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笹ヶ谷鉱山いってきました [2012年10月12日(Fri)]
島根県地学会主催の秋季見学会で笹ヶ谷鉱山を見学してきました。ガイドはアンダンテ21の地学専門家Wさんぴかぴか(新しい)
個人では立ち入ることのできない鉱山の坑道に入り、鉱物採集や歴史を学ぶことができました。笹ヶ谷鉱山はの鉱山。江戸時代には全国有数の銅の産出を誇っていました。

反面、銅鉱山ではヒ素を含む硫ヒ鉄鉱も産出するので、ヒ素鉱毒問題も歴史の一ページを飾り、四日市ぜんそく、水俣病、イタイイタイ病に次ぎ、第4の公害地域に指定されてきました。

江戸時代には笹ヶ谷で採取された、「いわみぎんざんねこいらず」の名称で売り出された殺鼠剤(亜ヒ酸)が、「いわみぎんざん」の名で毒薬の代名詞として有名になり、大正時代は綿花の殺虫剤としてアメリカに輸出されたそうです。また太平洋戦争時代、大久野島の毒ガスの材料ともなったようです。
昭和46年に鉱業権を放棄して以来、坑道での人々の行き来はなくなったとされている七番坑道から、他の見学者と共に入っていきました。夏はとても涼しいらしいそうです。ただし、坑道内は暗く、歩くには懐中電灯、長靴、ヘルメットは必須道具。特に坑道の高さは低いところでは150p、身体を曲げての歩行となるが、油断するとヘルメットの上が岩にあたってしまいます。40年近くになるそうですが、地面はコンクリートで舗装され、水路が整備されているために足元は歩きやすい。数か所落盤の跡もありますが、前進の障害とはなりませんでした。ただ、腰を曲げての歩行は少々息が切れるあせあせ(飛び散る汗)
セメント.jpg

300メートルぐらい入ったところで、大きな空間が広がります。立坑を通じて、石を外部に取り出すところや、今は立ち入り禁止となっている分坑があります。以前はこの坑道が製錬所まで続き、砥石山をくりぬいていたとか。また、笹が谷小学校に通う反対側の子供達がこの坑道を通学路として利用していたそうだ。まさに地下道(近道)グッド(上向き矢印)

今回の見学では、ヒ素の原料となる硫砒鉄鋼(トンカチでたたくとニンニクのにおいがする!)、トーチライトを当てるときらきら光る灰鉄輝石、銅の原材料となる黄鉄鉱などを見ることができた。また40年の時を経て、坑道にはカルシウムが固まった鍾乳石のこども達があちこちで見られる。歩いていると昼寝をしているコウモリもいた。
鍾乳石こども.jpg
こうもり.jpg
話は聞いていましたが、灯台本暗し。地元の歴史に触れる貴重な一日を過ごすことができました。

Posted by アンダンテ21 at 09:40 | その他の事業 | この記事のURL | コメント(0)
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