〜二胡・琵琶・古箏〜音楽の夕べ323_はたけの虫たち7
撮りだまった虫たちの写真。シリーズも7回目。
まずは、ハサミムシ。わたしのはたけではよく見かける虫です。ただ、すばしこいのであまり写真に撮る機会がありません。よく見ると、触角が結構長い。 ハチの一種。シソの花につかまっています。 カマキリの交尾。 バッタの交尾。 スズメガの一種の幼虫だと思われます。毒はないようなのですが、後ろも前も結構おどおどろしい。 オクラの葉にとまるウンカの一種。 ガの一種。 ナガコガネグモがたまたま獲物を捕まえて糸でぐるぐる巻きにして食事中でした。 横から見るとこんな感じ。 そして口の部分を拡大すると、背中の模様がトラのようなだけでなく、口の部分もトラのよう。体液を吸っているのでしょう。 キンバエの一種。 とても鮮やかなスズメガの幼虫。 秋の風物詩?322_カボチャの人工授粉321_タマネギの芽生えいきなり、それはやってくる(休刊予告)
昨年(2011年)の12月に、ふと再開したブログでしたが、また、長い沈黙の時期が近づいてきたようです。
まず、よく眠れます。というか、だいたい朝4時前後に起きていたのが、起きることができなくなってきました。 書くときには書くけど、書かないときにはまったく書かないという極端な状態はどうなのか、と自分でも思うものの、こればかりは、いかんともしがたい。 書くときは、「これは書かなきゃ」とか「毎日書かなければ」と思うことはあまりなく、その時々に思ったことややったことを書いているだけで、書かないときは、書くことがないと思っているし、そもそも文章を書くという気になれない状態になる。 こういう状態の変化は、これまでも何度もあって、何かきっかけのようなものがないかと探すのですが、どうもこれといったものがなくて、結局、躁うつ病の一種なのだろうと考えるしかないと思っています。少しずつ客観的に状態に向き合うことができるようになってはいます。 社会生活は何とかこなしていると思いますので、出会ったときは、温かく声をかけてやってください。 もう少しは、「書く」のではないかと思っていますし、「ぼちぼち書く」(月に何件かとか)という状態にならないかとも考えていはします。 どうなるかは、わかりません。 コメントをいただいても返信できないかもしれません。お許しを。 320_サツマイモの試掘『フェルメールとスピノザ』解説へ向けてのお勉強5
『フェルメール光の王国展〜17の所蔵美術館を巡る世界の旅〜』
フェルメール・センター銀座にて、11月30日まで。 江戸に用事が出来て急きょ行ったついでに、銀座で行っているフェルメール展を観てきました。 現存しているフェルメールの全37点の作品を、リ・クリエイトと呼ばれる少しこだわりの複製で、その所蔵されている場所ごとに展示した展覧会。 私は、本物は≪真珠の耳飾りの少女≫しか観たことがありませんが、やはり本物とはかなり違います。それでも、この展覧会がありがたいのは、実際の大きさですべてを一度に見ることができるという点。本などでは寸法が示してあるだけで、やはりスケール感がつかめない。それが、実際に大きさを目の当たりにできるのは大きい。実物の大きさというのはそのものを知るためのかなり大きな要素だからです。 フラッシュを使わなければ、写真を撮ることもできるので、一応撮ってみました。 4階に作品があり、3階には作品に出てくる部屋の実物大の複製や作品解説コーナーとミュージアムショップがありました。それほど時間はなかったのですが、なかなか楽しめました。 『驚きの介護民俗学』
『驚きの介護民俗学』(六車由美著、医学書院、2012年)
やはり、人がいるところに、現場があるんだなあ。と、あらためて感じさせてくれる本。特に、老人保健施設は、この10年くらいでたくさんできて、時代を象徴するような施設になっていて、何かと関心を持っているところだったので、私にとっては、タイムリー。 民俗学者の六車さんが、介護施設に転職して、そこで出会った利用者の語りや行動の中から立ち上がる思いもしなかった豊かな世界に驚き、介護民俗学を構想し、「介護現場は民俗学にとってどのような意味をもつのか?」そして、「民俗学は介護の現場で何ができるのか?」という両面からアプローチしています。 私が一番印象に残ったのは、著者がレクリエーションの当番が回ってきたときに苦し紛れにジェスチャーゲームをしてみたところ、思ってもいなかったような細かな記憶を、利用者のカラダが持っていたというところ。 そして、個人史に寄り添ってこそ見えてくる、利用者の問題行動の意味。 介護現場で活用されている「回想法」が、対象者を受け入れることによって、対象者が「発語量が増えた」とか「表情が豊かになった」「物事に対する集中力が出てきた」「認知症の周辺症状が軽減した」りすることを目標とし、その効果を客観的に評価する、という技法に偏っていることを批判しながら、自分が余裕のない職場に配置転換になったときには、やはり技法に頼ったり、技法の向上に達成感を見出したりすることも書かれています。 介護民俗学の視点を持つだけでは、現実の厳しい介護現場での仕事はやっていけないのだとは思いますが、実際、本書に出てくる利用者の体験は、ただ受け止めて聞き流すにはもったいない。そのあたりのバランスがうまくいって、学問的な価値もですが、実際的に利用者や社会に還元される仕組みのようなものができるといいのではと思いました。 言い換えると、今は利用者が一方的にサービスを受けることに偏りすぎていますが、利用者が自分や他人にできること(お互いに学べること)がもっとありそうな気がする。介護民俗学は、その一つの視点を与えてくれるのでは。 319_ダイコンたちの芽吹き318_秋のタネ植え
遅れ気味になっていたはたけも1週間前と土曜日にさらに少しつくったので、土曜日の夕方に、ニンジン、大根、カブ、コマツナ、中葉春菊、タマネギのタネとチシャ、ミズナ、ネギの苗を植えました。
台風が来る直前で、あまり激しく雨が降るとタネが地表に出てきてしまうのでよくないのですが、いくら暖かい土地柄と言っても、あまり遅くなると育ちが遅いので蒔いてしまうことにしたのです。 台風去った日曜日の午後のはたけの様子。こちらではあまり激しい風ではありませんでした。無事に芽が出てくれるといいのですが。 手前左手から時計回りに、虫に結構食われながら頑張っているオクラ。その上にあるバジルと左端上のサトイモは写真では何だかわかりません。上真ん中はモロヘイヤとアスパラガスとシソ。そのとなりから、右上端にピーマンとナス。そして右上少し下にミニトマト。最後に真ん中寄りの右手前にトウガラシです。 もう今日から10月ですね。 |
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