いるかビレッジプロジェクト
外国人問題からはじまった!?![]() おしゃれなカフェや「ちゃいるーかの森」という、ママと子ども、そして高齢者が集う、興味深いけど全体像が不明な活動の拠点、それが『いるかビレッジ』です。この日、出迎えてくれた広報担当木下さんは、訪問のきっかけを作ってくれた人、そしてもう一人、写真の右側、NPO訪問ではめったにお目にかからない若い女性・山元さんにお会いして、ビレッジの歴史等々を伺ったのでした。―持続可能なくらしをデザインする―をコンセプトとする『いるかビレッジプロジェクト』ですが、山元さんたちの原風景は、聞いてびっくり! 在日外国人の学習支援から始まったのだそうです。13年前、学生時代の仲間と共にNPOを立ち上げ、豊橋の工場周りに多く住んでいる子どもたちの支援を開始。その都度、「必要なこと」を創ってきたら、地元に70人もの雇用を生み出す会社組織になっていた……というのが山元さんたちの実感のようです。 学習支援から就労支援へ![]() 豊橋市は、日本で2番目に外国人労働者が多いまち。工場で働く人々の子どもたちの中には学校へ行けない子、行っても言葉のハンディや生活習慣の違いでいじめられる子が多く、また、どんなに勉強しても、決して日本人と同じようには就職できないという日本社会の実状……山元さんたちは、そうした状況を何とかしたいと日本語習得等々の学習支援を行いますが、自らのレベルアップのため、熱心に参考事例を日本全国見て回り、最近の言葉でいうなら『社会起業家塾』でも学んだそうです。そうした中で、自分たちが本当にやりたいこと、やるべきことは何なのか?を模索し討議し、ついに、今のカタチにつながる『就労支援』に行き着いたといいます。 職場を作って就労支援![]() 2002年頃から、親の仕事もない、子どもたちが学校を卒業しても、雇ってくれる企業も店もない……。どうしたら彼らが働けるのか、山元さんたちは企業や労働監督署等へのヒアリングを繰り返し、その要件をつきつめていきました。 そして、そもそも就職できないのに、企業が外国人を雇う条件として、『日本の会社で3年間勤務』と履歴書に書けなければダメ!という理不尽な壁にぶち当たります。日本で働く困難な状況は2008年頃まで続きました。 そしてリーマンショックの2008年。外国人労働者を巡る環境はさらに厳しく、故国へ戻れなかった人々の生活は困窮を極めていました。そこで凄いのが、まだ20代だった山元さんたちが「ないなら、自分たちで作ってしまおう!」という決断をしたことです。『職場をつくる』をミッションとして、帰国した際にも武器になる日本の技術を身につける、外国人が働ける飲食店や保育所、介護施設を創るという独自の手法が生まれていったのです。 多文化共生で持続可能な暮らしを![]() こうした活動をしているうちに、山元さんたちは、今の日本の社会で『働く場がない』『働きづらい、暮らしづらい』という思いをしているのは、外国人ばかりではないと気づきます。カフェ・スタッフの募集には、フルタイムで働けない子育て中の女性や精神疾患で会社を辞めた人、子どもたちの託児事業には、近所の年配者などが集い、外国人だけでなく、格差社会で生きづらさを感じる日本人にも、ここが居場所になることを自覚し始めました。 そうして昨年、障がい者の就労支援を行うA型事業所(雇用の機会を提供する施設)も開設。はた目には、ますますまとまらない(?)プロジェクトになっていますが、お話を伺ってみれば、山元さんたちはとても筋の通った道を歩んでいます。心地の良い居場所が増殖中のいるかビレッジ! 難しいことは考えず、美味しいランチや楽しいイベント、陶芸教室、英語部、笑ヨガなどに、ぜひぜひ足を運んでみてください! いるかビレッジプロジェクトの主な活動1.いるかビレッジ いるかビレッジHP→http://www.irukavillage.org/ 山元さんよりひとこと!なんの根拠もなくひたすら「おもしろい!」「たのしい!」をみんなで創ってきました。このように自分たちの歴史を振り返ったことがなかったので、逆にいろいろと気が付かされる貴重な時間でした。 今年度よりオープンしたグローバル・ナチュラル・ヘルスをキーワードにしたインターナショナルスクールは、多世代・多文化の実験場・実感場です。 そしてさらにおもしろいコトに挑戦します!!応援よろしく!一緒にやりましょう! |