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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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風の中のマリア(読書感想)  [2011年04月22日(Fri)]
「風の中のマリア」(読書感想)
 

(講談社発行、2009年3月)

「風の中のマリア」というタイトルで、どんな内容の本を想像しますか?主人公は亜麻色の髪を風になびかせた若い美しい女性でしょうか?
いいえ、実は、この本の主人公は、恐ろしい顎をもつ獰猛なオオスズメバチの一匹の働き蜂(メス)です。著者が勝手にこの蜂を擬人化して、その動きの速さから「疾風のマリア」という名前を付けています。

この本の著者は、以前このブログで紹介した「永遠の0(ゼロ)」の百田(ひゃくた)尚樹氏です。
(「永遠のゼロ」のブログは次をクリック
https://blog.canpan.info/nsk/archive/957

この小説は、働き蜂マリアが羽化してから死ぬ瞬間までの約1カ月間のストーリーで、マリアの立場から、その行動や考えを描いています。オオスズメバチの生態を知らず知らずに勉強できるようになっています。

働き蜂は、すべてメスというのもこの本を読んで知りました。働き蜂は、常に女王蜂と幼虫のために、食べものを得るために、他の虫を捕獲し続ける一生であり、メスでも子供を産むことはありません。その命も30日ほどです。ハチの世界で最強といわれるオオスズメバチは、一匹の女王蜂を中心に帝国を築いています。

マリアは、帝国の最盛期に生まれ、狩りに明け暮れる毎日を過ごして居ますが、日が経つにつれて獲物が少なくなっていきます。黄色スズメバチと、死闘をくりひろげますが、その熾烈な戦いは、「永遠のゼロ」の中の戦闘機同士の戦いを思い起こせます。オス(複数)の誕生と、新しい女王バチ(複数)の誕生とともに、現在の帝国が次第に崩壊し、新しく生まれた女王蜂を中心に別の帝国が築かれていきます。
帝国のために、自身の命も顧みず戦う働き蜂の姿は感動的で、日本の為に散って行った兵士の姿が重なります。

私は、虫は嫌いで、スズメバチは特に危険な虫だと警戒していましたが、ちょっと見方が変わりました。
ハチが主人公といっても、童話と違って大人が読むためのスリルのある小説で、一息に読ませます。(皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 20:27
書評「武士の家計簿」 [2010年12月23日(Thu)]
書評「武士の家計簿」
(磯田道史著)(新潮新書2003年)

江戸時代、武士はどのような生活をしていたのでしょうか?農民から年貢を厳しく取り立て、商人には威張りくさり、切り捨て御免と肩で風を切って歩き、恵まれた生活だったのでしょうか?

 この「武士の家計簿」は副題が「『加賀藩御算用者』の幕末維新」とあるように、幕末に生きたある武士の家計を通じた暮らしぶりの真実を明らかにしています。映画「武士の家計簿」の原作として有名になりましたが、小説ではなくて、わかりやすく解説した学術書です。



著者の磯田氏は、まだ39歳と若い学者で茨城大学准教授、専攻は日本社会経済史、古文書の専門家でもあります。
著者は、神田の古本屋が15万円で売り出した「金沢藩猪山家文書」をたまたま目録で見つけ、飛びついて購入しました。この古文書は、予想を超えた内容でした。金沢藩武士の家の36年分の家計簿のほかに、書簡や日記が含まれていました。

猪山家は代々金沢藩の「御算用者」(経理業務担当役人)として、およそ武士からぬ技術の「そろばん」ひとつで奉公していて、身分も俸禄も低い武士でした。5代目の時に、直参に取り立てられますが、俸禄は切米40俵に過ぎず、武士の体面を保つために借金が増える一方でした。この家計簿は8代直之が始めたものですが、日常の収支から冠婚葬祭の費用まで詳細に記録しています。また、借金の返済のために、家財道具を売り払った時、何をいくらで売ったかの細かな明細まであります。
著者は、この家計簿を分析し、解説し、当時の武士の暮しの実態を明らかにします。大変な労作であり、へたな時代小説よりも面白いと思います。

この本を読んで、勉強になった点が沢山あります。そのいくつか列挙してみます。
1) 江戸幕府の体制は、武術のできる武士だけでは成り立たず、行政を行うための下級武士(官僚)も必要で、読み書きやそろばん(算術)ができるものは取り立てられた。

2) 「そろばん」などの技術は世襲ではなく個人能力であるので、能力のある下級武士が行政制度に入り込むことにより、身分制度が崩れていった。
3) 武士は主君から俸禄を貰っていたが、その一方、身分や体面を保つために家来を雇い、親戚同僚と付き合い、その費用が大きかった。そのため、経済的には苦しかった。
4) 江戸時代の終わりには、武士は経済的には羨ましい身分ではなくなっていた。権力はあっても、商人や地主のほうが経済力は上で、そのために、農民や商人から武士社会を壊そうとする革命運動がおきなかった。
5) 武士の借金の相手は、親類が多かった。一種の相互扶助である。そのために、結婚も家格が同じぐらいの相手を選んだ。

江戸時代の貨幣については、金1両とか銀1匁はどのくらい価値があるか興味があります。この本に一覧表がありますので、これは参考になります。


先日、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」という番組に、著者の磯田先生がでていました。この本を読んだ後でしたので、親しみがわきました。番組の内容については、次をクリックすると見られます。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20101214.html

この本を読み、江戸時代の武士も現代のサラリーマンと同じように、借金問題、教育問題、親戚付き合い、など生活で苦労していたとわかり、なにか同情心がわきます。現在、家計簿をつけている方は、ぜひ後世まで残してください。200年後には、研究の対象になるかも知れません。映画とセットで、この本も推薦できます。
(文責:皆川眞孝)
Posted by 皆川眞孝 at 10:08
「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹著) (読書感想) [2010年12月10日(Fri)]
永遠の0(ゼロ)
(百田尚樹著・講談社文庫) (読書感想)



中国による尖閣諸島沖領海侵犯、ソ連大統領による北方領土訪問、北朝鮮によるヨンピョン島砲撃、と最近は、日本の周辺で国防に関する問題が次々と発生しています。国民の目も、やっと日本の防衛問題に向いてきたようです。
この本は、太平洋戦争で、日本を守るために戦死した一人のパイロットの話です。著者は、百田(ひゃくた)尚樹、戦後生まれの放送作家であり、この小説で作家デビューをしました。この本は、良いタイミングのようですが、実は2006年8月に出版されています。ただ、文庫本になり、いろいろな雑誌で取り上げられ、戦争を知らない世代にも多くの読者がいるのは、喜ばしいことだと感じます。600ページに近い長編ですが、やさしい文章と構成がよいので、すらすらと一気に読ませます。なお、表題の「0(ゼロ)」とは、「零戦」(零式艦上戦闘機)のことです。

