新年のご挨拶2019 [2019年01月01日(Tue)]
新年のご挨拶2019
鹿島台からの初富士
皆様、明けましておめでとうございます。平成という名の付く最後の年、平成31年になりました。 初日の出は、東側の雲のために遅い時間となりました。三井台我が家から見た、雲の合間の初日の出です。 鹿島台からの富士山はきれいに見えました。外気温は零度でした。また、TVでヘリコプターから見たダイヤモンド富士を放映していたので、そちらもご覧ください。
我が家からの初日の出
TVのダイヤモンド富士 今年の新しい年号は何になるのでしょうか? 楽しみです。私達は、昭和・平成・そして新しい年と3代を生きるわけです。30年前の平成元年は、何歳で何をしていたか、お互いに思い出してみるのも一興です。 そして2020年には東京オリンピックが行われます。決定した時はずいぶん先に思えたのですが、もう来年です。元気で、オリンピックを、競技場か,それができなければTVで見たいものです。
オリンピックと言えば、初の東京オリンピック(1964年)を実現させた男として、今年のNHK大河ドラマ「いだてん」(六日より放送開始)の主人公の一人が田畑政治氏です。日本水泳の礎を築いた人ですが、なんと私の卒業した高校・浜松北高校(濱松一中)の大先輩なのです。フジヤマのトビウオ古橋廣之進(浜松出身)も田畑氏がみつけた一人です。私はどんなストーリーか知りませんが、脚本が宮藤官九郎ですので、楽しみです。皆様もぜひ見てください。
余談が長くなりましたが、生きていれば楽しいことが多いと信じて、健康に十分留意され、今年も明る元気に過ごしましょう。
そして、大事なお知らせがあります。この南窓会ブログは8年以上前に、今は亡き榎本かよ子さん、そして荒川さん、宮アさん達のご協力でスタートし、現在まで続いています。これは、ひとえに荒川さんが素晴らしい旅行記と写真を毎日掲載していただいているお蔭です。厚くお礼を申しあげます。ただ、荒川さんもご高齢ですし、荒川さんに全面的に頼ってばかりいては、申し訳けありません。荒川さんのご負担を少しでも減らすために、今年からは、ブログ会員の方は、ぜひ積極的に記事を載せてください。また、こんな記事を載せたいと送っていただいても結構です。また、記事の掲載回数は減るかもしれませんが、読者の皆様は、毎日チェックして、今まで通り見ていただけるとありがたいです。どうか今年もブログをよろしくお引きたてください。 平成31年元旦 皆川眞孝
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皆川眞孝
at 09:00
謹賀新年2017 [2017年01月01日(Sun)]
謹賀新年2017
明けましておめでとうございます。 新しい年2017年(平成29年)が始まりましたが、皆様はどのように迎えられましたか? 昨年はいろいろなことがありました。リオ・オリンピックは無事に終わりましたが、日本は多くの台風に襲われ大きな被害を受けました。また地震も止まりません。自然災害だけでなく、糸魚川大火災もありました。世界の動きにも、イギリスのEU離脱、トランプ氏の大統領当選、など波乱がありました。個人レベルでは、楽しいこと嬉しいことがあった反面、大切な人との悲しい別れを経験した方、思うように病が改善しない方、家族の病気が悪化した方、など苦しい年だった方もおいででしょう。それでも、外国と比較すれば、日本は平和で安定した国でした。
新しい年は新しい希望をもたらしてくれます。元旦を無事に迎えられたことに感謝し、前向きな気持ちで、健康に気を付けながら、一日一日を充実させて過ごしていきたいものです。
今朝は快晴、私の家から初日の出がきれいに見えました。明るい気持ちになります。その写真と、鹿島台からの今朝の富士と一緒に掲載して新年のご挨拶といたします。
日の出前の東の丘
新宿方面はまだ靄の中
日の出直前
初日の出の瞬間(午前7時)
初日を受けた富士山
富士山のアップ
日の出後の新宿とスカイツリー
本年もよろしくお願いします。 皆様のご多幸をお祈りします。(皆川眞孝)
なお、この記事の前に、本日アップした荒川さんの年末風景写真の「大晦日2016」もご覧ください。
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皆川眞孝
at 09:00
新年のご挨拶 [2013年01月01日(Tue)]
新年のご挨拶
明けまして、おめでとうございます。 新しい年を皆様いかがお迎えですか?
