
人新世の自治論 仮説
田中健治(NPO政策研究所理事・東大阪市在住)
最近、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』と、森靖絵氏の修士論文の原稿を読む機会を得た。これらに触発されて、「人新世の自治論 仮説」に挑戦してみたい。
斎藤氏は、コロナ禍も「人新世」の産物といい、晩期マルクスの真の思索を「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」そして「エッセンシャル・ワークの重視」の5点にまとめている。今幸いにも合理的でエコロジカルな都市改革の動きが、地方自治体に芽生えつつあるという。結局は、顔の見える関係であるコミュニテイや地方自治体をベースにして信頼関係を回復していくしか道はないとまで言い切っている。
翻って身近な基礎自治体の現状を鑑みるに、森靖絵氏の修士論文「まちづくり協議会の検討過程」は、この間の某市の取り組みを詳細に追っていて、極めて示唆的である。これに関連して、「地域自治の再定位と主体形成」という初谷勇氏の論稿は、入念な分析と詳細な定位で、これからの自治を考えていくうえでたいへん参考になるが、住民の自律性に課題がある。
これらについては、追って議論していくこととして、ここでは、自治体職員としての経験や政策研の研究員としての知見の中から、大胆な仮説を提示してみたい。
日本の地方公共団体は、概ね、都道府県と市町村という二層構造になっており、これが往々にして二重行政という批判を生んでいる。ここに、地域自治組織なり地域運営組織なりの議論が付加されてきて、ますます混迷の度を深めているといわざるを得ない。
一方、日本には団体自治はあっても住民自治はないとも言われている。基礎自治体においてもこれまで住民自治は必須ではなかった。某市では、「協働のまちづくり部」をつくって、独自の地域分権制度を立ち上げようとしたが、議会で承認を得られず、部も解体した。担当部署の職員は、幹部も含めてこの間、頻繁に入れ替わっていたという。
そこで、市町村が本気で住民自治やまちづくりに取り組むために、道州制や都構想とは違って、これまでの歴史的経過を生かしながら、都道府県と市町村の業務の再編成を提案したい。都道府県は、必須な行政サービスを提供する団体自治体として小さな市町村を合併することなくその業務を引き受け、市町村は、専ら「土地と人」とに根差した住民自治体となって「自治の基層を自律性と相互扶助、そして独自文化の形成に置き換えること」(若林雄一氏)に注力する。そうすることによって、役割分担が明確となり、二重行政の批判も払拭されるだろう。
結果として、斎藤氏のいう「合理的でエコロジカルな都市改革の動き」が、大きな都市から、小さな町村にも及び「中央と周辺という構図の再編」(若林雄一氏)が進み、人新世の「資本論」に資する「人新世の自治論 仮説」を確立することができると考える。