ストーリーは、終戦から60年経った夏、司法試験4年連続不合格の健太郎が、姉の依頼で、実の祖父のことを調べるところから始まります。数年前に死んだ祖母は今の祖父と再婚する前に、戦争中に結婚した相手があったのが、わかりました。戦争中に生まれた娘が自分たちの母で、最初の夫が、実の祖父だったのです。その祖父(宮部久蔵)はゼロ戦のパイロットで真珠湾攻撃にも参加し、その後南方諸島を転戦し、昭和20年、終戦の数日前に特攻隊で戦死したということです。このような簡単な情報から、健太郎と姉は、祖父を知っている戦友を探して、祖父の短い生涯について聞き取り調査を始めました。

祖父に関して最初に聞いた話は、落胆させられるものでした。彼は、生き残ることばかり考えて、戦いから逃げ回り、評判の悪い臆病者だったというのです。しかし、次に聞いた話では、祖父は勇敢ではなかったが、天才的に操縦や戦闘がうまいというものでした。また、祖父が戦闘で守ってくれて命を助けられたという元部下も現れました。なぜ無謀なことをしなかったのか?それは、祖父が、「妻と娘に会うために生きて帰りたい」といつも願っていたからだとわかりました。絶望的な戦いの中を生き残ってきた祖父ですが、なぜ、特攻隊で戦死したのか?その謎は最後に明らかになります。

この小説は、単なる戦争の記録ではなく、パイロットとして死んだ久蔵(祖父)と、現在ニートとして無為な生活を送る健太郎と、結婚に迷う姉(孫)の時空をこえた魂の交流でもあります。祖父の生き方が分かってくるに従って、二人の今の生き方も変わってきます。

作者が巧みなのは、祖父の戦友たちに語らせることにより、祖父の実像とともに、太平洋戦争の実情が浮かびあがってくることです。戦争を知らない世代にも、歴史書よりも面白く、戦争の実態がわかるようになっています。日本軍では、将校たちがいかに兵の命を軽んじ、無謀な作戦をたてたか、そしていざとなると、責任をとらずに、逃げ回っていたかが。その中で、国のため、残した家族のために、従容と死を受け入れ特攻に出発した隊員たち。
臆病者と侮られても、家族のために必死に腕を磨いて、生き残ろうとする主人公(祖父)の姿は、感動的です。

ところで、翻って現代の日本の姿を、亡くなった特攻隊員がみたらどう思うでしょうか?利己主義が幅を利かせ、責任を人に押し付けて、権利だけを主張しようとする風潮、愛国精神を疎んじ、国を守ろうとしない政治家たち。
国のために尊い命を犠牲にした特攻隊員を、自爆テロリストと同じだという新聞記者まで、小説のなかでは現れますが、嘆かわしいことです。

児玉清氏は、「人間とは、戦争とは、何なのかを痛切に考えさせられる筆者渾身のデビュー作」と絶賛しています。私も、推奨したいと思います。戦争を題材にした小説ですが、すがすがしい読後感を得ます。
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 08:51
「あやつられた龍馬」(読書感想)(2) [2010年08月08日(Sun)]
「あやつられた龍馬」(読書感想)(2)


この本では、まず龍馬暗殺事件の不自然さを明らかにします。龍馬が刺客対策としてピストルまで持っていたのに、抵抗せずに暗殺されたこと、坂本龍馬の海援隊も、中岡慎太郎の陸援隊も事件後にすぐ犯人を追わなかったこと、周囲の証言も矛盾だらけで、真相を知ろうとする努力がなかったことなどです。龍馬の暗殺3日前の陸奥宗光あての手紙が、暗号であったと推定します。

そして、脱藩という重犯罪を犯した龍馬にも、龍馬の家族にも追求やお咎めがなかったのは、龍馬が土佐藩のために特殊任務を帯びていたからだと言います。龍馬は優秀であったので諜報部員にリクルートされたが、なにか問題があった場合は切り捨てられるように、脱藩させたというのです。結果的には、龍馬は藩の枠を超えた大きな野望を抱くようになります。
藩にも幕府にも属さない龍馬を見込んで、さらに二重スパイとして、英国のために利用したのが、当時長崎で広大な屋敷をもつ武器商人・トーマス・グラバーであったと言います。

長崎・グラバー邸

当時最強国であった英国は、日本と自由貿易をして利益をあげようと考え、頑迷な幕府を倒し、新しい国を建てようとしました。そのために、倒幕の志士を助け、薩英戦争、下関砲撃で英国の実力を見せつけました。幕府を倒すために薩摩と長州を結び付けるのは、英国の方針に合致し、これは龍馬の考えでもありました。グラバーは龍馬が国内を自由に動けるように資金援助し、龍馬の後ろ盾になり、薩長同盟を成功させます。武器や船を外国から購入させる会社として、龍馬に「亀山社中」を作らせますが、実質はグラバーのダミー会社でした。なお、この本ではグラバーとフリーメーソンとの関係について述べていますが、省略します。

黒船

では、なぜ龍馬は暗殺されたのか?龍馬は、平和手段による倒幕を主張したのに対し、武力による倒幕を意図する一部勢力の犠牲になったというのが著者の結論です。(著者が推理した意外な犯人については、本をお読みください。)



幕末には日本を舞台に欧米列強が勢力争いをしていて、その中でも、英国は幕府にも倒幕勢力に繋がりをもとうと、したたかな二面外交をしており、英国が主導権をもって都合のよいように日本を変えようとしていたのは事実でしょう。
今までの、明治維新の志士にたいするロマンティックな見方に水をさす仮説ではありますが、明治維新は裏で英国が大きく関与していたという考えは、相当説得力を持ちます。
特に、英国本国からの次の指令は英国の方針を表しています。
「日本において体制の変化が起きているとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければいけない」(1866年4月26日、ハモンド外務次官から在日パーク公使あて)

ただ、龍馬は、単なるあやつり人形だったら暗殺されなかったでしょう。龍馬は平和主義者であり、英国公使の考えに反して無血で革命をなしとげようと動いたので、殺されたというのが著者の考えであり、龍馬ファンにとても救いでしょう。

桂浜の龍馬銅像
歴史の真実を知るのは、難しいというのが、この本を読んだ感想でしたが、歴史の別の面が見える本として推薦します。
なお、次のYouTubeで、石原伸晃さんが、この本を推薦していますので、クリックして見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=UD6j3olP5Sk
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 12:21
「あやつられた龍馬」(読書感想)(1) [2010年08月07日(Sat)]
「あやつられた龍馬」(読書感想)(1)

現在放映中の、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」は福山雅治の好演もあり、人気があるようです。

坂本龍馬は、身分制度の厳しい土佐で、下士(郷士)の家に生まれながらも、その頭脳と実行力で頭角を現し、脱藩して勝海舟の弟子となり、薩長同盟の仲立ちをし、日本最初の貿易会社「亀山社中」まで作ります。小さな藩の枠を超えて、日本の将来を見据える龍馬の生き方には、明治維新を成し遂げる原動力を感じます。
私は若い頃に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、このような若者の力が日本を外国の勢力から守り、近代的な日本の歴史を作ったのだと、感激したのを覚えています。

しかし、よく考えてみると、いくら幕末とはいえ、身分制度の厳しかった時代に、脱藩浪人があれだけの事業をなしとげられたのは、不思議です。「亀山社中」は設立後3カ月で、銃7800挺を日本に輸入したそうですが、いったい武士の龍馬がどのようにして外国貿易の知識を得て、どこから輸入する資金を得たのでしょうか?下級脱藩浪人の龍馬が、長州の桂小五郎、薩摩の大久保利通、西郷隆盛等という大物とどうして対等に話をできたのでしょうか?
そして、最大の謎、龍馬を暗殺したのは誰でしょうか?

