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原点 [2011年10月04日(Tue)]
 9月24日、兄が、57歳で他界しました。

 通夜と告別式で、祭壇の前に、兄の車いすと帽子を置きました。
弟の私は、告別式で、喪主(父)の代わりに、こんな挨拶をしました。

 「兄は、36歳で病になり、何度も手術を受け、そのたびに、
  一からリハビリをやり直して、一人で車いすに乗る力をつけました。

  あの車いすと帽子で、街中を、デパートの地下をラウンドするのが、
  兄のトレーニングのスタイルでした。

  車いすに乗れなくなってからも、ベッド上で身体を起こし、
  頭のトレーニングを続けました。

  亡くなる一日前、24時間前まで、自分のスタイルを貫きました。

  残された私たちにとって、そんな兄の生き方が、自分の生き方と
  少しづつ重なっていく日々が、今日から始まるのだと思います。」

  兄は、私が、福祉部局を希望した原点でした。

  今は、介護保険と医療の現場で、この国の制度設計の限界と
可能性を見極めながら、「新しい公共」の方向性を考えていきたい
と思います。
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