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2023年11月01日

[NPA隔月コラム]地域共生社会の現実

2023年11月1日コラム
NPO政策研究所会員 林沼敏弘(滋賀県彦根市在住)

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【視察で訪れた、地域の空き家を改修した「大野木たまり場・よりどころ」】


 少子高齢化が急速に進む日本。私が住む地域も小学生が急激に減る一方で、単身高齢者は増え続け、高齢化率が5割を超えた集落もある。地域住民の暮らしを守る仕組みづくりが急がれる。
 国は、団塊世代が後期高齢者となる2025年を目処に、高齢者に住まい・医療・介護・予防・生活支援を一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の構築を進め、中学校区ごとに「地域包括支援センター」を設置してきた。しかし、地域には高齢者のケアだけでなく、ヤングケアラーやひきこもり、80・50問題など、既存の制度では対応できない問題が数多くある。
 そこで提唱されたのが「地域共生社会」という考え方だ。厚生労働省のホームページによると「制度・分野ごとの『縦割り』や『支え手』『受け手』という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えてつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」という。
【注:詳細は[厚生労働省ホームページ_地域共生社会のポータルサイト]参照】

 地域共生社会の核として注目されているのが「地域運営組織」である。総務省のホームページには、協議機能と実行機能を同一の組織が合わせ持つ一体型や、両機能を切り離しつつ連携させる分離型など様々な事例が紹介されている。
【注:定義などの詳細は[総務省ホームページ_地域自治組織]参照】

 この地域運営組織のように多様な主体がつながって地域課題に取り組む組織は、平成の大合併直後から、国に先んじて多くの自治体で施策化されてきた。「地域づくり協議会」等として自治基本条例で位置付けている自治体もあれば、制度はなくても住民が自主的に取り組んでいるところもある。
 その多くが「おおむね小学校区」を活動範囲に設定しているが、住民の感覚から言えば、小学校区単位ではきめ細かなサービスを供給するのが難しい。先日、町内会単位で取り組まれている米原市の大野木地区を視察したが、やはり小学校区では広すぎる、とのことだった。さらに私の地域は、町内会のエリア内に旧「小字」が点在し、町内会単位の取り組みも一筋縄ではいかない。地域共生の手始めに、そこに行けば誰かに会える、話せる“溜まり場”づくりを計画しているが、どこに設置するのかが悩ましい。

 高齢者ばかりになる地域の現状を嘆く人は多いが、なんとかしようと動き出す人はなかなかいない。「まだなんとかやっていける」、「誰かが解決してくれる」では“茹でガエル”になりかねない。数年前、自治会長に選ばれた時、若者の流出を止めるための改革に取り組んだが、古い慣習の残る地域で新しいことをやることの難しさを身を以て痛感した。次は、しっかりと準備して「政策の窓」が開くタイミングを見逃さないでおこうと思っている。
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2023年09月01日

[NPA隔月コラム]「協働」制度の点検はできていますか?

2023年9月コラム
NPO政策研究所理事
谷内博史(石川県七尾市在住)

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筆者もアクティブブックダイアローグレジスタードマークにてプレゼンをしている様子。協働の実施段階だけでなく企画段階やふり返りや改善段階での対話が必要である、との項目をまとめて解説を試み、その後、メンバーの間で対話をしました。

NPO政策研究所が得意とする活動として、自治体の協働の指針や自治基本条例の策定に関する事務局支援がある。検討委員の公募に始まり、ワークショップやタウンミーティングの企画運営、素案作りやパブリックコメントなど、策定のプロセス自体が協働のお手本となるよう、担当職員と話し合いながら進めていく。
NPO法制定後に各地で進んだ「行政とNPOとの協働」のしくみづくりは、近隣住民の支え合いや地域団体間の連携を促す「行政と地域との協働」に移行しつつある。政策研でも、おおむね小学校区単位の住民自治協議会(地域づくり協議会)の結成を促すため、学習会に講師を派遣し、地域ビジョンや地域づくり計画を住民主体で考えるワークショップの運営を各地でサポートしている。

私自身も、石川県七尾市や富山県氷見市で会計年度任用職員として勤務した際には、こうした市民ワークショップや対話の場でのファシリテーションを数多く担当した。今まさに条例の周知や計画づくりで「令和の協働」をスタートさせる自治体がある一方で、早くに着手したところでは、すでに10年以上が経過した。

