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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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俳句、短歌、自由詩、散文―表現するということ

[2012年03月17日(Sat)]
自分を表現することは難しい。というか一般的には、年を経るにつれて、いらない知識や経験が積み重なって、自分を表現することを妨げているような気がする。

大げさに書けば、日本社会では、自分を表現することを歓迎しない雰囲気があって、そんな中で大人になっていくと、意識せずに、自分をあまり表現しなくなってしまうように思う(だから、いざ表現しようとしてもできない)。

前の記事で、「句会」のススメを書いたものの、実際には、「句会」を呼びかけても、たくさんの参加があるわけではない。

やっぱり、大人になって、自分の気持ちを表現するのは、一般には単純に恥ずかしいことだと思う(本人が意識するほど、他の人はその表現によってのみでその人を判断したりしていないし、だいたいそれほど気に留めたりしないんだけど)。

私自身で考えても、うまく表現できる時と、まったく表現できない時がある。

しかし、表現してみて、それについて他人から批判されたり、共感されたり、やりとりすると、自分がふと軽くなったり(逆に重くなることも)。

またまた、大げさに書くと、人はお互い補完し合うようにできているので、自分を表現する趣味のようなものは持っていたほうがいいように思う。それこそ表現の仕方は、人それぞれでいい。自分が関心があることを追い求めれば、自然と自分なりの表現方法というものが身に付くと思う。

表現というものがあって、私たちはお互いにコミュニケーションをとることができて、補完し合うことできるのだと思うので。

ここで、前回記事にした「句会」の時に話題になったことを、俳句を趣味としているメンバーに言わせると、俳句→短歌→自由詩→散文の順に自分の露出度が上がっていくので、自分は、俳句の煮詰まり具合がちょうどいい。着物で言うと、だんだん裸になっていくようで、散文などとても書けない。

で、それと関連するようだけど、あの震災ののち、俳人として有名だった人が短歌の句集を出して、話題になったそうです。「なぜ、俳人が短歌を書いたのか」と。

でも、その当時は、思いがあふれすぎて、俳句で収まりきらずに、短歌になったのではかいかと言われているらしいです。その後、その思いがだんだん凝縮して、俳句を書けるようになったとも。

ただ、表現には、「表現しない(できない)」という表現もあって、

私がいつも対照的なカメラマンとして引き合いに出す、時代の雰囲気を敏感に映し出す篠山紀信さんと、被写体との関係性をきっちり写し込むアラーキーこと荒木経惟さん。

今回の震災について、いち早く写真集を出した篠山さんに対して、被災地は訪れたものの写真は撮れないと言った荒木さん(撮ってはいけないという意味ではなくてその時、荒木さんには撮れなかったのだと思う)。

やはり、私は荒木さんが好きです。



「句会」のススメ

[2012年03月17日(Sat)]
120310kukai.JPG

もう1週間前になってしまったことに驚くほど、今週もいろいろなことがありました。
実は先週末に関西方面へ旅をしたメインの目的は、「句会」に参加するためでした。

「句会」と言っても、趣向を込めた同窓会なのですけど。

実際にどんなことをするかというと(いろいろヴァリエーションがあると思われますが、今回やったことを書きます)、

@参加者それぞれが出した兼題(事前に出しておくお題)と席題(当日集まってから出すお題)を使って、時間を決めて俳句を詠み、題ごとに用意した封筒に俳句を書いたものを入れていく。
A題を出した人が、それぞれの封筒に入った俳句を題ごとにまとめて清書する(そうすることによって、誰が書いたかわからなくなる)。
B清書した題ごとの俳句を読んで、1人1題ごとにいいと思うもの(正選)にプラス1点、ダメ(いや、好きでない)なもの(逆選)にマイナス1点を、清書した俳句の余白に書き込む。
C投票が終わったところで、題ごとに各俳句に入った点を集計する(正選2票で、逆選1票なら、合計1点)。
D集計が終わったら、各題を出した人が司会となり、例えば、得点の高かった俳句から、正選、逆選を入れた人にそれぞれその理由を語ってもらい、評がでそろったところで、「私が、これこれこういう思いを込めて詠んだものです」と解説をして、さらに言いたいことがあれば言い合う。
E最終的に、合計得点を出す(今回は、Dの時点で午前0時をまわったため、当日仕事であまり寝ていなかった人もいたりして、みんな爆睡したので、翌日みんなが帰った後に集計結果を発表)。


これを、お風呂に入ったり、散策したり、食事をしたり、お酒を飲んだりしながらやっていくわけです。

勝った負けたというのは、誰も話題にせず(もちろん正選が入るとうれしいし、逆選が入るとくやしい)、俳句をネタに、ひたすらしゃべる。とりあえずは誰が読んだかわからないので、結構辛辣に言い合います。でも、そんなことを気にする人はいません。

この心地よさを何と表現したらいいのでしょう。

前も書いた通り、私などは日頃俳句を読むなんてことはないので、季語からしてちゃんと知っていない。それでも、今回、句集も出している本格的な人がメンバーに入っていて、私が勝手に季語だと思って使った言葉に、「すごい使い方だ」などと言われたりすることもあったり。

もちろん、そういうふうにメンバーの中に詳しい人がいると、解説の時にいろいろ説明してくれて勉強になる、というか興味深い。

この句会、大学の同級生の間で20年前くらい前の数年はやって、7回ぐらい開催(うち、私が参加したのは数回)。今回は、その第一回目を行ったところで、20年ぶりの開催となりました(メンバーは、ほぼ全回参加している人から、今回初めて参加するひとまでまちまち)。

昔は、私は、無知を武器に、もっぱら受け狙い(逆選狙い)の句を詠んでいたのですが、年月を経てしまうと、単純な受け狙いの句は詠めなくなってしまい、凡庸な句になってしまったきらいがあります。それでも、そんなことはどうだってよくて、その時の気持ちはある程度詠めたように思います。

そして、句会が終わった後、最近睡眠不足気味の私は、自分でもびっくりするくらい爆睡していました。きっと、思ったことを俳句に詠み、そして、同じ題で詠んだほかの人の句を読み、散々勝手に言い合って、日頃たまった澱(おり)のようなものが、一気に飛び散ったのではないかと思います。

翌日の朝、結婚式や仕事でメンバーが抜けた後、残ったメンバーで尽きない話をしていたとき、私が爆睡したことを話したら、俳句を趣味としているメンバーは、夢ばかり見て何度も目が覚めたというのです。日頃から俳句をやっていながら、最近は仕事が忙しくてあまり詠めてなかったそうで、そのため、スイッチが入ってしまい、日頃考えていることなどが一気に頭の中を巡ったみたいです。

そういったことを話すのもまた楽しい。

気の置けない仲間同士での「句会」。おススメです。



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