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2022年05月01日

[NPA隔月コラム]今も息づく縄文文化

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[縄文文化の片りんを感じさせる三内丸山遺跡]

今も息づく縄文文化
2022年5月1日
澤田 修(NPO政策研究所理事・香芝市在住) 


あることで10数年前から土偶ファンになった。今では土偶から、古代史としての縄文時代に関心が広がっている。縄文文化は奥深くロマンがあり、知ることは楽しみである。

旅行で、遺跡を訪ねるのも楽しみだ。4年前に三内丸山遺跡に訪れる機会があったが、書籍で読むのとは違う印象を受けた。歴史を知るには、現場に行くべきだと感じた。

縄文時代や弥生時代が認知されるようになったのは、ほんの50年程前からにすぎない。なぜ縄文時代は1万年も続いたのか。あのような土偶・土器がどうして生まれたのか。縄文文化がどのようにして弥生文化に引き継がれていったのか・・・今なおミステリーである。

1万5千年ほど前、気温上昇によって海面が上がり、ユーラシア大陸から切り離されて、島国・日本が誕生した。この辺境の島国で、縄文時代が1万年も続き、しかも独自の文化を築いた。辺境地だったからこそかもしれない。

遺跡の発掘は今なお進んでいるが、調査技術の進歩により、様々な発見がある。例えば、縄文人は狩猟採集で、その日暮らしの生活をしていたと考えられていたが、青森県の三内丸山遺跡の発掘によって、自然を計画的に管理し、自然との共存・共生の道を歩んでいたことが明らかになった。貝塚からの人骨により、筋萎縮症の肢体不自由者を、成人になって亡くなるまで面倒を見ていたことも分かり、さらに専門の武器がないことから、争いが相対的に少ない社会を築いていた、と推察できる。

縄文文化なくして、次の弥生文化は生まれなかった。稲作は、弥生時代に入ってからとされるが、私は縄文人は農耕を拒否してきたのではないか、と考えている。それはなぜか。稲作による生活の変化の問題点を知っていたからではないか。環境問題を意識し持続可能な社会をつくるうえで、今こそ縄文人に学ぶことは多い。

2010年に「百舌鳥・古市古墳群古代日本の墳墓群」が世界遺産に登録された。古墳は宮内庁が管理し、現在も残って形態が分かり、古墳にまつわる物語も作られる。一方、縄文遺跡は全国にあるが、その多くは土の中にあり、復元でしか見えない。北海道・北東北の縄文遺跡群は、都市化されず遺跡として残ったのだが、都市開発が進んで遺跡がつぶされていくのを残念に思う。

そんな中、2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された。あの魅力的な土偶や土器が生まれた理由を探る上でも、保全と調査研究がさらに進むことを願う。縄文文化は、現在の我々の生活にも引き継がれているのだから。
posted by NPO政策研究所 at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | NPAコラム