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2025年11月02日

【NPA隔月コラム】改正公益信託:新しい民間非営利活動のフロンティア

2025年11月1日
岡本仁宏
(一社)公益信託推進イニシャチブ 代表理事/(社福)大阪ボランティア協会ボランタリズム研究所 所長、西宮市在住

改正公益信託法が2026年4月に施行予定である。
 公務員やNPOで活動されている方たちに聞いても、「知らなかった」とか「聞いたことがある」という程度の認識しか持っておられない 。手近な新聞のデータベースで調べてみても、改正公益信託法の成立と施行に関する記事は、国会成立法案の一覧リストにあるだけで記事としては見当たらない。つまり、残念ながらほとんど知られていない。
 公益信託は、民間非営利公益活動が一般的に使える第三のツールである。公益法人、特定非営利活動法人、そして公益信託である。財産拠出という点では、寄附や財団法人形成と並ぶ公益目的資産の受け皿である。
公益信託は大正時代にできた法律によっており、今は370件ほど存在する。しかし、昨年この制度が百年ぶりに抜本改正された。主な変更点を列記すると、

1、主務官庁制の廃止と統一の行政庁・民間有識者委員会による監督への移行
2、受託者を事実上の信託銀行限定から個人や一般の法人等へ拡大
3、信託事務を事実上の助成限定から多様な公益事業に拡大
4、税制優遇を限定から公益信託認可と基本的に連動
5、信託財産を事実上金銭限定から有価証券や不動産、知財まであらゆる財産に拡大

 実に大転換である。
 資産を出す方にとっては、明らかに選択肢が広がる。単に寄附として渡してしまうのではなく、使い方にもっと自分の意向を反映させたいと思っている人の受け皿になる。契約でも遺言の形でもできる。受託者が破産しても、財産が守られる「倒産隔離」の仕組みもあるので、文化財や貴重な自然を保護するための寄附にはピッタリである。
 資産を受け取る方にとっては、税制優遇を受けていない法人や団体さらに個人でも、公益信託としてならほぼフルの税制優遇付きで財産を受け取れる。しかも、単に受け取るだけでなく、そのお金を生かして事業を運営することもできる。受託者と信託管理人、この二つのアクターさえしっかりしていれば、受け取った財産を使った事業運営が可能だ 。
 内閣府でガイドラインの作成が進んでおり、11月にパブコメも出される予定。使いやすくするためには、アドボカシーが欠かせない。 もし、大きな資産を出そうとか、受け取ろうという話があるなら、公益信託を選択肢の一つに入れてはどうだろう。 これまで担ってきた信託銀行に加えて地域でお金を回したい地銀や信金、家族信託で信託に慣れている弁護士や税理士とのネットワークも作りたい。
 施行までにいろいろ準備できる。新しい道具を使うためには技術を磨くことも必要だ。この道具を使って、どんな作品を作ることができるのか。新しい民間非営利活動のフロンティアの姿を見極めたい。

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@岡本作成「公益信託の仕組み」

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A「こうえきしんたくん」(内閣府公益信託イメージキャラクター)
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2025年10月01日

【NPA隔月コラム】シマダスとリトケイ

シマダスとリトケイ

2025年10月1日
直田 春夫(NPO政策研究所理事長、箕面市在住)

 厚さ約5p、A5判変型、重さ約1.2kg、1,808頁(含地図、写真)。これが『SHIMADAS(シマダス)』の正体だ。日本国内の島(国土地理院によると14,125島、うち有人島は417島)のうち約1,750島を掲載した島データベースである。

 シマダスは、(公財)日本離島センターが1993年に刊行、2019年の第6版が最新版。面積、周囲、標高、世帯数、人口、年齢構成、産業、来島者数、行政、交通等の基本情報から「みどころ」や郷土料理などの「島じまん」、さらに祭祀/伝承、方言、うた、学校の状況、出身者に至るまで、写真や地図も掲載されている。無人島についても、たとえば北海道松前町沖にある今は無人島の(松前)小島(1.54㎢)の項には、「かつては(アワビやサザエ)採取のため能登半島からも毎年海女がやって来ていた。」という記述を見つけることができる。一つ一つの島を多様・多層に浮かび上がらせる巨大なデータベースがあることの意味は大きく、島の行き方(生き方)を考える端緒となる。

