『遺言。』
『遺言。』(養老孟司著、2017年、新潮新書)
80歳を迎えた著者が書いた遺言第一弾(まだ死ぬ予定はないそうで、自分で、『遺言1.0』と書いています)。
養老さんの本は、わかりやすく読みやすいわりに結構深いと思っています。特にこの本は、私が気になっていることをコンパクトに書いてあってとても興味深い。
ヒトには二つの違った方向性があって、そのことをについて、いろんなキーワードで対比して説明してくれています。
「脳」と「身体」
「意識」と「感覚」
「同じ」と「違い」
「数学」と「芸術」
「都市」と「田舎」など、
感覚器官は、外界の状況を受け止めて、ある程度そのまま脳に伝えるけど、脳は、それを解釈するために単純化したりして意味を持たせる、というところが発端になっているのかな?
「意識」は、わかっていないことは、ないこととして無視してゼロか1にしてしまうけど、芸術は、ゼロと1の間に存在している、という養老さんの言い方はいいなと思います。
マイナンバーに抵抗感がある理由を、社会システムの問題としてとらえるのではなく、デジタル化できない部分がほとんどの人間と言うものを、デジタルの究極である数字に置き換えてしまうことに対する違和感だと指摘しているように思われるところも面白い。
最後に、最近、何かと話題になるシンギュラリティについても書いている部分があるので、抜粋してみると、
「コンピュータが自分より有能なコンピュータを勝手に作り出す、いわゆるシンギュラリティー(英語で「特異点」。人工知能が人間の能力を超えるという際の技術的特異点を指すことが多い)というのは、ヒトがヒトを改造して、自分より有能な人を創るということとよく似ている、以前に私はそれを「神を創る」と書いた。いまのわれわれが考える程度のことはすべて考え、理解してくれる。さらにその上に、現在のわれわれが理解できないことまで、ちゃんとやってくれるヒトを創ることができれば、現代人は用済みである。
理論的にはこれで話しはお終いである。どうするかって、それ以上考えても意味はない。あとのことは、そうして創られた神様に考えてもらえばいいからである。コンピュータの世界におけるシンギュラリティーを心配するなら、人類の全知全能を傾けて、右の意味での「人神」を創った方がよほどマシではないか。」
なかなか本質的なところを突いているように思います。
人がプログラムによって作った、どう考えてもヒトに比べると単純なコンピュータに、ヒトらしい難しいことをやらせるより、コンピュータにはそれに適したことをやらせて、ヒトらしいことはヒト同士で考えたらどうなのか、と言うことではないのかと思います。
ヒトと動物と区別する特徴が「意識」なのだけど、それはほおっておくと「都市化」や「デジタル化」を進めてしまい、そのことによる問題が大きくなってきているので、その「意識」の特性について意識して、行き過ぎを考え直さないといけないのでは?と言ってくれているようです。
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80歳を迎えた著者が書いた遺言第一弾(まだ死ぬ予定はないそうで、自分で、『遺言1.0』と書いています)。
養老さんの本は、わかりやすく読みやすいわりに結構深いと思っています。特にこの本は、私が気になっていることをコンパクトに書いてあってとても興味深い。
ヒトには二つの違った方向性があって、そのことをについて、いろんなキーワードで対比して説明してくれています。
「脳」と「身体」
「意識」と「感覚」
「同じ」と「違い」
「数学」と「芸術」
「都市」と「田舎」など、
感覚器官は、外界の状況を受け止めて、ある程度そのまま脳に伝えるけど、脳は、それを解釈するために単純化したりして意味を持たせる、というところが発端になっているのかな?
「意識」は、わかっていないことは、ないこととして無視してゼロか1にしてしまうけど、芸術は、ゼロと1の間に存在している、という養老さんの言い方はいいなと思います。
マイナンバーに抵抗感がある理由を、社会システムの問題としてとらえるのではなく、デジタル化できない部分がほとんどの人間と言うものを、デジタルの究極である数字に置き換えてしまうことに対する違和感だと指摘しているように思われるところも面白い。
最後に、最近、何かと話題になるシンギュラリティについても書いている部分があるので、抜粋してみると、
「コンピュータが自分より有能なコンピュータを勝手に作り出す、いわゆるシンギュラリティー(英語で「特異点」。人工知能が人間の能力を超えるという際の技術的特異点を指すことが多い)というのは、ヒトがヒトを改造して、自分より有能な人を創るということとよく似ている、以前に私はそれを「神を創る」と書いた。いまのわれわれが考える程度のことはすべて考え、理解してくれる。さらにその上に、現在のわれわれが理解できないことまで、ちゃんとやってくれるヒトを創ることができれば、現代人は用済みである。
理論的にはこれで話しはお終いである。どうするかって、それ以上考えても意味はない。あとのことは、そうして創られた神様に考えてもらえばいいからである。コンピュータの世界におけるシンギュラリティーを心配するなら、人類の全知全能を傾けて、右の意味での「人神」を創った方がよほどマシではないか。」
なかなか本質的なところを突いているように思います。
人がプログラムによって作った、どう考えてもヒトに比べると単純なコンピュータに、ヒトらしい難しいことをやらせるより、コンピュータにはそれに適したことをやらせて、ヒトらしいことはヒト同士で考えたらどうなのか、と言うことではないのかと思います。
ヒトと動物と区別する特徴が「意識」なのだけど、それはほおっておくと「都市化」や「デジタル化」を進めてしまい、そのことによる問題が大きくなってきているので、その「意識」の特性について意識して、行き過ぎを考え直さないといけないのでは?と言ってくれているようです。
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