条例等を生み出すときには、市民も行政職員も熱い思いを共有し、より良いまちにするための行政運営やNPO・地域活動のあり方について経験やノウハウを交換する中で、信頼関係も醸成されていく。しかし策定作業が済んでしまうと、参画や協働は“行政側がすすめる仕事”になってしまいがちだ。推進計画を定め、定期的な点検改定をしている自治体ばかりではないだろう。恥ずかしながら、私が関わった自治体でも、やや作りっぱなしの感が否めない。

かつて思い描いていた地域社会のあり様は、コロナ禍を経てさらに変化した。10年前にはあまり語られなかった地域社会での貧困の課題や、孤立・孤独の増加など、ますますNPOと行政の協働が必要な課題が山積している。今一度、自分たちの地域の「協働のしくみ」は、きちんとワークしているのか、協働にかかる提案事業やマニュアルは、いまの時代にあっているのかを点検する必要がある。

先般、勤務する市民活動サポートセンターの関係者で、愛知県の「あいち協働ハンドブック」や県内自治体の職員向け協働マニュアル、横浜市の「協働契約条例」などを題材に、アクティブブックダイアローグレジスタードマーク(注1)を試みた。改善の余地に気づき、まだまだすべきことはたくさんあるね、と大いに盛り上がった。次回は現役の若手職員と一緒にやってもいいし、職員主体で草創期の先輩や市民に話をきくのも良いだろう。

ほぼ当たり前になってしまった「協働」、日々進化し変化していく「協働」について、あらためて点検をするような「市民と行政の協働対話」の場があれば、ぜひファシリテーターをさせていただきたいものである。

(注1) アクティブブックダイアローグレジスタードマークについてはこちらのサイトを参照されたい。

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A参加者それぞれで分担して読んできたところを3分ていどでまとめプレゼンしあい、ポイントを壁などに貼りながら視覚化していき対話を重ねます。
posted by NPO政策研究所 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | NPAコラム

2023年07月01日

「いくのパーク」を訪ねて〜 共生拠点に生まれ変わった廃校小学校 〜

2023年7月1日
NPO政策研究所理事
田中 逸郎(豊中市在住)

 今年5月、NPO政策研究所の会員有志で、大阪市生野区内にオープンしたばかりの「いくのコーライブズパーク(通称:いくのパーク)」を訪れた。廃校となった御幸森小学校を丸ごと活用し、共生の拠点としてつくられた複合施設である。案内していただいたのは、NPO法人「IKUNO・多文化ふらっと」の理事兼事務局長の宋悟さん。プランづくりから開設、そして運営を担うキーパーソンの一人である(注)。

 宋さんは、住民の2割以上が外国人で、差別や貧困など「共生課題の先進地」である生野区の状況や、施設の概要を説明。交流や学びの「機会と場」を提供するいくのパークが、集住地域・コリアタウンに集まる多様な人々(NPO等各種法人・団体、大学、行政、何よりも当事者)のネットワークと尽力により実現にこぎつけたこと、資金面をはじめ課題も多いが、想定以上のボランティアと利用者に支えられていることなどを力説され、私たちの質問にもお答えいただいた。

 校舎・体育館、校庭、屋上すべてが活用され、図書室や保育園、農園、アート関連施設や専門学校、NPOや運営の共同事業体である(株)RETOWNの事務所などがある。喫茶やレストラン、地ビール販売といった事業者も参画し、屋上にはキャンプ場やBBQホールもある。さらにK―POPダンスやテコンドーの教室もできるという(詳しくは「IKUNO・多文化ふらっと」のホームページ を参照いただきたい)。

 宋さんとともに廊下を渡り、階段を上り下りしながら考えた。

 共生課題の解決は政治・行政の責務であり、その役割は大きいが、政治・行政には「マイナスを減らしゼロにする」、すなわち負を減らす取組みはできても(十分にできているとは言えないが)、「プラスの価値を生み出す」ことは難しいだろう。当事者をはじめ多様な人々が出会い、寄り合い、助け合い、支え合うことで、「共生」の価値を生み出すことができる。日本社会のウチとソトの分割線を越えてつながり合う、その壮大な試みの拠点が「いくのパーク」ではないか。これからも様々な困難が押し寄せるだろうが、それらに立ち向かうプロセスにおいて共生の魂が宿り、営みが育まれていくだろう。

