一気に秋に突入しましたね☆
事務局へもちょっと秋らしい?イベントのお誘いがアンダンテ会員の方より舞い込んできていますので、ご紹介します


笹ヶ谷鉱山見学会へのご案内

日時:10月7日 10:00〜14:00
集合場所:道の駅「日原」 参加費:500円
鉱山の見学会にいらっしゃいませんか。
島根県地学会が年2回島根県各地で行っている見学会を、
今年は津和野町の笹ヶ谷鉱山で行います。
会員外の一般参加も歓迎いたしますので、
興味のある方はご参加ください。
個人では、立ち入ることのできない、鉱山の坑道に入り、
鉱物の採集ができます。
笹ヶ谷鉱山は銅の鉱山です。江戸時代には全国有数の銅の
産出を誇りました。
鉱床の分類では、スカルン鉱床と呼ばれ、標本箱のようにたくさんの
種類の鉱物が採取出来ます。
ヒ素を含む硫ヒ鉄鉱も産出するため、
江戸時代には笹ヶ谷で採取され、
「いわみぎんざんねこいらず」の名称で売り出された殺鼠剤(亜ヒ酸)が、
その毒性故、「四谷怪談」や「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」などの
怪談噺や浄瑠璃、歌舞伎などで、「いわみぎんざん」は
毒薬の代名詞として有名になりました。
大森の銀山からはヒ素はでませんが、石見銀山代官所を通じて
京都へ運ばれ売り出されたことからこの名前が付きました。

鎌倉時代から、笹ヶ谷鉱山を経営した堀家は、
明治時代には京都府から九州に至る35か所の鉱山を
経営して鉱山王として名を馳せ、
明治の政治家たちのパトロンとなり、
当時は日本で3台しかないレントゲン設備を備えた治療費無料の
病院を建設し、
学校を私費で作り、笹ヶ谷には劇場を備えた人口千人以上の鉱山町を
出現させました。
堀家の迎賓館とその庭園、
母屋や畑ヶ迫病院(現在解体修理中)の庭園等は、
堀庭園として国指定名勝として公開されています。
太平洋戦争の時には、笹ヶ谷から掘り出されたヒ素は、
広島県の大久野島に送られ、
様々な毒ガスの原料となりました。
毒ガスは、実戦では殆ど使用されなかったようですが、
その一部は中国戦線に送られ、
かの731部隊が捕虜や拉致した中国人を人体実験に使用し、
一部は実験的に実戦に使用されたと伝えられています。
敗戦とともに地中に遺棄された毒ガスの入った瓶は現在でも、
時折掘り出されて現地の人々に死傷を与えています。
ヒ素は鉱山周辺にも被害をもたらしました。
稲の生育不良や住民・従業員の慢性ヒ素中毒。
これらは国策による工鉱業の増産の中で無視され続けました。

第一次大戦後の銅価格の国際的暴落により堀家の鉱山経営は行き詰まり、
鉱業権が昭和初期に日本鉱業に渡って以後、
数者の個人や会社が事業経営を行おうとしましたが、
昭和46年鉱害問題の全国的な高まりの中で閉山しました。
住民による鉱害訴訟は、宮崎県の土呂久鉱山とともに
2大ヒ素鉱害訴訟とされています。
昭和48年鉱害対策特別措置法の成立で、
その後20年余鉱害の徹底的な封じ込め工事が行われました。
今回の見学会はこれらの笹ヶ谷鉱山の正負の遺産を見て回ります。
笹ヶ谷鉱山見学会案内.pdfご興味のある方は、アンダンテ事務局でも受け付けします。
めったにないこの企画にぜひ参加してみませんか
