々の感覚ではもっと年下のような気がします。夜の気分をあらわす抒情的なノクターンを弾きこなせる才能溢れる少女には華麗な未来が待っているかもしれません。未成熟の少女とまだ青く硬いレモンがよく響きあっています。

黒々と九月の三国旧街道」
  木原 義江

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三国とは福井県北部、九頭竜川河口にある港で、かって北前船の寄港地として繁栄しました。作者が旧街道から港を見下ろしている景を詠まれました。9月の日本海は、太平洋を見慣れた目には黒々と見えたのでしょう。確かに冬の日本海は鉛を流したように黒く、時には銀色に重いように見えます。冬に向かって秋の日本海は日に日に黒さを増しているのかもしれません。かっては繁栄し活気に満ちていた三国港も今では寒々と寂びれているのかもしれません。その感じが黒々の上五により推察されます

「白雲の湧く連山や蕎麦の花」
  皆川 瀧子

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この夏作者が蓼科高原で詠まれた一句。蓼科は長野県中部蓼科山麓の高原で、周りは高山に囲まれています。高山では気象の関係で雲が湧くことがあり、その眺めは一幅の絵になります。蕎麦の花(秋の季語)は白または淡紅色五弁の小さな花が密に咲きます。畑が一面白く見えたり夜目にもほのぼの白く見えてなかなかに風情があります。蕎麦は収穫までの期間が短く、荒地でもよく育つことから高地の多い長野県は昔から蕎麦の産地でもあります。
遠景に雲の湧く連山、近景には小さな蕎麦の花、遠景と近景、大きな景と小さな花の配置、雲の白と蕎麦の花の白、なかなか技巧の効いた一句。

「雷鳴や尻尾丸めて犬竦む」
  宮崎 和子

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お孫さんにせがまれて仔犬を飼い始めた作者。今では家族の誰よりも作者になついているとのこと。動物の成長は早いのでもう仔犬とは呼べないほどの大きさに成長しているかもしれません。今夏は雷が激しく、この三井台も電線か配電盤かに落雷し4時間ほど停電しました。その時の犬の反応を詠まれたのでしょうか。きっと生まれて初めての経験だったのではないでしょうか。犬は恐怖に襲われると尻尾を丸めてお腹の方に隠す習性があります。尻尾を丸め恐怖に立ち竦みぶるぶる震えている犬の写生が的確で可哀想でもあり、ちょっと可笑しくもあります。

「パドックの蹄の跡や涼新た」
   藤戸 紘子

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パドックというと、普通は競馬場で出走馬を下見する小さな馬場を意味します。しかし、もともとは、牧場の厩舎の隣にある馬場のことだそうです。
パドックに無数に残されている蹄の跡を見て、秋の涼しさを感じた、というのが句意です。秋の到来はいろいろなところで感じますが、まさか蹄の跡に感じるとは!作者の感性に驚きます。作者にお伺いしたところ、このパドックは学習院大学にある馬場だそうです。私の解釈では、蹄跡があるというのは、いままで猛暑で馬術の訓練は控えていたが、涼しくなり馬も人も馬場で動き始めたということでしょうか? しかし、こんな理屈は不要でしょう。私も句会では作者の感性に感動し一票を入れました。ところで、「涼新た」「新涼」は秋の季語ですが、単なる「涼し」「朝涼」「夕涼」は、夏の季語ですのでご注意ください。(句評:皆川眞孝)

今月の一句(選と評:宮ア和子)

「濁りなき露草の青朝日さす」
  藤戸 紘子

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露草は9月頃まで道端や畑の隅に咲いている雑草で、草丈も低く花は1,5〜2pと小さいのです。以前マクロレンズで花を覗いてみて、その精巧さに驚きました。2枚の青い花びらは人目を引きます。でも表現できずにおりました。上五の「濁りなき」という措辞を目にして、感銘しました。濁りなき青 、露草の青、 無駄のないすっきりとした表現で、花びらの青が目に浮かび、下五の「朝日さす」によって清楚な花の朝露まで見えてきます。俳句は引き算を学ばせていただきました。この出会いに感謝いたします。(句評:宮ア和子)