日本海側は、大雪だと聞きますが、ここ日野市は幸いにもおだやかな晴天です。 早朝には東の空には雲がありましたが、自宅の窓から、まずまずの初日の出を拝めました。
日の出前 東京スカイツリーも薄闇の中 だんだん日の出が近づく 初日の出 スカイツリーも明るく 今年は、この天気のように、だんだんよくなる一年になってもらいたいものです。 このブログは開始してから4年半となります。記事を書くのは大変ですが、継続することが大事と投稿の皆さんもがんばっています。読者の皆様からのコメントを短いものでも結構ですので、よろしくお願いいたします。
皆様の健康とご多幸をお祈りしています。 (皆川眞孝)
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皆川眞孝
at 11:10
町名地番変更の通知ハガキ(2の追加) [2010年08月01日(Sun)]
町名地番変更の通知ハガキ(2の追加)
前回のブログで、「余った無料葉書を集めて、不足の方に回す方法があればよい」と書きましたが、すでに三井台自治会と日野市都市計画課と協力して、南平東地区センターに回収ボックスを設けていました。 このボックスに余った葉書をいれて、必要な人が自由に持って行ってよい、というシステムです。無料ハガキが余った人は、ぜひこのボックスに入れていただきたいと思います。 ただし、この方法では、数枚から数十枚程度でしょうから、500枚必要となると、印刷を外部に依頼するしか方法がないと思います。
(文責:皆川)
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皆川眞孝
at 19:47
町名地番変更の通知ハガキについて(2) [2010年08月01日(Sun)]
さて、この住所表示変更を、いつ、どのように関係者に連絡するかの問題です。 私個人としては、固定電話・携帯電話・電子メールの利用により、最近は郵便の利用が激減しています。郵便だけで連絡を取り合っているのは、年賀状のやりとりの友人・知人だけです。 日々の郵便物は、電気・電話・ガス・水道・クレディトカードなどの請求書・領収書、旅行会社・銀行・証券会社などからのダイレクト・メールが殆どです。 また、町名地番変更に対する郵便局の対応ですが、引っ越しと違って、2〜3年は旧住所で宛名が書かれていても、新しい住所に配達してくれるとのことです。(もちろん新住所の方がベターですが)
したがって、私は次のような方法をとろうと考えています。 1) よく手紙やハガキが来る先には、「通知用無料ハガキ」を8月21日実施後に、郵便局経由で送る。(私の場合は50枚で足りるようにする) 2) メール・アドレスがある先には、ハガキを出す代わりに、住所表示が変更したというメールを送る(経費がかからず、内容を自由にかける) 3) 年賀状だけの友人・知人・親戚には、町名地番変更はすぐには通知しないで、年末に年賀状を出す時に新住所で書いて、その旨を伝える。(旧住所でも来年の年賀状は配達される) 4) 一般のダイレクト・メールはほとんど無視し、必要な先だけ電話で変更を通知する。 5) 金融機関・クレディット・カードについては、所定の用紙で、変更を届ける(郵便でも可) 6) ホットライン(電気・NTT・ガス・水道)は、日野市から変更通知をしてくれているが、請求書などがいつまでも旧住所の場合は、電話で連絡する。 7) その他、郵便の到着状況を見て、連絡した方が良い先にはできるだけ電話で連絡する。
いろいろな考え方の方がいらっしゃるでしょうが、私の方針は、基本的には、急がないで、のんびりやろうというものです。8月21日になったらすべてをきちんと短期間にしようと思うと、プレッシャーになります。 別に住所表示が変わったからと言ってすぐ郵便物に影響がでるわけでもありません。年金については、銀行振り込みですから、住所が変わっても、受け取りに問題はすぐに出でません。公共料金は、銀行引き落としですから、これもあわてる必要がありません。 会社勤めやお子様のいらっしゃる方は、会社や学校に連絡する必要がありますが、これも引っ越しと違いますから、通知するだけで、十分でしょう。 年末までに、到着郵便物の宛名を見て、必要なものを変更する、ということで対応できると思っています。 南窓会の会員の中で、どのくらい50枚以上必要かを調べてみますが、必要な方が多い場合は、パソコン印刷でお手伝いしようかと考えています。余った無料葉書を集めて、不足の方に回す方法があればよいと思います。 上記はあまり参考にならないかもしれませんが、私の考えをのべさせてもらいました。 (文責:皆川)
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皆川眞孝
at 13:52
町名地番変更の通知ハガキ(1) [2010年07月30日(Fri)]