 たくさんのことを学んだ帰り道、コリアタウンは食やファッションを求めて多くの若者でにぎわっていた。宋さんによると、年間およそ200万人が訪れるという。この地から、どのような価値を創造し発信していくのか。共生の地域社会づくりとは、困難な社会の中で、同時代をともに生きるという行為に他ならない。問われているのは、私たち自身の生き方ではないだろうか。

注)プランの全体像や実現までのプロセスについては、『地域自治の仕組みづくり』(2022年発行、学芸出版社)で紹介しているので参照いただきたい。

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@図書室「ふくろうの森」

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Aオープン間近の「BBQホール」(屋上プールを活用)
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2023年05月01日

[NPA隔月コラム]5月1日公開分は都合により休載します

5月1日公開分は都合により休載します。

次回の公開は7月1日を予定しています。
posted by NPO政策研究所 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | NPAコラム

2023年03月01日

[NPA隔月コラム]労働者協同組合に目を向けよう:経済的基盤を持った地域民主主義の実現のために

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2023年3月1日
NPO政策研究所会員
関西学院大学名誉教授・大阪ボランティア協会ボランタリズム研究所所長
岡本仁宏(西宮市在住)

2022年10月1日、労働者協同組合法が施行された。NPOを特定非営利活動法人(以下「特活法人」)のことと思う人が多い現状では、労働者協同組合(以下「労協」)とNPOや地域民主主義との関係が分かりづらいかもしれない。2025年9月までは特活法人から労協への組織変更制度があり、NPOセンター等の中間支援団体にとっては移行時の支援が課題となるが、それだけでなく労協への継続的な支援を、業務として確立する必要がある。労協を理解し、地域自治や地域の民主主義の中に位置づけていくことが、地域市民社会にとって非常に重要だからだ。

労協は非営利組織の一類型だが、どんどん儲けてもいい。ただし、投資金額(出資額)に基づく配分ではなく、組合の事業に従事して貢献した、つまり働いた分量に応じて配分される。組合員は出資者であり労働者であり、平等の議決権を持つ。労働者だから最賃法も労基法も適用される。皆でお金を出し合い、皆で仕事をして、仕事に貢献した分量に応じて、もちろん相談して分かち合うのである。特活法人のように従業員と会員とに区別はない。あるいは生協の組合員と従業員が一体化していると言ってもいい。

税制上は普通法人扱いだが、剰余金配当と残余財産非配分などの定款規定等の基準で「特定労働者協同組合」の認定を受ければ、収益事業課税扱いにもなる。3人以上の発起人がいれば登記で設立でき、事業についても、「持続可能で活力ある地域社会の実現に資することを目的とする」のであれば、特活法人のような「不特定多数の利益」という限定や、列挙事業のどれかに当てはめなければならないという要件もない。

厚生労働省は、労働者協同組合法特設ページを設け本格的なサポート体制を取っている。与野党全員一致の議員立法としてできた同法は、行政としても取り組みやすい政治的環境があるのだろう。

大切なのは、地域の仕事づくりのための実に民主主義的な法人格だということだ。経済的なお金の流れ、仕事の組織について、民主的コントロールを行うことは、グローバリゼーションによって困難になっており、地域も自給自足的な経済的自立性は持っていない。そんな中でも、コミュニティビジネスや時間預金、地域通貨などさまざまな形で地域の協働を育む仕組みが模索されてきた。協同組合セクターと呼ばれる労協や生協、農協、漁協といった社会的連帯経済の基盤的組織は、多国籍企業によって圧倒され支配されるのではなく、レジリエンスを持ったしぶとい地域経済の分権的構造を作るうえでの鍵となる。この仕組みは、民主主義的協働を、経済的基礎を持たせるための橋頭堡(きょうとうほ)であり陣地となるものだ。

地域の中間支援団体は、ボランティアや特活法人のためだけのセンターではない。経済的な民主主義についても課題を認識し、解決に向けた力量をつけていく必要がある。労協の歴史は長いが、日本ではできたばかりの制度である。この仕組みの可能性をしっかりと育てていきたい。
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2023年01月01日

[NPA隔月コラム]住まいのセーフティネットを考える

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2023年1月1日
NPO政策研究所会員・如月オフィス
川畑惠子(守口市在住)

