第635回郷土史研究会「中近世移行期の中世小領主(地侍)の処世について−由宇の村田氏の事例を通して−」210117
岩国徴古館が月一ペースで開催している岩国の歴史に関する講座。新しい学芸員が講師となるとのことで受講してみました。
今回は、1600年の関ヶ原合戦ののち、吉川広家さんが周防国に入封されることになったとき、現在の岩国市の南部にある由宇に入ってきたわけですが、そのとき、由宇にいた七屋敷と呼ばれた小領主のうち、吉川氏を受け入れる側に回った村田氏がその後どういう立ち位置で活動したかを系図なども使いながら追う内容の講座。
村田氏は、功績を認められて武士の身分になることも提案されたようですが、そうなると、城下に住むことになって地元とのつながりがなくなるので、あえて地元に残り、地域のリーダーとしての権力を使うことを選んだようです。
その後もその末裔の人たちは、商人や医者や文化人などになって活躍したようで、武士の身分にとらわれず、地域に根差して、生きていくことを選んだことも多いのでしょう。

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今回は、1600年の関ヶ原合戦ののち、吉川広家さんが周防国に入封されることになったとき、現在の岩国市の南部にある由宇に入ってきたわけですが、そのとき、由宇にいた七屋敷と呼ばれた小領主のうち、吉川氏を受け入れる側に回った村田氏がその後どういう立ち位置で活動したかを系図なども使いながら追う内容の講座。
村田氏は、功績を認められて武士の身分になることも提案されたようですが、そうなると、城下に住むことになって地元とのつながりがなくなるので、あえて地元に残り、地域のリーダーとしての権力を使うことを選んだようです。
その後もその末裔の人たちは、商人や医者や文化人などになって活躍したようで、武士の身分にとらわれず、地域に根差して、生きていくことを選んだことも多いのでしょう。

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