「海鷲とともに」−自治会長の独り言 [2008年12月08日(Mon)]
写真集「海鷲とともに」(榎本哲)のご紹介 ―自治会長の独り言 (モートロック島の零式観測機ー撮影:榎本哲氏) 今から見れば、あんな馬鹿な戦争を何故したのかと思いますが、その当時の日本人はこの戦争を日本が生き残るためと考えていて、若者たちも日本を救うために自分たちの命を捨てて戦いました。そのような尊い犠牲の上に、現在の日本があることを忘れてはならないと思います。 最近、「海鷲(うみわし)とともに」(平成12年発行、文林堂)という写真集を入手しました。これは、自治会の榎本かよ子様のご主人の榎本哲(さとし)氏が撮影記録した海軍での4年間の貴重な写真をまとめたものです。榎本氏は、大正7年生まれ、東京工業大学卒業してすぐ飛行機整備予備学生として昭和16年に入隊、海軍予備機関少尉として航空母艦「飛龍」に乗船、ミッドウェイ海戦で奇跡的に助かり、三重航空隊教官、トラック島分隊士、追浜航空隊教官、昭和19年には海軍大尉として整備分隊長を歴任して、昭和20年8月の敗戦を迎えました。 学生時代からカメラが趣味で、戦争中も勤務の傍ら写真をとったもので、これだけまとまった枚数で軍隊内部の写真が残されたのは奇跡的ともいえる貴重な資料だそうです。 榎本氏は、戦争で亡くなった同期生・先輩・後輩のことを常に考えて、公表することなく、これらの資料を自分のコレクションとしていましたが、退職後、関係者から強い要望を受けて、一冊の本として出版したものです。榎本氏はその本の出版後翌年の平成13年に亡くなられました。 この写真集は150ページのすばらしい記録で、航空母艦「飛龍」時代のものはミッドウェイ海戦で失われましたが、榎本氏はご自身の記憶で絵画を描かれています。 上)「機動部隊上空における零戦の激撃」(榎本哲氏描く) 下)「空母・飛龍から発艦していくミッドウェー島攻撃隊」(同上) 榎本夫人のご了解を得て、そのうち数点をブログで紹介します。 数多くの写真は、単なる記録にとどまらず、戦闘中にかかわらず詩情を感じさせます。 左)鹿児島・香取基地を離陸する彩雲一番機 右)トラック島の海に着水した零式観測機 モートロック島の零式観測機 この本をご覧になりたい方は、皆川までご連絡ください。 榎本氏は次のように語っています、「将来のある同期生・先輩・後輩が国を守ろうとして死に向き合い散っていきました。戦争は、物も精神も壊してしまいます。二度としてはなりません。彼らの無念の思いを忘れないために、この本を役立たせたいという気持ちです」 この開戦記念日に、榎本氏の言葉改めて噛みしめたいと思いました。 (文責:皆川) |
Posted by
皆川眞孝
at 17:46
榎本さんのご主人の著書を紹介して頂き有難うございました。