1964年 東京五輪物語 [2015年07月18日(Sat)]
朝日新聞2015年6月20日掲載記事より抜粋 東京五輪物語 1964-2015-2020 公式計時 任される時計を 世界初 精度100分の1秒 「日本の時計は安かろう、悪かろうだった」服部時計店「(現セイコーホールディングス)の製造部門、第二精工舎の設計者だった小牧昭一郎さん(81)は当時を振り返る。 アジアで初の1964年東京五輪は、日本の技術力を磨く好機になった。 ずっとスイスなどが担当してきた公式計時を、初めて日本に任せてもらえるかの挑戦だ。 当時、ゼンマイで動く機械式時計は100分の1秒の精度がなかった。 世界中で誰も達成していない難題。 それを、ハート形の1ミリほどの部品を挟むことで解決してみせた。 ベオグラードで国際陸上競技連盟がテストをした。 係員が両手に持って同時にスイッチを押した時計は、数秒、数分、1時間後、どれも同じ時間だった。 「テストをクリヤーできなかったら、今のセイコーはなかった」 もっとも東京五輪の主力は、その苦心作でなく、セイコーが世界で初めて腕時計として実用化するクオーツ時計になった。 水晶に電圧をかけた振動から正確な時を得る。 高さ約2メートルの装置を、五輪までの数年で置時計サイズまで縮小させた。 東京五輪は史上初めて計時へのクレームがなかったという。 ときを経て同社は男子100メートルでボルト選手の世界記録9秒58を測定。技術は1万分の1秒を計測できるまで進化した。 今春、日本人初の9秒台をめざす山県亮太選手を社員に迎えた。 「人生をかけて記録を出したい」と言う山県選手に、服部真二会長は「100分の1、千分の1にかける熱い思いをサポートしたい」 困難への挑戦。 その気風は今も変わらない。(増田創至) かつて設計した機械式ストップウオッチを手にする小牧昭一郎さん 1963年(昭和39年)東京五輪で使用されるウオッチの組み立て工場 文責 荒川 |
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wild river
at 09:00
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理系の作家は大勢います。渡辺淳一も医師ですし、「チームバチスタ」シリーズの海堂尊も医師です。理系でも医師の作家の本は人間をうまく書いています。