これらの疑問に、ひとつの解答を与える本が、加治将一著の「あやつられた龍馬」(祥伝社、2006年)です。

著者は、1948年生まれ、アメリカで不動産業をして、現在は小説家です。30年前からフリーメーソンについて研究し、それに基づいて、大胆な仮説を披露します。

その説とは、龍馬は、日本開国のために幕府を倒すことをめざしていたイギリスの諜報部員(エージェント)であり、資金の援助をうけていた、というものです。
以下、著者の説の概要を記します。
(続く)
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 11:46
勝五郎の転生記(4)−(了) [2010年06月16日(Wed)]
勝五郎の転生記(4)−(了)  ラフカディオ・ハーン著(池田雅之訳)


つやは、勝五郎と程窪(ほどくぼ)に行きました。村にさしかかったとき、つやは近くの家並みを指して、勝五郎に聞きました。
「どの家だいーこっちの家か、それともあっちの家かい」
「いいや、向こうの方だーずっと向こうだよ」
と勝五郎は答え、先に立って急いで歩きました。
ついにある家に着くと、
「この家だよ」
と叫ぶと、お祖母さんそっちのけで走りだしました。つやもその家に入り、家人にその家の持ち主の名前を聞きました。
「半四郎」と家人が答えました。つやは半四郎の奥さんの名前も聞きました。答えは「しづ」でした。そこで、つやはその家に藤蔵という子が生まれたことがあるかどうか尋ねました。
答えはその通りでした。「しかし、その子は十三年前に六歳で死んだよ」と言われました。

そこでつやは、はじめて勝五郎の話したことが本当だと確信したのでした。涙が止まりませんでした。つやは家の人たちに、勝五郎が前世の記憶について語ったことをすべて話しました。半四郎夫妻は大変驚きました。二人は勝五郎を抱きかかえて、泣きました。二人の話では、六歳で死ぬ前の藤蔵より今の勝五郎の方が男前だということでした。
 その間に勝五郎はあたりを見回し、半四郎の家の向かいのタバコ屋の屋根を見て、それを指さしながら、「あれはなかったよ」と言いました。それからまた、「向こうのあの木もなかったよ」と言いました。

 すべてその通りでした。それで、半四郎夫妻の頭からすべての疑念は消え去りました。その日のうちにつやと勝五郎は、中野村(武蔵の国、多摩郡中野村、現在の東京都内)の谷津入(やづいり)に帰りました。後に、源蔵は、息子の勝五郎を何度か半四郎の家に行かせ、前世んお実父久兵衛の墓に参らせました。
 勝五郎はときどき言います。
「おいらは、のの様だぞ。だから大事にしてくれよ」
 時にはまた、お祖母さんに言うのでした。
「おいらは、十六になったら死ぬかもしれぬ。でも御嶽さんの教えのように、死ぬことはちっとも恐くはないよ」両親が「お坊様になりたくないかい」と尋ねると、「お坊さんになる気はないよ」と答えるのでした。
 村人たちは、その子のことを、もう勝五郎と呼ばなくなりました。「程窪小僧」という渾名を付けたのです。誰かが家に会いに来たとき、その子はすぐはにかんで、小走りで奥の部屋に隠れてしまうのです。ですから、その子と直に話すのは不可能です。この話は、その子のお祖母さんが語ってくれた通り、正確に書きとめました。
 私は源蔵夫妻とつやのうち誰か、何か功徳になることをしたことがないか尋ねました。源蔵夫妻は、二人とも特別功徳になるようなことはしていないが、祖母のつやは朝な夕なに念仏を唱え続け、坊さんや巡礼が訪ねてきたら、二文のお布施を忘れたことがないと答えました。しかし、このような些細なことを除けば、つやが特別の善行といえるようなこをとしてはいないと言います。
(了)(「椿設聚記」松平冠山写本より採ったもの)

Posted by 皆川眞孝 at 07:52
勝五郎の転生記(3) [2010年06月11日(Fri)]
勝五郎の転生記(3)
   ラフカディオ・ハーン著(池田雅之訳)


(勝五郎の死後の話・続き)
「それから、なんとかして家に帰り、おいらの寝ていた枕許に立ち止まっていたんだ。少したって、誰か、おじいさんのようなお年寄りがやってきて、おいらは連れていかれた。誰だったかはっきりしない。歩いているときは、空を飛んでいるような気分だった。夜だったのか、昼だったのか分からない。いつも日暮れ時の感じだった。暖かくも寒くもなく、ひもじいとも思わなかった。ずっと遠くまで行った気がするけれどでも家で皆が話しているのが、ずっとかすかに聞こえていたんだ。おいらに念仏を上げている声も。

 家の人が、仏壇に温かいぼたもちを供えてくれたとき、そのお供え物の匂いがしたのを覚えている。・・・お祖母さん、仏様に温かい食事のお供えをするのを忘れないでね。それに、お坊さんのお布施も決して忘れないでね。・・・それは本当にいいことだよ。・・・その後の事は、あの老人がいろいろ回り道をしてここに連れて来てくれたことしか覚えていない・・・村の向こうの道を通ったのを覚えている。そして、ここにやってきて、この家を指して、老人はおいらに言った。
『さあ、生まれ変わるんだ。死んでから3年経つからね。おまえは、あの家で生まれ変わるんだ。お前のお祖母さんになる人は大変やさしい人だよ。だから、そこで身ごもられて生まれるのは、おまえのためにいいことだよ』

そう言うと、その老人は消えてしまった。おいらは、ちょっとの間、その家の玄関脇の柿の木の下にいた。それから入っていくと、中の話声が聞こえた。誰かが、父親の稼ぎが少ないので、母親が江戸に奉公に行かねばならないと言っている。おいらは、『この家には入るまい』と考えたよ。そこで庭に三日間じっとしていた。三日目になって、結局母親が江戸に行かないでいいことになった。その晩、引き戸の節穴から家の中に入った。その後三日間、おいらは竈のそばにいた。それから、母親の子袋の中に入ったんだ・・・少しも苦しまないで、おいらは生まれた。

