大学の思い出
先週末、旧友と遊んだとき、時間があったので、かつて通った大学へ久々(卒業ぶりではない)に行ってみました。
早朝で、近所の高齢者の散策コースになっていて、建物が増えていたり、木々が大きくなっていたりと変わった点も多かったものの、私が学生だった四半世紀以上も前のままの部分もあり、その頃の思い出の断片が、その頃の感情や肌触りとともに蘇ってきて、少し胸に迫るものがありました。
リアルなものに接することによって、思い起こすリアルな体験。
私が学生の頃には、一部の学生しかワープロさえ持っていなくて、私はテレビさえ持っていませんでした。パソコンも研究室に入ったばかり。
だんだん、視覚がメインで聴覚、指の感覚が少し伴うヴァーチャルな体験が増えてくる中で、コンピュータや携帯の画面に触って、人は思い出に浸るようになるのでしょうか?
何だか、違うような気がするのは、ノスタルジーに浸っているだけなのでしょうか?
別話として、肉体的には、このブログでも書いているように、かなりガタが来はじめていますが、意識としては、その頃とそれほど変わっていない(成長していない)感じもします。もちろん、生き方は多少上手くなったかもしれませんが。
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早朝で、近所の高齢者の散策コースになっていて、建物が増えていたり、木々が大きくなっていたりと変わった点も多かったものの、私が学生だった四半世紀以上も前のままの部分もあり、その頃の思い出の断片が、その頃の感情や肌触りとともに蘇ってきて、少し胸に迫るものがありました。
リアルなものに接することによって、思い起こすリアルな体験。
私が学生の頃には、一部の学生しかワープロさえ持っていなくて、私はテレビさえ持っていませんでした。パソコンも研究室に入ったばかり。
だんだん、視覚がメインで聴覚、指の感覚が少し伴うヴァーチャルな体験が増えてくる中で、コンピュータや携帯の画面に触って、人は思い出に浸るようになるのでしょうか?
何だか、違うような気がするのは、ノスタルジーに浸っているだけなのでしょうか?
別話として、肉体的には、このブログでも書いているように、かなりガタが来はじめていますが、意識としては、その頃とそれほど変わっていない(成長していない)感じもします。もちろん、生き方は多少上手くなったかもしれませんが。
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