 『ritokei(リトケイ)』は、認定NPO法人離島経済新聞社が刊行するタブロイド判24頁カラー刷りの季刊紙である。毎号、特集テーマを掲げ(例えば「気づき、受け入れる。腹落ちする島へ」、「逢いたい島人」、「シマ育のススメ」、「島を支える仕組みのキホン」、「島で生きるために必要なお金の話」等々)、関連する現場のルポ、住民・島づくり人のインタビュー、背景情報のまとめの記事などが興味深い。団体名を「離島経済」としているだけあって、産業振興や経済循環の記事には力が入っている。

 最新号の2025年秋号(No.50)のテーマは「島々が向かう意志ある未来となりゆきの未来」。複数の島の小学生に「島がどんなふうになってほしいですか?」と尋ねたところ、ほとんどが「今のままでいい」と答えたとある。統括編集長でNPO代表理事の鯨本あつこさんは「これは簡単に見えて最も難しいことかもしれません」とコメントしている。このNPOでは、新聞発行のほかにも「島と島国の宝を未来につなぐこと」をミッションに、「未来のシマ共創会議」や「シマビト大学」など、さまざまな創造的事業を展開している。

 「島」は往々にして憧れの対象として消費される傾向にあるが、それぞれに歴史とそれを継承した暮らしや生業があり、時には「離島苦」を乗り越えて今があるのだが、すさまじい人口減と高齢化の中にあって、島の持続は予断を許さない。島は、島外との開かれた関係性なくしては生き残れない。しかし、その存在自体の潜勢力は大きく、さまざまな可能性の組み合わせを持っている。地域が自立することへのヒントがそこにある。

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ritokei No.50表紙
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2025年07月01日

【NPA隔月コラム】市民活動人生最終期の挑戦〜帯解駅舎をめぐる地域活動

市民活動人生最終期の挑戦〜帯解駅舎をめぐる地域活動

2025年7月1日
帯解駅舎保存・活用の会代表 
木原勝彬(奈良市在住)

 奈良でのまちづくりを実践しようと、東京での会社勤めに踏ん切りをつけて、故郷奈良にUターンしたのが1978年。奈良町の歴史的町並み保存運動への心酔を機に、市民活動をライフワークにすると決意してから、かれこれ半世紀になる。市民活動人生の最終期に入ったここ5年は、過去に学んだ経験を総動員して、地元であるJR万葉まほろば線帯解駅舎の保存・活用に全力を傾注している。
 詳細は、以下である。明治31(1898)年に建設され、現在、奈良市所有の登録有形文化財になっている帯解駅舎を、奈良市が大正15(1926)年当時の駅舎に復原整備し、整備後の駅舎を「帯解駅舎保存・活用の会(以下、本会)」が地域内外の人々との交流拠点として活用(管理運営)することをめざすプロジェクトである。竣工は2027年3月を予定している。
 市民活動人生の総仕上げとの思いで駅舎の保存・活用活動を開始したが、今に至るプロセスは予想を超える厳しい道のりであった。本コラムでは、直面している現実の問題の紹介に留めることにし、それらの要因分析等を踏まえた総合的な考察については、駅舎竣工後の宿題としたい。
 ところで、奈良市との関係である。現駅舎を大正15年当時の駅舎に復原整備するという目標の共有に至るまでには、5年間(2019〜2023年)で90回の折衝・交渉(提案、要望等)を必要とした。この間の意思決定の遅れが、竣工を大幅に遅らせた要因である。昨年6月、本会と奈良市担当課との間で「協働による帯解駅舎保存整備事業の推進に伴う協議について」の申し合わせをおこない、毎月、迅速な課題解決と事業の円滑化を図る定例協議を続けている。
 一方の地域である。駅舎活用による地域の活性化をめざすという本会の活動は、人口が減少し続け、少子・高齢化で元気をなくしつつある帯解地域(2024年4月の校区人口2,751人で10年前に比べて2割減少、高齢化率44%、年少人口9.5%)であるから、比較的スムーズに受け入れられ、地域住民の入会及び行事の参加もそれなりに確保できると期待していた。しかし、地域住民を対象にしたフォーラムや意見交換会等への参加は少なく、駅舎に対する関心は総じて低い。それに加えて私を悩ませているのは、本会の組織ガバナンスにかかわる次の3つの問題である。運営委員(役員13名、内70歳以上8名)間の認識の共有化がままならないこと、事業の役割分担がスムーズ進まないこと、そして今年80歳になる私の後継代表の問題である。
 上記の問題解決は、一朝一夕にはいかないことを認めたうえで、2027年3月の駅舎竣工までには、私なりのリーダーシップを発揮して、問題解決への努力を続けたいと思う。

