220710参議院選小ネタ06_憲法改正_憲法とは何かという議論は?
シリーズも6件目になって、なんだか徐々にただの愚痴っぽいおやじになってきている自分を感じて、ちょっと自己嫌悪かも。
さて、憲法改正を党是としている自民党は、かなり以前から憲法改正案というものを公表していて、少し詳しめのQ&Aまであるので、興味のある人?は是非読んでみてもらえればと思います(ざっと読んで、突っ込みどころがありすぎて何とも書きようがありません)。
憲法というものは、できてきた歴史的経緯から言うと、国家を動かす権力者が勝手なことをしないために定められたものである言えるようです。
小さな村から徐々に大きな組織になって、国家になっていったとき、最初は戦いに勝った王様などが治めていて、あまりに横暴であればそれを倒す権力が中から現れたり、国同士が戦って合併したり、しかし、そういうあまりに個人の思惑に左右されるのでは、治められる民衆が側もたまったものではないので、さまざまな仕組みがお互いにけん制しあいながら、国民の意見を反映する方法も織り込みつつ、一定のルールのもとに適正に国を運営してもらうための決まりごとを定める必要があって作られたものだと考えられるからです。
そういう意味では、国の構成員としての国民の責務なども書かれていながらも、主役である国民をいかに守るかといったことが主眼になるはずです。
もちろん、そういう経緯を考えずに、漠然と国の基本を示すものだ、みたいな考え方をしている人も多いと思うので、改正案を読んでも違和感の感じ方とかは人によって違ってくるのでしょう。
また、常識的なことをあえて条文に書くことに違和感を持つかどうかというのは、決め事一般に対する考え方の違いが出てしまいます。
子どものころに、ルールというものを知った時、何でも生真面目に?ルールとして決めてしまおうとする子がいましたよね?
現実問題として、常識的で誰もがあまり疑っていないことまでルール化してしまうと、何でもかんでも決めておかないといけないことになって、逆に大変になってしまったりします。
なので、見解の相違があって、決めておかないと実際上困ることなどについて、限定的に法律にしていることのほうが多いのです。
国の伝統や文化といったことについては、憲法にある程度書いてあってもいいのですが、そういうものはむしろ、みんなで大切にしながらも、徐々に変わっていくものでしょうし、最小限にとどめるべきでしょう。特に価値観によって意見の分かれるようなものについては慎重にしなければなりません。
戦後に定められた日本国憲法は、70年以上の歴史を経ているわけですから、語句の言い回しなど、細かな点で直したらいいようなところはあるでしょうが、今の改憲論議を見聞きしていると、枝葉末節の話や、法律を変えればいいだけのような話をしてけむに巻いて、こっそりと主役である国民の権利を制限したり、制約を加えたりする改変をしようとしている感じなのです。
何より、現在山積しているいろんな課題に比べて、憲法改正の優先順位がそれほど高いと感じている人がどれほどいるのでしょうか?
しかし、なぜか憲法改正をことさらに訴える複数の政党が、このままいけば過半数を占めかねない状況なのはどう考えればいいのでしょう。

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さて、憲法改正を党是としている自民党は、かなり以前から憲法改正案というものを公表していて、少し詳しめのQ&Aまであるので、興味のある人?は是非読んでみてもらえればと思います(ざっと読んで、突っ込みどころがありすぎて何とも書きようがありません)。
憲法というものは、できてきた歴史的経緯から言うと、国家を動かす権力者が勝手なことをしないために定められたものである言えるようです。
小さな村から徐々に大きな組織になって、国家になっていったとき、最初は戦いに勝った王様などが治めていて、あまりに横暴であればそれを倒す権力が中から現れたり、国同士が戦って合併したり、しかし、そういうあまりに個人の思惑に左右されるのでは、治められる民衆が側もたまったものではないので、さまざまな仕組みがお互いにけん制しあいながら、国民の意見を反映する方法も織り込みつつ、一定のルールのもとに適正に国を運営してもらうための決まりごとを定める必要があって作られたものだと考えられるからです。
そういう意味では、国の構成員としての国民の責務なども書かれていながらも、主役である国民をいかに守るかといったことが主眼になるはずです。
もちろん、そういう経緯を考えずに、漠然と国の基本を示すものだ、みたいな考え方をしている人も多いと思うので、改正案を読んでも違和感の感じ方とかは人によって違ってくるのでしょう。
また、常識的なことをあえて条文に書くことに違和感を持つかどうかというのは、決め事一般に対する考え方の違いが出てしまいます。
子どものころに、ルールというものを知った時、何でも生真面目に?ルールとして決めてしまおうとする子がいましたよね?
現実問題として、常識的で誰もがあまり疑っていないことまでルール化してしまうと、何でもかんでも決めておかないといけないことになって、逆に大変になってしまったりします。
なので、見解の相違があって、決めておかないと実際上困ることなどについて、限定的に法律にしていることのほうが多いのです。
国の伝統や文化といったことについては、憲法にある程度書いてあってもいいのですが、そういうものはむしろ、みんなで大切にしながらも、徐々に変わっていくものでしょうし、最小限にとどめるべきでしょう。特に価値観によって意見の分かれるようなものについては慎重にしなければなりません。
戦後に定められた日本国憲法は、70年以上の歴史を経ているわけですから、語句の言い回しなど、細かな点で直したらいいようなところはあるでしょうが、今の改憲論議を見聞きしていると、枝葉末節の話や、法律を変えればいいだけのような話をしてけむに巻いて、こっそりと主役である国民の権利を制限したり、制約を加えたりする改変をしようとしている感じなのです。
何より、現在山積しているいろんな課題に比べて、憲法改正の優先順位がそれほど高いと感じている人がどれほどいるのでしょうか?
しかし、なぜか憲法改正をことさらに訴える複数の政党が、このままいけば過半数を占めかねない状況なのはどう考えればいいのでしょう。

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