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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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今月の俳句(令和2年5月) (05/25) 荒川 健三
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山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(四) [2011年02月05日(Sat)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(四)
伊藤 道子


(写真:伊藤道子  妙高山)

秋津野に 朝居る雲の 失せゆけば 昨日も今日も なき人思ほゆ)(巻七・一四〇六)

(秋津野に朝方から出ている雲がだんだんと消えてゆくので、昨日も今日も亡くなった人のことがあれこれと思い出される)

巻七の挽歌の中の歌。朝、同じところにじっと動かずにいる雲を見て、火葬の煙を連想し、亡き人を偲んでいる。

こもりくの 泊瀬の山に 霞立ち たなびく雲は 妹にかもあらむ(巻七・一四〇七)

(初瀬の山に霞がかかったようにたなびく雲は、あのいとしい妻であろうか)

(泊瀬の山 インターネットより)


これも雲を見て火葬の煙を連想している。ついでに言えば、当時の人びとは、山のみを霊魂の安住する場所として求めていたわけではない。高みにある雲や霞や霧もその対象になったのである。

それでは、山中他界という発想にどのような定義づけをしたらよいのだろうか、考えてみたい。わずかな万葉歌しか挙げられなかったが、それらを踏まえて考えると、古代人は死によって肉体は滅びても、肉体から遊離した魂は永遠に生き続けると考えていたようだ。そしてその霊魂は高い所に昇っていって、そこに留まって子孫を見守ってくれると思っていたのではないだろうか。山の頂でもいい、あるいは自分たちの住んでいるところの裏山でもいい、生きている人間と隔絶して別世界に行ってまうのではなく、姿は見えなくても心が通い合うところにいると考えていた。現実の山の中に霊魂が集まる他界があると信じていたようだ。海や空や地中ではなく、生きている人間にもっとも近いところに他界を想定したのである。

(写真:皆川  尖石遺跡―八ヶ岳)


世界のどの国よりも日本は山の多い国である。国土の八割までが山であってみれば、生活上、山とのかかわりは非常に大きい。そこは狩猟の場であり、食料採取の場であり、採鉱、採木の場であり、ふもとの平地で農業が営まれれば、その水源は山に依存した。人間の生活にとって山は全能であった。山に依存してこそ生活が成り立ったのである。従って古代の人びとは、山に対する畏怖と同時に大きな感謝の念を持っていたにちがいない。祖先の霊が山に籠もって、生きている自分たちを守ってくれると考えていた。里に近い山に祖先の葬地を作り、時節ごとの祭りを怠りなく行う。死者との心のつながりを確実に求めていた。(続く)
Posted by 皆川眞孝 at 18:32
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コメント
皆川様
昔の人は身近に先祖の霊を感じながら生活していたのでしょうね。畏敬の心を持つことは必要な事だと思いますが。倉重
Posted by:倉重敬子  at 2011年02月07日(Mon) 15:55

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