『里山資本主義 ―日本経済は「安心の原理」で動く』
『里山資本主義 ―日本経済は「安心の原理」で動く』(藻谷浩介・NHK広島取材班著、角川ONEテーマ21、2013年)
去年読んで印象に残った本。感想を書くのが難しかったのですが、なんとか書いてみました。
今の世の中が、すっかり規模の経済、日々の大量物流網によって支えられていることは、大きな災害があったときなどに気づかされます。というか、そういうことでもないと気づけないほど当たり前のことになっています。
そんな中、『里山資本主義』で語られていることは規模としてはショボすぎるのかもしれない。そして、大きなシステムに取り込まれて暮らすほうが日常的には楽で安心であるし、それ自体はいろんな人がかかわって分業しあって創り上げているものなので、ある意味素晴しいものなのではあるのです。
小さなところで満足しているだけでは、ただ大きな社会システムのあだ花というか、ガス抜きにか過ぎないのかもしれない。などと考えたりもします。
それでも、里山資本主義という言葉はなかなか魅力的です。しかも、舞台になっているのは私の住む生活圏である中国山地や瀬戸内海の島。
それまで産業廃棄物としてお金を払って処理してもらっていた製材のときに出る木屑を、バイオマス発電に使って工場で必要なもの以上の電力を作り出し、さらに、木材の新しい需要を生み出すために世界で注目され始めている集成材に取り組む岡山県の真庭市にある製材所。
山口県の周防大島で、都会での大手電力会社勤めから転職してはじめた周防大島ジャムズガーデン。地元特産の規格外のかんきつ類を適正な価格で買い、地元の人たちをたくさん雇って(私の知り合いも勤めていたりします)手間隙かけたジャムをそれなりの高い値段で販売する。そして、それが人気商品になっている。最近では、直営農園も開業して、スタッフ募集もしています(かわいらしいホームページがありますのでご覧ください)。
オーナーの言葉が効いています。
「我々にできることは何だろう、とこの島に来てから考えるようになりました。単純に自分のところの利益を最大化するのがいい話ではなくて、地域全体が最適化されることで、自分たちにも利益がまわってくるのです。だからこそ、地域をまず改善していく取り組みをしたいと考えています」
(周防大島は時々遊びに行く近場なので、書く量が増えてしまいました)
デイサービスに通う人たちの家庭でできる余剰野菜を、デイサービスの車で運んで施設の食材の一部として使い、それを地域通貨で買い取ることによって、2重の意味で地域内にお金が回る仕組みを作っている広島県庄原市の老人保健施設の例。
など、規模の経済の常識からは考えられない、その地域にある里山の資源を生かした取り組みが、着実に行われつつあることが取り上げられています。何より、多くの登場人物が肩肘張ったものではなく、あくまで里山の生活を楽しんでいる様子がうかがえます。
さらに、「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」がこれからの日本に必要な「車の両輪」ではないか、と実例も出しながら次のように説明します。
―都会の活気と喧騒の中で、都会らしい21世紀型のしなやかな文明を開拓し、ビジネスにもつなげて、世界と戦おうという道。鳥がさえずる地方の穏やかな環境で、お年寄りや子どもにやさしいもうひとつの文明の形をつくりあげて、都会を下支えする後背地を保っていく道。
規模としてはかなり違って、本来は並列にはできないものなのかもしれません。しかし、田舎に住んでいて田舎の好きな一個人としては、田舎の魅力を引き出してくれる人がどんどん活躍してくれると楽しいので(実際増えているように思う)、私なりの情報発信はしていきたいと思います。
身近で言うと、私が最近関心を持っているのは、岩国市周東町の樋余地地区での取り組み。
キャッチフレーズは、[『人が人らしく安心して暮らせる場所』をつくるために自給自足を基軸としたコミュニティーを目指しています。](「里山ひよじ村」でフェイスブックがあります)
取り組み自体はかなり前から行われていて、最近住み着く若者やまちなかから草取りや稲刈りなどの参加者で活気付いているようです。通りすがったことしかない場所なので今度遊びに行ってみたいと思っています。
追記:東北などに比べて比較的温暖な中国地方のほうが、限界集落などの話題が多いと感じるのは何故か気になっていたのですが、そのヒントがこの本の中にありました。
曰く、比較的温暖で棚田なども作りやすい中国山地では、小規模集落が昔からたくさんあり、高度成長前の前近代期まで、たたら製鉄などや一般家庭の燃料として中国山地の木から作った木炭がもてはやされていて、一定の収入があったために維持できていた人口が、エネルギー革命によって一気に木炭の需要が落ち、人口流出が進んだというもの。つまり、炭鉱が閉山になって人口減少が起こったようなことが中国山地で起こったというのです。もちろん、それだけではないのでしょうが、なるほどそういう面もあるのかと。
