今月の俳句(平成30年6月) [2018年06月18日(Mon)]
今月の俳句(平成三十年六月) 今月の兼題は「トマト」です。トマトは今では温室栽培のため年中食べられますが、俳句では夏の季語です。赤茄子(あかなす)とも言います。平凡な食材のために、俳句にするには大変難しいことがわかりました。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は木原義江さんです。 「紅顔の板前帽やトマト切る」 渡辺 功 紅顔とは年若い頃の血色の良いつやつやした顔のこと。つまりこの句はまだ修行中の半人前の板前を詠んでいます。身なりは一人前ですが取り組んでいるのはトマト。この句の面白く味わい深いのは食材のトマト。たかがトマトと侮る勿れ。張りのある皮と柔らかく崩れやすい果肉を形を崩すことなくスパッと切り揃えるには相当の腕が必要なのです。それも客に出すのであれば猶更のこと。親方や先輩の厳しい目が手元を見詰めているかもしれません。若者の緊張感が伝わってきます。真っ赤なトマトと板前の真っ白な帽子(仕事着)の対照が鮮やかです。 「古民家の並ぶ川辺や花菖蒲」 皆川 瀧子 南窓会のバスツアーで千葉の佐原を訪れた時の句。佐原は江戸時代に栄えた水郷の町であり、伊能忠敬の故郷としても有名です。町中を流れる小野川は坂東太郎の異名で呼ばれる利根川に下流で合流します。つまり江戸の大消費地に物資を運ぶ水運業の繁栄と物資の集散地でもあったわけで、当時は相当な賑わいであったろうと思われます。小野川の両岸には当時の建物がそのまま保存され、旅籠、雑貨屋、呉服屋、和菓子屋等々今でも生活が営まれています。川辺には様々の木や花が観られます。この句には花菖蒲が取り上げられました。花菖蒲の楚々とした風情と江戸風情が見事に響き合っています。 「山清水溢れる井戸や城下町」 宮崎 和子 作者によりますと、詠まれた場所は長野とのこと。長野といえば松本城、上田城で有名ですね。長野は山国。浅間山、八ヶ岳連峰など大きく高い山に囲まれた地です。その山々からの無数の水脈により、豊かな土地として昔から栄えてきました。畑も城も城下町も水無しでは成り立ちません。今でも溢れるように豊かな井戸があるのですね。山清水(夏の季語)という季語の斡旋により山の霊気と清浄な空気までが感じられます。 「船頭の飛白(かすり)のもんぺ花菖蒲」 小野 洋子 こちらは潮来での句。素晴らしい菖蒲田が川沿いにずっと続いていました。その川には和舟が観光客を乗せて行き来していました。その船頭が女性であったことは驚きでした。菅笠に絣のもんぺの出で立ちは水郷の情緒を一層引き立てていました。かすりというのは所々かすったような文様を織り出した織物または染め文様のことで、飛白・絣と表記します。飛白の方の字を選ばれたのは紺地に白いかすり模様を染めたもんぺを表現されたものだと思います。作者の細やかな表現が光ります。また、もんぺという言葉を知っている方は相応の年齢の方でしょう。私は若かった母を思い出しました。広辞苑によると、もんぺとは袴の形をして足首のくくれた股引に似た服で、保温用または労働着とありますが、別名雪袴ともいうそうでこれには驚きました。 「川舟のそろりと廻り夏柳」 皆川 眞孝 この句も佐原での川遊びの句。水郷から見上げる江戸情緒あふれる町並みはまた違った趣があったことでしょう。乗客満載の平底の和舟を操るのは船頭にとって大変な労力を要するものと思われますが、旋回するのは更に難しい技量を要するものでしょう。ゆっくりそろそろ舟の向きを変えた情景をそろりという一語で表現されたのは見事でした。ゆっくり廻った舟に川辺から緑豊かな柳の枝が触れそうに垂れ下がっている景を美しく思い描くことができました。夏柳の季語により川風の爽やかさまで感じられます。 「白鷺の一本脚や遠浅瀬」 木原 義江 鷺は田圃や川、海の浅瀬などでよく見られる鶴に似た美しい大型の鳥です。小鷺、白鷺、青鷺、五位鷺など15種ほどが日本で棲息しています。この内、白鷺と青鷺が夏の季語となっています。 この句では遠浅とありますから三番瀬辺りの干潟の広がる海辺でしょうか。遠くまで広々と広がる浅瀬に一本脚で身じろがない白鷺の姿が浮かびます。休んでいるのか、潮に取り残された魚を狙っているのかは遠目には分かりませんが、一本脚で動かない白鷺の優美な姿が浮かびます。 鷺の脚の垂直の線と浅瀬の水平の線の対照も面白いですね。 「かすかなる潮風運ぶ海鞘(ほや)の膳」 湯澤 誠章 海鞘(夏の季語)とは何か? 食物であり、好きな人と嫌いな人、見たことはあるが食べたことがない人、食べてみたいと思わない人、全く知らない人に分類されそうです。私自身岩手を旅行した時見たことはありますが、到底食べる気がしませんでした。子供の頃教科書で見た原生の海に繁茂する海藻のように見えました。 広辞苑によると尾索類の総称とあり、尾索類とは原索動物の一綱で海産、固着性のホヤとあり、原索動物とは動物界の一門、あるいは脊索動物の一亜門とありました。何が何だかよく解りませんが、どうやら動物らしいということだけは解りました。 作者によると取り立てのものだと非常に美味、少しでも時間が経つと生臭くなるのだそうです。 新鮮な海鞘には潮の香がほのかにするのでしょう。好物の海鞘の膳を前にして満面の笑みを浮かべている作者の顔が浮かびます。 「赤茄子を丸齧りして山男」 藤戸 紘子 作者は若いころはよく山に登られたそうです。そんなときに目にされた光景でしょう。 一休みしている山男、よほど喉が渇いていたのでしょう。大きなトマト(赤茄子)にがぶりと齧りつきました。その豪快さは、見ていて気持ちが良く、好感がもてます。もしかして、この山男は一緒に登山したボーイフレンド?作者の青春の一コマかもしれません。 山男とトマトの組み合わせにユーモアを感じます。山男のいる場所の高さや、周りの山々の空気の清々しさまでを感じさせてくれる、夏らしい一句です。 今月の一句(選と評:木原義江) 「もぎとりし茄子に残りし日の余熱」 小野 洋子 作者は茄子を家庭菜園で楽しんで作られているのでしょう。初茄子を取られて(もぎとる)手にした時の暖かさをそのまま句にされる実感がよく伝わります。 そうそう私も経験したことありと思い浮かべながら選ばせてもらいました。(木原義江) トマトのほかの句 「湧水受く桶の不揃ひトマトかな」 宮ア 和子 「あかなすは食はぬと媼眇(すが)めして」 渡辺 功 <添削教室>(藤戸紘子先生) 元の句 「日を受けしトマトの並ぶ無人店(むじんだな)」 皆川眞孝 無人店は大体道端など戸外にあるので、日を受けるのは当然なことですし、説明的ですので不要です、ここはトマトをもっと具体的に描写した方が面白いでしょう。例えば、先の宮アさんの措辞を借用して、次のように添削してみました。 添削句 「不揃ひのトマト並ぶや無人店」 皆川 眞孝 |
Posted by
皆川眞孝
at 09:00
私のボーイフレンドを想像していただけただけで光栄です。たとえそれがどんなタイプの方であっても文句は言えません。かっては人並みにボーイフレンドがいた筈だと思ってくださって、ありがとうございました。