その他の兼題の句

「高原の朝のテーブル檸檬切る」
  皆川 眞孝
「強風に撓む枝先檸檬の木」
   宮ア 和子
「絶え絶えの喉にヒュッテのレモン水」
  藤戸 紘子


<添削教室>
原句「宿畳むオーナーの皺夏の果」  皆川 眞孝
今年の夏、白馬のペンションに行きましたが、そこのオーナー夫妻は老齢で宿を畳む決心をし、私達(皆川)が最後の客でした。オーナーと話し込んだときの句ですが、「夏の果」が夏の終わりを意味し、宿畳むと付きすぎなので、「夏惜しむ」と少し感情を入れたらどうかと添削していただきました。
添削句
「宿畳むオーナーの皺夏惜しむ」
  皆川 眞孝
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(平成30年7月) [2018年07月24日(Tue)]
今月の俳句(平成三十年七月)


毎日猛烈な暑さで、参ります。今月の兼題は「祭」です。これについては、藤戸さんが俳句コメント(木原さんの句)の中で詳しく解説してくれています。祭太鼓、祭囃子、祭笛、山車、神輿、宵宮などの祭りの傍題も夏の季語となります。
句評は、いつも通り藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は小野洋子さんです。

「注連縄の揺るる駅舎や村祭」
  木原 義江

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かつて祭といえば京都の賀茂祭つまり葵祭を祭といっていました。それ以外は夏祭として区別していました。今では夏祭全般を祭として夏の季語としています。ではなぜ祭は夏の季語なのか。それは疫病、虫害、風水害などの災難が夏に起こりやすいため、その怨霊、疫神を鎮め祓うための行事が祭だったからです。五穀豊穣の祈願が「春祭」、収穫の喜びを祝い感謝するのが「秋祭」です。
さてこの句は村祭、駅舎まで注連縄(しめなわ)が張り巡らされていることからそれ程大きな村ではないことがわかります。村の鎮守様のささやかなお祭りかもしれません。それでも村全体の一大行事であることが伝わってきて、村人達と帰省の人々の張り切っている姿が活き活きと立ち上がってきます。

「鼻白粉つけて山車曳く子らの声」
  宮崎 和子

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山車(だし)が夏の季語。鼻白粉とは稚児が鼻筋に一本白い筋をつけることをいいます。お祭りに化粧をすることのそもそもの意味は、その人が日常生活をする人ではなく、非日常空間にいる神の代理人に一時的になるとの意があります。日常に「お祭り気分」を持ち込まないその場限りにするけじめの意味もあるそうです。鼻の頭の白粉はその簡易版。子供達はそんな意味があることも知らず、祭衣に気分は高揚し可愛いい声を張り上げて山車を懸命に曳いていることでしょう。

「酔ひどれの祭男や背(せな)に龍」
  渡辺 功

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祭に酒はつきもの。この祭男は調子に乗り過ぎたのでしょう、すっかり酔ってしまったようです。暑い時のアルコールは体温を急激に上げますから諸肌脱ぎになっているのでしょう。その背中に龍、つまり背中一面に龍の彫り物、入れ墨です。最近ではあまり見かけなくなった入れ墨ですが、神田祭や三社祭ではこんな光景をよく見かけます。実際に目にすると何故かぎょっとします。酔ひどれと龍の入れ墨という措辞が響き合って、一種独特の下町の雰囲気と日常では見えない異質の世界が現出した一瞬を見事に句に表現されました。

「ここだけの話とぎれて心太」
  小野 洋子

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心太(ところてん)が夏の季語。日本人なら一度は食べたことがある庶民の夏の食べ物です。原料は天草。干した天草をよく洗い、煮溶かして漉し袋で漉し、型に入れて固めたものを心太突きで細く突き出し、酢醤油や蜜、和辛しなどをつけて食します。この句の眼目は「ここだけの話」。口外禁止ほどの重要性がある話ではないが、公然と話すにはちょっと憚るような話、しかし自分一人の胸に収めておくには勿体ない話、聞いた以上どうしても誰かに話したくなる話などなど意味深長な意味合いのある話なのです。「ここだけの話」は波紋のように広がっていくのは必定です。庶民のささやかな楽しみかもしれません。蒸し暑い夏の午後、あちらこちらで心太を前に「ここだけの話」に夢中になっている庶民がいるかもしれません。心太のさっぱりした舌ざわり、鼻に抜ける酢の味、箸になかなか挟めない心太、半透明の心太、「ここだけの話」の無責任な心情となぜか
しっくり響き合っていると思いますが、いかがでしょうか。