2017年秋から新たな住宅セーフティネット制度が始まり、5年が経過した。筆者が居住支援に取り組むNPOに関わってきた経験から見える居住支援の現状を概観してみる。

改正法は、高齢者や障害者、子育て世帯、低所得者ら賃貸住宅を借りることが難しい人たち(住宅確保要配慮者と呼ばれる、以下「要配慮者」)が増える中、空き家や空き室を活用して住宅セーフティネット機能を強化しようというものだ。貸すことを拒まない賃貸住宅を整備し、登録するとともに、居住支援法人が入居や生活の支援を行うことになっている。登録住宅は年々増えており、大阪府のあんぜん・あんしん賃貸検索システムには22年末時点で3600件以上の物件が紹介されている。

しかし、要配慮者の住まいの確保は、依然として難しい。耐震基準などをクリアした登録住宅の家賃は高い傾向があり、要配慮者の収入ではマッチングできないのだ。そのため居住支援法人は一般の民間賃貸住宅を探すことになるが、保証人がいない、収入が安定しないなどの理由で、契約審査で通らないことが多い。要配慮者は自身の障害や病気、失業などに加えて、DVや虐待のように、家族関係においても複雑な課題を抱えていることが少なくない。居住支援法人は賃貸住宅契約時の支援だけでなく、入居後の見守りや生活支援、緊急時の対応や看取り、死後の事務まで担うケースもあり、支援者は要配慮者に寄り添いつつ、さまざまな制度やサービスにつなぐキーパーソンの役割を果たしている。

ところが、この居住支援法人を支える仕組みが心もとない。国交省の居住支援補助金は全国の居住支援法人の約6割が活用(2021年度)しているが、申請団体数が初年度から3倍に増えているのに、総予算は増えていない。そもそも補助金は安定的な財源ではない。

大阪府では全国一多い99(うち大阪市75)団体が居住支援法人の指定を受けている(22年11月時点)が、その存在や役割、さらに制度の理念が不動産事業者や福祉関係者らにまだ浸透していない。熱心な支援者や理解ある貸主の報酬を伴わない善意に頼るだけでは、十分なセーフティネット機能を果たすことはできないだろう。居住支援法人だけでなく、福祉や医療、介護などの分野や領域を超え、地域コミュニティのインフォーマルも含めた連携を模索する必要がある。誰もが安心して住む家を確保できる、すべての人が地域で共生していく地域共生の理念が広がってほしいと思う。
posted by NPO政策研究所 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | NPAコラム

2022年11月01日

[NPA隔月コラム]安倍氏銃撃を巡る雑感

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NPO政策研究所会員  室 雅博(奈良市在住)

 2022年7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口で安倍元首相が銃撃されて亡くなった。奈良市民としては何かメモせざるを得ない。実は当日、30分後に現場付近を通る電車に乗っており、駅でいつもより長く停車したが、北口に背を向けて座っていたため事件には気づかなかった。帰宅後、TVニュースで知り「これはテロの一種だ」「アメリカ同様、日本でも一層分断が進むなぁ」と直感したが、その場で逮捕された容疑者が「(安倍の)政治信条とは関係ない」と言ったと報道され奇妙に感じた。
容疑者の母親は旧統一教会の信者で、財産をつぎ込んで家族崩壊に陥り、本人は大学進学も諦めて20年以上苦しんだようである。元首相にいまさら何故か―と思ったが、旧統一教会と岸信介から安倍元首相までの深いかかわりを知ったうえでの犯行のようで、後日精神鑑定に付されたのは、これまた奇妙な措置だった。
 岸田首相は7月14日に「国葬」の実施を表明し、理由として4点を挙げたが、いずれも根拠が薄いと言わざるを得ない。その後、旧統一教会と政治家との密接な関係が明らかになり、反対意見も多かった中、弔問外交を重視して9月27日に国葬儀が行われた。
 政治家が毀誉褒貶の指摘を受けるのはやむを得ないことであるが、海外で安倍政治の評判がよかったのは60兆円をばら撒いたからではなかったか。国内では、各種の人権の制限法や軍事拡大など民主主義を貶め、核共有まで提起した。地方分権改革は一定進んだが、一方で自治体との協議もなくモノゴトを進め、細かな規制で自治体や住民を縛ってきた。COVID-19対策では当初、日本は医療先進国であり大したことではないと過小評価し、対応は後手に回った。その後、法改正をしながら医療対応の基準を引き下げて災禍を小さく見えるようにし、同時に観光などの経済循環に力を入れてきた。後継の政権でも、政府はワクチンの確保と配分だけでコロナ対応は都道府県知事に丸投げしている。またマイナンバーカードを申請すれば最高2万円分のポイントを付与するなど、随所に個別のばら撒きを重ねている。コロナ禍や円安で住民がどれほど生活に困っているかを直視しているとは思えない。
「国家においては、個人一人一人が問題ではなく、統計技術によって集計される人口が重要な管理の対象になる」という言葉が思い出される。今回の事件で、地方自治が蔑ろにされていっていることを肝に銘じ、住民自治を中心に社会構造を変革していく大切さを痛感した次第である。
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2022年09月01日

