『言葉の魂の哲学』
『言葉の魂の哲学』(古田徹也著、2018年、講談社選書メチエ)
昨年の周防大島で開催された、「数学の演奏会」で講師の森田さんが紹介していた本。
一つの文字をずっと見続けたり、書き続けたりすると、突然単なる線の寄せ集めに見えてきて意味を感じられなくなる「ゲシュタルト崩壊」や、逆に見慣れていたはずの言葉にふと魂が入ったように感じる「ゲシュタルト構築」の例や、それにまつわる文学作品を手掛かりに、言葉が現実を完全には表現しえないことを前段にして、
1900年代の初めごろに主に活躍した哲学者ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインさん(1889〜1951)と、作家でジャーナリストのカール・クラウスさん(1874〜1936)の言語論を、魂のこもった言葉とは何かということに焦点を当てて掘り起こしています。
言葉は、長年使われてきて複雑な背景があるので自律的な面を持っていて、人為的に意味を限定したり、語数を単純化したりすることはできないけれども、それを使う人が言葉を選び取る不断の努力をしていかないと、簡単に中身のない常套句によって、思考停止になり、敵意や差別意識を拡大させてしまう危険性があるということを、現在の言葉の状況にからめて強調しています。
日々わずかとは言え、文章を書いている私としても、ついつい紋切り調の言葉を使ってしまいがちになるので、気を付けないといけないなあと反省。
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昨年の周防大島で開催された、「数学の演奏会」で講師の森田さんが紹介していた本。
一つの文字をずっと見続けたり、書き続けたりすると、突然単なる線の寄せ集めに見えてきて意味を感じられなくなる「ゲシュタルト崩壊」や、逆に見慣れていたはずの言葉にふと魂が入ったように感じる「ゲシュタルト構築」の例や、それにまつわる文学作品を手掛かりに、言葉が現実を完全には表現しえないことを前段にして、
1900年代の初めごろに主に活躍した哲学者ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインさん(1889〜1951)と、作家でジャーナリストのカール・クラウスさん(1874〜1936)の言語論を、魂のこもった言葉とは何かということに焦点を当てて掘り起こしています。
言葉は、長年使われてきて複雑な背景があるので自律的な面を持っていて、人為的に意味を限定したり、語数を単純化したりすることはできないけれども、それを使う人が言葉を選び取る不断の努力をしていかないと、簡単に中身のない常套句によって、思考停止になり、敵意や差別意識を拡大させてしまう危険性があるということを、現在の言葉の状況にからめて強調しています。
日々わずかとは言え、文章を書いている私としても、ついつい紋切り調の言葉を使ってしまいがちになるので、気を付けないといけないなあと反省。
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