iPAQ212
入手してまだ3日目。しかも大掃除の最中なのでほとんど触ってませんけど。
いいです。自分で作ったワードの資料も読めるし、
野鳥や野菜の写真も見れるし、
最終的に競合したのは、iPhoneですけど、現段階では私にとってはこちらのほうが優位。やりたいことがインターネットとの接続によるものではない(iPAQもコンパクトフラッシュの通信カードを使えばインターネット接続できます)ので、左手で持って右手のスタイラスペンで入力するというスタイルに特化していてよい。大きさも、200グラム弱でわずらわしいほどの大きさではないし。
実は、パソコンはアップル社のマッキントッシュから触り始めたので、同じアップル社のiPhoneのGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス=パソコンなどの操作をソフトウェアによって視覚的・感覚的にわかりやすくしたもの? 最近は触感的なものもあるので、センシティブユーザーインターフェイス=SUIと言うべき?)の素晴らしさはよくわかるのですけど、ちょっとやりすぎなのかなとも思うのです(現在は、仕事で使うので仕方なくどっぷりWindowsです)。
例えば、テレビの宣伝で、やりたいことが何でもできるという例として旅行先から写真をすぐに家族にメールを送れる(指先ひとつで)、というのをやってましたけど、私はそんなのやりたくない。そういうのって、
1 旅先で、ふと家族のことを思い出したりする
2 あっ、はがきでも出してみようかと思う
3 どんなはがきにしようかとか、何を書こうかとということを考えながら、家族のことを思う
4 結果として、はがきを出したり、出さなかったりする
だと思うのですけど、
iPhoneで指先でするメールって、一番大切なものが抜け落ちて、ただ、結果のみがすぐに出てくるって感じなんですよね。それによって、過程に費やす時間だけ無駄に?費やされる。一方上記の1〜4は、過程も含めてすべて無駄ではない。と思うのです。
GPSがなくて道に迷って、思わぬ発見があったりするのも楽しいし。
ランキングによって、文章を入力するのもちょっとどうかと思う(これはiPhoneにかぎらないけど)。文章を書くときって、全体のバランスも考えて、ここはこういう表現にしようかとか、微妙にこの言い回しがいいかな、と思ったりするのに、何文字か打っただけで、たくさん選択肢がでてきて、この言いまわしでいかがでしょう?と脅迫されるのはわずらわしくて勘弁してほしい。指先でできるだけ早く文字を入力するための技術的な妥協案でもあるのでしょうけど、それじゃあみんな同じような文章になってしまうのでは?かといって、さらに技術が発達して全体のバランスを考えたり、微妙な雰囲気を考慮してくれて、入力候補を出してくれるようになると、それはそれでさらに気持ち悪いのですけど(設定によって、入力候補を出さないようにもできるのでしょうけど)。
パソコンを、徒歩に比べての自転車に例えて、思考を助けるものとして使い心地がよくないと意味がないというアップルの思想には大いに賛同していたのですが・・・。
どちらが主人なのか?
使い勝手の良さの追求が、人を、(例えば)グーグルが「消費主体?としての人」の特性を統計的に集める集めるための入力機械にしてしまったのでは・・・?
それは、結局人を、消費主体ではなくて、消費マシーンにしてしまい、消費をするという欲求すら奪ってしまうのではないか・・・?
話が、また脱線してしまったので、このあたりで。
いいです。自分で作ったワードの資料も読めるし、
野鳥や野菜の写真も見れるし、
最終的に競合したのは、iPhoneですけど、現段階では私にとってはこちらのほうが優位。やりたいことがインターネットとの接続によるものではない(iPAQもコンパクトフラッシュの通信カードを使えばインターネット接続できます)ので、左手で持って右手のスタイラスペンで入力するというスタイルに特化していてよい。大きさも、200グラム弱でわずらわしいほどの大きさではないし。
実は、パソコンはアップル社のマッキントッシュから触り始めたので、同じアップル社のiPhoneのGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス=パソコンなどの操作をソフトウェアによって視覚的・感覚的にわかりやすくしたもの? 最近は触感的なものもあるので、センシティブユーザーインターフェイス=SUIと言うべき?)の素晴らしさはよくわかるのですけど、ちょっとやりすぎなのかなとも思うのです(現在は、仕事で使うので仕方なくどっぷりWindowsです)。
例えば、テレビの宣伝で、やりたいことが何でもできるという例として旅行先から写真をすぐに家族にメールを送れる(指先ひとつで)、というのをやってましたけど、私はそんなのやりたくない。そういうのって、
1 旅先で、ふと家族のことを思い出したりする
2 あっ、はがきでも出してみようかと思う
3 どんなはがきにしようかとか、何を書こうかとということを考えながら、家族のことを思う
4 結果として、はがきを出したり、出さなかったりする
だと思うのですけど、
iPhoneで指先でするメールって、一番大切なものが抜け落ちて、ただ、結果のみがすぐに出てくるって感じなんですよね。それによって、過程に費やす時間だけ無駄に?費やされる。一方上記の1〜4は、過程も含めてすべて無駄ではない。と思うのです。
GPSがなくて道に迷って、思わぬ発見があったりするのも楽しいし。
ランキングによって、文章を入力するのもちょっとどうかと思う(これはiPhoneにかぎらないけど)。文章を書くときって、全体のバランスも考えて、ここはこういう表現にしようかとか、微妙にこの言い回しがいいかな、と思ったりするのに、何文字か打っただけで、たくさん選択肢がでてきて、この言いまわしでいかがでしょう?と脅迫されるのはわずらわしくて勘弁してほしい。指先でできるだけ早く文字を入力するための技術的な妥協案でもあるのでしょうけど、それじゃあみんな同じような文章になってしまうのでは?かといって、さらに技術が発達して全体のバランスを考えたり、微妙な雰囲気を考慮してくれて、入力候補を出してくれるようになると、それはそれでさらに気持ち悪いのですけど(設定によって、入力候補を出さないようにもできるのでしょうけど)。
パソコンを、徒歩に比べての自転車に例えて、思考を助けるものとして使い心地がよくないと意味がないというアップルの思想には大いに賛同していたのですが・・・。
どちらが主人なのか?
使い勝手の良さの追求が、人を、(例えば)グーグルが「消費主体?としての人」の特性を統計的に集める集めるための入力機械にしてしまったのでは・・・?
それは、結局人を、消費主体ではなくて、消費マシーンにしてしまい、消費をするという欲求すら奪ってしまうのではないか・・・?
話が、また脱線してしまったので、このあたりで。