お祖母さん、この話はお父さんとお母さんには話してもいいけど、他の誰にも決して話さないでおくれね。」

お祖母さんは、勝五郎がしゃべったことを源蔵夫婦に話しました。それからは、勝五郎も自分の前世の経験について、両親と話すのをあまり恐れなくなりました。そして、両親にたびたび訴えるのでした。
「程窪に行きたいな。久兵衛さんの墓参りに行かせてよ」
源蔵は勝五郎がおかしな子なので、間もなく死んでしまうだろう、それなら実際、程窪に半四郎という男がいるのかどうか、すぐに調べた方がよかろうと思いました。しかし源蔵は自分で調べようとはしませんでした。というのは、暮し向きもままならない人間がそんなことをするのは、分別をわきまえず、差し出がましいのではないかという危惧をもったからです。それで、自分で行くか代わりに祖母のつやに頼み、今年の一月二十日に孫を程窪に連れて行ってもらいました。
(続く)
Posted by 皆川眞孝 at 16:08
勝五郎の転生記(2) [2010年06月09日(Wed)]
勝五郎の転生記(2)
ラフカディオ・ハーン著(池田雅之訳)


「えーっ、父さんや母さんに話すわよ」
とふさは言いました。
しかし勝五郎は、わっと泣きながら言いました。
「どうか言わないで、父さんや母さんに話しちゃいけないよ」
ふさはしばらくして答えました。
「そう、今度は言わないわ。でも、この次ばかなことを言ったら、話すわよ」
それからというもの、二人の間に喧嘩が起こるたびに、姉は弟を脅かして言うのでした。
「いいわ、それなら、あのことを父さんや母さんに話してやるからね」
そう言うと、弟はいつも姉に降参するのでした。

こんなことが何回もありました。そしてある日、ふさが勝五郎を脅かしているのを、両親が耳にしてしまったのです。勝五郎が何か悪さをしたに違いないと思い、両親は何があったのかを聞き質しました。ふさは問い質されて、本当のことを白状してしまいました。
 それを聞いて、源蔵夫妻と祖母のつやは、おかしなことがあるものだといぶかりました。そこで勝五郎を呼び、なだめたりすかしたりしながら、どういうことなのか、聞き質しました。すると、もじもじしながらも、勝五郎は話し出しました。
「何もかも話すよ。おいらは、程窪の久兵衛さんの子だったんだ。その時の母さんの名は、おしづさん、五歳のとき、久兵衛さんは死んだ。代わりに半四郎という人がやってきて、たいへん可愛がってくれたよ。でも次の年、六歳のときに、おいらは疱瘡(天然痘)で死んだんだ。それから三年して、おいらはおっかあの子袋に入り、生まれ変わったんだ。」

勝五郎の両親と祖母は、これを聞いて非常に驚き、程窪の半四郎という男についてとことん調べてみることにしました。しかし、一家はみな、暮らしを立てるために毎日懸命に働かなければなりませんでしたので、他のことなどに時間をさく余裕などなく、すぐには調べてみようとはしませんでした。

さて、勝五郎の母せいは、四歳になる娘のつねに夜ごと乳をやらねばなりませんでしたので、勝五郎は祖母のつやと一緒に寝ました。勝五郎は、床の中でときどき祖母と話をしました。
ある晩、勝五郎の気持ちがほぐれていたとき、つやは勝五郎をなだめすかしながら、死んだときの様子を話してごらんと言いました。そこで、勝五郎はこう話し出しました。
「四歳までのことは何でも覚えているよ。でも、それからのことはだんだん忘れてしまって、今は忘れたことだらけだ。でも、疱瘡で死んだのは、今でも覚えてる。壺に入れられ、山に埋められたのも覚えてる。地面に穴が掘ってあり、みなは壺を穴の中に落とした。ポンと音を立てて落ちたその音をよく覚えている。」
(続く)

Posted by 皆川眞孝 at 11:52
勝五郎の転生記(1) [2010年06月08日(Tue)]
勝五郎の転生記(1)


三井台の「南平」「程久保」の町名が、8月21日に「三沢五丁目」に変わります。長く親しんだ町名ですから、残念な気持ちはどなたも持つことでしょう。特に「程久保」にお住まいの方の中には、この地名は「ほどくぼ小僧」で歴史的にも有名だから残してほしいと、町名変更反対運動をまだ続けている方もいるそうです。ただ、モノレールの駅名にも、隣の地区にも「程久保」の名前が残りますので、仕方ないと諦めていただきたいと思います。



この「ほどくぼ小僧」の話は皆様もご存じでしょうが、小泉八雲が日本の「転生譚」に「勝五郎の転生記」として記録しています。私も最近、ラフカディオ・ハーン「日本の怪談」(池田雅之訳)の中で見つけました。「程久保」の名前が三井台から消えるこの時期に、思い出として、その原文(訳)を皆様に紹介いたします。(文責:皆川)


ラフカディオ・ハーン


勝五郎の転生記(1)   ラフカディオ・ハーン著(池田雅之訳)
☆ ☆ ☆

これから記すのは創作ではありません。少なくとも私の創作ではありません。古い日本の文献からの翻訳です。はじめの部分は、たぶん退屈なものでしょうが、できるだけ終わりまで全篇をじっくり読まれるようお勧めします。そうすることによって、前世の記憶を呼び戻すことができるということだけでなく、さまざまな事柄についてのヒントが与えられるからです。かっての封建時代の日本やその古い信仰について、なにがしの理解が得られると思うのです。それは高邁な仏教思想ではないとしても、西洋人にとっては到底うかがい知ることのできないものです。すなわち、それには人々が前世や再生について共通に抱いていた考え方なのです。
こうした事実からすれば、調査記録である文献の中身が正確かどうかや、取り上げられている証拠が信頼できるものであるかどうかは、当然あまり大きな意味を持たなくなってきます。


☆ ☆ ☆

昨年十一月頃、姉のふさと田圃で遊んでいた時、勝五郎はふさに尋ねました。
「姉さん、この家で生まれる前はどこにいたの」
「生まれる前にどこにいたかなんて、どうして分かるの」
勝五郎は、驚いた様子で叫びました。
「じゃあ姉さんは、生まれる前のことは何も分かっていないの」
「おまえは分かっているのかい」
とふさは聞き返しました。
「分かっているとも。おいらは、程窪(武蔵の国、多摩郡程窪村。現在の東京都内)の久兵衛さんの子だったんだ。その時の名は藤蔵(とうぞう)だったよ。姉さんは何もしらないの」
と勝五郎は答えました。
(続く)



Posted by 皆川眞孝 at 08:01
「ハッピー・リタイアメント」(浅田次郎著)―書評 [2010年05月27日(Thu)]
「ハッピー・リタイアメント」(浅田次郎著)―書評


