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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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カメラと肉眼の違い(夜の雰囲気を写真に撮る)

[2012年03月06日(Tue)]
3月5日に書いた宏樹庵ディナーコンサートの記事の中で、夜の宏樹庵の庭やアプローチの写真を挑戦して撮ってみたことについて書きました。

そのことについて、少し補足を。

実は、私自身は挑戦してみる気はなかったのですが、ピアニストの石井啓子さんとの次のような会話から、ちょっとやってみようかという気になったのです。

石井さん:(以下:I)「庭の竹のオブジェは見ました?」
村夏:(以下:M)「ええ、まだ明るいときに」
I:「じゃあ今は、灯をつけていると思うから、見てみましょう。雨が降っているからつけてないかな?」

縁側に出て見てみると、きれいに灯りがついていました。竹の筒にろうそくが入れてあり、その上にうまい具合に幅広で長い葉っぱがかざしてあるので、灯が消えないのです。そして、雨が降っているおかげで、庭の土の表面に水があり、灯を反射してより幻想的な雰囲気を醸し出しています。

I:「これを写真に撮れないかしら?」
M:「もう大分あたりが暗くなっているから無理だと思います。カメラではこの雰囲気は出せないと」
I:「人間の目って不思議よね。カメラとは違うのよね」
M:「そうなんですよ。この暗さだと、周りが真っ暗で、その中に灯りがちらほらあるだけになって雰囲気がまったくわからないと思います。でも、一応撮ってみましょうか?あっ、三脚も持ってきていないし、レンズも3つ(しかも単焦点)しか持ってきていないしなあ」

そうなんです。カメラがすることはレンズを通して入ってきた光の明るさを忠実にセンサーで受け止めるだけです。一方人間の網膜にも多分同じような像が写るのですが、それを感じ取る脳は、その映像に周りの状況をかぶせて想像力を働かせているし、実際に見ているときには常に目を動かしていて、集中して見ている部分を絶えず変えているため、暗い部分は暗い部分だけで見ることがあり、暗さに合わせて見るのでその時にはある程度見えているということがあって、その場の全体の雰囲気をとらえているのです。

結局は、持ってきていたカメラ(オリンパスPEN E-PL1)の最大限の増感感度であるISO3200にして、雨の中、傘をさして、暗いために合わせにくいピントを手動で調整しながら、手持ちで、(ズームレンズでない)短焦点レンズのために画面に入る範囲を歩き回って決めながら、さらに全体の明るさを調整するために露出補正を何種類か試し、撮ったものがあの写真となったのです。まだ、完全にあたりが暗くなっていなかったため、少しは雰囲気が出たように思います。

ちなみに、より広い範囲の夜景を撮ろうと思うと、もう、夕暮れ時を狙うしかありません(肉眼で見るときには、夜でありさえすればいいのですが)。20年近く前に岩国の錦帯橋付近の夜景を撮って作った絵葉書があるので、それを複写してみます。

120306yuukei.JPG

これって、結構肉眼で見た夜景のイメージに少しは近いと思いますが、実際には、2月のよく空気の澄んだ晴れた日に、日没の時間を調べてロープウエー広場まで上がり、日没からだんだん夕暮れていく状況を見ながら、三脚を据えて画面の位置を決め、実際には日没から20〜30分後に、30秒から1分シャッターを開けっ放し(バルブと言います)にして何枚か撮影したものです。当時はフィルムカメラですから、結果は現像が上がってくるまでわかりませんでしたが、何とか1回の撮影(撮った枚数は30枚程度でしょうか)で成功しました。

周りの明るさと、家や外灯などの明るさのバランスが良い時間帯というのが難しいだけでなくて、より広い範囲を撮影する場合には、湿度が多くなく、空気が澄んでいるという条件が合わないといけないので、シャッターチャンスは年間を通じてもそんなに多くないのです。