「アフリカの草原の宿蚊遣香」
  皆川 眞孝

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蚊遣香(かやりこう)が夏の季語。つまり蚊取り線香のことで渦巻状にしたものが有名です。作者がアフリカに仕事で出かける際には必ず持参したとのことです。驚いたことにはアフリカにも蚊取り線香はあるそうです。更に驚いたことにアフリカ産の蚊取り線香は効き目が悪いとのことで日本の蚊取り線香は必帯だそうです。アフリカという熱帯では蚊のみならず虫に刺されることは非常に危ないことです。最近日本でも毒蚊が外国から侵入してニュースになりましたね。蚊は死にいたる病原菌を媒介します。よく効く日本の蚊遣香、こんな所にも日本人の行き届いた職人技が反映されているのですね。アフリカと蚊遣香の取り合わせが奇抜で面白い句となりました。

「水栓の蓋を押し上げ若き竹」
  皆川 瀧子

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若竹が夏の季語。水栓の蓋というものは概ね鉄か何かの重い材料でできています。蓋が重く作られているにはそれなりの理由があるはずです。例えば風や雨や虫が入り込まないようにわざと重くしてあるのかもしれません。その重い蓋を若竹、つまりそれ程太くはない竹が押し上げていた!若竹の伸びる力、生命力の強さを具体的に目にされて驚嘆されたことでしょう。竹が伸びると塀や家まで壊すと聞いたことがあります。それ程強い生命力があるということです。若竹のすくすく伸びる自然の力を実感された時の作者の驚愕と感嘆が伝わってきます。


「片肌を脱いで連打の大太鼓」
  藤戸 紘子

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私が句会で最初にこの句(もちろん作者はまだわかりません)に出会った時の独り言。「夏祭りで男性が勇ましく太鼓を連打している祭囃子の映像が眼前に浮かび、句全体に迫力があり、良い句なので選ぼうかな。だが、待てよ。祭太鼓は季語だが、大太鼓だけでは季語とならない。残念ながらパスするか。」
ところが後でこれが藤戸さんの句で「片肌脱ぎ」が夏の季語だとわかり、自分の無知を恥じました。「肌脱」「諸肌脱」も同じく夏の季語です。片肌脱ぎをして太鼓を打つ写真を探したところ、男性はほとんど諸肌脱ぎか、上半身裸です。(「裸」も夏の季語)やっと見つかったのが、片肌脱ぎで太鼓を打つ女性の写真(上掲)です。今の時代は、女性が片肌脱ぎをするのだと、この句のお蔭で勉強しました。(皆川眞孝)

「今月の一句(選と評:小野洋子)

「神輿揉む若衆の声やお神酒の香」
   宮ア 和子

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藤戸さんの説明にあるように、祭は神の来臨であり、疫病や水難に悩まされる季節にその穢れを洗い流すみそぎの祭事である。神輿は、神様の乗り物であり祭の大事な主役である。
この句では、上五中七で神輿を担ぐ若衆が体を触れ合わせ、入り乱れる動的な景を描き、下五にお神酒の香という静的景をもってきている。たった十七文字で、若者の流れる汗と筋肉の動き、屋台の匂い、見物客のさざめき、祭の賑わいまでも感じさせる作者の力量には脱帽である。(小野洋子)

他の兼題「祭」の句
「背伸びして神輿かつぐや餓鬼大将」
渡辺 功

「喚声と轍の軋み山車廻る」
皆川 眞孝

「御旅所(おたびしょ)の槌音高く木の香る」
藤戸 紘子



<添削教室>
  原句 「稚児囃子姉乗る山車を追ひし宵」

        皆川眞孝

この句は、私(皆川)の幼いころの思い出です。小学生の姉が山車に乗って稚児囃子の一員として太鼓を叩いている姿を見ようと山車を一生懸命追いかけた様子を句にしました。しかし、句の主体が、稚児囃子の姉なのか、はたまた追いかける自分なのか、ごちゃごちゃしていて分かり難くなっています。
藤戸先生に次のように添削していただきました。主体が姉となり、活き活きという措辞で動きが加わり、情景が具体的に見えるようになりました。
添削句
「山車過る姉活き活きと稚児囃子」   皆川眞孝
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
今月の俳句(平成30年6月) [2018年06月18日(Mon)]
今月の俳句(平成三十年六月)

