惜別 車谷長吉 [2015年07月12日(Sun)]
惜別 車谷長吉 2015年6月20日(土曜日)朝日新聞夕刊からの抜粋です 慶応大独文卒の車谷長吉(本名車谷嘉彦)が68才の若さで本年5月17日(日曜日)に亡くなりました。死因は誤嚥性窒息 です。 「反時代的毒虫としての私小説作家を標榜」し、1998年「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞受賞、同年「伊藤整文学賞」にも選ばれたが伊藤整と文学感の違いから受賞を拒否しました。 2009年(平成21年)に朝日新聞の人生相談を担当し、その記事は多大な反響を呼びました。 以下は朝日の抜粋です。 惜別 こっ、これは新聞に載せられる のだろうか。土曜別刷りbeの新連載、人生相談「悩みのるつぼ」の 回答者になってもらった2 0 0 9 年春、ファクスで流れてきた最初の原稿に目を通して、ぴぴった。 「教え子の女生徒が恋しく、情動を抑えきれない」という40代の高校教師の相談に対し、「彼女と 出来てしまえばいい。破綻して、 職業も名誉も家庭も失いなさい」 と答える。「生が破綻したときに 初めて人間とは何かが見え、人生 が始まる」と説いていた。 それは、職を失って31歳で「無 一 物」になり、関西の料理場の下働きをして漂流 40歳前に再び上 京し、貧窮の中で文学を求めた作家の「真実」だったのだろう。 掲載後、苦情も届いた。だが回を重ねるに連れ、救いがない人生 に、救いを求めて生きるのが人の 一生なのだという「車谷ワールド」の苦みが、多くの読者の心を ひきつけていったように思う。 「けったいな人」と呼ばれた。 ズボンの「社会の窓」は常に開け っ放しで、家ではトイレの戸を閉 めることもなかった。50代で強迫 神経症を患った。最近は仕事から 離れて家にこもり、外出するのは 缶ビ-ルを買いに行くときくらい だったという。 妻の詩人、高橋順子さん(70)は 「ナイー ブで、狂気の人。結婚生活約20年のうち、最初の5 年と最後の 5年は大変だった」と振り返える。そのあいだの10年は、「世界 一周の旅行に行ったり、四国のお遍路を歩たりして、私には幸福 な日々でした」。 高橋さんが火葬場で般若心経を 読み、見送った。 「自分の骨はゴミ袋に入れて捨ててくれ」という、かって書いた望みはかなうことがなかった。(中島鉄郎) 2015年5月17日死去(誤嚥性窒息)69歳 写真は2012年(平成24年)5月、夫婦で出向いた旅先の九州で=妻高橋順子さん提供 |
Posted by
wild river
at 09:00
旅行にでかけて不在にしてコメントにお礼を申し上げるのが遅れて大変失礼しました。「荒川さんの気持ちを害したなら謝ります」とあるのでビックリしました。とんでもない恐れ多いお言葉です。
皆川さんのようにお考えになる方が健全な大多数の市民だと思います。車谷氏は“社会的毒虫を標榜する私小説家”というだけあって朝日の人生相談に載った氏の回答は当時大きな反響を呼びました。
私はこのような宣言をする小説家の作品が選ばれる理由が奈辺にあるのか知りたくて氏が「赤目四十八滝心中未遂」で直木賞を受賞した第119回直木賞選考を読んでみました。選考候補にエントリーされた小説は7作品で、その中にはビートたけし主演の映画「血と骨」の作者梁 石日も含まれていますが、受賞に輝いたのは車谷長吉氏で選考委員田辺聖子氏を含め8名の選考委員全員から推薦されたといってもよい選考事情だとわかりました。選考委員のひとり井上ひさし氏などは、読後感動で涙がこぼれたと述懐しています。
私的な話で恐縮ですが、退職して写真を始めたときに、尊敬し世話にもなっている上司から「君くらい常識でいきてる人間は非常識の世界には無縁だからやめろ、芸術は非常識の世界だよ」といわれたのですが、確かに芸術は難しい面があると思いました。破滅的な人生を送った人は私の周囲にも10人ほど数えられますが、そういう人たちを理解するのは困難ですが事情を知ると同情をしてしまいます。