おまけに書くと、新しく発表されたオリンパスの一眼カメラOM-D E-5は、こういう長時間露光の写真を撮るとき、どういう露光状況かをリアルタイムで液晶ファインダーや液晶ビューファインダーで確認することができる(結果としてどういう写真になるのかをリアルタイムで確認できる)ので、露光がよくなった段階でシャッターを下ろすことができると言う、フィルムカメラ時代からすると、驚きの機能を持っています。

(個人との会話を名前入りで掲載しているので、事前に記事を読んでもらって了承をいただいています)


春一番 吹かれるままに 撮り鉄に

[2012年03月06日(Tue)]
今日は、春一番が吹きましたが、荒れ模様というほどでもなく、晴れ間が出たり、少し雨が降ったり。

2月に土日出勤が多かったので、代休を取って、午前中はこまごまとした用事を済ませ、昼から次回行う焚き火遊びのチラシを印刷して、そのあと撮り鉄の真似事をしてみることに。

撮り鉄とは、鉄道マニアの中で、写真撮影をごちそうとする人たちのことです。

時には、錦川沿線を走る第三セクターの錦川清流線を撮ってその魅力を紹介してみようと思い立ったのです。

錦川を通ることから、もともとのどかな路線ですが、最近沿線の住民の協力のもと、さらに磨きをかけつつあります。

その一つとして、車窓から滝が見えるように整備しつつあります。その第一号が「清流の滝」。第2号も整備が終わり、愛称の募集を締め切ったところです。

ともに見たことはなかったので、探してみることに。

「清流の滝」は北河内駅と椋野駅の間にあり、そこを通る清流線と一緒に撮れそうです。時間を調べてちゃんと計画していなかったので、1時間待ちとなって撮影したのがこの写真(もう一つの滝は椋野駅と南桑駅の間にあって、ある程度あたりはついたものの、正確にはわかりませんでした。車を止めるところもなかったし)。通りかかったのは青を基調としたせせらぎ号でした(錦川清流線は4両あります)。

120306seiryusen2.jpg

実は、そこにたどりつくまでについつい寄り道をしてしまいました。

というのも、錦川も野鳥の宝庫で、ついついヤマセミが目についてしまって、ちょっと野鳥観察をしてしまうことに。

今日一番最初に撮った写真がこれ。

120306yamasemi.JPG

なんだかわからないでしょう。

真ん中の部分を拡大してみると。

120306yamasemi2.JPG

水面を見つめるヤマセミがなんとか捉えられています(頭の羽毛が逆立っているのが特徴です)。

それから、川岸に行って座って待つことに。ヤマセミを3、4羽確認できて通り道もわかったので、1時間弱待ってみたのですが、さすがに初めての地点で様子もわからないので、1時間では写真に撮ることはできませんでした。それでも、いろんな鳥のさえずりを聞くことができ、特に、何度かウグイスが鳴いていました。春ですね。

この待っている時間が、結構楽しいのです。

沿線沿いにある自動販売機がたくさん置いてあるところに、平飼いで有名な「やましろ地鶏の有精卵」が売ってあったので、おみやげに買って帰ることにしました。帰って卵ごはんにしたら、さすがにおいしかったです。

120306yamasirojidori.JPG



宏二郎展 in 宏樹庵

[2012年03月06日(Tue)]
◆2012年3月4日〜11日(日) 午前10時〜午後5時
◆宏樹庵(岩国市黒磯町2−70−36、岩国国病上、特別養護施設灘海園そば)


120304koujirouten.JPG

ヴァイオリニスト石井啓一郎さんの息子さんである(こういう言い方は、失礼なのかもしれませんが、今回は啓一郎さんのお宅での展覧会なのでご容赦いただくとして)宏二郎さんの絵画展が、宏樹庵で開催されています。

私は初日の宏樹庵ディナーコンサートの始まる前に鑑賞させていただきました。

私は彼の作品が結構好きです。

コンサートにしても、絵画にしても直(じか)に触れないとわからないと思っていますし、事前にあまり知ってしまうと、そういう観方しかできない場合があっていけないなあ、と思いながら、これを読んだ人が少しでも観てみようかという気持ちになってくれれば、と言う意味で少しだけ書いてみます。