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明治31年建設の登録有形文化財 帯解駅舎
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2025年05月01日

【 NPA隔月コラム】「ゴジラ」は語る

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「ゴジラ」は語る
2025年5月1日
澤田 修(NPO政策研究所会員・香芝市在住)

1945年3月に東京や大阪など各地で大空襲、8月には広島と長崎に原爆が投下されるなど、多くの犠牲者を出した戦争が終結して、今年で80年になる。

占領の終わりを待つかのように1954年、映画「ゴジラ」が公開された。「ゴジラ」は何故つくられたのか、何を語ったのか。
ゴジラはジュラ紀から深海で生き延びてきた恐竜で、水爆実験によって怪獣となり、地上に現れて放射線を帯びた白熱光を放出しつつ街を破壊する。ゴジラの出現は、原爆の恐怖の再現でもあった。同年3月に第五福竜丸事件が起きており、当時の日本人は反戦、反核の思いが強かったと想像できる。

ゴジラは大戸島という架空の場所に現れ、その後東京を襲う。なぜゴジラは被爆国である日本を襲ったのか。大戸島の調査にあたった志村喬演じる古生物学者の山根博士は、ゴジラも水爆の被害者だと考え、映画のラストで「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかもしれない…」と警告を発する。平田昭彦演じる芹沢博士は、ゴジラをはじめあらゆる生物を殺せる酸素破壊剤を開発していたが、兵器として悪用されるのを防ぐため秘密にしていた。しかし、多くの犠牲者を目の当たりにし、ゴジラを止めるためには使用をせざるを得ないと決意。その製造法が悪者の手に落ちないように、ゴジラとともに生命を絶った。私には、芹沢博士が原爆を開発したとされるオッペンハイマーとだぶる。

第1作目が評判となって以後、多くのゴジラ映画が撮られ、米国でも製作されている。回を重ねる
とともに、惨禍をもたらす「敵」から、怪獣を倒す「味方」として描かれるようになった。核の恐怖のメッセージが弱まり、原子力発電所のような平和利用が進む動きと併せるように、ゴジラの役割も変化していったのではないか。
ゴジラは、その時々の時代背景の中でつくられてきた。2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故以降、国内外でゴジラが再評価された。2016年に「シン・ゴジラ」が上映され、2023年にはゴジラ生誕70周年記念として「ゴジラ-1.0」がつくられた。後者はアカデミー賞視覚効果賞を受賞しただけあって、VFXが駆使され、ゴジラによって東京が破壊される映像が生々しい。改めて、何故日本を攻撃するのかと思った。

最近、吉見俊哉著の『アメリカ・イン・ジャパン』を読んで、アメリカが西部開拓から太平洋、さらにアジアへと向かう西漸運動の先に日本を見据えていたことを知った。なるほど、だから日本が攻撃されるのか、と腑に落ちた。となると、日本をはじめ世界を混乱させているトランプ関税は、今様の“ゴジラ”なのかもしれない。
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2025年03月01日

【NPA隔月コラム】「政治を我が事として考える」

「政治を我が事として考える」
2025年3月1日
福田弘 大阪市政調査会(大阪市在住)

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事務所の引っ越し作業の途中、書架の奥から『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』(新評論)という本が出てきた。1997年に出版された本で、あらためて一読してみた。とりわけスウェーデンの地方自治体であるコミューンについての章で、コミューンの政策に影響を与えるために政党に働きかけたり、デモをしたりする手段があると書かれていることが印象的だった。コミューンの仕組みを説明する前に、章の冒頭で「やってみることが大事だ」という節があり、若者たちが自分たちの会館をつくるために運動した事例が紹介されている。