ベストセラー作家の浅田次郎氏が日野市三井台東側の「稲荷沢公園」近くに住んでいることは、知る人ぞ知る事実です。
私は彼の代表作「鉄道員」「壬生義士伝」など読みました。「鉄道員(ぽっぽや)」のように幽霊が出てくる小説は安易な方法であまり好きではありませんが、浅田氏が取り上げるテーマはユニークで、目の付けどころはさすがです。
昨年秋に幻冬舎から出版された「ハッピー・リタイアメント」は、すでにリタイした私にも関係ありそうで、面白そうなので読んでみました。

最初のプロローグで、浅田氏は自分の経験を書いています。有名作家となった著者の自宅をある男が訪ねてきます。彼は、著者の実名を知っていて、30年前の時効になった債務について、「確認」したいので訪問したと言います。確かに、著者は作家になる前の若いころ事業に手を出し失敗し、夜逃げしています。銀行からの借金は、中小企業を助けるための政府系機関が保証していたので、肩代わりしてくれましたが、その保証機関への債務は残り、それをうやむやにしている間に時効になったものです。
  その保証機関からきた男は、時効だから返済しろとは言わないが、「確認」して欲しい、ただ、道義的責任を感じるなら返済して欲しいと話します。カバンから「壬生義士伝」をだして、有名な浅田先生とは知りませんでした、とプレッシャーをかけます。
結局、浅田氏は、自分の現在の地位を考えて、時効債務でも返済する事になります。
そこからヒントを得て書いたのが、この小説です。
 

 小説の主人公、樋口慎太郎(財務省出資)と大友勉(自衛隊)はともに56歳。もとの職場をリタイアして、JAMS(全国中小企業振興会)に天下ってきました。新しい職場は、すでに時効になった中小企業への保証債務の管理です。大蔵省OBの上役は、時効の債務を支払う馬鹿はいないと、何の仕事もせず、高給をもらって時間だけつぶしています。ふたりも、仕事はなく高給をもらえますが、「天下り天国」の暢気さに違和感を覚えるばかりです。そんな時、秘書兼庶務係の立花葵の発案で、密かに時効になった債務取り立てを行うことになります。ひとりひとり訪問すると、中には実業家や俳優や文筆家として成功した人もいて、彼や彼女は過去の「借金踏み倒し」に良心の呵責を覚え、支払いに応じてくれます。

予想に反して回収がどんどん進み、その回収金をこっそり外銀に積立ますが・・・
さて、この二人はハッピー・リタイアメントできるでしょうか?その結末は?、
天下り天国を風刺したこの小説は、退職する人やこれから退職する人には一切役にたたないでしょうが、ユーモラスで痛快なエンタテインメントです。最後の大逆転は、とってつけたようですが、浅田次郎氏は、小説の「つぼ」を心得ていて、面白く、楽しく読めました。

最初の部分に著者の自宅の描写があるので、紹介します。(彼の自宅をご存じの方は、この通りとわかるでしょう)

『東京郊外の丘の上に建つわが家は、バブル流れの逸品である。新築同様のまま銀行が押さえていた物件を、不良債権のどさくさに紛れて法外な安値で買い叩いた。むろん中身は濃ゆい。いざというときには家の中で飛び降り自殺ができるほどの吹き抜けの真下には、確実に死ねるようバチカンと同じサイズの「ピエタ」像のレプリカが据えてある。』
『私は門前まで送りに出た。すでに日は昏れ、高台から見はるかす郊外の町々には灯が撒かれていた。』

(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 08:51
ヒッチコック映画「鳥」と原作 [2010年05月11日(Tue)]
ヒッチコック映画「鳥」と原作


先週、NHKハイビジョンで没後30年のヒッチコック映画特集がありました。
その時に、「」を久しぶりに見ました。これは、ヒッチコックの代表作で、見たことのある方が多いと思います。理由もなく人間を襲う鳥の群れ、その恐怖の印象が強烈で、ストーリーはすっかり忘れていました。主人公の女性が知り合った弁護士の家に行った時から鳥に襲われること、弁護士の元の恋人(学校の先生)が鳥に殺されること、弁護士の母親が息子の恋人が誰であっても嫉妬すること、など忘れていました。



おとなしく愛らしい鳥が、突然人間を襲うという不条理な世界、「野鳥の会」の会員には叱られてしまいそうですが、この着想をヒッチコックはどこから得たのかと思ったら原作がありました。
あの「レベッカ」を書いたダフネ・デュ・モーリアの短編小説「鳥」がその原作です。早速、翻訳ですが読んでみました。原作は、鳥が人間を襲うというメインテーマ以外は、全く別のストーリーです。



イギリスの海辺に住む元軍人の主人公は、ある日突然に鳥が人間を襲うことを目撃します。危険を感じて、窓という窓を全部塞いだ一家は、一時的に助かります。周りの人々は全滅です。理由がわかりません。政府が偵察のために送った飛行機隊も鳥の大群で墜落してしまいました。通信も遮断され、食料も尽きそうで、助けも得られず、再度鳥が襲撃をすれば、一家の運命は絶望的です。鳥の襲撃により、文明が破滅の危機に瀕する恐怖を描いた小説です。

ヒッチコックは、「鳥が人間を理由もなく襲うという恐怖」を描くために、この映画を作ったそうです。コンピュータを使ったCGもない時代に、あの映画を撮影するために、大変な時間と労力と資金を使ったと聞いています。たった1分にも満たない場面のために、手作業で何カ月もかかったとか。

原作の「鳥」を書いたモーリア女史の発想はユニークですが、この短い原作から、あれだけの映画を作ったヒッチコックはやはり天才です。
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 17:38
「不思議の国のアリス」「不思議の国のアリス」 [2010年02月27日(Sat)]
「不思議の国のアリス」

先日、鈴木千春さんが翻訳したスペインの小説「マンハッタンの赤ずきんちゃん」をこのブログで紹介しました。(こちらをクリック)これは、「赤ずきんちゃん」の童話を下敷きにしたものですが、「赤ずきんちゃん」の話とならんで世界的に有名な童話といえば「不思議の国のアリス」です。ディズニーのアニメ映画にもなり、ストーリーは誰でも知っていますが、私は原作をきちんと読んだことがないので、原作(翻訳ですが)を読んでみました。

「不思議の国アリス」は大変風変わりなお話です。いわゆる子供向けの童話とは違います。教訓的でもなく、主人公のアリスは小憎らしいぐらいしっかりした少女です。多様な動物や人物(?)が登場し勝手なことをしゃべり、言葉あそびも多く、なかなか面白さを理解するのが難しいお話です。
そこで、「図説・不思議の国のアリス」という解説書を読んで、背景が少しわかりました。

表紙・ジョン・テニエルの絵


作者のルイス・キャロルは本名をチャールズ・ラトウィッジ・ドジスンといって、英国オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジの数学の教師でした。
「アリス」という実在の少女がいたのを御存じですか?キャロルが教えていたカレッジの学長リデルには3人の娘があり、その真ん中がアリスでした。キャロルは、このリデル家3人の少女とよくピクニックに出かけていました。1862年7月4日(キャロル30歳)に、少女たちとボート遊びに出かけた時、アリスにせがまれて即興でお話をしました。これが、のちに「不思議の国のアリス」となる原形です。