町名地番変更の通知ハガキ(1) 三井台の町名地番変更の実施日(8月21日)が近づきました。皆様のお宅にも、日野市から「町名地番変更通知書」や「通知用はがき」などの書類が届けられたことと思います。 この「通知用はがき」について、三井台にお住まいの島村様から、次のようなコメントをいただきました。皆様にも関係のある重要なポイントですので、島村様のコメントをまずご紹介し、ついで、私の考えを述べます。これは、私個人の考えで、南窓会の意見を代表しているものではありません。(文責:皆川
<島村様からのコメント> 町名地番の変更については、会長様はじめ、多大なご尽力を頂き、誠にありがとうございました。 これから関係先に、住居表示変更通知を発送する必要がありますが、日野市が提供する無償ハガキは50枚なので、不足するご家庭もおありかと存じます。 私も500部ほど必要で、「町の印刷屋さん」数社に見積依頼をいたしましたところ、25,000円から、7,980円と、業者によりバラバラの見積額を示されました。 このはがきは、重量や寸法など「郵便法」に準拠した仕様を要求され、用紙などを日野郵便局に提示して、事前の承認が必要と地番変更の説明書に書いてあります。 これもかなり煩雑なので、日野郵便局に「お配り頂いたハガキはどこに発注されたのですか?」と伺い、発注先を教えていただきました。 私のように、増刷が必要な方々もおいでと存じますので、もしご必要なら、郵便局が通知用はがきを発注した印刷会社をお知らせします。 また、お手数はおかけしますが、もし南窓会として、住民の要求部数の取りまとめをして頂ければ、単価の切り下げも可能ではないでしょうか? 但し、文面の変更などがあれば、単価の引き下げは期待できないと考えます。 なお、日野郵便局や、この印刷業者と私とは、本件についての一切の利害関係はありません。念のため。
***** 先便にて、住居表示変更通知のハガキの増発についてのお話を申し上げましたが、日野郵便局の印刷発注先からの、見積もりが到着しました。 500部 送料込 7,850円 1,000部 同上 8,900円 2,000部 同上 11,000円 という結果でした。以上お知らせまで。 2010年07月26日(月)
<皆川の考え> まず、「無料ハガキ」について、日野郵便局で確認したことを列記します。 1) ハガキに、自分の番地と名前、それに相手先の住所・氏名を記入して、郵便局に持ち込むか、所定の封筒(切手不要)で送る。
2) このハガキは、郵便局が配達の便宜のため相手先に送付するという建前で無料扱いとなっているので、配達と関係のない電話番号、メールアドレスは書いてはいけない。
3) 無料ハガキを受け付ける期間は、特に決めていないが、できるだけ早く持ち込んでほしい。
4) 無料ハガキを何度かに分けて郵便局に送る場合、一般封筒に、同封封筒と同じ文(日野支店集配営業課あて)を書いて送れば、切手は不要。
5) 自分で無料ハガキを印刷する場合は、表・裏とも、同封ハガキと同文とする。 (差出人は、郵便局の「日野支店」となる)
50枚のハガキで不足する場合は、自分で印刷しなければいけません。 島村様が調査してくれたように、印刷を依頼する場合1枚15円以上(500枚印刷の場合)かかります。パソコンで印刷する場合も、はがき用紙だけで1枚10〜15円かかります。できるだけ、ムダな出費を抑えたいと思い、私としては、次のような対策を考えています。 (続く)
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皆川眞孝
at 13:16
夢が丘小学校の卒業式に出席 [2009年03月26日(Thu)]
夢が丘小学校の卒業式に出席
-自治会長の独り言ー
夢が丘小学校から、自治会長あてに卒業式の招待状が届きました。今の小学校の卒業式を来賓として見られる貴重な機会ですので、出席してみました。小学校の卒業式は、娘のも出席したことがありませんから、自分の卒業式以来56年ぶりです。
体育館に入ると、すでに在校生(5年生)と父兄は着席していました。全員の拍手のうちに、卒業生がひとりひとり入場です。今年の卒業生は2クラス54名ということです。やはり少子化の影響で少ないと思いました。全員起立の国歌斉唱はのあと、校長先生から卒業証書がひとりびとりに渡されました。
その前に、卒業生は、自分の想いを一言づつ発表します。中学生になってがんばるぞ、とか両親への感謝とか、将来自分のなりたいこと、などです。卒業生が少ないのはいいなと思いました。私の卒業とのきは、400人ぐらいの卒業生でしたから、一人ひとりが話すなど考えられませんでした。
矢野学校長の式辞も、印象的でした。カメとウサギの話を子供達と議論した時、みんなは、油断したウサギが悪いというが、一人の児童が「カメはウサギが寝ていたら起こすべきだ、病気だったかもしれない、卑怯な手段で勝ったら友達を失う」と発言し、校長先生もその考えに感心したそうです。このようにいろいろな考えがあり、個人の考えを尊重しよう、という結論でした。
教育委員会の告辞、来賓祝辞と続いて、「門出の言葉」になりした。現代的だなと思ったのは、卒業生全員が前に出て並び、一言づつ、1年生入学から6年生になるまでの思い出をしゃべることです。途中で全員の合唱やお礼の言葉があり、それから5年生との言葉によるやりとりもあり、学芸会をみているようでした。