日本では政治に関わることを避け、それどころか「意識が高い系」と冷笑する傾向がある。その一方で、東京都知事選や兵庫県知事選でみられたような極端な高揚や投票行動も散見される。SNSの影響等が指摘されているが、その根底には「政治とは自分たちで問題を解決するためにあるものだ」という意識の欠落があるのではないか。

スウェーデンの教科書に記載されているような当事者意識を持つための教育を行ってこず、実際の経験を積む機会も日常的になかった。政治は自身とは別のところにあって、誰かがしてくれるものだと思い込む姿勢が、極端な失望と希望を生む。その結果が、ネット社会の到来によって特異なかたちであらわれたのではないか。小泉劇場や維新の会の登場、あるいは地滑り的勝利による民主党政権の誕生も同様だったのかもしれない。

このような状況は、SNSの規制や選挙制度の改革だけでは変えられない。教育や日常生活のレベルから考えていく必要がある。スウェーデンの教科書では、人は1人では無力であり、様々な団体・グループと関わることの重要性が書かれている。コミュニティが希薄化し個人の孤立化が進めば、日本の状況はさらに深刻化するだろう。

地元の飲食店で、自治体議員を招き政治について語る会を行ったことがあるが、参加者の多くが、日常会話で政治を話題にしにくい雰囲気があると話していた。ただ興味深かったのは「大阪都構想」にかんしては、様子が違ったそうだ。大阪市の廃止の是非について住民投票での二者択一を迫られる経験は、自分とは無関係だった“政治”が、一気に“我が事”になる、ある意味ショック療法だったのかもしれない。

教育から変えることは困難で長い道のりとなるだろうが、まずはいまからできることとして、身近なところから「政治を語る場」をつくっていきたいと思っている。
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2025年01月01日

【NPA隔月コラム】「土の記憶 土がつなぐもの」

「土の記憶 土がつなぐもの」
2015年1月1日
仲野優子 NPO政策研究所/しがNPOセンター(滋賀県草津市在住)


「土」に関わる記憶を辿ってみる。大阪市内で育った私にとって最初の土の記憶は、かくれんぼで入り込んだ路地(ろおじ)の黴臭い苔のような匂い。その頃の道はコンクリートやアスファルト舗装で、定期的に散水車が走っていた。土埃(つちぼこり)を抑えるためと思っていたが、後になってアスファルトが溶けるのを防ぐためだと聞いた。そういえば炎天下、溶けたアスファルトに草履をとられ困っている人をよく見かけた。

教職で滋賀に赴任した当初は、田んぼと畑の違いがわからなかった。子どもたちに教えられたのは私の方で、授業中に棚田に行って、上のため池からおちてくる水の流れを追うのが新鮮だった。また「地べた遊び(けんぱや陣地とり)」の線をかくときに、子どもたちが木切れを使うのも珍しかった。大阪ではローセキ(蝋石)やチョークがいつもポケットにあった。今や「地べた遊び」もないようだが、数年前のイベントで、水で消せるチョークを使ったお絵描き体験を行ったらめちゃくちゃ盛り上がった。

教員を退職後、市民活動の相談窓口にいた時に、駅前マンションの住民から「プランターの土の捨て方」を聞かれた。「集めている団体はありますか」「ゴミに出すなら分別はどうすれば」と。川原や山に勝手に捨てると違法投棄になる、という。自然豊かな滋賀県でも、土の捨て場に困るんだと思った。園芸のボランティア団体につなぐことは可能だが、と答えた記憶がある。

2012年からは仕事で環境保全活動の助成金の事務局に携わり、滋賀・京都エリアで、毎年約60団体の活動を支援している。サイト上で採択団体をカテゴリーに分け、活動レポートを掲載しているのだが、水・水辺 (26団体)、森・林・里地 (67団体)、動物・生き物 (20団体)、植物 (47団体)、エネルギー・エコ (10団体)、子ども (43団体)と、土や水に関わる活動を地道に継続している団体が多い。
(夏原グラント:公益財団法人平和堂財団)

