写真よりイラストのほうがイメージを伝えられることについて(写真とイラストの違い)
先日(もう大分前になってしまいました)、ブログで私は写真の顔出しはしないのに、思いっきりイラストは出していることについて、写真だと知らない人でも認識しやすいのに、イラストだと、直接知っている人はわかるけど、イラストだけ見たのでは、たまたま本人に出会ってもわかりにくいから、というようなことを書きました。
そのことについて少し書いてみたいと思います。
つまり、直接知っている人にとっては、イラストは役に立つ。例えば、名刺交換する場合に名刺にイラストを入れておくと、印象に残りやすいけど、イラストだけ見ても、実際の本人と結びつきにくい。
これはどういうことなのでしょうか。
その前に、顔というのは、私たちにとって、特別なものだということは書いておかないといけないでしょう。
特に目。生まれたばかりの赤ちゃんでも、目が見えるようになるとと必ず目を合わせてきます。そして目が合ったときに見つめなおすと、必ず見つめなおしてきます。
そして、目を中心とした顔の表情というのは、私たちにとって特別な関心事です。それは、複雑な社会生活を行なうことによって成り立っている私たちにとって、コミュニケーションは欠かせないものであり、そのコミュニケーションにとって必要不可欠な感覚(五感)の中で、視覚は最後に来るものでありながら(胎児の状態でも、触覚や聴覚は確実にあり、遅くとも生まれてすぐに味覚や臭覚は発揮されるはずなので)、外界を能動的に認識する感覚であり、それを最初に発揮するのが、自分に近しい他人(母親であることが多い)の顔の表情を読み取ってやり取りをすることであるからです。
視覚が能動的な感覚であると書きましたが、じゃあテレビは能動的なのかというと、そうですねえ、受動的ですよねえ。顔の表情を見ながらやり取りをする中で、表情も育っていくと思うので、やり取りのないテレビなどばかり見ていると、(特に子どもは)表情が豊かにならないかもしれません。
元来は視覚は能動的なのだけど、その情報獲得量の多さを逆利用していろいろなメディアが作られていて、過剰で一方的な情報が与えられ続けると、受動的にならざるを得ない、ということなのでしょうか?
閑話休題。
写真というものは、実際は、光の色と濃淡(濃淡だけだとモノクロ)を写し取るだけです。それが、ある意味、真を写すということなのでしょう。
しかし、私たちは、特に人の顔については、色と濃淡だけを見ているのではなくて、表情を読み取って、その人とコミュニケーションを図ろうとします。
イラストと写真の大きな違い(特に顔を写し取る場合)は何かというと、イラストは、ヒト(イラストレーター)が実際の色と濃淡をそのまま写し取るのでなくて、その中から、表情を抽出(抽象)しようとするところにあるのではないかと思うのです。
だから、イラストの良し悪しがあるにしても、イラストは私たちの脳に、何か響いてくるものがある。直接会ったことのある人のイラストを見たとき、何だか、ああっ、そうそう、こんな感じ、て思うのです。きっと。
これは、実は、人のイラストに限らないような気がします。図鑑などでも、写真より、イラストのほうがわかりやすいという気がすることがありませんか?人がじっくり観察して描いたほうが、よけいな情報がなくてしかも、知りたいところを描いているのでわかりやすいのではないかと思います。
将来、もし、絵を描くロボットが作られたとして、人をどのように描くのかというのは関心のあるところです(ヒトと本当の意味でコミュニケーションが取れるようなロボットが生まれたとすると、そのロボットが描く人の絵というものがどういうものになるのだろうか、と想像すると興味は尽きません)。
追記:イラストがうまい人で、自分の似顔絵が苦手な人というのが結構いるように思います。これって、自分の顔は見すぎてて、抽出が難しくなってしまうって事?
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そのことについて少し書いてみたいと思います。
つまり、直接知っている人にとっては、イラストは役に立つ。例えば、名刺交換する場合に名刺にイラストを入れておくと、印象に残りやすいけど、イラストだけ見ても、実際の本人と結びつきにくい。
これはどういうことなのでしょうか。
その前に、顔というのは、私たちにとって、特別なものだということは書いておかないといけないでしょう。
特に目。生まれたばかりの赤ちゃんでも、目が見えるようになるとと必ず目を合わせてきます。そして目が合ったときに見つめなおすと、必ず見つめなおしてきます。
そして、目を中心とした顔の表情というのは、私たちにとって特別な関心事です。それは、複雑な社会生活を行なうことによって成り立っている私たちにとって、コミュニケーションは欠かせないものであり、そのコミュニケーションにとって必要不可欠な感覚(五感)の中で、視覚は最後に来るものでありながら(胎児の状態でも、触覚や聴覚は確実にあり、遅くとも生まれてすぐに味覚や臭覚は発揮されるはずなので)、外界を能動的に認識する感覚であり、それを最初に発揮するのが、自分に近しい他人(母親であることが多い)の顔の表情を読み取ってやり取りをすることであるからです。
視覚が能動的な感覚であると書きましたが、じゃあテレビは能動的なのかというと、そうですねえ、受動的ですよねえ。顔の表情を見ながらやり取りをする中で、表情も育っていくと思うので、やり取りのないテレビなどばかり見ていると、(特に子どもは)表情が豊かにならないかもしれません。
元来は視覚は能動的なのだけど、その情報獲得量の多さを逆利用していろいろなメディアが作られていて、過剰で一方的な情報が与えられ続けると、受動的にならざるを得ない、ということなのでしょうか?
閑話休題。
写真というものは、実際は、光の色と濃淡(濃淡だけだとモノクロ)を写し取るだけです。それが、ある意味、真を写すということなのでしょう。
しかし、私たちは、特に人の顔については、色と濃淡だけを見ているのではなくて、表情を読み取って、その人とコミュニケーションを図ろうとします。
イラストと写真の大きな違い(特に顔を写し取る場合)は何かというと、イラストは、ヒト(イラストレーター)が実際の色と濃淡をそのまま写し取るのでなくて、その中から、表情を抽出(抽象)しようとするところにあるのではないかと思うのです。
だから、イラストの良し悪しがあるにしても、イラストは私たちの脳に、何か響いてくるものがある。直接会ったことのある人のイラストを見たとき、何だか、ああっ、そうそう、こんな感じ、て思うのです。きっと。
これは、実は、人のイラストに限らないような気がします。図鑑などでも、写真より、イラストのほうがわかりやすいという気がすることがありませんか?人がじっくり観察して描いたほうが、よけいな情報がなくてしかも、知りたいところを描いているのでわかりやすいのではないかと思います。
将来、もし、絵を描くロボットが作られたとして、人をどのように描くのかというのは関心のあるところです(ヒトと本当の意味でコミュニケーションが取れるようなロボットが生まれたとすると、そのロボットが描く人の絵というものがどういうものになるのだろうか、と想像すると興味は尽きません)。
追記:イラストがうまい人で、自分の似顔絵が苦手な人というのが結構いるように思います。これって、自分の顔は見すぎてて、抽出が難しくなってしまうって事?
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