[NPA隔月コラム]「社会教育の終焉」論争 の忘れ物

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「社会教育の終焉」論争 の忘れ物

2022年9月1日
NPO政策研究所 理事  埜下 昌宏(西宮市在住)

 NPAの読書会で選んだテーマ、「社会教育の終焉(以下「終焉論」)」とは、1980年以降、政治学者の松下圭一による社会教育をテーマにした政策提案の論考(1986.8初版)で、それまでの社会教育(成人教育・成人学習)を批判し、代わりにそれを市民文化活動と位置づけるべき、という提案である。
 「社会教育の終焉」論争(以下「終焉論争」)とは、この提案に対して、社会教育を担う立場からの反論−論争である。1980年以降10年ほど、社会教育や地方自治の領域において「終焉論」の是非をめぐって論争がまき起こった。「終焉論」の骨格はおおむね以下のとおりである。
a.成熟した成人市民を「オシエソダテル」社会教育は今日(当時)では、終焉する
b.基礎教育を終えた成人市民は行政の社会教育ではなく自由に文化活動を進めるべき
c.公民館(教育委員会)はコミュニティセンター(一般行政)として展開すべき
 「終焉論争」は事後約40年を経た今日、はっきりした決着はない。2022年の今、社会教育は終焉していないが、「終焉論」の趣旨は、自治体政策の現場では受け入れられつつある。また近年、社会教育学で「終焉論」を生かそうとする論考が見られるなど、「終焉論」がやや優勢な状況にある。
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 実は「終焉論争」では、「社会教育」を成人期に限定したため、「子どもに対する社会教育」が抜けていた。今日の「子どもの社会教育の貧困」状況は、並みいる有識者の「終焉論争」からは予測の外であった。折しも日本が長寿社会を迎える前夜、子どもの問題は放置され続け、今に至る。
 元々「社会教育」の用語は「学校教育」「家庭教育」という“場”の分類が起源で、教育時期の分類ではない(ただしこの3つは時系列に並びうる)。だから「社会教育」を成人期に限定した論争自体に無理があった。「子どもに対する社会教育」は、概念としても実態としても成立する。
 最近、学校教育で、クラブ活動を地域に委ねる方向性がある。子どもが初めて自分の意志で選ぶ貴重な教育・学習活動である。このアイデアは昔から存在したが、結局は元の木阿弥であった。今日、「学校教員のなり手がなく、学校教育が本当に危ない」と言われて再燃した話題である。
 今改めて、社会が子どもを支える「子どもの社会教育」が必要である。これは公民館勤めの身で感じるのだが、残念ながら今、公民館に子どもの問題・課題を一人で背負いこむパワーはない。市民や一般行政の底力を得ながら、今後の「子どもの社会教育」を進めていきたいと思う。

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2022年07月01日

[NPA隔月コラム]大都市のコミュニティを考える

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大都市のコミュニティを考える
2022年7月1日
福田 弘 (大阪市政調査会)

人材は地域に眠っている
 コミュニティの担い手が高齢化し、後継者もいないということがいわれる。確かに、地縁の人間関係やPTAなどを通じた既存のリクルートでは限界があり、結局は退職者か自営業者が担い手とならざるを得ないのが現状だ。

 だが、地域には眠っている人材がいる。バリバリの現役世代は地域と関わる時間がないと思われがちだが、テレワークの普及で時間を柔軟に使える人が増えている。よそから引っ越してきたママさんたちも、以前の職場等でさまざまなスキルを獲得している人が多い。転入者は、魅力を感じたからその地域を選んだのであり、生まれ育った人よりも地域に愛着を持っていたりする。人間関係が希薄といわれる大都市にこそ、豊富な人材がいる。

 私自身も含めて、このような人たちが地域に関わるようになった場面に出くわしたが、それは偶然であったり、団体の長の個性であったりして、意識的・組織的に地域からアプローチしたわけではない。人材不足を嘆く前に、SNSなど新たなツールを使い、潜在層にアプローチしていく必要がある。