私の時代は、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞、でしたから、このような全員参加は平等主義教育のあらわれでもあるでしょう。練習を通じて連帯感が強まり、集合教育にもなるし、それぞれの卒業生の思い出にもなるし、よいことだと思いました。ただ、人数が多いと大変でしょうから、少子化も良い面があります。 私たちのおなじみの「蛍の光」や「仰げば尊し」がないのがちょっと残念な気がしましたが、これも時代の流れでしょう。 ひとつだけ、失敗したのは、体育館が寒いのをうっかりしていたことです。どんどん体が冷えて、手をこすりながら、参席していました。ホカロンを持っていくべきでした。
卒業式は規律正しく厳粛な中にも、卒業生を大事にする気持ちのこもった暖かいものでした。卒業生の皆さん、ご家族の皆さん、ご卒業おめでとうございました。(文責:皆川)
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皆川眞孝
at 08:51
地域懇談会に出席 [2009年03月08日(Sun)]
地域懇談会に出席 2月22日(日)に、日野市主催の「地域懇談会」(七生中学校にて)に出席しました。これは、近隣自治会同士の交流と、地域と市との交流のために懇談を行うものです。
日野市からのお知らせとして 1) ふだん着でCO2をへらそう宣言 2) 日野市の財政状況 3) 地域別の話題 の3つがありました。
CO2を減らそうという運動は、市長が先頭になってすすめています。
日野市の財政については、世界的な金融危機が日野市を直撃して、来年度は23億円の減収となる見込みで、市長の給料削減、職員の人件費削減、新規建設の中止、一般経費削減で対応するそうです。「市民サービスを最優先」とは言いながらも、市民への影響は出るでしょう。
地域別の話題としては、「1番橋から北野街道に抜ける京王線踏切立体化計画」は、「ガソリン税の一般財源化」の影響を受けて工事が遅れますが、1年半後には一部通行可能となる予定だそうです。
懇談として出た話題は、次のようなものです。 1) 防災について 2) 防犯について 3) 高齢者支援について
防災について、消防署から住宅用火災警報機設置を促進してほしいと依頼がありました。自治会が中心となって購入をすすめているところもあり、当自治会も今年度の課題として検討する必要がありそうです。
高齢者支援については、「災害時要援護者避難支援プラン」のモデル地区を募集中とのこと。自治会と市が協力して、災害時の要援護者の情報を交換しておこうということで、老齢化の進む当自治会も、検討してみる価値があります。
日曜日にもかかわらず、日野市の関係部職員がほとんど出席で、質問にも丁寧に答えてくれて、自治会と協力しようという姿勢がよくわかり、ありがたいと思いました。(皆川)
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皆川眞孝
at 08:40
「町内会長顛末記」の紹介(5―完) [2009年02月01日(Sun)]
「町内会長顛末記」の紹介(5―完) 元国会議員の武村氏でもマンション建設を防げず、敗北感を味わいました。地方自治体にもっと住民側にたってほしいと注文をつけています。さて、最終回は、町内会会長を終わった後の感想です。以下の文章は、割愛せずに原文をそのまま載せてあります(皆川) 町内会長顛末記(5-完) (武村正義) 最後に、町内会の仕事で学んだことにふれておきたい。
その一つは、日本人のくらしの現場には自治がまだ生きているということである。名前や形はまちまちであるが、それは慣わしの故であったり、生活上の必要の故であったりして実在している。国政や地方政治は必ずしも有権者の期待に応えているとはいえないが、有権者にとって最も身近な町内会自治の政治は生命を保っているのだ。 全国には数十万の町内会があり滋賀県にも3000をこえる町内会がある。自分たちの身近な問題は、自分たちの知恵と汗で解決していく。文字通り自治の原点はまだ灯がともっているのだ。日本は大きな転換期を迎えている。閉塞感が漂い、多くの分野が展望の開けない状況にあるが、その中で、最末端の自治はかろうじていまだに健在であることに、私は、ほのかな希望を見出したい。
その二は、私にとって直接民主主義の体験は非常に新鮮であったことである。町内会は実質主義であった。服装も発言もかざりがない。表現もストレートであり、喜怒哀楽も正直に表に出てしまう。発言の整理にとまどったり、議論のペースを揃えることにむつかしさを感ずるときもあったが、多くの発言には裏表がないだけに、頭でよりも肌でうけとめてくれた。何か起こったら、大事なのは即行動であった。説明よりも、ことの結果をみて人々は判断する。草の根民主主義の面白さや、遣り甲斐を生々しく体現させていただいた。 長年の慣行のお陰で、満1年経ったら、さっさと新しい三役にバトンタッチすることができたが、私は「終の棲家」と思っている町内の大方の人たちと、この1年間で顔見知りになれたことが、大きな財産だと思っている。 七十三歳の春、私は爽やかな気分で町内会長辞任のあいさつをすることができた。(完)
