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エジプト・アルモスリー・アルヤウム新聞[2014年04月19日(Sat)]
おはようございます。満開に咲き誇っていた郡山市内の桜も散り始めてきました。

 近所の桜を見て、感じたこと。今年の桜は何か違うと思ったら、全体的にこじんまりとした枝っぷりが目につくような・・・・。これも除染の影響で伐採したから、雰囲気が違うのかなと思ってしまいました。

 昨日、フォーリンプレスセンターの大沼さんから先日、スタディツアーで案内したエジプト人記者の翻訳記事が届きましたので、ご紹介します。アルモスリー・アルヤウム新聞の関係者のみなさま、ありがとうございます。

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先般大変お世話になりました、エジプトの記者の来日取材に関しまして、記者から届いた報道記事(アラビア語)と、笹川平和財団の職員に作成して頂いた、日本語仮訳をお送り致します。

記事は震災3周年を迎えた3月11日に、アルモスリー・アルヤウム新聞の本紙と、Web版の両方で掲載されました。 

根本匠復興大臣のブリーフィングをはじめ、都内で行った取材に加え、いわき市の仮設住宅への取材、市役所の方へのインタビュー、また大砂嵐関のエピソードなどが書かれております。(大砂嵐関には、後日電話でのインタビューを行ったそうです。)


今回の記事では伝えきれない数々の「現場の声」があることを、少し歯がゆく感じるところもありますが、時間と共に人々の関心が薄れていくことがないよう、今後とも海外メディアへの情報提供、取材機会の提供に精進して参りたいと存じます。
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本紙0001.jpg

招へい者による執筆記事掲載
3月11日、東日本大震災3周年特集
仮訳:SPF加藤

掲載日:2014年3月11日(火)*ウェブ版は10日(月)付

【Al Mosry Al Youm】東日本大震災3年の災害跡を取材
東京発: メナトッラー・エルハリーリー記者、ウラ・アブドッラー記者


題 名: 日本の「津波」は未だ終息せず
本 文: 
今日、日本は2011年に東日本の沿岸を襲った津波被害から3周年を迎える。津波は甚大な破壊の爪痕を残し、多くの命を奪った。日本政府は福島原子力発電所の爆発事故以来停止中の原子力発電所の再稼働を目指しているが、反対する人々も多い。

 多くの被災地と避難者を出した災害のひどさにも関わらず、日本人の多くは過去3年の間に、辛い過去を忘れ、より良い将来を見つめる強い希望と意志に導かれ、それぞれの生活を取り戻すことができた。本紙記者は「2011年の津波」被害を受けたいわき市と福島市の一部地域を訪れた際、希望が入り混じった困難を目の当たりにした。被災地の人々へのインタビューでは、彼らの苦しみや政府による復興住宅提供の遅れに対するいらだちにも関わらず、新たなコミュニティの形成と共に助け合って復興の道を完遂することへの希望がうかがえた。