5年程前、地域のまちづくり協議会で「若者プロジェクト」を始めた際、若者が選んだ活動は畑の作業だった。「ツナガリ隊」として、枝豆やサツマイモ作りに励み、今ではふれあいまつりなどのイベントの主力にもなっている心強いメンバーである。新興住宅街に越してきた若者にとっては土が新鮮で、子どもたちと一緒に蛙に驚きながらも楽しんでいる。サポートするシニアは地元民が多く、草刈り機やマルチ張りのコツを伝授する。合間に夏野菜なども収穫できて家計にも優しい。作業はTシャツ着用(50色ある)なのだが、行くたびにTシャツの色が増えているのに驚く。今は、土を通して、驚きや共感のつながりが広がるのを実感している。
(笠縫ツナガリ隊)
 

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写真1 「地面にお絵描き:まちづくりスポット大津」

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写真2 「玉ねぎの収穫:笠縫ツナガリ隊」  
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2024年11月01日

[NPA隔月コラム]ガラスの天井を打ち破れ」

2024年11月1日
相川康子 NPO政策研究所専務理事(明石市在住)

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 伝えた方が良かったのか、伝えない方が良かったのかー。

 先日、和歌山の県立高校の特別授業でジェンダーの問題を話す機会があった。大学で非常勤講師を務め、各地で防災研修等を行っているので、大学生や社会人の前で話すのは慣れているが、今回は純真な高校1年生が相手。時間枠も大学は1コマ90分だが、今回は半分の45分ということで、何をどう伝えるのか、かなり悩んだ。
 私自身もそうだったが、高1では「ガラスの天井」という言葉を知らないか、聞いたことがあっても実感がない。今年度上期にNHKで放映されて話題になった『虎に翼』も観ていない生徒たちに、ジェンダーをどう伝えれば良いのか。私はその後、男女雇用機会均等法施行後の1期生として地方新聞社に入り、男社会の壁にぶつかって、寅ちゃん同様「はて?」という思いを散々してきたのだが、若者にとってそれは“昔話”で「いまは差別などない」と信じていることだろう。

 まずは、前置きとして「今日は時間の制約から<男>と<女>に分けて話さざるを得ないが、本来、性は多様なもの」とLGBTQについて触れてみる。社会人だとここで首をひねったり顔をしかめたりする人もいるが、生徒一同「当たり前」という顔でうなずいてくれる。

次はデータの紹介。日本は、GDPは4位、PISA(国際学力調査)は3分野とも2〜5位と世界のトップクラスであることを示した上で「では、男女間格差を示す<ジェンダー・ギャップ指数>の順位はどのくらいだと思う?」と問いかける。低いとは思っていたようだが「146カ国中118位」(2004年、世界経済フォーラム発表)という数字に目を丸くしたところで、議員や企業の管理職における女性比率、賃金格差の実態など次々データを示し、いまなお残る「ガラスの天井」についても、米大統領選でのヒラリー・クリントンらのスピーチを引き合いに出しながら解説する。

 古い性別役割分業意識は年齢層が低いほど薄れるとはいえ、若者の間でもステレオタイプの「男らしさ」「女らしさ」にとらわれている人が意外と多い。「『男らしくない』とか『女のくせに生意気』を批判されるのがイヤで、無理していませんか? 誰かを『型』にはめて無理させていませんか?」。若い彼ら・彼女らに、そして改めて還暦近い自分にも問いかける。

 知らず知らず刷り込まれてきたジェンダーバイアスを自覚するのは、辛い作業かもしれない。高1生に、厳しい現実を伝えることの葛藤もある。でも障壁があることを知っておいた方が、心構えができ、打ち破る力も培いやすいはず…頑張れ、未来の開拓者たち!
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2024年09月01日

[NPA隔月コラム]異なる時間を生きてきた人々との共生〜 豊中市・沖縄市兄弟都市提携50周年 〜

2024年9月1日
田中 逸郎 NPO政策研究所理事 (豊中市在住)

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▲「豊中まつり・沖縄音舞台」(2017年8月、豊中まつり市民実行委員会提供)