+++++++++++++++++ なお、この全文については、次の takemura.pdf をクリックすればお読みできます。ただし、字が小さいので、拡大するか、印刷してください。
終わりにあたり、上記を最初に紹介してくれた菊間副会長、そして転載を快諾してくれた竹村氏、「経友」誌に、お礼申し上げます。(文責:皆川)
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皆川眞孝
at 07:50
「町内会長顛末記」の紹介(4) [2009年01月31日(Sat)]
「町内会長顛末記」の紹介(4)
武村会長は、町内会運動会の応援合戦で見事優勝し面目を保ちました。川掃除やドブ掃除では慣れない肉体労働をして、黙々と仕事をする人達を見て「日本の自治は健全だ」と感じました。ところが、よい話だけでなく、今回は大きな問題が発生して、町内会活動の限界を知り、挫折感を味わいます。(皆川)
町内会長顛末記(ダイジェスト)(4) (武村正義) 次に、マンションの進出にともなう騒動について触れておきたい。 私たちの町内は、全域が商業地区になっている。JR大津駅へは歩いて10分であり、交通条件は恵まれている。このために、こともあろうに私の町内会長のこの1年間に、3つのマンション建設が、町内で浮上してきたのである。 この国では土地は私有制であり、法律の範囲内で建物を建てようとする人に対して、行政当局も近隣住民も「やめて下さい」という権利はないのである。そのことを日本国の一角で、かって国会議員も経験させていただいた私が痛感させられることになった。 一番目のマンションは、私の東隣の土地で出来(シュッタイ)した。120坪の土地に9階建てで48世帯の入るマンションを建てるという。 「突然に静かな住宅地にマンションを建てるといわれても納得できない。」 「平穏な住環境を壊す権利があるのか。」 「日当たりが悪くなる。風の動きも変わる。法律がどうあれ、われわれが承知しないかぎり絶対に着工しないでくれ。」 業者と住民の対話は始まった。しかし話し合いも、2回、3回になると、住民側の声は微妙に変わっていく。 「賃貸の住民は無責任だ。分譲マンションにかえられないか。」 「日照の関係で9階建てを6階にできないか。」 業者の説明会は5回に及んだが、最終的には町内会側が文書で反対と疑念の意思表示をし、これに業者が回答をすることで終わった。
戦いは終わった。5回の口論で、住民側は突破口を見つけられない。住民側には敗北感と諦めがただよう。1年以上かけて激しい反対運動がくり広げられたが、マンションは堂々と建ってしまった。 「武村さんがいても止められんようではどうしようもない」と、笑いながらなぐさめてくれる人もでてきた。 「仕方がない」とも思うが、私は「これでいいのか」とも思う。住民の直接的な利益は、もっと真剣かつ多面的に守られてよいと思う。市役所をはじめとした自治体行政が、住民の側に立って調整役を果たしてほしいと思った。 (続く)
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皆川眞孝
at 08:22
「町内会長顛末記」の紹介(3) [2009年01月30日(Fri)]
「町内会長顛末記」の紹介(3)
前回は、町内会の回覧文書の多さに驚き、また昔の大蔵大臣の顔で、税務署に町内会に協力させたことが書いてありました。会長としての大きな成果でした。また、夏祭りの準備の大変さと、楽しさを述べてありますが、このあたりは三井台とは違って古い伝統的な町だと感じました。今回も、町内会長としての奮闘振りです。(皆川)
町内会長顛末記(ダイジェスト)(3) (武村正義)
秋の運動会は、町内対抗の応援合戦になった。私の町は毎年のように競技と応援コンクールで優勝しているという。「今年も武村さん頑張ってよ」と激励される。応援合戦は準備が大変だ。どう仮装をして、みんなで賑やかに応援するかの競争である。相談して決まったのが、「ちびまる子ちゃん」である。その大きな頭の部分を共同の工作作業で作り上げることになった。ざっと1か月かけて、毎夕数人が2時間作業してやっとできあがる。大きな人形の頭は3個作ったが、直径は1メートル50センチぐらいはあった。
それに、町内の全員が頭に載せる簡単な仮面づくりもやる。子供達も一生懸命。 当日は終日、全員で競技も応援もがんばる。まずは、応援競争で優勝。競争競技の方も総合で準優勝。私は名前を呼ばれて、うやうやしく表彰状を貰うことになった。こんなことは初めてであった。 その夜は、町内挙げて文字通り子供も老人も参加して打ち上げ会をやった。