このお話がよくできていたので、キャロルは自分で挿絵を描いて「地下の国のアリス」として本にして、自費出版しました。その後、マクミラン社からジョン・テニエルの挿絵で「不思議な国のアリス」として1865年に出版して、これが反響をよび有名になりました。
キャロルはその続編というべき「鏡の国のアリス」を1871年に出版します。
キャロルの趣味は、当時はまだ珍しい写真で、少女を被写体とした写真(ときにはヌード)を沢山とっています。彼は、独身のまま66歳で亡くなります。

話の中に「頭のおかしな帽子屋」がでてきますが、英語では「帽子屋のような気ちがい」(mad as a hatter)というのが成句だそうです。また、「にせウミガメ」という変な動物が出てきます。これは英語ではMock Turtleと書かれていて、タートル・スープ(亀のスープ)が貴重だったので牛頭で作ったスープをMock turtle soup(タートル・スープもどき)と呼び、その連想から作り上げた想像上の生物だそうです。それで、牛と亀の「あいのこの」ように描かれています。

グリフィンと にせウミガメ(右)(ジョン・テニエル絵)

この本は一度読んだだけでは、理解できないほど難しいですが、背景がわかると、少し楽しめます。
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 06:35
「マンハッタンの赤ずきんちゃん」 [2010年01月25日(Mon)]
「マンハッタンの赤ずきんちゃん」


以前、このブログで三井台にお住まいで、地域パトロールに協力してくれているタブレロ氏(スペイン人)を紹介しました。
(こちらの「地域パトロールの新しい顔」をクリックしてください)

先日、タブレロさんと日本人の奥さん・鈴木千春さんとご一緒する機会があり、千春さんがスペイン語の通訳と翻訳をされていることを知りました。
千春さんが、以前「マンハッタンの赤ずきんちゃん」という本を翻訳したことを聞いて、早速、高幡図書館から借りてきました。
著者は、カルメン・マルティン・ガイテという現代スペインの代表的女流作家だそうですが、スペイン文学に無知な私は残念ながら知りません。原作は1990年に出版されて、翻訳は1993年にマガジンハウスから出ています。

まず、真っ赤な表紙に驚かされます。その上に、ケーキのようなおかしな建物のイラストがのっています。なかなかおしゃれな表紙です。


どんなストーリーなのか全然予備知識なしで読み始めました。
ニューヨークのブルックリンに両親と住むサラという10歳の少女が主人公で、彼女が「赤ずきんちゃん」のようです。ブルックリンから橋で隔てられたマンハッタンに「おばあちゃん」が住んでいます。サラは、昔スターだったおばちゃんを週に1度訪問するのが楽しみです。だんだん、「赤ずきん」の童話と似てきます。「森」は大都会マンハッタンのようです。

狼はいつでてくるかと読み進むと、ウルフという大富豪がそれです。全然怖くない「狼」です。表紙にでてくる建物にも関係している人物です。童話にはでてこない、不思議な老女(ミス・ルナティック)が登場します。原作の「童話」のように、狼が赤ずきんちゃんを襲うこともなく、ハッピーエンドです。これ以上、ストーリーについては触れませんが、この本を読んで、私の好きな童話「チャーリーとチョコレート工場の秘密」(ロアルド・ダール)を連想しました。
子供用の童話というよりは、大人のためのファンタジーだと思います。また、人生の書とも読めます。ミス・ルナティックが迷えるサラに「新しい冒険に立ち向かうときにはいつも恐れを感じるが、一歩ふみだすにはその恐れを克服するしか方法がない」と勇気づけますが、これは読者への教訓でもあります。

読みやすくわかり易い翻訳ですので、すらすらと読めました。皆さんも、図書館で借りて、一度手にとって読んでみてください。
三井台には童話作家(明平さん)も童話翻訳家(千春さん)もいる素晴らしい場所だと感じました。
(文責:皆川)

Posted by 皆川眞孝 at 21:46
山崎豊子「沈まぬ太陽」を読む [2010年01月21日(Thu)]
山崎豊子「沈まぬ太陽」を読む





「沈まぬ太陽」を未だお読みになっていない方もいらっしゃるのではと思い、ご紹介の筆をとらせて頂きます。
「沈まぬ太陽」は新潮文庫本・全5巻、1955年〜1985年(昭和30年〜昭和60年)の過去30年間における日航を舞台にした驚くべき腐敗・不正・金銭欲などの絡む政官民の癒着した人間ドラマが丹念に描かれています。
昭和26年8月、前年GHQの日本に対する航空機運航禁止の解除を受けて設立された、政府主導半官半民の[日本航空株式会社]に1954年(昭和29年)入社した一人の主人公にスポットをあてたドラマが始まります。
主人公は東大法科卒で入社後8年目に日航労働組合の委員長に就任しました。
当時、労働組合の3役に就くことはその後の出世を約束されたも同然でした。
というのも組合員の知らぬところで、組合3役の次期候補は3役と会社幹部の談合によって秘かに決められ、こうして決められた歴代の3役は経営側の思惑に沿って組合を巧妙にリードしたのです。
3役退任後は論功行賞的に主要ポストに就き、極端な場合は労働部長に就いて昨日までは組合の役員だったのに今日からは経営側の責任者として団交に臨むといったことが平然と行われていました。
このように出鱈目な労働政策が綻び始めたとき、入社8年目の1961年(昭和36年)、彼(主人公)は固辞していた労働組合委員長に就任したのです。(就任させられたと言った方がいいでしょう。)
しかし、彼は持ち前の正義感と人道主義から、それまでの3役とは違い労働者側にたち、ストライキまで決行しました。
結果、根拠もなく、彼は≪アカ≫のレッテルを貼られ、[代々木の秘密党員]とまでされて会社から追放のための徹底的な左遷辞令を受け取る羽目になったのでした。
昭和38年に委員長を降りて旧職場に復帰したのも束の間、翌年、突如パキスタンのカラチ駐在を命じられ、昭和41年カラチからイランのテヘランに出向、彼が退職願いを提出しないとみるや、昭和45年にテヘランから、事務所も駐在員もいない東アフリカ、ケニアのナイロビに転勤を命じられ、そこでのたった一人の生活は昭和48年帰国するまで続きました。
カラチ・テヘラン・ナイロビは当時治安・伝染病など環境は最悪でした。
およそ10年の海外勤務中に母の死に目にも会えなかった彼がナイロビから帰国できたのは、彼の委員長時代の仲間が彼の不当人事について東京都労働委員会に提訴し、都労委の審問の結果、労働側の主張が認められたからでした。
この間、組合は分裂し彼の薫陶を受けた組合は少数派に転落、御用組合がのさばり、あからさまな差別人事がまかり通り、会社は利益追求とコスト削減に汲々とするあまり航空事業に最も大切な安全が疎かになっていったのでした。
1985年(昭和60年)8月12日18時56分羽田発大阪伊丹行き ボーイング747SR-46 日航ジャンボジェット123便機が群馬県上野村 御巣鷹山に墜落し520人が遭難し、生存者僅か4人という未曽有の大事故が発生しました。
日本航空設立35周年の夏のことです。
日航の会長・花村仁八郎、 社長・山下進総務次官は引責辞職し、後任は、中曽根総理大臣と瀬島龍三の懇請で鐘紡会長伊藤淳二氏が就任し、新任の伊藤会長は会社から干されていた彼(主人公)を分裂した組合を一本化するために会長室メンバーに加えたのでした。
伊藤会長は給与を一切辞退して、会社の建て直しのため日夜没頭するのですが、会社幹部のマスコミを加担させた卑劣な中傷・デマに心身ともに疲労困憊して遂に政府により更迭され、彼(主人公)は再びナイロビ支店長に赴任する・・以上が小説の梗概です。
登場人物は仮名ですが殆どは実在で主人公は本名「小倉寛太郎」1930年生まれ、2002年肺癌で死去しました。
山崎豊子は松本清張と同列の作家と言われますが、松本清張の小説は創作であるのに対し、山崎豊子は事実小説ともいえるのではないでしょうか。
「沈まぬ太陽」の“あとがき”で今回は非常に勇気と忍耐のいる仕事でしたが、その許されざる不条理に立ち向かい、それを書き残すことは、現在を生きる作家の使命だと思った。
三部五巻から成る作品は事実を取材して小説的に再構築した人間ドラマであるが、ニュース、ドキュメント、公文書、内部資料などを駆使し、それが小説の核心にもなっている ・・云々と述べています。 
  『沈まぬ太陽』を10倍楽しむ

