私にとってのインターネットをあらためて整理してみると、
@簡単な調べ物に便利。
ただし、表面的な情報があふれているので、より深い考察や重要な情報はインターネット上にはないか、あるにしても見つけるのが難しい。あくまで、考えるためのきっかけ的な位置付け。
Aメールアドレスがわかれば、未知の人とでも連絡を取ることができる。
自分の中に疑問をとどめておく(そのことによって、疑問を何度か自分の中で繰り返すことによって熟成されて深まることがある)ということも大切なので、連絡を取ればいいというものでもないのですが、これは、と思うときには、連絡を取ってみると新しい展開をすることもある。その可能性が開かれているというのは大きい。
Bたまに、お気に入りのホームページやブログがある。
たまに自分の関心を持っていることについて、興味を持てるサイトを見つけることがあり、そういう時はうれしい。
C知り合いの近況などを確認できる
知り合いのみで行っている掲示板で近況を知らせあったり、知り合いのブログなどがあれば、それで確認ができる。
ツイッター(一時期、宇宙飛行士の野口さんの宇宙からのつぶやきをフォローしてた)やSNSは、私自身がこまめな人間ではないので、フォローが無理。
そんな状況の中で、私がブログをやっているというのは、どういうことなんだろうか。
@もともと趣味で有機無農薬で行っている「はたけ」の楽しさを伝え、少しでも「はたけ」に関心を持ったり、やってみる人が増えて欲しい。
A自分もいくつか関わっている市民活動というものが、社会の中で重要性を増していると思われるので、その活動の実際的なことや、その活動に伴って考えたことを伝え、同じような活動をしている人のヒントになったり、活動に参加してみようかと思う人が増えて欲しい。
B本や芸術鑑賞というものは、楽しく、しかも知識などが増えるだけでなく、考える幅を広げたり、新たなアイデアの元になったりするものなので、それによって感じたことや考えたことを少しでも伝えていきたい。
私は、自分では自分のオリジナルな考えというものはあまり持ってないと思っているので、きっと誰かからやどこかからの受け売りを書いているのですが、世の中にある数ある考えの中からそれを選んだ私というものはあるだろうし、微妙に私らしい表現になってしまっていることはあるのだと思います(自分って何?と考えたことも若い頃はありましたが、今では、別に自分は何者でもないと思っているので、ある意味、気が楽です)。それは、他の人の意見などを聞くときも同じで、自分なりに考えて表現している人の話は、どこかで聞いたような話しであったとしても興味深いものです。そうやって、ああでもない、こうでもないといろいろやっているうちに、ほんの少しは、ホンモノに近づくことができるかもしれないと思ったりはしています。
そして、ブログというのは基本的には日記なのでしょうから、何気ない日常のおどろきや、ただ書いてみたかった、というような内容も書いたりします。
インターネットというメディアは、相手が見えにくいために、ちょっと突っ込んだ議論をする場としては適していないと感じています。これまでの経験では、ちょっとしたことから、すぐに誤解を生じて、文字だけのやりとりでは、お互いの誤解がすれ違う方向に大きく広がって、無駄にいやな思いをすることがあったので、否定的な主張ややり取りは、できるだけしたくないです(自分と違う考え方などについては、取り上げない)。
結局、強く正義を主張するわけでもなく、特定の人や考え方を非難するのでもなく、日々の暮らしの中で感じることを淡々と書くことによって、誰かのヒントになれば、というスタンスなのでしょうか(つい最近、本の批判をしてしまいましたが)。
ただ、「はたけ」のことについては、ほぼ1年一回りしてしまったし、自分自身でマンネリを感じてしまう今日この頃なので、少し振り返ってみました。