1年に2回、全員参加で川掃除とドブ掃除もしなければならない。「川掃除」は川の中に生い茂っている雑草を刈り取ることが主な仕事である。今年は役員だっただけに、作業の前後も走り回った。ヘドロや草木を入れる厚くて大きなドンゴロスの袋と、普通のビニール袋をあちこちの町角に置いて歩いた。作業のあとは草や土のつまった重い袋をトラックに積み上げる。私にとっては慣れない肉体労働であった。 私は町内会に自治は生きていると思った。自分たちのことを自分たちの労働で解決する。税金は使わない。公務員に注文するのではない。私よりはるかに年上の高齢者などが黙々と汗を流している姿をみて、「日本の現場はまだまだ健全だ」「政治や地方自治の原点はかろうじて守られている」と思った。
総会で発言があった。「この町内に何人くらい一人暮らしのお年寄りがおられるのか。」「万一のことを考えると、高齢者の状況を自治会の役員は知っていた方がよいのではないか」70軒の町内に一人暮らしのお年寄りが17名もいることがわかった。大津市のような古い町の一角も、65歳以上が過半数を超える、いわゆる「限界集落」の時代が近づいてきているのかもしれない。
(続く)
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皆川眞孝
at 08:34
「町内会長顛末記」の紹介(2) [2009年01月29日(Thu)]
「町内会長顛末記」の紹介(2)
前回は、武村氏が町内会のことは何も知らないまま、奥さんからは、「あなたには無理だ」といわれながらも、町内会長を回り番で引き受けたいきさつが書かれていました。どこも同じだなと、苦笑しながら読みました。さて、町内会長としての活躍はどうでしょうか。続きをお読みください。(皆川)
町内会長顛末記(ダイジェスト)(2) (武村正義)
(回覧文書としては)市役所の指示や案内事項が多いが、国の出先機関や県の仕事の広報もある。各種団体の機関紙の配布もさせられる。これに町内会独自のお知らせが加わる。ビラを組長宅に届ける。町内会費の収集や夏祭りの寄附や交通事故共済の申込などお金にまつわる仕事も少なくない。 一体一年間に何回組長さん宅を訪ねたことだろうか。雨の日も風の日も。緊急事項になると夜になる。細くて暗くてデコボコの多い路地をころびそうに歩く。50回をこえたのではないか。
町内には30ほどの法人がある。立派な町内会メンバーである。地方銀行の本店もあるし、労組の事務所や福祉の団体もある。さらに税務署と職安ハローワークもある。ふたつのお役所だけは知らん顔だという。 「武村会長、税務署と職安に何らかの協力を要請してみて下さい」といわれて、ふだん着でお役所(税務署)の玄関をくぐった。顔は知られているので、真っ直ぐに2階の署長室に案内された。 「今日は町内会に何らかの協力がいただけないかと思ってきました。」 「少し考えさせて下さい。みんなで議論してみます。」 結果的には「年に何回か手分けして、早朝に税務署周辺の道路の清掃活動をいたします」という返事がかえってきた。これはホットニュースである。 1年の行事で大変だったのは、夏祭りと秋の運動会だった。その準備と後始末にかなりの神経と体力を使うことになった。 夏祭りは丸二日間。八月下旬である。その中味は地蔵盆とカラオケ大会と盆踊り。このためには、テント張りや舞台づくりや櫓建てをしなければならない。さらにその飾り付けから飲食のサービスもやる。おでんと焼き鳥、焼きそば、ソーセージ、かき氷など。その材料の購入など料理の準備をするのも大変だし、当日の味つけや衛生の気づかいまで、まさにテンヤワンヤの大騒ぎである。 カラオケになると、真っ先に歌わなければならないし、踊りがはじまると先頭に立って江州音頭を踊る。老若男女が入りまじって、人間臭い真夏の舞台がつづく。ちいさな世界だが、そこには格式も序列も権威もない。 (続く)
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皆川眞孝
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「町内会長顛末記」の紹介(1) [2009年01月28日(Wed)]
「町内会長顛末記」の紹介(1)
三井台自治会の菊間副会長から、「町内会長顛末記」という一文を紹介されました。これは、元大蔵大臣の武村正義氏が、東京大学経済学部の「経友」誌(172号2008年10月)に投稿したものです。武村氏は八日市市長、滋賀県知事、衆議院議員を歴任し、引退しましたが、地元の町内会会長を1年間務め、その経験談を寄稿したものです。 大物の政治家であった武村氏ですが、町内会の会長としては悪戦苦闘したようです。ただ、会長職を楽しんだご様子で、町内会は地方自治の原点だとも学んだそうです。町内会(自治会)の規模や仕事内容も違いますが、自治会の役員をしている私たちにも参考になるところが多く、また力づけられました。 文章は軽快で、内容も面白いので、自治会の皆様にもぜひご一読いただきたく、「経友」と著者の許可を得ました。ただ、ブログに掲載するには長い文章なので、一部を削って5回に分けて掲載します。(イラストは、こちらで挿入) (皆川)
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町内会長顛末記(ダイジェスト)(1)