今月の兼題は「トマト」です。トマトは今では温室栽培のため年中食べられますが、俳句では夏の季語です。赤茄子(あかなす)とも言います。平凡な食材のために、俳句にするには大変難しいことがわかりました。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は木原義江さんです。

「紅顔の板前帽やトマト切る」
  渡辺 功

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紅顔とは年若い頃の血色の良いつやつやした顔のこと。つまりこの句はまだ修行中の半人前の板前を詠んでいます。身なりは一人前ですが取り組んでいるのはトマト。この句の面白く味わい深いのは食材のトマト。たかがトマトと侮る勿れ。張りのある皮と柔らかく崩れやすい果肉を形を崩すことなくスパッと切り揃えるには相当の腕が必要なのです。それも客に出すのであれば猶更のこと。親方や先輩の厳しい目が手元を見詰めているかもしれません。若者の緊張感が伝わってきます。真っ赤なトマトと板前の真っ白な帽子(仕事着)の対照が鮮やかです。

「古民家の並ぶ川辺や花菖蒲」
  皆川 瀧子

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南窓会のバスツアーで千葉の佐原を訪れた時の句。佐原は江戸時代に栄えた水郷の町であり、伊能忠敬の故郷としても有名です。町中を流れる小野川は坂東太郎の異名で呼ばれる利根川に下流で合流します。つまり江戸の大消費地に物資を運ぶ水運業の繁栄と物資の集散地でもあったわけで、当時は相当な賑わいであったろうと思われます。小野川の両岸には当時の建物がそのまま保存され、旅籠、雑貨屋、呉服屋、和菓子屋等々今でも生活が営まれています。川辺には様々の木や花が観られます。この句には花菖蒲が取り上げられました。花菖蒲の楚々とした風情と江戸風情が見事に響き合っています。

「山清水溢れる井戸や城下町」
  宮崎 和子

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作者によりますと、詠まれた場所は長野とのこと。長野といえば松本城、上田城で有名ですね。長野は山国。浅間山、八ヶ岳連峰など大きく高い山に囲まれた地です。その山々からの無数の水脈により、豊かな土地として昔から栄えてきました。畑も城も城下町も水無しでは成り立ちません。今でも溢れるように豊かな井戸があるのですね。山清水(夏の季語)という季語の斡旋により山の霊気と清浄な空気までが感じられます。

「船頭の飛白(かすり)のもんぺ花菖蒲」
  小野 洋子

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こちらは潮来での句。素晴らしい菖蒲田が川沿いにずっと続いていました。その川には和舟が観光客を乗せて行き来していました。その船頭が女性であったことは驚きでした。菅笠に絣のもんぺの出で立ちは水郷の情緒を一層引き立てていました。かすりというのは所々かすったような文様を織り出した織物または染め文様のことで、飛白・絣と表記します。飛白の方の字を選ばれたのは紺地に白いかすり模様を染めたもんぺを表現されたものだと思います。作者の細やかな表現が光ります。また、もんぺという言葉を知っている方は相応の年齢の方でしょう。私は若かった母を思い出しました。広辞苑によると、もんぺとは袴の形をして足首のくくれた股引に似た服で、保温用または労働着とありますが、別名雪袴ともいうそうでこれには驚きました。

「川舟のそろりと廻り夏柳」
  皆川 眞孝

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この句も佐原での川遊びの句。水郷から見上げる江戸情緒あふれる町並みはまた違った趣があったことでしょう。乗客満載の平底の和舟を操るのは船頭にとって大変な労力を要するものと思われますが、旋回するのは更に難しい技量を要するものでしょう。ゆっくりそろそろ舟の向きを変えた情景をそろりという一語で表現されたのは見事でした。ゆっくり廻った舟に川辺から緑豊かな柳の枝が触れそうに垂れ下がっている景を美しく思い描くことができました。夏柳の季語により川風の爽やかさまで感じられます。