自治体間の交流提携は、姉妹都市と呼ばれることが多い。しかし、豊中市と沖縄市の関係は違う、兄弟都市だ。
 沖縄が本土復帰する以前の1964年、ある会合でコザ市(現・沖縄市)市長と豊中市助役が出会ったのを機に、コザから沖縄戦で亡くなった豊中出身の兵士を供養する「霊石」(形見・遺品のかわりとなる石)が豊中の遺族らに贈られた。返礼として翌65年から、豊中市役所はコザ市の職員を受け入れ、本土復帰に備えて日本の地方自治制度をともに学んできた。延べ120人もの人材育成を支えたその試みは「豊中学校」と名付けられ、いつしかお互いを「ちょうでぇ(兄弟)」と呼び合うようになった。そして1974年、コザ市が美里村と合併して沖縄市となった際に、兄弟都市提携が結ばれた。平和への思いとそれを確かなものにしようとする人材交流から兄弟都市が誕生したのだ。

 提携後の交流の核となっているのが、チャンプルー文化である。コザ市は、沖縄戦を生き延びた民衆、さまざまな出自や困難を抱えた人々が集まる嘉手納基地の門前町だ。価値観も生き方も違う人々の心の拠り所として、古典も民謡も洋楽も取り入れたチャンプルー文化が生まれたという。「多文化共生」の象徴・発露であるチャンプルー文化を担うアーティストたちを、豊中まつりの市民ボランティアが招いたことから、交流が広く市民に、多世代に広がっていった。

 もう一つの交流の柱が平和学習だ。戦争体験の継承をテーマに事業を展開してきた中で感じるのは、本土と沖縄との認識の違いである。豊中を含む本土では、戦争は悲惨な出来事だった、と過去形で語られ「今は平和でよかった」となる。しかし、沖縄では違う。沖縄戦は、体験していない世代も含めて、今の自分につながることとして現在進行形で語られ、過去の出来事と封印してしまうことはできない。

 実は、豊中にも戦争ゆかりのものはある。たとえば大阪国際空港(伊丹空港)は、敗戦後しばらく米軍基地として接収されていた。規模は異なるが、コザと同様に豊中も基地の門前町だったのだ。忘れてしまっている人、知らなかった人も多いだろうが、みんなで考えたい。戦争や基地を過去のことだと他人事にしていいのだろうか。自分たちとは異なる時間を生きてきた人々、生きざるを得ない人々に思いをはせる。そこから共生の途(みち)を拓(ひら)いていく取り組みが始まるのだと思う。違いを知り、認め合いながら共に生きる社会をつくることこそが、交流の意義であり、目標なのだから。
 兄弟都市の源泉(平和と人材交流)に、市民による湧水(多様性と共生)が注ぎ込まれ、兄弟都市提携50周年を迎えた。未来へとつなぐ主体は私たちだ。
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2024年07月01日

[NPA隔月コラム]奈良教育大学付属小学校の「処分」を巡って

2024年7月1日公開
室 雅博 NPO政策研究所会員 (奈良市在住) 

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1月18日の新聞朝刊に、奈良教育大学付属小学校が大きく取り上げられた。前日に開かれた教育大学長と付属小校長らの記者会見のまとめで、朝日新聞の見出しには「奈教大付小で不適切指導」、「履修漏れ・授業不足」、「毛筆教えず筆ペン」、「卒業生含め対応検討」とあった。

昨年5月に付属小の教育課程が法令違反で不適切との指摘があったと奈良県教育委員会から教育大に連絡があり、奈良国立大学機構理事長の指示のもと調査委員会を設置。本年1月4日に報告書をまとめ、16日に保護者説明会を開いた翌日に記者会見を行った。

部外者からはマスメディアの報道程度しか分からないが、学習指導要領に沿わず教科書も使用していないなど不適切な事項があったこと、さらに管理運営面で2021年度から校長が専任になったにもかかわらず職員会議が優先され、校長や学長によるガバナンスが不十分だったことが問題とされ、健全化に向けて校長の権限を強めるとともに教員を順次、他校等に出向させて人事交流を図るというものであった。