題 名: 復興努力の成果は、被災者には不十分
     2020年(東京)オリンピックにかまけて、原発再開と政府を非難・・・
根本復興相は「今月、災害公営住宅1万戸を確保」
本 文: 
 日本でマグニチュード9の大地震が発生し、地震により起きた大津波が東北の沿岸を襲ってから3年が経つ。津波は10メートルに及び、家屋や船舶を押し流して多大な破壊をもたらした。災害はまた、福島原子力発電所(東京の北東)で起きた3回の爆発後に原子力災害をもたらした。1900年以降に世界起きた中では5番目、史上で7番目に大きい地震により被害を受けた地域の復興を通じて、日本は過去数十年間で最大の危機に見舞われたこの辛いページを捲ろうと努力している。津波は2万人以上の死者と行方不明者を出し、80年代にウクライナのチェルノブイリの悲劇を思い出させる(原発)爆発の直後に、安全確保措置(注:危険区域からの避難)が取られたことを別にしても、多くの人々が家屋を失った。
 再び日常生活に戻った人々や、自宅への帰宅や日本政府が用意している災害公営住宅への入居を待つ人々の一部が、現状に甘んじて(新しいページを開こうと)努力する一方、政府は2020年オリンピック準備で忙しくなり、被災者をよそ目に原発を再開すると考えている人々は前向きに努力できずにいる。
 3年が経ち、災害により刻まれた心の傷にも関わらず、日本人、特に子供たちは辛い災害の経験を忘れようと努力することが唯一の願いのように見える。厚生労働省の調査によれば、児童の4人に1人が精神的なケアを必要としている。津波により約20万人ンが避難を強いられ、福島県では約13万6千人の避難者が帰宅できずにいる。
 福島原子力発電所からの放射能漏れ後、政府が強制避難させた20キロ圏内の住民は、一人当たり月1,000ドル相当の補償金を受け取っている。一方、2011年の地震や津波により職を失った人や仕事が打撃を受けた人は、月3,000ドル相当を受け取っている。この額は、日本の生活水準と比較すれば慎ましい金額である。
 津波は、家屋や建物をなぎ倒し、多くの地域の景観を変えたが、政府は道路を敷き直し、瓦礫を取り除き、消波ブロックを用意し、将来の津波に備えて波の到達を防ぐ防潮堤を沿岸部に建設している。防潮堤建設を歓迎する住民もいるが、日本を「巨大な刑務所」にする措置だと考える人もいる。
 破壊された家屋の再建設については、3年前と比べて目覚ましい変化はない。ある報告書によれば、津波被害を受けた地域が再び津波に襲われることを政府が恐れているため(再建が進まない)と指摘する。
 一方、根本匠復興大臣は、地震、津波および原発事故が残した被害は3年を経た今も大きく、これ程の規模の災害から立ち直るには長い年月がかかるが、復興は引き続き急がせていると述べた。根本大臣は、3月末までに瓦礫撤去が終了し、破壊された道路の80%が補修を終えるところで、被害を受けた鉄道の90%が復旧したと指摘した。また、住宅については被災地の90%で建設が始まっており、高台に新しい住宅が建設されていると述べ、3月末までに災害公営住宅1万戸が完成すると約束し、政府は高台に住宅建設をすることを優先していると述べた。

写真キャプション: (AFP)原発再開提案に抗議する日本人


(3段目右)
題 名: ◆数百人のエジプト人が寄せ書きをした連帯のバナーをいわき市へ贈呈
エジプト人力士「シャアラーン」は日本人に対し:全世界が刺激を受けた
本 文: 
 「日本の津波災害発生から3年間に成し遂げたことは、SFに近い」…エジプト人力士アブドルラフマン・アハマド・シャアラーン、日本名『大砂嵐』は、日本人が危機を乗り越え、地震と津波の残した破壊跡を拭い去り、経験した困難な日々を乗り越えようとする意思に対する驚きをこのような言葉で表し、いわき市民は普通の生活に戻っていると述べた。
 シャアラーン氏は本紙とのインタビューの中で、去る2月にいわき市を訪れた際に、彼自身が多くを学んだ彼らの活動について、継続して欲しいと述べた。2月の訪問では、『日本とエジプト…心は一つ』と書かれ、数百人のエジプト人が寄せ書きをしたバナーというエジプト人の連帯と友愛のメッセージを携えて、津波被害を受けた地域を訪問した。市長も感心したというそのバナーは市役所の入り口に飾られている。
 シャアラーン氏は、いわき市の小学校を訪問した際に出会った児童の一人について次のように話してくれた。その児童は兄弟2人と両親が目の前で溺れるのを目撃したのだが、驚いたことにその困難を乗り越え、未来に起きるあらゆる災害から助かった人を治療できるように、大きくなったら医者になりたいと希望しているという。シャアラーン氏が述べたところでは、自分の将来と他者を助けることに結びつけて考えている児童はこのひとりだけではなく、他の子供たちは災害を予測できるようになるため地質学の専門家になりたいという希望を表したという。そして、シャアラーン氏は、この年齢の子供たちがこのように他者のことを思いやることは、素晴らしく誇らしいことであると述べた。
 シャアラーン氏は、「津波はこの(小学校のある)地域全てを襲い、神社一つ以外何も残らなかった。子供たちに何故神社は大丈夫だったのかと尋ねると、児童の一人は、神社は神様のおうちだから、神社が残っていると知るまでは諦めていたけれど、神社はご利益を授けてくださるのだと答えた」。シャアラーン氏は、日本の発展の理由は、彼らが死にかけたという感情を乗り越える力が、危機を越えて、勤勉と追求の域に達しているからであると付け加えた。