まずは、チラシに書かれた宏二郎さんの言葉を引用します。

火群
つながること、へだたること、
美しいこと、醜いこと、
生きていくこと、死んでいることー。
孤独や悲しみも、歓びや安らぎも、
すべてがどうしようもなくそこにある。
すべてをもたらし、すべてを呑み込み、
すべてを包む、この空と大地にいだかれてー。
生きとし生けるものが共に今、
この途方もない世界の中で、
限りある命の灯を揺らしながら、
ただひたむきに、
そこにあること。
そこにること、
ここにいることー。

宏二郎さんの作品は、2010年3月6日に一度観たきり(ブログに書いておくとそういうことがわかるのが便利です)で、今回は2回目。

前回も感じたのですが、私たちがここに(そこに)いることや、あることのはかなさのようなものがテーマとして感じられる作品群。

そして、今回のチラシにも使われている作品が、その一つの結実点のように感じました。

そこにいた宏二郎さんにうかがったところ、この作品は、震災の少し前から取り組んでいて、偶然にも震災があり、その中で完成したものだとのこと。宏二郎さんが追い続けていたテーマが、何のめぐり合せか、大きな出来事によって一つの結実点を迎えてしまった。

再び3月11日を迎える今だからこそ、この作品は必見です。

作品に直に接し、その人なりに何かを感じることによって、観た人の中の何かが変わる。そしてそのことによって作品も作家も変わっていく。そういう力が、芸術の中にはあると、私は思います。

もちろんたった一つのテーマでも終わりはありませんが、一つの結実点を迎えた彼の作品が今後どういう展開を魅せてくれるのか楽しみです。

たった2回しか観ていないのに勝手なことを書いて、申し訳ありません。

宏樹庵の場所は若干わかりにくいですが、展覧会期間中は会場近くになれば、小さな案内板が出ていると思います。

ちなみに、石井啓一郎さんと啓子さんの名前から取ったお二人の後援会「啓&啓倶楽部」のホームページがあります。お二人の情報がわかるとともに、宏二郎さんのホームページにもリンクがはられているので、ご覧いただければさらに詳しい情報を見ることができます。



自死遺族フォーラム in 岩国_補足2_市民と行政の協働

[2012年03月06日(Tue)]
今回のフォーラムは、山口県岩国健康福祉センター(いわゆる保健所)と自死遺族わかち合いの会「木漏れ陽」の両者の主催ということで、最後に岩国環境保健所長さんがあいさつをされました。

その時に、実感レベルのお話やこれまでこれほど自分が主催して自分たちに対する辛口の意見を言われたことはない、といった話をした後、実は、別に挨拶を用意していたのだけど、講演者におこられてはいけないので取り下げました。と、ある意味正直に言っておられました。

私自身、ここ数年これに似たような挨拶を何度か聞いたような気がします。行政は終りの挨拶を不備がないように事前にちゃんと準備しているのが普通です。

しかし、今回のように、多分民間が主導で、それに乗っかる形で行政が主催としてかかわるような場合、行政側からすれば何が起こるか分からないという不安があると思われますが、実際にやってみると、今回のように自分も勉強になるし、思わぬ成果をもたらすこともある(し、そうでない場合もある)のだと思います。

今回のような行事は、重要な課題である一方で、非常にデリケートであるだけに、行政だけでは本当に形だけに終わってしまう危険性があります。

そこで、お互いが歩み寄って行事をすることにより、お互いに学び合って、お互いの得意分野を補完し合える。それこそが市民と行政の協働の一歩だと思います。

内情を知らずに勝手に書いてしまいました。内部的には、いろいろあったかもしれませんが、一参加者として大変有意義なフォーラムだったと思いますので、主催した両者に敬意を表したいと思いますし、私もこういった協働の場面でできること(意見を述べるなど)があれば参画したいと思います。



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