「白鷺の一本脚や遠浅瀬」
  木原 義江

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鷺は田圃や川、海の浅瀬などでよく見られる鶴に似た美しい大型の鳥です。小鷺、白鷺、青鷺、五位鷺など15種ほどが日本で棲息しています。この内、白鷺と青鷺が夏の季語となっています。
この句では遠浅とありますから三番瀬辺りの干潟の広がる海辺でしょうか。遠くまで広々と広がる浅瀬に一本脚で身じろがない白鷺の姿が浮かびます。休んでいるのか、潮に取り残された魚を狙っているのかは遠目には分かりませんが、一本脚で動かない白鷺の優美な姿が浮かびます。
鷺の脚の垂直の線と浅瀬の水平の線の対照も面白いですね。

「かすかなる潮風運ぶ海鞘(ほや)の膳」
  湯澤 誠章

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海鞘(夏の季語)とは何か? 食物であり、好きな人と嫌いな人、見たことはあるが食べたことがない人、食べてみたいと思わない人、全く知らない人に分類されそうです。私自身岩手を旅行した時見たことはありますが、到底食べる気がしませんでした。子供の頃教科書で見た原生の海に繁茂する海藻のように見えました。
広辞苑によると尾索類の総称とあり、尾索類とは原索動物の一綱で海産、固着性のホヤとあり、原索動物とは動物界の一門、あるいは脊索動物の一亜門とありました。何が何だかよく解りませんが、どうやら動物らしいということだけは解りました。
作者によると取り立てのものだと非常に美味、少しでも時間が経つと生臭くなるのだそうです。
新鮮な海鞘には潮の香がほのかにするのでしょう。好物の海鞘の膳を前にして満面の笑みを浮かべている作者の顔が浮かびます。

「赤茄子を丸齧りして山男」
   藤戸 紘子

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作者は若いころはよく山に登られたそうです。そんなときに目にされた光景でしょう。
一休みしている山男、よほど喉が渇いていたのでしょう。大きなトマト(赤茄子)にがぶりと齧りつきました。その豪快さは、見ていて気持ちが良く、好感がもてます。もしかして、この山男は一緒に登山したボーイフレンド?作者の青春の一コマかもしれません。 山男とトマトの組み合わせにユーモアを感じます。山男のいる場所の高さや、周りの山々の空気の清々しさまでを感じさせてくれる、夏らしい一句です。

今月の一句(選と評:木原義江)
「もぎとりし茄子に残りし日の余熱」
  小野 洋子

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    作者は茄子を家庭菜園で楽しんで作られているのでしょう。初茄子を取られて(もぎとる)手にした時の暖かさをそのまま句にされる実感がよく伝わります。 そうそう私も経験したことありと思い浮かべながら選ばせてもらいました。(木原義江)



トマトのほかの句

「湧水受く桶の不揃ひトマトかな」 
  宮ア 和子
「あかなすは食はぬと媼眇(すが)めして」
   渡辺 功

<添削教室>(藤戸紘子先生)
元の句
「日を受けしトマトの並ぶ無人店(むじんだな)
 皆川眞孝
無人店は大体道端など戸外にあるので、日を受けるのは当然なことですし、説明的ですので不要です、ここはトマトをもっと具体的に描写した方が面白いでしょう。例えば、先の宮アさんの措辞を借用して、次のように添削してみました。
添削句
「不揃ひのトマト並ぶや無人店」
  皆川 眞孝
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
サラリーマン川柳2018 [2018年05月28日(Mon)]
第一生命サラリーマン川柳2018


今年も、第一生命のサラリーマン川柳の上位が投票により決まりました。
ベストテンは次の通りです。イラストを適当につけて、ご披露します。
(皆川)

第1位
スポーツジム 車で行って チャリをこぐ
jym.JPG


第2位
「ちがうだろ!」 妻が言うなら そうだろう
tuma.JPG


第3位
ノーメイク 会社入れぬ 顔認証
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第4位
効率化 進めて気づく 俺が無駄
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第5位
電子化に ついて行けずに 紙対応
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第6位
「マジですか」上司に使う 丁寧語
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第7位
父からは ライン見たかと 電話来る
line.JPG


第8位
「言っただろ!」 聞いてないけど 「すみません」
ayamaru.JPG


第9位
減る記憶 それでも増える パスワード
password.png


第10位
ほらあれよ 連想ゲームに 花が咲く
hora.JPG

Posted by 皆川眞孝 at 09:00
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