写真キャプション: シャアラーン氏といわき市長



(3段目左)
題 名: ◆政府高官は「この規模の困難に遭遇するのは初めてである。(政府の)通常手続きは時間がかかる」
「いわき市」・・・記憶に蘇る災害・・・いわき市の現状
本 文: 
 福島第一原子力発電所から50キロに位置するいわき市は、2011年以前には大きな自然災害に見舞われたことはなく、同規模の災害が最後に起きたのは約千年前であったため、2011年の津波は住民にとって予期せぬものであった。家屋は燃え、潮流が車や柱に襲いかかり、強烈な波が船を港の埠頭に打ち付けた。福島県の震災による直接死者1,600人のうち約440人が津波による死者である。
 いわき市のある住民は、多くの人々が落ち着きはじめ、彼らの経験や乗り越えてきた困難について伝えていきたいという思いを持つようになっていると述べた。宮城県における死者といわき市のケースの違いは、宮城では災害経験が多く心構えがあり、いわき市ではなかったということである。
いわき市の津波被災者の代表である新妻美郎氏は、市が被災者家族に仮設住宅3,500戸を用意し、2011年10月に(避難所から)仮設住宅へ入居し、年内に約1,500人が復興住宅へ引っ越す予定であると述べた。美郎氏は自身の震災体験を次のように語ってくれた。「午後3時頃、勤務中に突然地震が発生した。強い地震で椅子から落ちてしまうほどだった。地震はとても長く続いた。地震の後には津波が起きるということに思い当たり、地区の小学校にある特別避難場所へ向かった。夜になり、交通も通信も途絶えた状態のまま、家族を探そうと試みた」。別の被災者は、被災者の現状に配慮のない増税を批判し、国民の感情は政府へは届いていないと述べ、政府は原発から30キロ以内に在住していた人々にのみ支援金を支払ったと指摘した。
一方、いわき市役所の鈴木静人広報広聴課長は、一部住民が感じている失望感について、この規模の困難に遭遇するのは初めてのことであり、政府の通常手続きや対応策には時間がかかること、それらの事実はひたすら自宅に戻ることを望む人々にとっては明らかではないこと、しかしながら市は被災者の気持ちを汲んで、出来る限りのことを行っている。

写真キャプション: いわきにて当紙記者、津波被災者と共に



題 名: 原子力発電所・・・日本政府の頭痛の種
     原発閉鎖により貿易赤字が1,220億ドルに増加・・・
代替エネルギーを求める抗議継続
本 文: 
 原子力発電所の再稼働問題は、2011年に地震と津波によって福島第一原子力発電所の爆発後、50機を超える日本国内の原発全ての稼働停止を決定してから2年が過ぎたにも関わらず、日本政府がいまだ直面している慎重を要する重大な問題のひとつである。

(中略)

政財界人の多くが、財政赤字を止め、貿易赤字を減らすためには、一刻も早く原発再稼働が必須であると支持しているにも関わらず、多くの活動家が原子力エネルギー利用に反対をしている。それは、津波から3年目を迎える直前、原子力エネルギーへ立ち戻ることに反対し、国会議事堂前で約3万人が参加したデモからも明らかである。経済産業省の近くで行われていた座り込みデモでは、参加者は、安倍政権による原子力発電所再開の試みを非難するプラカードを掲げていた。参加者の一人は、「原発再開支持派の舛添要一元厚生労働相が東京都知事選で勝利したことで、反原発デモ参加者は喪失感を味わった」と述べた。
 福島原発事故を取り上げた最初の映画である「家路」の公開は、ローカルメディアが事故の危険についてのメッセージを通じて原子力エネルギーに反対する活動であると言える。
多数の日本人専門家や技術者が、福島事故直後から停止している原発の再開に向けて努力しているが、2012年に設立された原子力規制委員会が規定した安全機銃が厳しいため、その実現は困難に見える。
日本が原子力エネルギー依存の代替を見つけることは難しいと多くの関係者が述べている。しかし、海上風力発電技術の普及開始は、将来、原子力発電所に代わる安全な代替エネルギーの可能性を開くものである。

図キャプション: 日本の原子力発電所の位置図
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