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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(二) [2011年01月24日(Mon)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(二)
伊藤 道子


伊藤道子さん撮影 (野反湖、11月)

(まず万葉びとは、死後の世界をどのようにとらえていたか、ということを手がかりに考えてみたいと思う。古代人は、肉体は滅びても肉体から遊離した魂は永遠に生き続けると考えていたようだ。そして死後の魂のゆくえを山中に求めていたふしがある。思いつくままに、いくつかの万葉歌を挙げて見ていきたいと思う。ー前回の続き)

山の際(ま)ゆ 出雲の子らは 霧なれや 吉野の山の 嶺(みね)にたなびく(巻三・四二九)

(出雲乙女は、まあ、あのはかない霧なのだろうか、霧でないのに吉野の山の嶺一帯に霧となってたなびいている)  

同じく人麻呂の歌。出雲出身の采女(うねめ)である「出雲娘子(いづもをとめ)」が持統天皇の吉野行幸に従った時、どこぞの川で溺れ死んで、吉野山に火葬されたのだろう。その煙を霧と重ねてみている。「山の際ゆ」は枕詞。

吉野山の霧(写真:インターネットより)

泊瀬の山や吉野の山は冨士山のような円錐形の秀麗な山ではないが、神霊の天下る神さびた山であり、死霊の籠もる葬地であった。山国の日本列島には各地に山や丘が点在しているので、死者はその山懐に抱かれて眠っていると人々は考えた。山は、肉体を離れた魂の安住する所だったのだ。

秋山の 黄葉(もみち)を茂み まどひぬる 妹(いも)を求めむ 山道(やまち)知らずも(巻二・二〇八)

(秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので、その中に迷い込んでしまった妻を、捜し求めようにもその山道さえわからない)

これも人麻呂の歌。「妻死にし後に、泣血哀慟(きゅうけつあいどう)して作る」と題詞にある通り、血の涙が出るほど泣き悲しんだ人麻呂は、妻を探し求めて山へ入る。秋の山は黄葉(もみじ)が繁茂しているので妻は道を見失ってしまったのだろう、と忍び妻の死に対する嘆きを、妻が黄葉の山へ迷い込んでしまったと歌っている。妻がこの世から姿を消したのは紅葉の美しさに引き寄せられて山へ入り、道に迷ってしまったためという。古代の人は、人は落花とか落葉の美しさの魔性に魅せられて現し身を消してしまうと考えたふしがある。それは妻の死を認めたくないという思いでもある。(続く)
Posted by 皆川眞孝 at 20:46
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飛鳥朝の死生感と山への回帰を読
伊藤様
飛鳥時代の死生感、山への回帰を読み、飛鳥朝以来の仏教思想の浸透との関連。山に入り修行する行者が山頂で見た御来光の感激と仏教思想のない英人山岳家の見方との対比をかいた文章を読んだことを思いだしました。わが国の詩歌。物語には山と峠を舞台にするものが多いという特色があるのでしょうか?

Posted by:菊間敏夫  at 2011年01月28日(Fri) 10:00

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