中島義道さんの本は面白い
知り合いが読んでて、たまたま手にした中島義道さんの本。
『たまたま地上に ぼくは生まれた』(中島義道著、ちくま文庫、2007年、2002年に講談
社から出版されたものの文庫化)
1990年から2001年にかけての著者の講演と対談集で、哲学の入門書的なものとして面白かったです。
著者は、騒音、特に日本的な駅構内のアナウンスや善意で流されるBGMが嫌いで、そういったことに正面から闘っているので「闘う哲学者」とも形容されているらしいです。
きっと、優等生根性が抜けきらなくて、ついつい他人の顔色をうかがって愛想を振りまいてしまう私などは中島さんに嫌われている対象でしょう。
でも、彼が主張することは正直な感じで納得できます。
「その人がほんとうに考えて、ほんとうにのたうち回って得た知識か否かは、実感でわかってくる」と書いている感じ方や、ディベートのように、相手を打ち負かせるためのテクではなく、真理を求める“対話”の大切さを書いていたり、共感できる部分が多いです。
一方で、科学に対してちょっと勘違いしているようで気になります。
例えば、
「つまり科学的客観性は、両方間違っているかもしれないという議論はしないで、人間のすべてが、あるいはほとんどがおなじ見解を持っているのを客観性としようという立場なわけです」とか
「科学は、解けない問題を解ける問題に変えてしまうんですね」
と書いていますが、私は、科学は解けない問題はそのままにしておいて(ほったらかしにするという意味ではなくて)、うまい問いかけ(実験)を見つけて、解ける問題を誰でもが納得できる形で解いてきたのだと思うので、科学を哲学と対立するような形で提示しているように感じられて不思議な感じがしました。
『たまたま地上に ぼくは生まれた』(中島義道著、ちくま文庫、2007年、2002年に講談
社から出版されたものの文庫化)
1990年から2001年にかけての著者の講演と対談集で、哲学の入門書的なものとして面白かったです。
著者は、騒音、特に日本的な駅構内のアナウンスや善意で流されるBGMが嫌いで、そういったことに正面から闘っているので「闘う哲学者」とも形容されているらしいです。
きっと、優等生根性が抜けきらなくて、ついつい他人の顔色をうかがって愛想を振りまいてしまう私などは中島さんに嫌われている対象でしょう。
でも、彼が主張することは正直な感じで納得できます。
「その人がほんとうに考えて、ほんとうにのたうち回って得た知識か否かは、実感でわかってくる」と書いている感じ方や、ディベートのように、相手を打ち負かせるためのテクではなく、真理を求める“対話”の大切さを書いていたり、共感できる部分が多いです。
一方で、科学に対してちょっと勘違いしているようで気になります。
例えば、
「つまり科学的客観性は、両方間違っているかもしれないという議論はしないで、人間のすべてが、あるいはほとんどがおなじ見解を持っているのを客観性としようという立場なわけです」とか
「科学は、解けない問題を解ける問題に変えてしまうんですね」
と書いていますが、私は、科学は解けない問題はそのままにしておいて(ほったらかしにするという意味ではなくて)、うまい問いかけ(実験)を見つけて、解ける問題を誰でもが納得できる形で解いてきたのだと思うので、科学を哲学と対立するような形で提示しているように感じられて不思議な感じがしました。