山への回帰――万葉びとの求めた山中他界 [2011年01月23日(Sun)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界 南窓会会員の伊藤道子さん(三沢4丁目)は、同人誌「花筐」(はながたみ)を編集・発行しています。その雑誌第3号に発表した「額田王の歌の表記について」と第10号に発表した「碓氷峠今昔」を以前ブログに連載しました。 額田王の歌の表記(最終回) https://blog.canpan.info/nsk/archive/605 碓氷峠今昔(最終回) https://blog.canpan.info/nsk/archive/676 昨年12月に発行した第11号に「山への回帰――万葉びとの求めた山中他界」を発表されました。万葉時代の人の死生観について書いた格調の高い論文ですので、伊藤さんのご了解を得て、何回かにわけて、ブログに転載いたします。(皆川) 山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(一) 伊藤 道子 一年前『花筺』(はながたみ)十号に「碓氷峠今昔」という一文を書いた。発行後、拙文を読んでくださった年若い友人から早速メールが届いた。その一節に「実人生と研究と情景が美しい三重奏を奏でているうえに、ご本人はそれに酔いしれることなく書いていらっしゃる絶妙な距離感に感銘を受けました。生者と死者が出会う境界(峠や国境)には私も心を惹かれますが、たまさかの死者との再会は、この世に生き延びんとする縁とも読み取れて、清々しい読後感でした」という過大な褒め言葉をいただき、いたく恐縮するとともに感激したことを思い出す。私が考えようとしていたことの真意を代弁してくださっただけでなく、更にその先への方向づけを暗示していただいたのである。死後の魂のゆくえ、死者との再会、死者の復活ということを日本人はどう考えてきたのだろうか、また現代にどう受け継がれてきたのだろうかなどを考えるきっかけを与えられた。でもあまりに大きなテーマなので到底私の手に負えることではないが、自分なりのレベルで考えてみることにした。 まず万葉びとは、死後の世界をどのようにとらえていたか、ということを手がかりに考えてみたいと思う。古代人は、肉体は滅びても肉体から遊離した魂は永遠に生き続けると考えていたようだ。そして死後の魂のゆくえを山中に求めていたふしがある。思いつくままに、いくつかの万葉歌を挙げて見ていきたいと思う。 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山の 山の際(ま)に いさよふ雲は 妹(いも)にかもあらむ(巻三・四二八) (泊瀬の山の山あいに、去りもやらず たゆとう白雲は、あれこそは我が妻おとめではないだろうか) この歌は柿本人麻呂の歌。「土方娘子(ひじかたのをとめ)」が泊瀬山で火葬に付されたとき、その火葬の煙と山にただよう雲とを重ねている。愛する人の魂がずっと消えずに山の間に残っていることを詠んでいる。(続く) |
Posted by
皆川眞孝
at 11:33