昨年9月に調査委員会が「中間まとめ」を出し、翌月に学長と校長が文科省に出向いて報告を行った際に、厳しい指導を受けたのではないかと思われる。学校による記者会見の後、文科省は、付属小を持つ全国の国立大学に対して、学習指導要領に沿ったカリキュラムになっているか点検して報告するよう通知を出したらしい。

そもそも学習指導要領について、教育関係者には「大綱的基準に過ぎない」と考える人が多いが、文科省は法的拘束力があると突っぱねているようだ。同付属小のように研究・実践校として、保護者の合意を得ながら進めていても“裁量の余地のない下部組織“とみなし、校長を中心とする管理の強化を進める意図が伺える。付属小と県教委との関係もよく分からない。

これに対して、卒業生や元教員の有志が教員の出向に反対する署名活動を行い(その後「奈良教育大付属小を守る会」に移行)、いくつかの団体からも反対声明などが出されたが、3月末には学長や校長を含む8人が戒告や訓告、厳重注意などの処分を受けた。4月の異動では前年度に赴任したばかりの小学校長が県教委教育次長となり、4人の教員が他校に出向となった。うち女性教員3人は奈良国立大学機構を相手に、出向の無効を求め提訴している。

教育界では、激務で余裕がないためか教員の退職や病欠も相次ぎ、志願者も減っている。教育とは何か、何のためにあるのかなどを根本的に考えることなく、小手先の細工を続ける文科省の教育行政に、ますます危惧が高まっているのではないか。
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2024年03月01日

【NPA隔月コラム】 防災トイレ事情〜後々のことを考えたい

2024年3月1日
相川康子 NPO政策研究所専務理事(明石市在住)

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元日の能登半島地震で被害に遭われた方に、心からお見舞い申し上げます。

 被災者を苦しめる事柄の一つに、トイレ問題がある。自分が出したものとはいえ、水洗トイレに慣れた身にとって、汚物がたまり続ける状態というのは、なんともつらいものだ。

 仮設トイレを設置すれば解決する、という問題ではない。仮設トイレには公共下水道接続型やし尿凝固型もあるが、一般的なのは工事現場や屋外イベントでおなじみの「くみ取り型」だ。タンクの中央に偏る汚物を棒でならす作業や、満杯になったらバキュームカーで吸い出すといったメンテナンスが欠かせない。下水道の普及に伴って全国的にバキュームカーが減り、能登の被災地でも、他の自治体や民間事業者の協力を得て、なんとか必要台数をかき集めている状況という。

 マンホールや下水管につなぐタイプは、下水管が破損している場合は使えない(用を足すことはできるが、破損個所で漏れ出す恐れがある)。在宅避難でも多用される凝固剤は、固めた汚物をどうやって衛生的に保管・運搬・処理するのか、通常の方法とは異なるだけに注意が必要だ。

 2022年に東京で開かれた日本トイレ研究所主催の防災トイレフォーラムで、阪神・淡路大震災時の“トイレパニック”の事例報告をした際、改めて最近の防災トイレ事情を調べてみた。衛生やバリアフリー面で進化した一方、汚物だけでなく用済みの仮設トイレも含めて誰がどう処分するのか、後々のことについては相変わらず顧みられていないと感じた。

 能登の被災地では、完結型のトイレトレーラーも活躍している。清潔な水洗トイレが4台程載った車両で、断水でも使え、移動できるのが魅力だ。(一社)助けあいジャパンは、全国の自治体がトイレトレーラーを保有して災害時に融通しあう「みんな元気になるトイレ」事業を進めている。導入費用は約1500万円で、7割は国の緊急減災・防災事業債が使える。近畿では箕面市や亀岡市、奈良の田原本町が残りの経費をクラウドファンディングで集めて導入し、能登の地震後すぐに現地に派遣している。

 さてトイレといえば、来年の大阪・関西万博での「2億円トイレ」が物議を醸している。報道によると、約40カ所整備するトイレの2割を若手建築家が設計する「デザイナーズトイレ」とし、うち2カ所を各2億円で契約したという。会期が終われば撤去するデザイナーズトイレに巨額の費用をかけるぐらいなら、トイレトレーラーを先行購入して、被災地に貸し出すぐらいの度量があってもいいのに…と思うのは私だけだろうか。
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