(武村正義) 七十二歳になった昨年の春。滋賀県大津市の一角で町内会長を引きうけることになった。上平蔵(かみへいぞう)町という。戸数70、法人30ぐらいの標準スケールの自治会である。
半年ほど前に隣のNさんから囁かれた。「武村さん、新年度には三役がまわってきますよ。」一瞬「ええっ?」と思ったが、すぐに観念した。 早速その夜、妻に話してみた。「来年は町内会の三役がまわってくるよ。」
妻は顔色をかえて反対した。「そんなの無理よ。あんたにできるはずがありません。三役がどれだけ忙しくて、煩わしいか知っているの?断ってきなさい!」妻は辞退できるものと思って息巻いているが、私は内心、「村の掟」には抵抗できないし、むしろ素直に従うしかないと判断した。とにかく、これまでは公務のせいで断ることが許されたが、最近はブラブラ一人で散歩する姿を見かけられているだけに、断る理由が見つからない。 三役というのは、会長と副会長と会計担当のことである。そのどれが当たるかは、三人で相談して決めることになっているという。
それにしてもどの程度忙しく煩雑なのか、私は町内会の現会長のOさんのところへ行って伺ってみた。「思っていたより大変ですね。とにかく会合が多いし、時間を取られます」
4月には、全住民参加の総会があり、就任のあいさつとなった。とにかく1年の任期だからあまりはりきらないで、淡々と勤めあげようと思った。
まず最初の仕事は、小学校単位でつくられている自治会連合会への出席であった。市役所からの指令や町外の情報はここに集約され、ここから降りてくる。 帰りに資料を沢山わたされた。びっくりしながら、隣の町内会長にきいてみた。「この資料をみんなに配って歩くのですか。」「全員に配るものと、組長に配って回覧してもらうものと二種類あります。それぞれ枚数を数えて組長さんまで配る必要がありますね。」
(続く)
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皆川眞孝
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空き巣の被害その後(1) [2009年01月04日(Sun)]
空き巣の被害・その後(1)
10月のブログで、妻の友人が空き巣の被害にあった話を掲載しました。(こちらをクリック)
彼女から、その犯人が捕まったというニュースが届きました。ただ、犯人が捕まっても、その後が大変だとわかりました。人ごととは思えませんので、皆さまの参考になるだろうと思い、彼女のメールから転載させてもらいます。
「12月に入って突然、四国のさぬき警察から電話が入り、窃盗団の一人が捕まったが心当たりが無いかとの問い合わせ・・・ 犯人の自供のたびに、何度か電話のやり取りをして、亡夫がロンドンで買ったアンティークの金の懐中時計で盗まれた3個の内の一個、一番良い物が東京の質屋に売られて居ました。 金の鎖は外されていました。 夫が銀座和光にオーバーホールや修理に何回も出していて、その伝票が沢山残っていて、時計の特徴、番号などが手がかりになりました。
12月中旬四国から犯人を連れて現場検証にきました。 犯人の写真のみ見せられました。まだ21歳の若者、日本人でした。 彼は大型窃盗団の下っ端で、時には見張り、盗みの手伝い、などいろいろさせられていたようです。
近所では3軒被害にあって居ました。 静岡でも犯行に及んでいて、明日は静岡によって現場検証すると言っていました。 (続く) (文責:自治会 皆川)
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皆川眞孝
at 15:41
ブログ年賀状 [2009年01月01日(Thu)]
三井台から見る「初日の出」
2009年1月1日.. AM7:00 皆様
あけまして、おめでとうございます。
新しい年を、どのように迎えられましたか? 昨年は、暗いニュースが多かったうえに、世界的な大不況に襲われましたが、 今年は明るい面を見て、楽しく暮らすようにしたいものです。
このブログが、地域の皆様の交流の場として、すこしでもお役にたてばよいと思います。 読者と、投稿者がますます増えることを希望しています
私個人の年賀状です。本年も、どうぞよろしくお願いします。 (文責:皆川)
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皆川眞孝
at 07:18
鹿島台自治会祝賀会出席報告 [2008年12月15日(Mon)]
鹿島台自治会祝賀会出席報告 鹿島台自治会は、今年創設40周年を迎え、11月22日に記念祝賀会が、ザ・クレストホテル立川で行われました。近隣自治会長が招待され、私も出席しました。 鹿島台の自治会は約580世帯ですが、このパーティには200人以上が出席とのこと。午前11時に送迎バスが鹿島台の道路にずらっと並びました。
バスに乗り会場に行ってみると、受付で全員に名札を渡しています。広い会場で、立食でなくテーブル椅子方式です。これはお年寄りが多いからとのこと。
