220710参議院選小ネタ03_同性婚に対する偏見
同性婚を異性婚と同じように認めてほしいという要求や、裁判が行われていて、つい最近(6月20日)も、大阪地裁で同性婚を認めないのは「合憲」であるとの判決が出ました(認められるように法整備をする必要性についても同時に言及しているようで、現段階では違憲とまでは言えないという判断?)。
同性愛者が存在することは、歴史が残る昔から知られており、近年の研究では、一部の動物の中にも存在しているようで、多様性の一つと言えそうです。
ことさら、同性婚の法制化に反対する人は、自分の固定観念を取り払うことが難しく、認めてしまうと、同性婚を希望する人が増えて子どもがいなくなると妄想したりしているようです(そういう意見がネットなどに見られる)。自分が同性愛者にならないといけないわけではなく(同性愛や異性愛など性的指向はグラデーションだと思うので何かに決めつける必要もない)、そういう人たちの権利を認めるだけなので、むしろ偏見にさらされていた人の苦労が減る可能性が増えるわけで、メリットしかないにもかかわらずです。
ここで、考えてほしいのは、同性婚の法制化に反対する人たちの中には、全体から考えると少数派(マイノリティ)に属する人の問題だから無視していいと思っている節があるのではないかということです。とても特殊で要求で、そのために多大なコストがかかり、全体で考えたときには公平性などを十分に議論して実行すべきかどうかを判断しなければならないこともあると思いますが、そういうことと混同しているように感じられるのです。
そういう傾向の人は、自分の価値観に合わない人を、単に感情的に排除してしまうようで、社会や課題が複雑化し、簡単に答えが見つからない昨今にあっては、いろんな価値観がうまく共存し、意見を交わす中でこそ新しい答えが出てくる可能性が高まることを考えると、自分の価値観に合わない人を簡単に排除してしまう人を政治家として選ぶことは、様々な課題の解決を遠ざけてしまうのではないかと心配しています。
ある意味、同性婚に対する考え方は、社会の問題を解決することを大きな仕事とする政治家としての資質に関する試金石ともいえるような気がします。
婚姻という制度によらなくても、パートナーとして様々な権利が認められる方向性というのも同時に考えられてもいいようには思いますけど。

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同性愛者が存在することは、歴史が残る昔から知られており、近年の研究では、一部の動物の中にも存在しているようで、多様性の一つと言えそうです。
ことさら、同性婚の法制化に反対する人は、自分の固定観念を取り払うことが難しく、認めてしまうと、同性婚を希望する人が増えて子どもがいなくなると妄想したりしているようです(そういう意見がネットなどに見られる)。自分が同性愛者にならないといけないわけではなく(同性愛や異性愛など性的指向はグラデーションだと思うので何かに決めつける必要もない)、そういう人たちの権利を認めるだけなので、むしろ偏見にさらされていた人の苦労が減る可能性が増えるわけで、メリットしかないにもかかわらずです。
ここで、考えてほしいのは、同性婚の法制化に反対する人たちの中には、全体から考えると少数派(マイノリティ)に属する人の問題だから無視していいと思っている節があるのではないかということです。とても特殊で要求で、そのために多大なコストがかかり、全体で考えたときには公平性などを十分に議論して実行すべきかどうかを判断しなければならないこともあると思いますが、そういうことと混同しているように感じられるのです。
そういう傾向の人は、自分の価値観に合わない人を、単に感情的に排除してしまうようで、社会や課題が複雑化し、簡単に答えが見つからない昨今にあっては、いろんな価値観がうまく共存し、意見を交わす中でこそ新しい答えが出てくる可能性が高まることを考えると、自分の価値観に合わない人を簡単に排除してしまう人を政治家として選ぶことは、様々な課題の解決を遠ざけてしまうのではないかと心配しています。
ある意味、同性婚に対する考え方は、社会の問題を解決することを大きな仕事とする政治家としての資質に関する試金石ともいえるような気がします。
婚姻という制度によらなくても、パートナーとして様々な権利が認められる方向性というのも同時に考えられてもいいようには思いますけど。

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