インターネットで山崎豊子の最高傑作『沈まぬ太陽』を10倍楽しむ方法 をみると、作中の仮名が実在した誰それと明らかになるし、小説で確かめたいこともわかって面白いと思いました。
私の想像ですが、日本航空は設立時政府の主導で4社のなかから1社だけとして認可されたので、独占企業として巨大な収益があり、それが、政府への裏献金や会社の裏金作り、ひどいときには役人の第二婦人などの生活費に充てられたりの乱脈を招いたのではないでしょうか。
小説は昨年の秋に日航の反対を乗り越えて映画化され、ロングランで新年一月下旬まで東宝系で上映されています。
1月19日火曜日の朝日朝刊に「日航今日更生法申請」と題し東京地裁に今後官民による企業再生ファンド「企業再生支援機構」を管財人に選定してもらい、再建を図ると報じられました。西松遥社長は引責辞任し、新代表取締役会長に京セラの稲森和夫就任、上場廃止、大口債権者などと事前に債権カットについてまとめる事前調整型の法的整理を活用するということです。
山崎豊子は著書「不毛地帯」で商社と癒着する政財界の黒い断面を暴きましたが、書いた当時から30年を経た今でも状況は少しも変わっていないと云っています。
日航問題もまさに同じ状況に見えます。
稲森和夫氏が会長となる日航の労働組合は、昨年の9月に声明を出し、会社の安全軽視の体質など御巣鷹事故の教訓が生かされていないと訴えました。
77歳の稲森さんには荷が重過ぎないか疑問です。
日航の凄まじい妨害や万一の訴訟沙汰に備えながら綿密な調査取材をした山崎豊子氏の勇気や先見性は敬服のほかありません。
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Posted by wild river at 08:01
「なぜエバンンズに頼まなかったのか?」 [2010年01月08日(Fri)]
「なぜエバンンズに頼まなかったのか?」


この長いタイトルは、ミステリーの女王アガサ・クリスティの小説の題名です。
1月2日午後TOKYO MXテレビでこの小説をドラマ化したものを放映していました。ご覧になった方もいらっしゃるかも知れません。

私は昔読んだことがあるので、ドラマを見始めたのですが、来客があり途中までしか見られませんでした。筋をすっかり忘れていて、「なぜエバンズに頼まなかったか?」この言葉の意味がわかりませんでした。
それで、昔の本を取り出して、読み直してみました。


クリスティといえば、探偵ポワロや、ミス・マープルが有名ですが、この話に探偵はでてきません。主人公は、イギリスの田舎に住む牧師の息子です。この青年がゴルフの最中に、がけ下で死にそうな人物を見つけます。死に際に「なぜエバンズに頼まなかったのか?」と最後の言葉を残します。青年はどういう意味かわかりませんが、この言葉を彼が知ったということで、何者かに命を狙われます。幼馴染の貴族の娘と、その謎を解くために調査を始めます。この二人の冒険ストーリーですが、最後にどんでん返しがあり、やっとこの言葉の意味がわかります。
本格的ミステリーとは違いますが、サービス満点のロマンチックなお話で、楽しめました。
(皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 19:09
読書感想「春にして君を離れ」 [2009年09月06日(Sun)]
読書感想「春にして君を離れ」

明平さんのブログで紹介されていたクリスティーの「春にして君を離れ」を図書館から借りて読みました。

(明平さんの記事はこちらをクリック

たしかに、ミステリーの女王クリスティーとしては異色作品でした。彼女は、読者を誤解させてはいけないので、メアリ・ウェストマコットという名義で発表したそうです。

これだけアクションの少ない小説も珍しいでしょう。主人公のイギリス人中年女性が中東の砂漠の駅で立ち往生させられ、数日間、自分というものをあれこれ考えますが、その場面が本全体の3/4を占めています。いままで満足していた親子関係や夫婦関係が、ちょっとした言葉や態度を思い出していくうちに、だんだん違う姿になっていくあたりが、クリスティーらしいと思いました。自分の誤りにも気づき、夫との生活を変化させようと決心したときに、やっと帰国の列車がきます。



最後はクリスティーらしく、どんでん返しがあるかと思っていたのですが、それもありません。自分を変えようとしても、結局はできなかったという結論で、明平さんが書いているように、自分を妻の立場におくか、夫の立場に置くかによって感じ方がちがいます。
「恐くて哀しい物語」と解説にありましたが、事件が起きないので、これはあくまでも心理の問題です。恐い点は、「自分がいかに人を傷つけているか気がつかないところ」、哀しい点は「自分を変えようとしても変えられない」ということかなと考えています。

ストーリーとは直接関係ないのですが、帰りの列車の中で同室だったロシアの公爵夫人が、「来年は世界戦争になります」、と断言したの、主人公は「誰も戦争を望んでいないでしょう、ナチも悪いとばかり言えないそうよ」と楽観的な意見をのべます。
この本は戦争中(1944年)に書かれていますが、戦争前はまさか戦争になるとはという雰囲気だったのでしょう。このエピソードも「自分の周りでなにが起きているか正しく知るのは難しい」、「人は自分が信じたいことしか信じない」ということを示していると思います。
(文責:皆川)