馬場市長も到着して、12時に祝賀会が始りました。40周年事業のために2年以上前から実行委員会ができて、講演会、コンサート、植樹、記念誌刊行などを進めてきて、祝賀会がその総仕上げとの話がありました。 市長からは、お祝の言葉と、自分も日野の生まれで、子供のころ鹿島台は高幡山で、遠足にきたという昔話がありました。また、このような記念事業は、自治会としては初めてではないかということでした。
馬場市長の挨拶 そのあとは、豪華なフルコースのフランス料理と、ミニ音楽会、子供たちから長く住んでいる方に花束贈呈、よさこい鳴子踊り、など余興が続きます。
地元のテノール、ソプラノ歌手 感心したのは、司会者、出場者(ピアノ、声楽、踊り)がすべて鹿島台の住民というlことです。講演会の講師(医者、歴史学者)も住民で、タレントが多いのに驚きです。 この豪華パーティのコストは、今まで自治会として蓄積されていた留保金を使ったので、参加費は一人1000円だそうです。
正直、このような事業を実施できた鹿島台自治会は、すばらしいと思いました。準備は相当大変だったでしょうが、笹野自治会長のお話では、大事なことはその過程で住民同士が目的を達成するために協力しあい仲良くなったことで、その効果は大きいと思います。
ところで、わが三井台自治会ができてからは、もう44年たちました。ただ、記念事業というのは思いつきませんでした。鹿島台の真似はちょっとできませんが、自治会会員が集まり、交流を深めるのは意義があります。また、探せば三井台自治会にもタレントが多いのではないかと思います。次期自治会長に、45周年事業をお願いしたくなりました。皆さんのお考えはどうでしょうか? (自治会長:皆川)
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皆川眞孝
at 10:11
「海鷲とともに」−自治会長の独り言 [2008年12月08日(Mon)]
写真集「海鷲とともに」(榎本哲)のご紹介 ―自治会長の独り言
(モートロック島の零式観測機ー撮影:榎本哲氏)
今日12月8日は、大東亜戦争の始まった日です。今から67年前の昭和16年(1941)12月8日に、日本は米英に宣戦布告して真珠湾を攻撃しました。今では、戦後生まれの人も増えて、この日を覚えている人も少なくなりました。完膚なきまでに戦争に負けて、戦争の悲惨さを経験した日本人は、2度と戦争を起こさないように決心してそれを実行していますが、残念ながら世界のどこかで戦争がおきています。 今から見れば、あんな馬鹿な戦争を何故したのかと思いますが、その当時の日本人はこの戦争を日本が生き残るためと考えていて、若者たちも日本を救うために自分たちの命を捨てて戦いました。そのような尊い犠牲の上に、現在の日本があることを忘れてはならないと思います。
最近、「海鷲(うみわし)とともに」(平成12年発行、文林堂)という写真集を入手しました。これは、自治会の榎本かよ子様のご主人の榎本哲(さとし)氏が撮影記録した海軍での4年間の貴重な写真をまとめたものです。榎本氏は、大正7年生まれ、東京工業大学卒業してすぐ飛行機整備予備学生として昭和16年に入隊、海軍予備機関少尉として航空母艦「飛龍」に乗船、ミッドウェイ海戦で奇跡的に助かり、三重航空隊教官、トラック島分隊士、追浜航空隊教官、昭和19年には海軍大尉として整備分隊長を歴任して、昭和20年8月の敗戦を迎えました。 学生時代からカメラが趣味で、戦争中も勤務の傍ら写真をとったもので、これだけまとまった枚数で軍隊内部の写真が残されたのは奇跡的ともいえる貴重な資料だそうです。 榎本氏は、戦争で亡くなった同期生・先輩・後輩のことを常に考えて、公表することなく、これらの資料を自分のコレクションとしていましたが、退職後、関係者から強い要望を受けて、一冊の本として出版したものです。榎本氏はその本の出版後翌年の平成13年に亡くなられました。
この写真集は150ページのすばらしい記録で、航空母艦「飛龍」時代のものはミッドウェイ海戦で失われましたが、榎本氏はご自身の記憶で絵画を描かれています。
上)「機動部隊上空における零戦の激撃」(榎本哲氏描く)
下)「空母・飛龍から発艦していくミッドウェー島攻撃隊」(同上)
榎本夫人のご了解を得て、そのうち数点をブログで紹介します。 数多くの写真は、単なる記録にとどまらず、戦闘中にかかわらず詩情を感じさせます。
左)鹿児島・香取基地を離陸する彩雲一番機 右)トラック島の海に着水した零式観測機
モートロック島の零式観測機 この本をご覧になりたい方は、皆川までご連絡ください。 榎本氏は次のように語っています、「将来のある同期生・先輩・後輩が国を守ろうとして死に向き合い散っていきました。戦争は、物も精神も壊してしまいます。二度としてはなりません。彼らの無念の思いを忘れないために、この本を役立たせたいという気持ちです」 この開戦記念日に、榎本氏の言葉改めて噛みしめたいと思いました。 (文責:皆川)
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皆川眞孝
at 17:46