地域のイベントにしても、当日参加だけでなく、企画・運営の段階から参加してみませんか、という呼びかけはできているだろうか。それに応じる人はごく少数だろう。それでいいのではないか。


防災はコミュニティをつなぐか
 大都市のコミュニティで課題とされるのがマンション住民である。オートロック式で防犯は警備会社、ごみも業者が収集、という環境では、地域に関わる機会や意識が低くなるのは当然だ。

 しかし「防災」という観点からは見方は一変する。長期の停電が起これば、高層マンションは居住自体が難しくなり、避難所生活や支援物資の配布などで否が応でも地域団体のお世話にならなければならない。一方で、津波での垂直避難では、既存の低層市街地の住民らが高層マンションのお世話になる。

 同様に防災では、その地域に通勤・通学している人とも双方向の関わりが生まれる。昼間の災害では、通勤・通学者は、帰宅困難者として地域のお世話になることが多いが、救助活動等で地域の貴重な「戦力」にもなりうる。流入者もまた大都市特有の資源である。

 防災は、これら一見分断されている存在をつなげる可能性を持っている。もちろん、後継者問題と同様に、地域の側からの働きかけが必須で、マンションの管理組合や企業に積極的にアプローチしていかなければならない。賃貸マンションに働きかけることによって、若者の生活困窮を発見できるかもしれない。

 いずれにせよ、担い手の高齢化やコミュニティ意識の希薄化を嘆いているだけでは問題は解決しない。ボールは地域の側にある。地域がいかに活動を発信し、外にアプローチしていくのかが、大都市のコミュニティの将来を左右するのではないか。
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2022年05月01日

[NPA隔月コラム]今も息づく縄文文化

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[縄文文化の片りんを感じさせる三内丸山遺跡]

今も息づく縄文文化
2022年5月1日
澤田 修(NPO政策研究所理事・香芝市在住) 


あることで10数年前から土偶ファンになった。今では土偶から、古代史としての縄文時代に関心が広がっている。縄文文化は奥深くロマンがあり、知ることは楽しみである。

旅行で、遺跡を訪ねるのも楽しみだ。4年前に三内丸山遺跡に訪れる機会があったが、書籍で読むのとは違う印象を受けた。歴史を知るには、現場に行くべきだと感じた。

縄文時代や弥生時代が認知されるようになったのは、ほんの50年程前からにすぎない。なぜ縄文時代は1万年も続いたのか。あのような土偶・土器がどうして生まれたのか。縄文文化がどのようにして弥生文化に引き継がれていったのか・・・今なおミステリーである。

1万5千年ほど前、気温上昇によって海面が上がり、ユーラシア大陸から切り離されて、島国・日本が誕生した。この辺境の島国で、縄文時代が1万年も続き、しかも独自の文化を築いた。辺境地だったからこそかもしれない。

遺跡の発掘は今なお進んでいるが、調査技術の進歩により、様々な発見がある。例えば、縄文人は狩猟採集で、その日暮らしの生活をしていたと考えられていたが、青森県の三内丸山遺跡の発掘によって、自然を計画的に管理し、自然との共存・共生の道を歩んでいたことが明らかになった。貝塚からの人骨により、筋萎縮症の肢体不自由者を、成人になって亡くなるまで面倒を見ていたことも分かり、さらに専門の武器がないことから、争いが相対的に少ない社会を築いていた、と推察できる。

縄文文化なくして、次の弥生文化は生まれなかった。稲作は、弥生時代に入ってからとされるが、私は縄文人は農耕を拒否してきたのではないか、と考えている。それはなぜか。稲作による生活の変化の問題点を知っていたからではないか。環境問題を意識し持続可能な社会をつくるうえで、今こそ縄文人に学ぶことは多い。

2010年に「百舌鳥・古市古墳群古代日本の墳墓群」が世界遺産に登録された。古墳は宮内庁が管理し、現在も残って形態が分かり、古墳にまつわる物語も作られる。一方、縄文遺跡は全国にあるが、その多くは土の中にあり、復元でしか見えない。北海道・北東北の縄文遺跡群は、都市化されず遺跡として残ったのだが、都市開発が進んで遺跡がつぶされていくのを残念に思う。

そんな中、2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された。あの魅力的な土偶や土器が生まれた理由を探る上でも、保全と調査研究がさらに進むことを願う。縄文文化は、現在の我々の生活にも引き継がれているのだから。
posted by NPO政策研究所 at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | NPAコラム