琵琶湖周遊(近江八幡)-7 [2015年08月30日(Sun)]
琵琶湖周遊(近江八幡)-7 近江八幡は「八幡山城」(八幡城あるいは近江八幡城ともいう)の城下町です。 「八幡山城」は天正13年(1585)豊臣秀吉と豊臣秀次(秀吉の甥)が標高283mの八幡山 の頂上に築いた山城で天主閣など今はなく形などはわかっていません。 築城から僅か10年で廃城となりました。 城主豊臣秀次は城下町を整備する際に「八幡掘」を造りましたが、幅15mの人工運河を 琵琶湖まで6km築造し、これが起爆剤となって船の頻繁な往来と物流と近江商人を生みました。今でも「八幡掘」の両岸と周辺には豪商近江商人たちの旧家が並び文化財の指定を受けた格式の高い広壮な屋敷をみることができます。 近江の民衆に愛された豊臣秀次という人は戦国の世とはいえ悲劇の武将、悲運の武将ではないでしょうか。 秀吉の姉の長男として生まれ、当初、秀吉に子供が生まれないため秀吉の養嗣子となり 関白に列せられたにも関わらず、秀吉に秀頼が誕生するや疎んじられて出家を強要され、高野山青巌寺に蟄居を命じられて結局は切腹、三條河原に晒し首、その際に眷族も尽く 処刑されました。 日牟礼八幡宮の前の道を前方の山に向かって真っすぐに歩めば「八幡山城址」に達します。 続く 文責 荒川 |
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wild river
at 09:00
コメントを有難うございます。
最初近江八幡の掘割にガイドが案内してくれたとき、掘割のどこが観光ポイントなのかわかりませんでした。近江商人と八幡堀と八幡城主との関係など戦国の歴史について説明を受け、市の資料館などの見学が進むにつれて見る目がちがってきて、いい場所に案内してくれた旅行社に感謝したい気持ちになりました。