東産業
変革の歴史 社会への”奉仕”から”貢献”へ![]() 東産業さんが『環境フェア』を初めて開催したのは2004年。現在の社長、木室浩一氏の「環境を良くするきっかけとして地域のお祭りのようなものを」との想いから開催にいたり、今年(2017年)で14回目を迎えます(昨年は三重県環境学習情報センター主催『Mieこどもエコフェア』と東産業主催・四日市大学共催『環境フェア』が3社協同開催し『夏のエコフェア2016』に)。 『環境フェア』開催当初は担当部署がなく、社長の想いを具体化するための実行委員会によって行っていたそうです。2009年に社会事業部という部署ができ、その後何度かの部署改変を経て、5年ほど前に今の社長室CSR担当に。会社の経営理念も“社会に奉仕する”から“社会に貢献する”に替わりました。榊枝さんは2009年の入社から当時の社会事業部に入り、今日まで担当を続けているそうです。 「5年前は会社のPRも兼ねた内向きな活動でしたが、今は地域の課題に対してどう取り組むかという形に変わってきました。それは大きな違いかなと思います」と榊枝さん。 地域に根差したCSR活動 『環境フェア』は企業主催の市民に向けたイベントでありながら、地域の環境団体さんや県や市も出展する地域に根差した取り組み。地元NPOさんとは『環境フェア』以外にも、観察会を共催したり、内定者研修を引き受けてもらったり、地元の市民活動との距離がここまで近いCSR活動って珍しいのではないでしょうか。 「社会事業部のころは地域と会社は別といった感じだったと思うんですが、私はNPO側の出身なのでそちら寄りの考え方が強いです。1社が頑張っているだけでは環境はよくならないので連携したほうがいいなと思いました。」 とはいえ最初は地域の団体に対する信頼や信用がなく、会社に提案してもわかってもらえなかったのだとか。榊枝さんが実際に環境NPO団体に入って勉強し、そこで学んだことを会社に伝えることで少しずつ価値を伝え、理解してもらったそうです。 榊枝さんの市民活動![]() 若い視点で自由に四日市の今を伝えようと大学2年の時に仲間と始めた活動『なたね通信』を、榊枝さんは今も続けています。 榊枝さん(32歳)の世代は小学校の授業で四日市公害を学ぶ機会がなく、公害に苦しんでいる被害者の方々がいることを大学の授業で知り、名古屋大学の大学院に進んで勉強を続けたそうです。 「四日市公害のその後の語り継ぎが僕のライフワークのようなところがあります。それを続けるためには地元の会社に勤めなければいけないと思いました。環境分野でと思って見つけたのが今の会社です。」 ※『なたね通信』 → Facebookページ ※写真:海蔵川河口バードウォッチング体験(なたね通信) 『環境フェア』だけじゃない!東産業のCSR活動![]() 東産業さんは他社のCSR活動導入の手助けや提案もしています。例えば池の水を抜いて外来種を駆除しながら、在来種を観察して保全する池干し体験や、観察会の開催、いきものマップ(広報紙)づくりなど。相手企業の状況や意向にあわせた支援や提案をしています。 また、公共事業にも環境配慮の項目を入れる取り組みとして、浚渫※作業の前に環境影響評価(環境アセスメント)を行い、希少生物がいた場合には引っ越しさせてから工事を行っているそうです。これは行政からの求めがなくても行っており、将来的にはそういったことが標準的な品質になり、他の業者にも波及することで環境が良くなることを目指しているそうです。 ※浚渫(しゅんせつ)とは・・・ 地域と共に未来をつくる![]() 「社長が一番の理解者です。社会貢献への想いの強い社長のお陰で自由に動くことができています。」と榊枝さん。 将来的にはCSRという名称も替え、地域の課題を解決するためのシンクタンク(研究所のようなもの)を3年後につくることが会社の中期目標。「地域の課題に対して自分たちがどう役立ち、そのことで会社にどんな価値がたらされ、東産業がどう成長していくのか。それが明らかになった時にシンクタンクが出来、それがまた新事業になって進んで行く。私はそれに向けて今の活動を一旦整理し、何に集中したらいいのかを考えているところです。」と、3年後、さらにその先をしっかりと見据える榊枝さん。東産業さんはこれからますます地域にとって大切な存在になってきそうです。 ※写真:NPOちょっと自然さんとコラボ。生物多様性保全活動 「東産業」の主なCSR活動
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