去年読んで印象に残った本。感想を書くのが難しかったのですが、なんとか書いてみました。
今の世の中が、すっかり規模の経済、日々の大量物流網によって支えられていることは、大きな災害があったときなどに気づかされます。というか、そういうことでもないと気づけないほど当たり前のことになっています。
そんな中、『里山資本主義』で語られていることは規模としてはショボすぎるのかもしれない。そして、大きなシステムに取り込まれて暮らすほうが日常的には楽で安心であるし、それ自体はいろんな人がかかわって分業しあって創り上げているものなので、ある意味素晴しいものなのではあるのです。
小さなところで満足しているだけでは、ただ大きな社会システムのあだ花というか、ガス抜きにか過ぎないのかもしれない。などと考えたりもします。
それでも、里山資本主義という言葉はなかなか魅力的です。しかも、舞台になっているのは私の住む生活圏である中国山地や瀬戸内海の島。
それまで産業廃棄物としてお金を払って処理してもらっていた製材のときに出る木屑を、バイオマス発電に使って工場で必要なもの以上の電力を作り出し、さらに、木材の新しい需要を生み出すために世界で注目され始めている集成材に取り組む岡山県の真庭市にある製材所。
山口県の周防大島で、都会での大手電力会社勤めから転職してはじめた周防大島ジャムズガーデン。地元特産の規格外のかんきつ類を適正な価格で買い、地元の人たちをたくさん雇って(私の知り合いも勤めていたりします)手間隙かけたジャムをそれなりの高い値段で販売する。そして、それが人気商品になっている。最近では、直営農園も開業して、スタッフ募集もしています(かわいらしいホームページがありますのでご覧ください)。
オーナーの言葉が効いています。
「我々にできることは何だろう、とこの島に来てから考えるようになりました。単純に自分のところの利益を最大化するのがいい話ではなくて、地域全体が最適化されることで、自分たちにも利益がまわってくるのです。だからこそ、地域をまず改善していく取り組みをしたいと考えています」
(周防大島は時々遊びに行く近場なので、書く量が増えてしまいました)
デイサービスに通う人たちの家庭でできる余剰野菜を、デイサービスの車で運んで施設の食材の一部として使い、それを地域通貨で買い取ることによって、2重の意味で地域内にお金が回る仕組みを作っている広島県庄原市の老人保健施設の例。
など、規模の経済の常識からは考えられない、その地域にある里山の資源を生かした取り組みが、着実に行われつつあることが取り上げられています。何より、多くの登場人物が肩肘張ったものではなく、あくまで里山の生活を楽しんでいる様子がうかがえます。
さらに、「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」がこれからの日本に必要な「車の両輪」ではないか、と実例も出しながら次のように説明します。
―都会の活気と喧騒の中で、都会らしい21世紀型のしなやかな文明を開拓し、ビジネスにもつなげて、世界と戦おうという道。鳥がさえずる地方の穏やかな環境で、お年寄りや子どもにやさしいもうひとつの文明の形をつくりあげて、都会を下支えする後背地を保っていく道。
規模としてはかなり違って、本来は並列にはできないものなのかもしれません。しかし、田舎に住んでいて田舎の好きな一個人としては、田舎の魅力を引き出してくれる人がどんどん活躍してくれると楽しいので(実際増えているように思う)、私なりの情報発信はしていきたいと思います。
身近で言うと、私が最近関心を持っているのは、岩国市周東町の樋余地地区での取り組み。
キャッチフレーズは、[『人が人らしく安心して暮らせる場所』をつくるために自給自足を基軸としたコミュニティーを目指しています。](「里山ひよじ村」でフェイスブックがあります)
取り組み自体はかなり前から行われていて、最近住み着く若者やまちなかから草取りや稲刈りなどの参加者で活気付いているようです。通りすがったことしかない場所なので今度遊びに行ってみたいと思っています。
追記:東北などに比べて比較的温暖な中国地方のほうが、限界集落などの話題が多いと感じるのは何故か気になっていたのですが、そのヒントがこの本の中にありました。
曰く、比較的温暖で棚田なども作りやすい中国山地では、小規模集落が昔からたくさんあり、高度成長前の前近代期まで、たたら製鉄などや一般家庭の燃料として中国山地の木から作った木炭がもてはやされていて、一定の収入があったために維持できていた人口が、エネルギー革命によって一気に木炭の需要が落ち、人口流出が進んだというもの。つまり、炭鉱が閉山になって人口減少が起こったようなことが中国山地で起こったというのです。もちろん、それだけではないのでしょうが、なるほどそういう面もあるのかと。