Posted by 皆川眞孝 at 08:22
「ミレニアム」3部作 [2009年08月23日(Sun)]



今世紀最大のミステリーと称された、スウェーデン発の大ベストセラー。日本で遂に全巻発行された。全巻読み終える前に、ご紹介します。とにかく面白いです。
(つづく)
Posted by 明平暢男 at 13:45
「スリーピング・マーダ−」と「春にして、君を離れ」 [2009年08月17日(Mon)]


どちらも、アガサ・クリスティーの作品です。

「スリーピング・マーダ−」

皆川様のお好きな作品。

ミス・マープルシリーズ最後の事件で、過去の
記憶の中の殺人事件を書いています。
推理小説はネタバレになるので、このくらいで
止めておきますが、主人公の女性の父親夫婦
と主人公夫婦のふたつの夫婦のあり方に考え
させられました。

「春にして、君を離れ」

アガサ・クリスティの作品群では、異色の作品
です。

(以下、編集者が書いてくれたあらすじ)

バクダッドからイギリスの自宅へ戻る途中、豪
雨で線路が流され、数日、砂漠の宿泊所で過
ごすはめになった中年女性のジョーン。なにを
することもない、なにもない砂漠で、望んでもい
ないのに、自分自身と向き合わざるを得なくな
る。
真実を見つめざるを得なくなり、暑く、どこまで
も続く砂の世界で苦しむ。その中で、あまり気
にしてこなかった夫や子供の会話や行動を思
い出しながら、小さな疑問が湧いてくる、、、
そういうサスペンスです。

読者がどの登場人物に自分を重ね合わせるか
で、感想はまったく違ってきます。

(ここからは、ぼくの感想)

恐ろしくて、哀しい物語です。でも、どの家庭に
も存在するテーマだと思います。写真の表紙の
早川文庫版の解説を、急逝された栗本薫さん
が書かれていますが、これを先に読むといいか
もしれません。
「春にして、君を離れ」という題名は、文豪シェ
イクスピアの「ソネット集」からとっています。
Posted by 明平暢男 at 10:50
映画「劔岳」の感想 [2009年07月24日(Fri)]
映画「劔岳」の感想


剣岳(インターネットで借りてきた写真、下の写真も)

映画「劔岳」を公開当日に見にいきました。これは、新田次郎の小説「劔岳<点の記>」の映画化です。山岳映画としては、日本の映画史上に残る素晴らしい作品だと感激しました。とにかく、山岳や自然映像の迫力と美しさに圧倒されました。この映画の木村大作監督(69歳)は、いままで50年間、多くの名作の撮影を手がけた名カメラマンです。これが、初めての監督作品ですが、足かけ3年かけて完成させた大作です。

木村大作監督(©産経新聞)

なぜ、この映画を監督したかと産経新聞記者に質問され、木村氏は次のように答えています。
「大自然をバックにCG(コンピューター・グラフィックス)といったズルをしないで撮れる監督がいるかって考えたけど、結局この題材だったら俺が一番適任だなと思ったから。」
CGや空撮が一切なく、数カットを撮るために片道9時間をかけて俳優や撮影隊が現場まで歩いて登ったそうです。なぜ、そこまでこだわるのかという質問に
「今回の映画に「厳しい中にしか美しさはない」というセリフがありますが、僕の実体験です。美しいというのは心が入っていること。この映画を見た人は映像の迫力や熱さを感じるはずです。われわれが熱くないと、それが映像に出ないんですよ」

劔岳

確かに、本物のアナログ撮影の熱さと凄さを感じる映画です。ストーリーは、明治39年、日本地図を完成するために、陸軍参謀本部・測量官・柴崎芳太郎は空白地点で前人未踏の山「劔岳」(2990m)の初登頂と測量を命ぜられます。彼は案内人の宇治長次郎と、幾多の困難を克服して登頂に成功します、が・・・・というものです。
測量官を浅野忠信、案内人を香川照之が演じます。特に香川照之の山男になりきった熱演が光ります。

映画を見た後、石塚さんからお借りして新田次郎の原作を読みました。文庫本ですが、400ページと長編です。新田次郎もこの小説を書く実地調査のために、劔岳に登りました。64歳のときです。彼は、小説を書き終え3年後に亡くなっています。この小説は、丁度一歩一歩山をのぼるように、登頂と測量を完成するまでの道のりを、丁寧に記述しています。今の劔岳は、鎖場やはしご、それに山小屋のおかげで、多くの登山家が登っていますが、明治時代は大変だったのだなと、強く感じました。小説では、参謀本部が歴史的初登頂にこだわり現場での命がけの苦労を理解しない点や、疲れて山を下り、立山温泉に到着した測量隊の一行に、富山県の役人が冷たい仕打ちをする点が強調されています。
なお、「点の記」とは、測量のための「三角点設定に関する公式記録」であり、国土地理院に永久保存されているそうです。

文庫本表紙

映画「劔岳」の公式ホームページは、次のとおりですので、クリックすると、美しい映像がみられます。
http://www.tsurugidake.jp/

映画を見られた方は、感想をおよせください。まだの方は、ぜひ映画館で映画をお楽しみください。

(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 16:30
「そして誰もいなくなった」 [2009年06月05日(Fri)]


100冊以上のミステリー作品を

書き、『ミステリーの女王』と称さ

れている、アガサ・クリスティだ

が、きちんと読んだ方はそう多く

ないのではないだろうか。ぼくも

その中の一人。

 世界で1億冊は売れた彼女の

代表作「そして誰もいなくなった」

のジュニア版を読んだ。あまり面

白くなかった。

「なんてことを!」と言われるかも

知れないが、事実は事実。どうも

ミステリーのお作法のような書き

方はものたりない。だけども、こ

の作品と、「アクロイド殺人事件

(殺しともいう)」「オリエント急行

殺人事件」の3冊は一回は読ん

でおいたほうが良いと思う。

 文字で読むと面白くない彼女

の作品も、映像化されるとぐっと

魅力的になる。ぼくは、イギリス

のグラナダテレビ製作の「名探

偵ポアロ」「ミス・マープル」のシ

リーズは歴史に残る名作だと思

う。丁寧な作品つくりも好感が持

てるが、なによりもポアロやミス・

マープルを演じる俳優が良い!

 グラナダテレビは、コナン・ドイ

ルの「シャーロック・ホームズ」の

シリーズも製作しているが、これ

もまた傑作。

ただ、「シャーロック・ホームズ」

のシリーズは、原作本も実に面

白い。コナン・ドイルとアガサ・ク

リスティの、この差はどこにある

のだろう? 多分翻訳の違いだ

と思う。翻訳者の文体や力量の

差は大きい。

ちなみに、表紙上部のサインマー

クは、アガサ・クリスティ社が公認

した作品だけに許される全世界共

通のオフィシャル・マークです。

Posted by 明平暢男 at 04:12
プロフィール

三井台南窓会(日野市老人クラブ)さんの画像
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